書籍の詳細

舞台での大怪我が原因で引退を余儀なくされた人気ストリッパー。故郷で自分の店を開くことを決意した彼女のもとに、2人の若い女性ダンサーが現れる。師匠から弟子へと伝えられる、「踊り子」としての矜持。『ホテルローヤル』の著者がおくる、極上の長編小説。

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裸の華のレビュー一覧

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  •  札幌すすきのゼロ番地。20歳の誕生日にストリップ小屋の初舞台を踏んだ。平成の舞姫と呼ばれたノリカは、冬の風が吹きつけるクリスマスイブに故郷の街に帰った。
     舞台上の怪我で再び踊ることを断念したノリカの第二のスタートは、振り出しの地に戻ることだった。ゼロ番地にほど近いすすきのイエロービル2階。ダンスシアター「NORIKA」が慌ただしくオープンしたのはちょうど雪まつりの直前だったが、商売人なら当然考える客足のことはノリカの意識の中にはまったくなく、短い準備期間で開店にこぎつけたのだった。

     北海道で生まれ、そこで作家として生きる桜木紫乃が描く女は、冬がよく似合います。なにもかも捨てて振り出しの地に戻った踊り子の再生を描く『裸の華』(集英社、2016年6月24日配信)。振り出しから出直すノリカと、その思いを知り「NORIKA」に加わったJINこと、竜崎甚五郎。女と男がけっして平穏とは言えない道に踏み込んで、物語が始まります。
     氷点下の札幌でチラシ配りを続けた。チラシを見て立ち寄った客から、竜崎が「銀座の宝石」と言われたバーテンダーだったことを知らされた。「その腕を、こんな店で使っていいの」というノリカの問いに、「この店にご案内したときあなたは、振り出しからまた出直す、とおっしゃったんですよ。それを聞いて、わたくしも振り出しに戻ってみようと思ったんです」と応えた竜崎。「彼が自分の店を出すなら、オーナーになりたい人間が山ほどいる」と言われながら、黙って銀座から姿を消して故郷の札幌で不動産屋の営業をやっていた男もまた、出直しのスタートを「NORIKA」に思い定めたのだ。
     そして、募集に応じて大晦日の午後に面接を受けに来た二人の女性――23歳の桂木瑞穂(かつらぎ・みずほ)とその日、ちょうど20歳になったという浄土(じょうど)みのり。丸顔にくるりとした瞳を持つ瑞穂、切れ長の目、低い声で愛想はないが、揺るぎない基礎があるみのり。背格好は似ているが、印象はまったく別だった。
    〈「わたしが、あなたたちを最高のユニットにします」〉
     ダンス技術に問題はなくても、見てもらえるステージに出来るかどうか、そこまでこのふたりをフロアに合ったダンサーにできるかどうかはノリカにかかっていた。
     開店まで一か月。ノリカとみのりの手探りの日々を、桜木紫乃はこんな風に描きます。

    〈ラスト付近のスローな箇所で、みのりは床に両脚を残したままゆっくりと体を反らせた。反り返った体が美しい弧を描く。床に両手がついたところで左脚がまっすぐ天井を指した。みのりのつま先の上に、ミラーボールがあった。ここが小屋ならば、ノリカがリボンを投げたい気分だ。
     ノリカは自分が踊っていたころを思い出した。裸で踊っていても、誰もノリカの亀裂など見ていない。静寂のなかで立ち上がり微笑むと、一瞬で緊張が解ける。客席に散らばった羞恥心が昇華して踊り子の体に太い輪郭を与える瞬間、舞台と客席がひとつになる。もう、あんな時間は二度とこない。鼻の奥に軽い痛みが走った。〉

     無意識に拍手を送るノリカ。感服したぶん、大きな課題も見えた。このままだと技術だけで客席に緊張を強いるステージになる。かつて面接を受けた時、師匠の静佳に言われた言葉が蘇る。
    〈客はあんたの自慢話を聞きにきてるわけじゃないから。とりあえず舞台に立って、脚を開いてみなさいよ。そうすればわかるから。〉
     誰の楽しみを優先するかを、みのりはまだ理解していない。
     ――みのりが真剣なまなざしで言う。

    〈「今ので、良かったですか」息が上がっている様子はなかった。
     短期間でこじ開けるには厳しい硬さを残している。けれど今そこを問うと、振り出しよりも大きな問題が生まれる。技術だけではない何か、女としてひとつの難所を乗り切った色気を二十歳の生真面目(きまじめ)な娘に求めるのは贅沢だろうか──。
    「多少の遅れとか勘に頼ったところもあったかもしれないけど、充分カバーされていてわからない程度よ。呼吸の箇所が違えば、違う動きになるもの。お客さんのノリひとつでも変化する。ダンスは生ものだから」
    「そのときどきで、呼吸の箇所を変えてもいいんですか」
    「あなたは機械じゃないし、ここは試験会場でもないんだから。前後の曲を変えれば、呼吸だって毎回同じにはいかないでしょう。あんまりそこを追求すると踊るほうも観るほうも余裕をなくして、楽しいステージじゃなくなるの」
     それが小屋の踊り、と口を突いて出そうになる。みのりの顔から幕が下りるように表情が消えた。ノリカは自分の放った言葉のなにが彼女のどこに響いたのか分からず、正直に「どうかした」、と訊ねた。
     余裕、とみのりがつぶやいた。
    「わたしの踊り、やっぱり余裕ありませんか。見ていて楽しくないですか」
     あぁ、ここだったか──。
     張り詰めた気配の根が垣間見えた。浄土みのりの傷はここか。避けては通れない問いがあった。ノリカは一音ずつ気をつけながら訊ねてみる。
    「宝塚の試験に、三回落ちました。あの頃は家を出る方法がそれしかないと思ってました」
     みのりの唇が歪(ゆが)んだ。ノリカはその瞳に、精いっぱいつよく頷いた。
    「わたし、楽しく歌ったり踊ったりなんて、したことないです」
    「じゃあなんで、今も続けてるの」
     みのりは数秒黙り「好きだから」と答えた。
    「あなたにとって好きと楽しいは同じじゃないのね」
     細い首が一度、かくりと前に倒れた。
    「これは慰めでもなんでもない。あなたを活かす場所がほかにあるということよ。泳ぎ続けていれば必ずたどり着くの。好きなことをする場所としてわたしの店を選んでくれたことに感謝してる。あなたにとってここが楽しい場所になるよう、精一杯のことをする。厳しいこともあると思うけど、ついてきて」
     みのりに向かって放った言葉が、美しいターンを決めてノリカの胸に着地する。〉

     いま、自分の手の中に大きなダイヤがある──。「NORIKA」に来る前は、ニューハーフの店でバイト――接客をしてショーに出る――をしていたという。握りかたひとつで、輝きを変える石だ。そのくせ握りすぎるとたちまち姿を消すプライドの高い石でもあった。
     ノリカは20歳の時から、10日ごとに小屋から小屋へと動く踊り子として生きてきた。小屋の舞台に立って初めて衣装を脱いだ時、「いろんなことが、楽になった。パンツさえ脱げば、自分にもソロで踊れる舞台があって、お客さんがみんな喜んでる。技術がつけば広げた脚のあいだを見られるばかりじゃなくなるの。なにより、自分の振り付けで好きに踊ってお金をもらえるなんて、夢みたいだった」からだ。
     みのりを「踊るだけの環境」に置いておくにはどうすればいいのか――雪道を歩きながら振り付けを考えるノリカ。自分にはできない動きと技術を入れてみのりの体を頭の中で自在に動かしていると、久しく忘れていた高揚感が舞い戻ってくる。すすきのイエロービルへ向かう足取りが軽くなっていた。

     ダンスシアター「NORIKA」開店初日。「バーレスク」「ムーラン・ルージュ」「クレイジーホース」。あこがれの舞台は遠いのか近いのか。
     午後6時30分。ノリカは白いシャツと黒いパンツスーツで店に立った。竜崎も糊のきいたワイシャツに蝶ネクタイ姿で今日から「NORIKA」のバーテンダーだ。
     午後8時に「リベルタンゴ」で始まった1回目のステージのクライマックス――。渾身のダンスシーンに女の生き様が凝縮され、読む者を圧倒する。

    〈……ノリカは壁から飛び出たプラグをコンセントに差し込んだ。ミラーボールにあてたライトが店内に光のブロックを作り、回る。「HAVANA」が始まった。
     イントロで静まりかえった客席は、曲が変調になっても手拍子を始めない。ノリカはグラスに手を伸ばさない客の、呆気にとられた表情を見て快哉(かいさい)を叫びたくなった。これだけは、と思った。この曲だけはみのりの技量を抑えなくてもいい。すべてを出し切っていいのだ。
     瑞穂は客がいることでいっそう輝くが、みのりは客がいなくても全力で踊るだろう。ノリカには分かる。そういう踊り子はいずれ今の舞台がちいさくなる。技術にこだわり客席を見失う。ひとつ大きな舞台へと羽ばたくか、限界を自分で決めるかのどちらかなのだ。
     伸びるか、辞めるか──。ノリカはあがき続けた一年を、ミラーボールの速さで振り返った。
     みのりのブリッジには一ミリの狂いもないように見えた。鍛え上げた脚が、ミラーボールに向けてまっすぐに上がる。客席からはストッキングに走るシームの直線が天に向かって伸びているのが、はっきりと見えるはずだ。曲が終わり、客席の六人が慌てて手を叩き始めた。口を開きっぱなしの劇団員や、息をしているのかしていないのか、背筋が伸びきった様子の牧田がいる。とりわけ旅行者の男たちは、よほど期待していなかったのか呆然としたまま拍手をしている。〉

     閉じた幕の内側で、着替えを終えた瑞穂とみのりがノリカと竜崎に向かってVサインをする。いくぶん恥ずかしげなみのりの様子を見て、この子に自分の持っているものすべてを与えたくなったノリカ。みのりのお陰で、ノリカの胸奥にあった膜が一枚剥がれ落ちた。ストリッパーを辞めても生きて行けることを、二十歳の娘が見せるひたむきさに教えられたノリカ――。

     桜木紫乃はそんな物語に、とっておきのカクテルを用意しています。竜崎の面接シーンから引用します。
    〈日本バーテンダー協会の「資格認定証書」とバッジ。ゴールドのシェーカーを頂点にして青い円がバッジを縁取っている。
    「あなた、バーテンダーだったの」
     ノリカは背筋を伸ばした。
    「オリジナルカクテル」を注文した。面接をされているのはこちらのような気がしてくる。「かしこまりました」と言い終わった瞬間、竜崎の体が更にしなやかに動き始めた。
     氷を砕く音、メジャーカップに注ぐ視線と酒、銀色の筒で8の字を描く姿、どれもこれも美しかった。
     目の高さにあったカクテルグラスに、淡く金色に光る酒が注がれた。カウンターに紙のコースターが滑り、その上に竜崎がグラスを置いた。
    「よろしくお願いします」
     そうだ、これは面接だった。すっかりその動きに見とれて忘れていた。ノリカはグラスを持ち、ひとくち飲んだ。辛さと甘みが絡まり、その向こうに軽く苦さがある。苦いと思ったすぐあとに、再び甘みがやってくる。昨日と今日、明日を繋ぐ味だ。
    「美味しいです。カクテルの名前を訊いてもいいですか」
    「『夢の続き』といいます。わたくしのオリジナルです」
     ノリカは、三度に分けてグラスを空けた。〉

     みのりを羽ばたかせる場所が、自分という踊り子の死に場所になる――意識の底にそんな思いを刻んでノリカが見る「夢の続き」とは? 瑞穂の、みのりの「夢の続き」は? そして竜崎自身の「夢の続き」は?
     札幌すすきのゼロ番地にほど近いイエロービル2階のダンスシアター「NORIKA」――気っ風のいいダンスと、うまいカクテルは、いま始まったばかりです。(2016/12/2)
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    投稿日:2016年12月02日