堤清二 罪と業 最後の「告白」

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本作品は2016年、第47回大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞した月刊「文藝春秋」の連載『堤清二の「肉声」』に大幅に加筆したもので、セゾングループの総帥だった堤清二氏が死の一年前、父・康次郎氏そして弟の義明氏との関係をじっくり振り返った一族の長い物語です。清二氏が、著者に10時間以上も語った堤家の物語は、愛憎と確執に満ちた肉親相食む世界でした。大宅賞の選評で、選考委員の後藤正治氏は「インタビューを重ね、その足跡をたどるなかで、入り組んだ内面を宿した人物像を浮き彫りにしている。今と過去が織り成す構成が巧みで文体はなめらか。読み物として読み応えがあった」とし、奥野修司氏は、「筆力、構成力ともに群を抜いている」と評価しました。康次郎氏は西武グループの礎を築いた実業家であると同時に、強引な手法で「ピストル堤」の異名をとり、好色でも知られていました。清二氏ら七人の兄弟姉妹の母親だけで四人、そのうち二人とは入籍をしませんでした。関係を持った女性はお手伝いから看護士まで相手選ばず、清二氏の母・操さんの姉妹とも関係を持ち、それを操さんも承知していたといいます。その異常な環境で、清二氏・義明氏兄弟は静かな“狂気”を身の内に育まざるをえませんでした。フォーブス誌の世界長者番付で世界一位に輝いた義明氏と、セゾン文化で一世を風靡した清二氏は、一転して凋落し、軌を一にするようにして堤家も衰退の一途を辿ります。西武王国について書かれた本は数多くありますが、清二氏が初めて明かした一族の内幕は、堤家崩壊の歴史であると同時に、悲しい愛と怨念の物語であり、どうしようもない定めに向き合わなければならなかった堤家の人々の壮大な物語です。

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本作品は2016年、第47回大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞した月刊「文藝春秋」の連載『堤清二の「肉声」』に大幅に加筆したもので、セゾングループの総帥だった堤清二氏が死の一年前、父・康次郎氏そして弟の義明氏との関係をじっくり振り返った一族の長い物語です。清二氏が、著者に10時間以上も語った堤家の物語は、愛憎と確執に満ちた肉親相食む世界でした。大宅賞の選評で、選考委員の後藤正治氏は「インタビューを重ね、その足跡をたどるなかで、入り組んだ内面を宿した人物像を浮き彫りにしている。今と過去が織り成す構成が巧みで文体はなめらか。読み物として読み応えがあった」とし、奥野修司氏は、「筆力、構成力ともに群を抜いている」と評価しました。康次郎氏は西武グループの礎を築いた実業家であると同時に、強引な手法で「ピストル堤」の異名をとり、好色でも知られていました。清二氏ら七人の兄弟姉妹の母親だけで四人、そのうち二人とは入籍をしませんでした。関係を持った女性はお手伝いから看護士まで相手選ばず、清二氏の母・操さんの姉妹とも関係を持ち、それを操さんも承知していたといいます。その異常な環境で、清二氏・義明氏兄弟は静かな“狂気”を身の内に育まざるをえませんでした。フォーブス誌の世界長者番付で世界一位に輝いた義明氏と、セゾン文化で一世を風靡した清二氏は、一転して凋落し、軌を一にするようにして堤家も衰退の一途を辿ります。西武王国について書かれた本は数多くありますが、清二氏が初めて明かした一族の内幕は、堤家崩壊の歴史であると同時に、悲しい愛と怨念の物語であり、どうしようもない定めに向き合わなければならなかった堤家の人々の壮大な物語です。

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 堤清二――微笑を浮かべながら話している時でも、その目はけっして笑ってはいなかった。恐い人だなと思ったことを記憶しています。
 西武王国創始者の父・堤康次郎から東京・池袋の西武百貨店を受け継いだ長兄の清二は、〝倒産状況〟にあった場末の百貨店を軸に傘下二百社、年商五兆円にもなる独自の巨大企業グループを築き上げ、セゾン文化によって消費の在りようを一変させ、戦後日本の芸術文化史に大きな足跡を刻みました。しかし、辻井喬という名の文学者としての顔を持つ堤清二は、それらをあっさり破滅させてしまう。
 堤清二の屈折したエネルギーはどこから生まれたのか。大正・昭和を代表する血族――堤一族はなぜ、崩壊したのか。
 2012年6月から11月まで、最晩年の堤清二へのインタビューを重ねた気鋭のフリーランスライター、児玉博によるレポート「堤清二『最後の肉声』」(月刊「文藝春秋」2015年4月号~6月号)が、第47回大宅壮一ノンフィクション賞/雑誌部門(平成28年)を受賞。その雑誌連載レポートに大幅加筆して紙・電子同時発売された『堤清二 罪と業 最後の「告白」』(文藝春秋、2015年8月5日配信)。父・康次郎との相克、母・操、妹・邦子への思い、そして異母弟・義明のこと……長兄として堤清二が語った堤家の興亡の物語であり、昭和史に刻まれた悲しい怨念と執着と愛の物語です。

〈第六章 独裁者の「血脈」〉に、堤清二と天皇、皇室をめぐる、こんな一節があります。少し長くなりますが、興味深い部分を紹介します。

〈「僕はね、日本が戦争に負けて天皇陛下が人間宣言をされた時に、もうダメだ、と。これで短歌を作る土壌がなくなったと思った。たどっていけば短歌などの土壌は天皇の存在に行き着くんですよ」
 天皇の「人間宣言」を聞いた清二はもうこれが最後と心を決め、本人が照れながらそう呼んだ〝戯(ざ)れ歌〟を一首作る。
「戯れ歌ですからね」
 念を押した清二はその歌を読み上げた。
「大君は 寂しからずや 人の中 神の中にも 住めずただよう」
 若山牧水の「白鳥は 哀しからずや 空の青 海の青にも 染まずただよう」から取ったものだ。
 それからおよそ六十五年、二〇一一年(平成23)の秋、清二は五十年以上の交友を結んだ歌人で、詩人でもある岡井隆から連絡を受けた。新年宮中で行われる「歌会始の儀」の召人(めしうど。特に指名を受けて歌を披露する人)になって欲しい、というものだった。
「そりゃ、驚きですよ。岡井さんもかつては寺山修司と並び称される前衛の歌い手(歌人)だったけれど、僕は正真正銘の共産党の活動家だったでしょう。まず『僕なんかに声をかけて大丈夫ですか』って逆に岡井さんの心配をしてしまったんですがね」(中略)
 二〇一二年の「歌会始の儀」に話を戻すと、清二が召人に選ばれたことで各方面に波紋が広がった。その多くはかつて日本共産党の活動家だった経歴を問題視するもの、または憲法九条を守る「九条の会」への深い関わりに代表されるような、清二の左翼的な言動への違和感だった。本人にして、なぜ自分なのかと自問自答したが分からなかったという人選だったが、当然のことながら天皇皇后両陛下が了承した上でのものだった。「岡井さんからの頼みだったでしょ? あなたしかいないんだ、とまで言われちゃうとね。まあ、ツネ(渡辺恒雄)に電話したら『遠慮しないで行ってこい。短歌を詠めれば俺が行きたいぐらいだ』って言ってたけど」(中略)
 ……しかし、昭和天皇時代の宮中の空気を知る清二が数十年ぶりに訪れたそこは、まったく別の空気が流れていたそうだ。
「驚きましたね。陛下がね……、昭和の時代とはまったく違っていましたね、いやー、変わったんだなと思いました」
 何より意外だったのは昭和の御代にはなかった、天皇皇后両陛下が気さくに自らの腰を折る姿だった。
「こうテーブルが五つ六つありましてね。そこに陛下と美智子様がわざわざ足を運ばれて来まして、陛下の方から挨拶をされましてね。これには驚きました。美智子様にも『あの方はお元気でいらっしゃいますか』と声をかけていただいて。これまた驚いたのはかなり進歩的というか、左翼的ですな、そうした方の名前を出されましてね。皇室は本当に変わったなと、思いました。昭和ではまず考えられなかった。色々なところで変化が起きている。それを分からないと本当に時代とズレてしまう。痛烈にそう思いますね、この頃は」〉

 堤清二は東京大学時代には、引用文中に登場するナベツネこと渡辺恒雄(読売新聞グループ本社代表取締役主筆)、氏家齋一郎(2011年没。元日本テレビ放送網代表取締役会長)らとともに日本共産党東大細胞メンバーとして活動。路線対立から党中央による除名処分をうけた経歴を持っています。
 その堤清二を召人に選んだ2012年の歌会始めのお題は「岸」。2011年3月11日の東日本大震災、大津波、そして原発事故が念頭にあったであろうことは想像に難くない。
 2012年1月12日皇居・宮殿。堤清二はどんな歌を詠んだのか。ある出版社であった打合せの帰りに九段下の千代田図書館に立ち寄って新聞の縮刷版を開きました。

 召人 堤清二さん
 雲浮かぶ波音高き岸の辺に蕾咲くなり春を迎えて

 堤清二をして、昭和ではまず考えられないほどに変わったと思わせた皇室――天皇皇后両陛下を始め居並ぶ皇族方が昭和という時代を疾走してきた変革者の歌をどんな思いで聴いたのか知る由もありませんが、この日明仁天皇は、

 津波来し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる

 と詠んでいます。
 3.11から10か月。新しい年を迎えた被災地の人びとへの思いを、一方は春になって咲き始めた「蕾」に託し、一方は青く静まる「海」に託しました。共有される心情を感じるのは一人私だけではないでしょう。
 即位から28年――天皇は「生前退位」の希望を明らかにしました。常に日本国憲法を大事にする姿勢を守ってきた天皇が「退位」の意向を国民に向かって語られたのは、改憲勢力が衆参両院で改憲発議に必要な3分の2の勢力となった参院選から1ヵ月後のことでした。安倍首相の改憲戦略に大きな影響を与えたことは間違いありません。皇室と国民は新しい時代に進もうとしているようです。文学者の感性はそんな予兆を敏感に感じ取っていたのかもしれません。
 予想もしなかった秘話、思いもよらなかった考え方・捉え方に突然出会うことが本を読む楽しみのひとつです。「堤清二の告白」を読んでいて――戦後日本の複雑さを内に秘めた知識人の一人が「平成の皇室」と「昭和の御代」の違いをじつに率直な語り口で明かしていることを思いがけず目にした時、ちょっと興奮しました。そうか、天皇皇后両陛下は二人ともそうとうに進歩的なんだ……。

 いうまでもなく本書『堤清二 罪と業 最後の告白』は、血族の歴史、光芒と闇の深さを長兄の堤清二が父・堤康次郎への愛と憎悪に引き裂かれた己の内面を見つめて、言葉をひとつひとつ紡ぐように語った西武王国の物語です。康次郎に翻弄され続けた五人の妻、内妻と子どもたち、王国を引き継ぎ〝暴君〟となった異母弟・義明……堤一族の悲劇の真相が堤清二自身の言葉によって明かされていくところが、本書のなによりの読みどころです。
 カバーに使用された1939年の家族写真がそのことを雄弁に物語っています(ebookjapanサイトの本書表紙サムネイル画像をご覧ください)。右から、清二、操(母)、康次郎、邦子(妹)――著者はこの家族写真についてこう綴っています。

〈それはいつだったか、清二が持参した操の茶巾袋のような袋とともに見せてくれた写真だった。清二が丁寧に取り出した写真には、康次郎、操、清二、一歳年下の妹・邦子の親子四人が写っていた。清二が東京府立第十中学(現・都立西高校)に入学した時に撮影された家族写真である。
 説明の通りなら一九三九年(昭和14)四月のはずだ。真珠湾攻撃によって日米開戦の火蓋が切られる二年前。この写真を撮影した時も、すでに世上は緊迫の度を増していた時代だったろう。
 胸に勲章をつけた礼服の康次郎は五十歳。すでに衆議院議員当選六回を数え、民政党の誰もが認める大幹部であると同時に、実業家としては武蔵野鉄道(後の西武鉄道)の再建に目処(めど)をつけていた。自信に溢れる康次郎の左には、おかっぱ頭の邦子が、紋付を身につけた操は微笑を湛えて椅子に座り、その操の後ろに学生服を着た坊主頭の清二が立っている。
 写真で見る三十三歳の操は細面の美しい女性だ。さながら細い彫刻刀で薄く削ったような顔立ちは、どこまでも端整さが漂う。その背後に立つ清二はまるで操の生き写しのようだ。操と同じように細くスッとした鼻筋、切れ長の目元。涼しげな白皙(はくせき)の少年がそこにいる。しかし、目を凝らしてその表情を見ると、目元に微かな煙が立つような鬱屈が影を落としている。
 この頃、操、清二、邦子の三人は、前年に康次郎が手に入れた、東京・麻布の三千坪を越える大邸宅「米荘閣」に引き取られていた。米荘閣とは、康次郎の出身地の滋賀県八木荘の地名から付けられた通称である。それまで親子三人が肩を寄せ合うようにして過ごしていた東京都下三鷹での質素な暮らしから生活は一変していた。しかし後に、一九六九年(昭和44)に発表した初の自伝的小説『彷徨の季節の中で』(引用者注:中公文庫、電子版未配信)の扉で、辻井喬は次のように記している。
「生い立ちについて、私が受けた侮蔑は、人間が生きながら味わわなければならない辛さの一つかもしれない。私にとっての懐かしい思い出も、それを時の経過に曝してみると、いつも人間関係の亀裂を含んでいた。子供の頃、私の心は災いの影を映していた。戦争は次第に拡がり、やがて世の中の変革があった。私は革命を志向したが、それは、外部の動乱ばかりが原因ではない。私のなかに、私の裏切りと私への裏切りについて、想いを巡らさなければならない部分があった」〉

 幼き日、康次郎の事業の先行きが定まらぬまま、操、清二、邦子の母子三人は、三鷹でひっそりと生活していた。二間しかない小さな小さな家だった。生活の唯一の拠り所である康次郎からの送金が途絶えることもあり、清二が毎日持って行く弁当のおかずにさえ事欠くことがあったほどだったと著者は続けています。

〈「母を思い出す時、なぜだか三鷹に住んでいた頃の母ばかりなんですね。後年、生活も安定し、うち(西武百貨店)が独占契約を結んでいたから、本人は広告のつもりでシャネルのスーツなんかを着てくれていたけれど、不思議といつも浮かぶのは三鷹の頃の母なんです、不思議ですが。貧しかったのにね」
 フッと息を吐くと、しばし惚(ほう)けたような表情を見せた。いつもの鋭角的な眼光は消え鈍い黒さが逆に生々しかった。
「どんな姿のお母様なんですか?」
「そうね」
 堤は再び右手でほおづえをつき、視線を合わそうとしない。
「そうね。こう」
 ほおづえを解いて、両手で虚空をつかむように気ぜわしく動かした。
「こう。何と言うのか、ほつれているというか、ほったらかしの櫛(くし)も入れていないような……、身ぎれいな母だったのに……。可哀想に髪の手入れもできないような姿で……。哀れな姿だったな、とても、母は」
 目から涙が溢れた。清二は泣いていた。静かに声も立てずに泣いていた。八十五歳の〝子供〟は流れる涙を拭うこともなかった。涙で潤んだ目がまっすぐにこちらを見つめていた。〉

 母への悲しみは、父への憎しみと同量だったという。その堤清二が、義明の逮捕を経て崩壊していく西武鉄道グループを康弘、猶二の異母弟たちとともに堤家に取り戻そうとする行動を起こします。なぜなのか、何が堤清二を突き動かしていたのか、堤清二にとって堤家とは何だったのか――著者は堤清二の心の裡に迫っていきます。
 ここに取材者と被取材者が本気で向かいあったインタビュー・ノンフィクションの、読む者を一気に引きずり込んでいく強さがあります。著者は躊躇(ためら)うことなく堤清二が纏ったものを剥ぎ取って、八十五歳の〝子供〟を私たちの眼前に差しだしました。(2016/8/26)
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