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なぜ戦後70年を経てもなお改憲は実現しないのか.なぜ九条は実行されていないのに残されているのか.改憲,護憲の議論が見逃しているものは何か.糸口は「無意識」である.日本人の歴史的・集団的無意識に分け入り,「戦争の末の」平和ではない,世界平和への道筋を示す.デモで社会を変え,国際社会に九条を贈与しよう.「憲法の無意識」が政治の危機に立ち現れる.

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憲法の無意識のレビュー一覧

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  • 〈彼ら(引用者注:保守派)は憲法九条を廃棄しようとはしない、というよりできないのです。もしそれが選挙で争点となるならば、大敗するでしょうから。したがって、ごまかしながらやっていくほかない。改憲を目指して六〇年あまり経ったのに、まだできないでいる。なぜなのか。それは彼ら自身にとっても謎のはずです。その謎を解明しようとせずに、左翼政党や進歩派知識人のせいにするのは、自らの無力・無理解を棚上げにすることです。
     憲法九条が執拗に残ってきたのは、それを人々が意識的に守ってきたからではありません。もしそうであれば、とうに消えていたでしょう。人間の意志などは、気まぐれで脆弱なものだからです。九条はむしろ「無意識」の問題なのです。〉

     ラジカルな評論で広く知られる思想家の柄谷行人の新刊『憲法の無意識』(岩波新書、2016年7月21日配信)が注目されています。上記引用文中の「集団自衛権」は柄谷行人によれば、「軍事同盟」の別称にほかなりませんが、安倍政権は1年前の2015年7月に衆議院本会議において安保法案を強行採決、事実上の「軍事同盟」を実現しました。「集団的自衛権」を憲法に反しないという〝解釈改憲〟に踏み切ったのですが、それでいて先の参院選では悲願のはずの「改憲」を封印して勝利、参議院でも「改憲勢力3分の2」を手に入れました。
     そもそも参院選は、「憲法を守れ、9条を守れ」と主張する野党に対し、安倍自民党は経済政策(アベノミクス)に争点を絞り込んで戦うという、どこかかみ合わないモヤモヤした思いの残る選挙戦でした。争点をずらしたのが功を奏したとすれば、明らかに安倍政権の演出勝ちということになるのでしょうか。安倍首相は選挙後さっそく、「自民党の草案をベースに、衆参両院の憲法調査会で議論していくようにしたい」と語りましたが、第9条(戦争の放棄)をどうするのか具体的に言及することはありませんでした。
     新聞各紙は秋以降の改憲に向かう動きに注目していますが、そんななかで、「保守派は廃棄しようとはしない、というよりできない。9条は無意識の問題なのだ」と言いきった柄谷行人。その指摘を目からウロコの思いで読みました。「無意識」というと、一般的には「意識されていない」という程度の大ざっぱな意味で理解されて、潜在意識と同一視されます。しかし、フロイトは、そのようなものを「前意識」と呼んで、「無意識」から区別しました。前意識(潜在意識)に対しては、外部から宣伝・教育などによって操作することが可能ですが、無意識に属する超自我は、外から働きかけることはできません。――柄谷行人は、日本の戦後憲法9条を、宣伝などによるサブリミナルな効果を狙うことができない、一種の「超自我」として見るべきなのだと主張するのです。

    〈人々が憲法九条を支持するのは、戦争への深い反省があるからだという見方がありますが、私はそれを疑います。たとえ敗戦後にそのような気持があったとしても、それで憲法九条のようなものができるわけではない。実際、それができたのは、占領軍が命じたからです。また、憲法九条が人々の戦争経験にもとづいているのだとしたら、それをもたない人々が大多数になれば、消えてしまうでしょう。実際、そうなるのではないかと護憲論者は懸念しています。では、なぜ九条は今も残り、また、人々はそれを守ろうとするのでしょうか。護憲論者は、それは自分たちが戦争の経験を伝え、また憲法九条の重要さを訴えてきたからだ、というでしょう。が、それは疑わしい。
     ここで、問題を、その反対の側から、つまり、憲法九条を廃棄したいと考えている側から見てみましょう。彼らは六〇年にわたってこれを廃棄しようとしてきたが、できなかった。なぜなのでしょうか。彼らは、それは国民の多くが左翼知識人に洗脳されているからだ、と考える。しかし、これは端的に間違いです。左翼は元来、憲法九条に賛成ではなかったからです。
     たとえば、一九四六年六月二六日、新憲法を審議する帝国議会で、野坂参三(共産党議員)が、戦争には正しい戦争とそうでない戦争がある、侵略された国が祖国を守るための戦争は正しいのではないか、と述べました。これは左翼にとってはむしろ、ふつうの見方であって、のちの新左翼においても同じです。その中には武装闘争を行った「赤軍派」がいたぐらいです。彼らの多くはのちに護憲派に転じました。しかし、彼らが意見を変えたことを非難する資格は、保守派にはありません。たとえば、保守派の吉田茂首相は、野坂参三の質問に対して、「近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認めることが戦争を誘発するゆえんであると思うのであります」と答弁したのです。〉

     今の時代、こんな考え方をする保守派はいないでしょう。彼らは憲法9条の「解釈」として、集団的自衛権を正当防衛として肯定しています。保守派も護憲派も時の経過のなかで、その考え方を大きく変えてきたわけですが、そのどちらもが見落としている重要なポイントが「憲法の無意識」なのだ、というわけです。
     では、日本の「憲法9条の無意識」はどこから来たのでしょうか。柄谷行人は「徳川の国制」に、その先行形態を見ています。徳川時代は、どの身分・階層も250年以上戦争と無縁でした。これは日本史でも珍しい時期です。それは秀吉の朝鮮侵攻を頂点とする、400年に及ぶ戦乱のあとのことです。

    〈明治維新から三六年後に日露戦争があり、それから四〇年後に、日本は第二次大戦で敗戦を迎えました。明治維新とともに開始されたプロジェクトは、七七年ほどで挫折したのです。しかも、人類史上未曾有の兵器である原爆を蒙った。その後に、「再軍備」を唱えるような者が多数を占めるはずがありません。金輪際戦争には行かない、と思うのが当然です。吉田首相の言葉でいえば、再軍備などは「愚の骨頂」、「痴人の夢」です。
     しかし、ここまでに述べてきたように、このような戦争忌避の反応は、たんに明治以後の戦争体験から来るものでありません。それはもっと根深く「徳川の平和」とつながっています。(中略)
     憲法九条が根ざすのは、明治維新以後七七年、日本人が目指してきたことの総体に対する悔恨です。それは「徳川の平和」を破って急激にたどった道程への悔恨です。したがって、徳川の「国制」こそ、戦後憲法九条の先行形態であるといえます。〉

     250年続いた「徳川の平和」を先行形態とする、憲法9条に関する日本人の「無意識」は、じつは、憲法1条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であり、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」に深く関わっています。柄谷行人は、この戦後憲法1条は、1989年、つまり昭和天皇崩御によって、昭和が終わり平成が始まったときに本当の意味で定着したのだと指摘していますが、それと同時に、9条もリアルな意味を持つようになったとして、次のように述べています。

    〈現天皇は九条を守ろうとしています。もちろん、一条があるため、政治的な関与を慎重に避けていますが、彼の言動はつねに「九条」を志向するものです。これは奇妙な逆転のように見えます。もともとマッカーサーは天皇制を守るために九条を作ったのに、今や天皇・皇后は、九条の庇護者となっている。そればかりか、戦後憲法の庇護者となっている。(中略)
     こう見ると、敗戦後とは事態が逆になっています。しかし、憲法一条と九条が密接につながっていることに変わりはありません。現天皇は日本の侵略戦争を悔い、今後けっして戦争をしないことをことあるごとに表明し続けています。彼は、昭和天皇の「戦争責任」を自ら引き受けることによって、皇室を護ろうとしているといえます。そして、それが昭和天皇を弁護することにもなる。つまり、九条を守ることが、一条を守ることになるのです。〉

     生前退位を考えていると伝えられる、高齢の天皇と皇后は昨年4月、日米両軍による死闘〝ペリリューの戦い〟の島を訪問しました。天皇・皇后の戦没者慰霊の旅にこめられた深い意味が見えてきます。(『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』を併せてお読みください)
     戦後71年目の8月15日を迎える夏。問題の深層を見極めることなく続けられる「改憲」「護憲」論争の不毛を照らし出す、知的刺激に満ちた一冊です。(2016/7/29)
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    投稿日:2016年07月29日