書籍の詳細

死の前日まで『断腸亭日乗』を書き継いだ永井荷風を越えて、最期を迎える数刻前までしぶとく、ふてぶてしく、時にユーモラスに作家魂を日記へ託し続けた野坂昭如。警世と洒脱、憂国と遊び心、無常と励ましに満ちた遺言にして予言に溢れた十年以上に及ぶ日記、緊急刊行! 揺れ動く時代が滲み出る最晩年のエッセイ選を附す。

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絶筆のレビュー一覧

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  •  先頃、野坂昭如の『絶筆』(新潮社)が配信されました。2016年1月20日に紙書籍が発刊され、約半年たった7月8日に電子書籍になりました。2004年から昨年(2015年)12月9日夜急逝する直前まで続けられた日記類、エッセイをまとめた、文字どおりの絶筆です。篠山紀信撮影、ラガーシャツ姿で元気な野坂昭如が大写しになったブックカバーが印象的です。

     8月は野坂昭如の季節だった。8月は空襲、焼け跡を語る野坂昭如とともにあった。大なり小なり、毎日一つは嘘をついている――などと自らを偽悪的に語った野坂昭如ですが、その彼が「戦争」を語るとき、嘘はありませんでした。自分の目で見たままの現実、自分の肉体(からだ)で知った事実――戦争とは何かを語り、描きました。昭和ヒトケタ生まれの戦争の語り部が2016年、戦後71年の夏にはいません。
     8月6日。この原稿を書いているさなか、広島の平和記念式典であいさつをする安倍首相の声がテレビから流れています。
    「……71年前に広島及び長崎で起こった悲惨な経験を二度と繰り返させてはならない。そのための努力を絶え間なく積み重ねていくことは、今を生きる私たちの責任であります。唯一の戦争被爆国として、非核三原則を堅持しつつ……」
     語られるべきキーワードが連なる安倍首相のスピーチ。しかし、それがどこか空疎なものに聞こえてしまうのはなぜでしょうか。
     8月3日に発足した第3次安倍第2次改造内閣で、安倍首相は自民党政調会長の稲田朋美氏を防衛大臣に起用しました。小池都知事に続く二人目の女性防衛相ということで大手メディアが大きく取り上げました。安倍首相としては初の女性首相に育てようという秘蔵っ子をすえたわけですが、稲田氏は防衛大臣就任前、さる講演会でこんな発言をしています。
    「国民一人一人が、皆さん方一人一人が、自分の国は自分で守る、自分の国を守るためには血を流す覚悟をしなければならないのです。決死の覚悟なくして、この国は守れません」
     この稲田朋美防衛相の本気発言、安倍首相が知らなかったとは思えません。昨年の安保法成立過程を思い起こせば、こうした思いこそが安倍晋三という政治家の本音なのだろうと考えるのが普通の感覚なのではないでしょうか。広島におけるスピーチが空疎に聞こえてしまうのも当然なのかもしれません。

     野坂昭如は安保法案が強行採決された2015年9月、だまし庵日記にこう綴っています。

    〈ここしばらくの世の中の流れ、この先の在りようを考えてみる。といってもフリだけ。心萎えるばかり、お先真っ暗。お気の毒さまとしか言いようがない。
     安保法成立。ぼくは一片のお触れがあっという間に町の風景を変え、また世間のそれに慣れてしまうことの早さを知っている。
     お国のために、すべてを捧げる、生命を賭けて国を守る。今の人は知らないが、ぼくにはすぐに思い浮かぶ。他国で不幸な事態となった時、自衛官は何といって死ぬのか、まさか、安保万歳じゃないだろう。
     12年前、ぼくが脳梗塞で倒れた以後、幸か不幸か酒との縁が切れた。五体よろよろ、つれて耄碌ぶりも甚だしい。出来るなら、今、酔いたいものだ。ぼくには今の日本、お上も世間も、それぞれが酩酊状態にうつる。〉(2015年9月某日)

     世を見すえて時代を撃つ焼け跡派作家の感性は、「政治家の言葉」の真贋を間違いなく見抜きます。もし――もし野坂昭如が2016年の夏に日記を書いていたら、改憲への道を走り始めた安倍時代をどんなふうに綴ったでしょうか。そんなことをつい考えてしまうほど、野坂昭如は『絶筆』で今日の日本を予見的に語っているのです。
     以下、『絶筆』に綴られた〝野坂語録〟の一部を抜き書きしておきます。

    〈昭和20年の8月15日。ぼくは逃げのびて福井にいた。米はもちろん、固形物も程遠い。雑炊はおろか、口にしたのは葉っぱを水でゆがいたもの、調味料はない。海水を汲んで乾かし、塩を取る。これだけが味つけ。葉っぱはとにかく柔らかそうなものを選んだ。毎年、8月は暑さのせいだけでなく食欲が失せる。〉(2013年8月某日)

    〈70年前の8月1日、ぼくは西宮から福井県へ着のみ着のまま逃げた。福井の春江に着いた時、生きのびたとようやく少しほっとした。福井市も空襲を受けてはいたが、たどり着いた春江は西宮にくらべ、のんびりしていた。
     ぼくの身なりは、焼け出された少年として焼跡の上ではごくあたり前だったが、春江の町の人の眼には、奇異に映ったらしい。着いてすぐ、馬鈴薯を恵まれて、ぼくは生きのびた。
     拙宅の庭、夏の草生い茂り、そこに強い陽差しが降り注ぐ。そこだけ眺めていると、70年前と何ら変わることはない。〉(2015年8月某日)

    〈「特攻」について、当時の隊員の心得を読んだことがある。敵にぶつかるまでは、両眼をしっかり見開いていろと言われていた。
     安保法案に対し、反対という民意は反映されぬまま、成立するだろう。今の自衛隊も、かつての特攻隊と同じように命じられることになるだろう。〉(2015年8月某日)

    〈お祭りにつきものの花火。これがぼくは好きだった。
     だが、14歳の夏、空襲で昼の花火を見た。パンパーンとはじける焼夷弾の天と地の花火を忘れない。昼の花火のはじける音は今だに恐い。〉(2009年7月某日)

    〈麻生首相が生まれた。
     挨拶の中で130年前の同日、祖父吉田茂が誕生したことにふれた。
     それがどうした。
     偶然を、もっともらしく語る輩は、あやしい売卜者(ばいぼくしゃ)に多い。
     新聞の1ページ広告に麻生首相の思いが述べられている。言うのはタダ。
     何にせよ、赫灼たる経歴を持つ都会っ子も村夫子(そんぷうし)然たる祖父にしても、オレから言わせりゃ同じ。
     誰も戦争を知らない。〉(2008年9月某日)

    〈ぼくは、父の遺した預金をおろしては闇市へ通い、腹を満した。その頃、ジュースなど考えられない。皆、腹に溜まるものを欲した。
     昭和24年、進駐軍用の飲料としてバヤリースが入ってきた。ぼくが飲んだ始めは大学一年。街で進駐軍が歩きながら、ラッパ飲みするのを目にしている。
     ぼくも試みた。
     しかしそれは、思ったより不味かった。〉(2009年1月某日)

    〈激しい雨。政治も道も先が見えぬ。(中略)
     昔は愛敬のある、コッケイな政治家がいた。政治家は身近な存在だった。
     生まれ育ちは関係ない。この人達がいれば戦争に巻きこまれることは無いと思えた。
     今から61年前(1946年4月10日)、戦後初めての選挙があった。これまた初めての男女同権。つまり婦人に参政権が与えられた。
     一面焼け野原の広がる昔と、今を比べたところで何もはじまらないが。
     焼け跡で経験した選挙は少なくとも今より、熱気に満ちていた。マイクなど持たぬ候補者たちは、リンゴ箱の上に立ち、日本の未来を語った。その肉声が有権者を動かした。今、その熱気は無い。〉(2007年7月某日)

    〈安倍政権の暴走、これをとどめる者がいない。戦争参加に向けて、安倍の妄想物語が続く。
     一朝有事の際、寄せ来る敵に向かって道案内する覚悟などなかろうに。野党の腰くだけを言ってもはじまらない。もはや、野党の御機嫌とる必要もなくマスコミに叩かれもしない。世間がお上を軽視しているうちにがんじがらめ。自覚ないまま、戦争への下準備が進む。駄々をこねても、もう遅い。〉(2015年2月某日)

     戦争を語り、日本の先行きの見えないことに危惧を深めていく野坂昭如。一方で日々のリハビリ、食事、病院通いの日常も綴っています。そして、孫とのとっておきエピソードも。かつての新宿ゴールデン街の夜を知る身としては想像を超えている姿なのですが、これが守るべき生活のリアルと思えば、野坂昭如が戦争を伝えることの意味のもうひとつの側面が差し迫ったものとして浮かびあがってきます。

    〈リハビリ後、椅子に座ってウトウトする。孫がやってきて、「これからエステをします」と云う。何をしてるのかと思えば、我の足をマッサージ。頭にタオルを巻き、汗をぬぐいつつ我の足をさすり、「むくみが取れました。次はペディキュアです」。表情は真剣、何やら集注している様子。7歳の男児である。
    「出来上りました!」といわれ、我が足の爪を見る。10本の足の爪は真赤に塗られている。何やら、なまめかしい。この後家庭医往診。チラッと見るが何も言わない。又、チラッ。我もだまったまま。耐え切れず妻が笑い出す。
     人生初体験。〉(2015年8月某日)

     ともに早稲田出の作家・五木寛之は、「野坂昭如死去」の報に接した時、「野坂昭如 ノーリターン」と書いて、同時代を生きた作家を送りました。
     本書巻末に収録の「だまし庵日記2015」12月9日の最終行――野坂昭如の絶筆を、あなたはどう受けとめますか。

    〈秋のはじめに誤嚥性肺炎とやらに見舞われ、スッタモンダ。どうにか息を吹き返したらしい。あせらない、あせらないと妻が呪文のように唱えているが、ぼくはちっともあせっちゃいません。さて、もう少し寝るか。
     この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう。〉(2016/8/12)
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    投稿日:2016年08月12日