書籍の詳細

異端経営者はなぜ生まれたのか。今から一世紀前。韓国・大邱で食い詰め、命からがら難破船で対馬海峡を渡った一族は、豚の糞尿と密造酒の臭いが充満する佐賀・鳥栖駅前の朝鮮部落に、一人の異端児を産み落とした。ノンフィクション作家・佐野眞一が、全4回の本人インタビューや、ルーツである朝鮮半島の現地取材によって、うさんくさく、いかがわしく、ずる狡く……時代をひっかき回し続ける男の正体に迫る。在日三世として生をうけ、泥水をすするような「貧しさ」を体験した孫正義氏はいかにして身を起こしたのか。そして事あるごとに民族差別を受けてきたにも関わらず、なぜ国を愛するようになったのか。そしてなぜ東日本大震災以降、「脱原発」に固執し、成功者となったいま、再び全米の通信業界に喧嘩を売りにいこうとするのか――。飽くなき「経営」の原点が本書で明らかになる。

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あんぽん 孫正義伝のレビュー一覧

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  •  ノンフィクション作家・佐野眞一は『あんぽん 孫正義伝』を、こんな言葉で締めくくっています。ソフトバンク・グループを率いる孫正義と正面から向き合い、時に厳しい批判、反問を繰り出しながらも、孫正義とそのルーツである一族を、その在日としての道のりを、きっちり受けとめた佐野眞一の「愛情」が行間から滲み出ています。



    〈豚の糞尿と密造酒の臭いが充満した佐賀県鳥栖駅前の朝鮮部落に生まれ、石を投げられて差別された在日の少年は、いまや日本の命運を握る存在にまでなった。

     だが、ネット上では相も変わらず「在日は早く朝鮮に帰れ」といった差別意識むき出しの罵詈雑言が蔓延している。この国は、孫正義少年を陰で「あんぽん」と呼んで白眼視した時代と何も変わっていないのではないか。

     だから、私はこう言いたい。孫正義よ、頼むから在日でいつづけてくれ。そして物議を醸しつづけてくれ。あなたがいない日本は、閉塞感が漂う退屈なだけの三等国になってしまうからである。

     それは「日本が大好き」というあなたも望まないだろうし、「三・一一」後大きく変わる新生ニッポンの誕生を期待する多くの日本人も望んではいない。〉



     書名となっている「あんぽん」は、1990年(平成2年)9月に帰化した孫正義の帰化前の名前「安本正義」からきています。帰化に先だって、16歳でアメリカの高校へ留学した時から「孫」姓を名乗るようになるのですが、中学生時代の孫正義は旧姓の安本をそのまま音読みして「あんぽん」と言われることをひどく嫌っていたという。「あんぽんたん」という侮蔑的な言葉への連想もさることながら、韓国語に近い「あんぽん」という発音に自らの出自を意識せざるを得なかったのだろう、と佐野眞一は捉えています。

     孫正義の額には子どもの頃、石をぶつけられた傷跡がいまも残っているそうです。佐野眞一は、孫の生い立ちをこう書いています。



    〈孫(旧姓・安本)正義は、昭和三十二(一九五七)年八月十一日、父・孫(安本)三憲、母・李玉子の次男として、佐賀県鳥栖市本鳥栖町無番地で生まれた。兄弟は上から、正明、正義、正憲、泰蔵の四人である。

     鳥栖駅に隣接した朝鮮部落のバラックは、駅に遠い方から上バラック、中バラック、下バラックと呼ばれていた。孫の家は上バラックだった。

     孫家と日本の関わりは三代前まで遡る。孫の祖父の孫鍾慶が朝鮮の大邱近郊から小作農として対馬海峡を渡って日本にやってきたのは、一九三〇年代のことだった。

     間もなく、祖母の李元照が朝鮮の江原道より日本にやってきた。

     孫鍾慶と李元照は昭和九(一九三四)年に結婚し、七人の子を産んだ。上から、友子、清子、三憲、在憲、一憲、雪子、成憲の四男三女である。孫の父親になる長男の三憲が生まれたのは、昭和十一(一九三六)年のことだった。〉



     孫正義は国鉄の線路に沿うように形成された朝鮮部落で少年時代を過ごします。佐野眞一が綴る朝鮮部落の極貧ぶりは、半世紀を隔てたいまなお生々しく、衝撃的です。かつてその朝鮮部落に住んでいたという在日朝鮮人(現在は別の場所で運送店を経営)の証言が紹介されています。



    〈まあ、とんでもないところでしたよ。バラックというか、掘っ立て小屋ですな。粗末な家が軒先を連ねるように並んでいてね。全盛期には数十戸、人数にして三百人くらいの朝鮮人が住んでいましたよ。みんな貧しかったから、豚を飼ったり、鉄屑を拾ったり、密造酒をつくったり、そんな家ばかりでした。線路脇ですから、SLの時代は汽車の音がうるさいだけじゃなく、煤煙が家の中まで入り込んで、壁まで真っ黒になった。とにかく上空まで煤煙で真っ黒になって、〝鳥栖の雀は黒雀〟と言われたほどです〉

    〈差別? それはされました。朝鮮部落の掘っ立て小屋に石を投げられることなんて、当たり前でしたね。地元の子どもたちから『朝鮮人、朝鮮人』って、囃(はや)し立てられることもしょっちゅうだった。

     私の娘も『汚い家に住んでいる』とか『近寄るな』とか、さんざんいじめられました。昔は朝鮮人っていうだけで、就職もできなかった。だから密造酒をつくってでも家族を食わせなければならなかったんです〉

    〈孫正義さんは立派ですよ。こんな環境の中から、世界有数の富豪になったんですからね。まあ、おじいちゃん、おばあちゃん、そしてお父さんもえらかったんでしょうな。あの家はみんな働き者だったし、なによりも、一家そろって頭がよかった。だから早い時期に、朝鮮部落から出ていくこともできた〉



     住所をたよりに在日本大韓民国鳥栖支部を訪ねた著者の佐野眞一は、その住所にあった焼き肉屋に入った。そこで昼食をとった後、店の主人から民団事務所はもうなくなったことを聞かされます。この会話をきっかけに、それとなく孫正義のことを切り出してみたところ、驚いたことに、店の主人は孫正義とは従兄弟同士だという。

     店主の母親は旧姓・安本清子といい、孫の父親の三憲の姉にあたる。足で稼ぐ取材には、しばしばこうした“偶然の成果”があります。だからノンフィクションは面白いといえるのかもしれません。



    〈「焼肉仁」経営者の大竹仁鉄は、突然の訪問にもかかわらず、快く取材に応じてくれた。

    「私は今年還暦を迎えましたから、正義よりも六歳ばかり上です。ええ、私も駅前の朝鮮部落に住んでいました。あそこは、孫の一族、四家族が集まって住んでいた。みんな豚を飼っていてね。それで生活していたんです。

     思い出すのは、朝鮮部落の脇に流れていたドブ川です。そのドブ川が、大雨が降るとあふれ出すんですよ。ええ、洪水です。あっという間に部落全体が水没してしまう。その中に豚がぷかぷか浮かんだりしてね。ついでに豚のウンコまで浮かびあがる。

     それが井戸の中に流れ込む。水道なんてありませんでしたからね。そんなことがあると、しばらくの間、井戸の水が臭いのなんのって。豚のウンコの臭いがするんだから。その水を飲んだり、煮炊きに使ったりしたんだから、よく腹を壊さなかったもんだよ。

     大金持ちになった正義が、いまどんな水を飲んでいるかは知らんが、あいつだって、ウンコ臭い水を飲んで育ったんだ」(中略)

     大竹によれば、孫正義は朝鮮部落のウンコ臭い水があふれる掘っ立て小屋の中で、膝まで水に浸かりながら、必死で勉強していたという。〉



     佐野眞一は、孫の従兄弟にあたるという焼き肉屋店主の話を聞いていて、今村昌平の映画「にあんちゃん」の一シーンを思い出したという。

     朝鮮人炭鉱夫家族が暮らす炭住の共同炊事場にやってきた保健婦が、こんな注意をする場面です。「まったく、なんて不衛生なんでしょう。ここじゃ、ウンチと米を同じ水で洗っているんですからね」

     後に、孫正義にインタビューをする際、佐野眞一は一冊の本を手土産に持っていきます。孫が生まれた翌年の1958年(昭和33年)に光文社から出版され、大ベストセラーとなった『にあんちゃん』の文庫本です。



    〈――この本の著者の安本末子という女性は韓国籍です。生まれも孫さんと同じ佐賀県です。姓も孫さんの旧姓と同じ安本ですから、ひょっとしたら親戚ではないですか。

     そう言いながら、文庫本を手渡すと、孫はそれまでの表情を一変させた。紅潮した顔には、明らかに喜色が浮かんでいる。

    「親戚かどうかわかりませんが、同じ安本姓をつけたくらいですから、関係あるかもしれませんね」

    ――「にあんちゃん」は今村昌平の監督で映画化もされています。まだお読みになっていなければ、私からプレゼントします。

     孫はそれを大事そうに受け取って言った。

    「ありがとうございます。まだ読んでいないので、読んでみます。そうですか、安本ですか。いやあ懐かしいなあ」

     そこには「あんぽん」と揶揄(やゆ)されて傷ついたかつての孫はなかった。〉



     孫正義は「経済白書」が「もはや戦後ではない」と高らかに謳った翌年、鳥栖駅前の朝鮮部落に生まれ、豚の糞尿と密造酒の強烈な臭いの中で育った。日本人が高度経済成長に向かって駆け上がっていったとき、在日の孫は日本の敗戦直後以下の極貧生活からスタートしたのである――佐野眞一はこれまでの孫正義について書かれた、どの本も触れてこなかったその「在日」というルーツをたどり、孫が見つめてきた原風景を自身の目と耳で確かめるようにして本書を書き上げました。孫正義という異端経営者の内面に光をあてると同時に、日本という国、社会の現在をも照射するノンフィクションの最高傑作です。

    (2016年7月1日に文庫版(2014年9月発刊)を底本とする電子書籍に切り替えられました。文庫版には、「神童・孫正義」に対し、「天才・西和彦」と並び称された、元アスキー社長の西和彦氏へのインタビュー【盟友が語る「孫とゲイツとジョブスの若かりし頃】、及び本書取材チームの一人でもあった気鋭ライター・安田浩一氏の解説が収録されています。身近で見てきた「あんぽん論」、「佐野眞一論」が綴られ興味深い内容となっています。(2014/10/31/2016/7/1追記)
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    投稿日:2014年10月31日