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なぜあいつが役員に? なぜあの男が社長なんだ? 人事がおかしくなるとき、会社もおかしくなる。巨艦パナソニックの凋落の原因も、実は人事抗争にあった。会社の命運を握るトップ人事は、なぜねじ曲げられたのか。誰がどう間違えたのか。元役員たちの実名証言によって、名門・松下電器の裏面史がいま明らかになる! 上司の出世争いに辟易するサラリーマン必読です。

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ドキュメント パナソニック人事抗争史のレビュー一覧

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  • 〈「当時は、みんな会長の正治さんの顔色ばかりうかがっていましたからね。取締役会は正治会長の独壇場で、会長の提起した主要案件には誰も異議を挟まず、沈黙のまま採決されていく。取締役会での議論らしい議論といえば、毎回、ひとり1万円といわれていた豪華弁当が振る舞われるんですが、そのデザートのメロンについて、今日のは小ぶりだとか、甘いとか論じ合うぐらいでした」〉

     同族で固められたオーナー企業の取締役会の話ではありません。1917年(大正6年)松下幸之助によって創業され、日本第2位、総合電機の世界企業である松下電器(現パナソニック)の役員会について、実際にその場にいた松下電器・井村昭彌元取締役が明かした秘話です。議事録にはけっして記録されることのなかった、文字通り内部の者だけが知りえた“機密情報”といっても過言ではありません。
     その頃の松下電器は順風満帆とはとうていいえない、苦境に陥っていました。1993年に第5代社長の座についた森下洋一は、前任の谷井時代に社運を賭けて買収した総合エンタテインメント企業MCAを手放し、液晶時代の到来を見通すことができずにブラウン管テレビにのめり込み、プラズマへの投資に走りました。こうした松下電器の迷走は、森下社長の後、第6代社長・中村邦夫、第7代社長・大坪文雄まで3代、19年にわたって続くことになるのですが、そのさなか、じつは取締役会が戦略の策定という本来果たすべき機能を完全に喪失していたという驚愕の証言を引き出したのは、ジャーナリストの岩瀬達哉さん。
    岩瀬達哉さんは、週刊ポスト時代に猪瀬直樹さんの『ミカドの肖像』チームの一人として力をつけ、独り立ちした気鋭ライターです。2015年4月に紙版と電子版同時発刊された近著『ドキュメント パナソニック人事抗争史』は、ビジネス書売れ行きランキング上位に入る注目書となっています。先述の『ミカドの肖像』などで週刊ポスト時代に一緒に仕事をした一人として私も、岩瀬さんが「週刊現代」に連載を始めたときから注目していたこの力作を感慨深く読みました。

     著者は、井村元役員が37年間勤務し、人生の大半を捧げてきた松下電器を退社するにあたり、取締役会のあり方を問うた――として、こう続けます。
    〈機能不全に陥っていた取締役会を、本来の姿に戻すため、井村は「建議書」を作成。経営不振の「原因」や、「取締役の経営責任が全く不透明である」点など4項目にわたって、問題提起した。「平成6年5月の取締役会の直前に、森下社長の了解をえたうえで一枚のペーパーにまとめた『建議書』を読み上げようとしたところ、間髪を容れず、正治会長が議長席から取締役会の終了を宣言してしまった。まあ、そんなこともあるやろと、コピーしておいた『建議書』を配付した。しかしそれも、会長の命令で事務局によってすべて回収されてしまいました」
     このあと、井村は辞表を提出した。〉

     なぜ、パナソニックはここまで堕ちてしまったのか。多くのOB、とりわけ元経営幹部を取材して回った著者の岩瀬達哉さんは、経営者としての器とは関係なく、人的なつながり、さらにいえば覚えめでたい存在を引き上げてきた人事に問題があったと結論づけています。
     その典型例として、第4代の谷井社長の指名をうけた前述の森下社長の問題を紹介しましょう。
    〈社長候補として一度も名前の挙がったことのなかった森下が、運と巡り合わせによって社長に就任したという特異な事情が存在したはずである。
     森下を社長に指名したのは、すでに述べたように前任者の谷井昭雄だが、決定にあたっては会長の松下正治や、相談役の山下俊彦もまた大きく関わっていた。彼らは、経営者としての手腕を買って森下を選んだのではなく、ナショナルリース事件や冷蔵庫事件によって混乱の極みにあった経営を安定させるには、調整型の森下が適任と判断したのである。ある意味、〝つなぎ役〟だった。〉

     こうして経営トップとなった森下社長が何をしたのか――。
    〈「客員会(引用者注:旧松下電器やパナソニックの役員と理事のOBたちの集まり)」の重鎮のひとりも語っている。
    「正治会長は、谷井さんによる引退勧告が思い出されるたび、カチン、カチンとくるもんやから、谷井さんが仕掛けた路線はすべて疎ましくて仕方がない。だから、いままでの路線は間違うとる。谷井路線はペケやということだった。森下さんは、その会長の意向を忖度して経営をやったんですな。だから、将来戦略も何もあったもんじゃなかった」
     当時、社長の森下が、いかに会長の正治に従順であったかを物語るエピソードが残されている。
     正治の主催で懇意な販売店の経営者などをゴルフに招待する際、ゴルフ場の手配からお客さんへの連絡、出迎えなど細部までを社長の森下が気遣い、部下に準備させていたという。前出の特機営業本部出身の元役員も、ゴルフ場の手配をさせられた時のことをこう語った。
    「正治さんは、プレーの途中で必ずといっていいほど、大福もちを頬張る習慣があった。だから森下さんは、その大福がちゃんと準備できているかまで、事前にチェックし、委細漏らさず準備するよう指示を出していたものです」〉

     創業家の会長のために好物の「大福もち」の手配に細心の注意をはらう経営トップ――面白い、面白すぎるエピソードですが、お笑い番組のコントではありません。これがパナソニック経営陣の実際の姿と考えると、笑い話ですますわけにはいかないでしょう。

     繰り返し登場する「会長の正治さん」は、創業者・松下幸之助の女婿で、2代目社長。社長・会長職あわせて33年にわたって経営トップの座に君臨していましたが、創業者にして義父の幸之助は末席の取締役から22人抜きで3代目社長に抜擢した山下俊彦に対し、「正治を経営からはずすように」と指示し、そのためにポケットマネーで50億円用意する、それを正治に渡して、引退させ、以後経営に口をださないと約束させて欲しい――と語っていたという。これは、山下社長から直接聞いたという元副社長の水野博之の証言です。結局、山下社長自らは「正治外し」を実行せずに、後任の4代目社長・谷井昭雄に引き継ぎます。そしてこれを断行しようとした谷井社長と正治会長が衝突。創業家に対する謀反と受け取った正治は、谷井への悪感情を募らせ、その経営方針にことごとく反対し、組織は大混乱を来すことになります。幸之助の孫となる長男・正幸の社長就任にこだわる正治の執拗な反撃にあった谷井が逆に任期途中の辞任に追い込まれます。

    〈谷井が社長を辞任するのと相前後して、“谷井政権“を支えていた4人の副社長たちも一掃されている。そして4副社長のもとで、次世代のパナソニックを担う人材と期待されてきた幹部社員たちも、活躍の場を奪われていった。〉

     欲にまみれた人事抗争の果てに、パナソニックは森下、中村、大坪という三代続く“失われた19年”に突入していきます。凋落の道を転がり落ちていったパナソニックは、2012年に津賀一宏が8代目社長に就任して、経営立て直しへの取り組みが始まりました。
     2018年に創業100周年を迎えるパナソニック――その復活を担う戦後生まれの津賀社長は、人事抗争の旧弊を打破して、次代を担う人材の登用をできるのか。パナソニック人事抗争史を他山の石として見つめ直す時だと思います。(2015/5/15)
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    投稿日:2015年05月15日