帰郷

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【第43回大佛次郎賞受賞作】もう二度と帰れない、遠きふるさと。学生、商人、エンジニア、それぞれの人生を抱えた男たちの運命は「戦争」によって引き裂かれた――。戦争小説をライフワークとして書く著者が、「いまこそ読んでほしい」との覚悟を持って書いた反戦小説集。戦後の闇市で、家を失くした帰還兵と娼婦が出会う「帰郷」、ニューギニアで高射砲の修理にあたる職工を主人公にした「鉄の沈黙」、開業直後の後楽園ゆうえんちを舞台に、戦争の後ろ姿を描く「夜の遊園地」、南方戦線の生き残り兵の戦後の生き方を見つめる「金鵄のもとに」など、全6編。

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【第43回大佛次郎賞受賞作】もう二度と帰れない、遠きふるさと。学生、商人、エンジニア、それぞれの人生を抱えた男たちの運命は「戦争」によって引き裂かれた――。戦争小説をライフワークとして書く著者が、「いまこそ読んでほしい」との覚悟を持って書いた反戦小説集。戦後の闇市で、家を失くした帰還兵と娼婦が出会う「帰郷」、ニューギニアで高射砲の修理にあたる職工を主人公にした「鉄の沈黙」、開業直後の後楽園ゆうえんちを舞台に、戦争の後ろ姿を描く「夜の遊園地」、南方戦線の生き残り兵の戦後の生き方を見つめる「金鵄のもとに」など、全6編。

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書店員のレビュー

 オフィス近くの書店。浅田次郎の新刊『帰郷』(集英社、2016年6月24日配信)にポップのように自筆の色紙が展示されていました。
「  帰郷
 戦争小説ではなく
 反戦小説です
    浅田次郎  」

 著者の「反戦」への思いを表象する装幀は菊地信義。装幀の第一人者が選んだブックカバーの写真がいい。石垣の塀の前に立つ元日本兵。外地から帰還したところでしょうか、軍服の背中に毛布をくくりつけ、少し腰を折るようにして敬礼をしています。ブックカバーの表(おもて)面に写っているのは復員兵だけですが、その視線の先は、折り込まれたカバー袖に現れる外出着姿の女性とおかっぱ頭の少女に向けられています。広げて一枚の写真として見ると、帰郷した兵隊と顔見知りの女性が道で出会い、「いま、帰ってきました」「ご無事で。お帰りなさい」――ようやく訪れた平和な時代の短い会話が聞こえてくるようです。占領期に撮影された米国国立公文書館所蔵の貴重写真ですが、サイト表示用の表紙画像には紙書籍のカバーの袖部分にあった会釈する女性と少女の姿はなく、ちょっと残念。

 とまれ、2002年から2016年まで「小説すばる」に発表された反戦小説。力のこもった6篇がまとめられて紙・電子同時に発行された短篇集です。初出順ではなく、表題作「帰郷」を巻頭に収録、次のように並んでいます。
 帰郷 2015年11月号
 鉄の沈黙 2002年7月号
 夜の遊園地 2016年1月号
 不寝番 2016年3月号
 金鵄のもとに 2002年3月号
 無言歌 2016年4月号

〈くわえタバコで客を引くことが、綾子(あやこ)にはどうしてもできなかった。〉
 表題作「帰郷」は、こう書き出されます。闇市周辺に立つ娼婦に身をやつした信州出身の女と、召集されて南方に送られながらも生きて帰ってきた松本出身の復員兵の物語です。

〈物欲しげな男は薄闇の中でもそうとわかる。だから街の女たちはそのつどタバコをくわえて、マッチの上明りに顔を晒す。あたしでいかが、と。
 露天商が店閉いを始めるころから、終電までの間が稼ぎどきだった。一人目は丸ごとショバ代で、二人目からがてめえの食い扶持(ぶち)、お茶を挽いても待ったはきかない。だから女たちは早い時間にマッチの火を並べて、とにもかくにも一人目の客を拾おうとする。(中略)
 今さら恥も外聞もないものだが、綾子には捨てきれぬ矜恃(きょうじ)があった。ほかの女たちと同じように、この体が売り物であるという合図を送ることができなかった。〉

 光りの溢れる新宿駅の駅舎に入り、中央本線に乗って信州の里に帰るのはたやすかった。汽車賃など、一夜の稼ぎで事足りる。だが、それはいちど死んだ人間が甦るくらい無理な話なのだ。
 聚楽の脇の路地。かがみ込んでタバコをつけ、物思いにふけっていた綾子の背に「ねえさん――」と男がためらいがちの声をかけた。

〈「どこか具合でも悪いか」
 男の声には邪気がなく、焼け焦げたビルのはざまに蹲る女を、心から気遣っているように聞こえた。
 おそるおそる振り返った。軍服の背中に毛布を結びつけ、雑ハV(ざつのう)と水筒を十文字にかけた、今しがた復員したばかりに見える兵隊だった。暗がりと髭面(ひげづら)のせいで齢(とし)はわからない。〉

 終戦からたった三月(みつき)の間に世の中は様変わりしていたが、東京の人間がそっくり入れ替わったわけでない。厚化粧の下の素顔を見破られたのではないかと肩をすくめた綾子は、思い当たる顔がないことで胸をなで下ろして、ほほえみ返した。

〈「どこも悪かないよ。御用とお急ぎでないんなら、ちょいと遊んでいきない」
 エッ、と男は意外そうな声を上げた。
「米兵が相手じゃないのか」
 綾子は鼻で嗤(わら)った。
「大和撫子(なでしこ)の防波堤かね。そんなきれいごとがあるもんか。お足さえちょうだいできるんなら、男のえり好みはしないよ」〉

 復員したはいいが、帰る家はあとかたもなく、家族の所在もわからない、というところだろうか……体を気遣ってくれた男の声が耳に残る綾子。雑嚢の底をかき回した男は思いがけないことを言った。

〈「金ならこの通り持っているが、あんたを買うつもりはないんだ」
 しどろもどろで男は言った。差し出した掌には、輪ゴムでくくった札束が載っていた。
「わけのわからんことをお言いだね」
 あたりに目を配りながら、綾子は両手で男の掌をくるみこんだ。大金を持っていると知れたら、命などいくつあっても足らない。
 札束ごと握りしめた男の掌は、コンクリの壁より冷たくて、小刻みに震えていた。
「どこかで、俺の話を聞いてくれないか」
「いよいよわけがわからないわ。チョンの間じゃなくて、ゆっくりしたいってことかね」
 南方で悪い戦をした、戦地ボケの兵隊なのだろうか。悪人ではなさそうだが、どこか思いつめているふうがあった。〉

 綾子はたじろぐ男の腕を掴んで路地から出て、南口の陸橋の先、甲州街道の向こっ河岸(かし)に向かった。甲州街道を越えた辺りには何軒かの連れ込み旅館があった。そこを使うのは、泊まりと決めたよほどの上客だけだった。

〈畳座敷に浴衣がけでビールを飲んでいるなんて、俺ァ夢でも見てるんじゃないだろうか。
 よもや風呂にまで入れるとは思ってもいなかった。念入りに洗ってきたつもりだが、臭くはないか。
 今さっきは、わけのわからんことを言ってすまなかった。話だけ聞いてくれなどと言われたら、そりゃあ馬鹿にされたと思うだろうけれど、SVでも冗談でもないんだ。
 知った人間に話せば相手の耳が腐る。知らぬ人間に話せばこっちの口が腐る。だが、話さずにいれば胸が腐っちまう。そうして少しずつ胸を腐らせながら、何日も闇市をうろついていた。
 聚楽の路地であんたに声をかけたのは、何の下心があったわけじゃない。暗がりにしゃがみこんでいた姿が、今にも死んじまいそうに見えたんだ。(中略)
 女を買おうなんて気持ちは、これっぽっちもなかった。物を食わせるぐらいの金は持っていたから、救けられるもんなら救けようと思っただけだ。
 顔を合わせたとたん、俺の思いすごしだったとわかったんだが、そうとなったらこっちの引っこみがつかない。そこで、とっさに妙なことを言っちまった。あんたを買うつもりはない、俺の話を聞いてくれ、なんて。
 だが、口から出まかせじゃないんだ。俺の胸はもう腐りかけていた。このまんま放っておいたら、幾日もたたぬうちに性根まで腐っちまって、何かとんでもないまちがいをしでかすに決まっている。
 なあ、マリアさん。
 あんたは生身の女なんだろうが、こんな男を不憫に思って天から舞い降りてくれたんだと、俺は思うことにする。
 今の俺には、死んだ兵隊が不運だったのか、生き残った兵隊が幸運だったのか、よくわからないんだ。〉

 男は、古越庄一(ふるこし・しょういち)。庄屋の惣領息子だから庄一とわかりやすい名前の古越の家は信州松本の近在では指折りの山持ちで、小作の田畑(でんはた)も三ヵ村に跨(またが)っている。身重の妻と娘一人を残して戦地に送られた古越は命からがら帰郷した。しかし――。

 部隊全滅が伝えられた南の島から奇跡の生還を果たしたというのに、なぜ古越は妻子の待つ松本ではなく、新宿の街を一人で歩いているのか。しかも大金を持って。
 新宿駅近くの路地で出会った娼婦のマリア(綾子)に向かって胸の内を吐露するように「俺の胸は腐りかけていた」「死んだ兵隊が不運だったのか、生き残った兵隊が幸運だったのか、わからない」と語り出した古越にいったい、何があったのか。

 敗戦直後の混乱期、復員兵と娼婦の心中事件が少なくなかったそうです。生きる希望をなくした男と女が偶然出会って〝心中〟に行きつくまでに、さほど深い川は流れていなかったのかもしれません。
 乳母日傘(おんぼひがさ)で育ちながら、南の島で兵隊として辛酸をなめた古越と戦争が終わって3か月、娼婦マリアとして新宿に生きる術を求めた綾子。古越の、話さずにいたら胸が腐ってしまうというほどの苦悩とは何か。綾子は、その話をどう受けとめるのか。

 表題作「帰郷」は、戦争によってすべてを変えられてしまった男と女の一夜の物語です。これに対し、収録作品中、最も新しく、「小説すばる」2016年4月号が初出の「無言歌」は、動員された軍需工場で知り合い恋仲となった女子学生に別れを告げて海軍予備学生として特殊潜航艇に乗り込み、太平洋の底に沈んでいった中尉の物語。娘の父親との最初で最後の出会いのシーン――。

〈香田は顎を止めた。男の正体がわかったのだった。芋は弁当の残りではなくて、香田と笙子のために残しておいたのだと思った。
「香田です。失礼しました」
 角帽を脱いで、深々と頭を下げた。
「こちらこそ、申し遅れました。会社を早退けして、待ち伏せておりました」
 しばらくの間、三人は言葉を探しあぐねて、西空の夕映えを見つめていた。茜色(あかねいろ)の地平に、赤ん坊の掌(てのひら)を並べたような欅(けやき)の影がつらなっていた。
「海軍予備学生では、生きて帰れんでしょう。今からでも、どうにかならんのですか」
 娘の希みならば、この人は何ひとつ反対などしないのだろう。
 その真心に応ずる答えを、香田は思いつかなかった。どれほどの美辞麗句をつらねようとも、あるいは自分が詩人であったとしても、口にする言葉はすべて穢(けが)れていると思った。
 三人が三人、言葉の穢れに畏(おそ)れおののいて、何ひとつしゃべれぬままに、ただ声を絞って泣いた。
 遠い昔、一頭の勇気ある猿の手にした炎が、実はその瞬間から穢れていたのと同様に、一頭の聡明な猿が獲得した言葉は、やはりその瞬間から穢れていたのだった。
 その穢れに気付いてしまえば、炎も言葉も知らなかったころの猿に戻って、人はただ嘆くほかはなかった。
 ご心配をおかけしました。
 分不相応でした。
 何事もお国のためです。
 必ず生きて帰ります。
 立派に死んで見せます。
 どうか忘れて下さい。
 胸にうかんだ言葉のひとつひとつは、すべてが虚偽で、汚泥にまみれていた。
 軍刀や銃や、大砲や戦闘機や軍艦をずらりと並べて、さあこれが文明だと言うのとどこも変わりがなかった。〉

 香田中尉は、沈みゆく特殊潜航艇のなかで、ともに乗りこんだ友人と「この死に様を誇りに思う」と、最後の会話を交わします――「俺は人を傷つけず、人に傷つけられずに人生をおえることを、心から誇りに思う」

 青春を奪われた若者たちへの鎮魂歌――。
「すべてが虚偽で、汚泥にまみれていた」「軍刀や銃や、大砲や戦闘機や軍艦をずらりと並べて、さあこれが文明だと言うのとどこも変わりがなかった」――戦争というものが人に強いた穢れた言葉、行為を否定し、拒否する覚悟を浅田次郎はこの作品に凝縮しました。

 大岡昇平(『俘虜記』『野火』新潮社版/角川書店版)、吉田満(『鎮魂戦艦大和(上・下)』)、城山三郎(『指揮官たちの特攻』『硫黄島に死す』)ら軍隊を体験した世代の作家たちが自らの経験をもとに戦争を描いた名作を残しました。彼らのあとに野坂昭如(『アメリカひじき・火垂るの墓』)や井上ひさし(『下駄の上の卵』『闇に咲く花』『きらめく星座 昭和オデオン堂物語』『マンザナ、わが町』『一週間』)、吉村昭(『空白の戦記』)ら昭和ヒトケタ生まれ、戦中に10代の少年・若者だった作家たちが続きました。1945年8月15日、「ポツダム宣言受諾」の玉音放送を聞き、世の中が一夜にして変わってしまったことを目の当たりにした世代――吉村昭(2006年7月没)、井上ひさし(2010年4月没)に続いて、野坂昭如も昨年12月にこの世を去りました。
 そして戦後71年目の夏。1951年生まれ、戦争を知らない世代の浅田次郎が「戦争」を見つめ、反戦を語ります。いまこそ、その意味を改めて考え直したいと思います。本書『帰郷』のほかに、8月15日の終戦直後に北の孤島で始まった戦争を描いた『終わらざる夏(上・中・下)』(集英社文庫、2013年8月2日配信)もあります。(2016/8/5)
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