オシムの伝言

1900円 (税別)

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日本代表通訳として常に傍らにいた著者が、イビツァ・オシム氏の日本での足跡を克明に記した迫真のドキュメント。日本代表監督としての軌跡、闘病の日々、日本サッカー協会アドバイザー就任から離日まで、その全期間923日の活動と発言が時系列で描かれている。オシム氏の思想とフットボール哲学、サッカー界への提言を伝える。また、はじめて明かされる闘病の記録には、胸を揺さぶられる。構成は、時間軸に沿いつつ、「人生」「スタイル」「リスク」「個の力」「誇り」「自由」「エスプリ」「勇気」「希望」「魔法」など、章ごとに主題が設定された29項から成る。セルビア・クロアチア語に通暁する著者が、オシム氏のユーモアや思想の真髄を伝える。コミュニケーションの精度の高さゆえ、類書とは一線を画するものとなった。すべてのオシム・ファンとサッカー愛好者に贈る書。

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日本代表通訳として常に傍らにいた著者が、イビツァ・オシム氏の日本での足跡を克明に記した迫真のドキュメント。日本代表監督としての軌跡、闘病の日々、日本サッカー協会アドバイザー就任から離日まで、その全期間923日の活動と発言が時系列で描かれている。オシム氏の思想とフットボール哲学、サッカー界への提言を伝える。また、はじめて明かされる闘病の記録には、胸を揺さぶられる。構成は、時間軸に沿いつつ、「人生」「スタイル」「リスク」「個の力」「誇り」「自由」「エスプリ」「勇気」「希望」「魔法」など、章ごとに主題が設定された29項から成る。セルビア・クロアチア語に通暁する著者が、オシム氏のユーモアや思想の真髄を伝える。コミュニケーションの精度の高さゆえ、類書とは一線を画するものとなった。すべてのオシム・ファンとサッカー愛好者に贈る書。

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 電子書籍になった『オシムの伝言』(千田善著、みすず書房、2016年8月19日配信)を再読した。オシムは、旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)サラエボ出身のサッカー指導者。2006年7月、ワールドカップ・ドイツ大会1次リーグ敗退の後、南アフリカ大会を目指す日本代表監督に就任。2007年11月に脳梗塞に倒れ、代表監督を退任しました。オシム監督に率いられてワールドカップ(アジア予選、本大会)を戦う日本代表を本当に見たかった――今もそう思う。サッカーを見る眼力、選手を見極める力、選手への細やかな心遣い、アイデア、インテリジェンスのどれをとっても歴代最高の監督だったのではないか。
 著者の千田善氏は、監督就任時から監督退任までサッカー通訳として1年半、そして脳梗塞に倒れてからは医療・リハビリ通訳として1年余、合計1000日近く、濃密な時間をオシムと共有した〝戦友〟です。旧ユーゴスラビアのベオグラード大学大学院中退(国際政治専攻)の国際ジャーナリスト。1983年夏、チトー死去の直後にベオグラードに初めて行った千田氏は、その地で地域対立が民族主義を生み、戦争へと激化していく過程――ユーゴスラビアの解体、国家崩壊を目撃しました。ジャーナリスト、研究者として貴重な体験の持ち主です。
 日本に帰国して大学講師などをしていた千田氏にオシムの通訳の話が回ってきたのは、オシムの母語であるセルビア・クロアチア語が話せる人材がいくら少ないといっても、どうしても偶然の積み重ねだったような気がしてなりません。しかしこの〝偶然〟がオシム監督に大きな幸運をもたらしました。
 千田氏は、ベオグラード時代、ほとんど毎週のようにサッカーを見るためにスタジアムに足を運んだほどのサッカー好き。中学・高校ではサッカー部だった千田氏にとって、サッカーの楽園だったベオグラード時代、選手ではピクシーことストイコビッチ、監督ではオシムがアイドル、憧れの存在で、千田氏は若い時代に日本列島で行われているサッカーではなくて、こういう言い方が許されるなら〝世界基準のサッカー〟にとっぷりと浸かっていたのです。しかも、1992年5月、ユーゴ紛争取材で現地に滞在していた千田氏は、オシムのユーゴスラビア代表監督辞任会見をスロベニアのテレビのニュースでちゃんとウオッチしていました。
 著者はその時のことを次のように書いています。「8 故郷 Hometown」より引用します。

〈オシム監督は、これまで指導したチームで一度も解任されたことがない。弱いチームを強くし、強いチームはもっと強くする実績を残してきたからだが、自分から監督を辞めたことはある。一九九二年五月のユーゴスラビア代表監督辞任会見。私は紛争取材のために滞在していたスロベニアでテレビのニュースを見ていた。何日も寝ていなかったのだろう、オシム監督の目は真っ赤だった。
 ユーゴスラビア代表を一九九〇年のワールドカップ・イタリア大会でベスト8、一九九二年欧州選手権では優勝候補の筆頭にあげられるところまで育てた(国連制裁で出場停止。代理で出場した予選二位のデンマークが優勝した)。ところが民族紛争が激化し、連邦を構成していた六共和国のうち、九二年までにクロアチアなど四共和国が独立を宣言。多民族国家ユーゴスラビアは急速に分裂・崩壊しつつあった。一九九一年夏に本格化した武力紛争はクロアチアからボスニアに拡大し、九二年五月の会見当時、オシムさんの生まれ故郷のサラエボは連日、セルビア民族主義勢力の爆撃・砲撃を受けていた。
 当時の私の取材ノートには、「オシム〝故郷のサラエボを攻撃する国の代表監督はできない〟」と書き込んである。実際にそういう言葉を口にしたわけではない。正確に当時の会見を訳すと、次のようになる。
「辞任は最終的決断だ。欧州選手権では指揮をとらないということだ。これは個人的な行動で、どう解釈するかはみなさんの自由だ。自分から説明はしない。ほかに何もできないとすれば、自分の町のためにしてやれるのは唯一、これ(辞任)だけだ。私がサラエボの生まれだということを思い出してほしい。そこで何が起きているかはご存じのはずだ」〉

 会見が行われたのはベオグラード(セルビアの首都)中心街にあるユーゴスラビア・サッカー連盟本部。当時はミロシェビッチ独裁政権が民族主義をあおり、武装マフィアや戦場帰りの犯罪者を巧妙に利用していた。民族のためなら何をしても良いという雰囲気の中で、政治家や著名人の暗殺も横行していました。「民族」や「戦争」などの政治的な言葉を慎重に避けたオシム。オシム監督のアシマ夫人と長女のイルマさんは、包囲され電気もガスもとまったサラエボにいたのです。自分が「サラエボのためにしてやれること」というのが精一杯だった、それでも「裏切り者」として民族主義者に暗殺される危険はあった、命がけの辞任会見だった――著者はそう続けています。
 国家崩壊の悲劇を目撃してきた国際ジャーナリストが、日本代表監督となった憧れのオシムの通訳となり、その2年半を綴ったのです。

 底本となった紙書籍の発刊は2009年12月。日本代表がワールドカップ・ロシア大会出場をかけたアジア最終予選が始まった今――2016年9月に電子書籍で再読した『オシムの伝言』は、7年前に紙書籍で読んだ時とは異なる意味、重みをもち、面白いと思った。
 9月1日、埼玉スタジアム、最終予選初戦。日本はホームでUAE(アラブ首長国連邦)に1-2で敗れました。仕事と重なってリアルタイムの中継を観ることもできず、翌日になって録画を観ました。シュート数やボールの支配率では日本が上回っていましたが、いいサッカー(勝てるサッカー)を意識的にやっていたのはUAEでした。この一戦にかけた準備の差も大きかったことを考えれば、「よもやの敗戦」と言うべきではないでしょう。しかし試合終了直後、映しだされた選手たちの眼はどこか虚ろで、何が起きたんだ? 負けてしまった? どうして? どうなるんだ? 動揺がそのまま表情に出ているようでした。

 再読中、以下の一節で目がとまりました。

〈「サッカーは人生と似ている。リスクをおかさなければ前進はない」とか、「リスクを冒さないサッカーは、塩とコショウの入っていないスープのようなものだ」というのが口癖だが、同時に「ミスをしない人間はいない」のだから、失敗そのものは恥じる必要はない、と語る。「サッカー選手はミスをする権利がある」とまでいったことがある。
 問題はその内容だ。チャレンジするためにリスクをおかして失敗したのか、それとも消極的だったからミスしたのか。さらに失敗のダメージが最少になるように(たとえば味方のバックアップを)考えていたのか。むやみにリスクをおかすのは無謀であり、自滅でしかない──そこから学ぶことが次の前進につながる。それが「敗北は最良の教師」ということであり、「ミスをする権利」は「チャレンジする権利」なのだ。〉(「6 教師 Teacher」より)

 2007年1月、代表監督在任中のオシムは「偶然で日本に来た。二年目からは偶然ではない。私の意志だ」と語っています。それほど日本のサッカーを評価していました。どこが素晴らしいのか、そしてどこに問題があり、どう改善していかなければならないのか。オシムの発言を読んでから、UAE戦を見直せば、この敗戦がどうして起きたか、このあとどうしていけばいいのか……目から鱗が落ちるようにわかってきます。

〈「日本には、日本が豊かであることを逆にコンプレックスに感じている者がいる。ハングリー精神で勝てるなら、貧しい国ほど強いということになる。しかし、経済的に恵まれ、何でも選べる中からあえてプロを選んだ日本の選手には、サッカーをする喜びがまだある。そこは欧州のカネまみれのサッカーより、ずっといいと私は思う」
 ──つまり、ハングリーでなくともいい、と、オシム監督はいうのだ。勝敗のみにこだわる汚いプレーや負けないための戦術ばかりでは、サッカーがつまらないではないか、と。ほかのだれも成功していないことにチャレンジする。それなら「ハングリーでない国」の代表監督として、「日本らしいスタイル」を確立させてみようじゃないか──オシムさんは、そこに挑戦する価値を感じたのだ。
 もちろん、現状でいいわけはない。日本には失敗を恐れ、リスクをおかしたがらない選手が多い。才能に恵まれていながら、チャレンジしないように教育されているのだろうか。この「自己ブレーキ」をはずせば、日本人の特性(高い技術、敏捷性を含む運動能力、規律・組織性)を活かした「日本オリジナル」のサッカーの可能性がある──と就任前から考えていた。〉(「9 スタイル Style」より)

〈オシム監督はいう。「日本は学校も社会も、教師や上司のいうことを守り、秩序を乱さないものが『優秀』という価値観で動いているが、それではサッカーは強くならない」
 プレーするのは監督でなく選手なのだ。選手こそ対戦相手のもっとも近くに位置している。サッカーにはタイムアウトがないのだから、自分たちで素早く考え、大胆に決断し、責任を持って実行する能力を選手たち自身が身につけなければならない。〉(「19 個の力 Individuality」より)

 走らなければサッカーができない時代というのが、オシム監督の持論でした。しかも賢く走らなければならない。そのためのトレーニング――制限付きの紅白戦や三つのゴールを正三角形において行う試合など、即興のアイデアによる練習をどんどん繰り出しました。瞬間的な判断力を鍛え、同時に走る力もついてくるように工夫されたユニークなメニューです。着実に代表が進化していたことは間違いありません。その詳細は本書でお読みください。
 自分が日本にいたという痕跡を日本サッカーに残したい――オシム監督は繰り返し語っていたそうです。今、最終予選を戦っている代表では、主将の長谷部誠がオシム時代に招集され、その後代表に定着していきました。また試合出場こそありませんでしたが、本田圭佑もオシム監督から代表に呼ばれた経験を持っています。日本代表を率いるハリルホジッチ監督は、現在はフランス国籍とはいえ、もともとは旧ユーゴのボスニア・ヘルツェゴビナ出身。オシム監督と同じ文化圏でサッカー選手として頭角を現し、その後指導者の道へと進みました。2008年5月、ハリルホジッチはコートジボアール代表を率いて来日(キリンカップ)。リハビリ中のオシムが試合会場の横浜三ツ沢球技場に出向き、二人は言葉を交わしています。本書にはその時の様子も綴られています。

 この原稿を書いている9月6日、日本代表は敵地バンコクで、タイ代表を2-0で撃破。勝ち点3をあげました。
 私たちにはオシムの〝遺産〟がある。
 勇気を持ってガンバレ――オシム監督が背中を押してくれているようです。(2016/9/9)
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