書籍の詳細

私は中学生の娘・美嘉と小学生の息子・亮太とともに、二年前に亡くなった妻のふるさと「希望ヶ丘」に戻ってきた。ここから再出発だ――そう思って開いた塾には生徒が集まらず、亮太は亡き母の思い出を探し続け、美嘉は学校になじめない。昔の妻を知る人びとが住むこのニュータウンに、希望はあるのだろうか?

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希望ヶ丘の人びとのレビュー一覧

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  •  ボストンからチャールズ川にかかる橋を渡るとケンブリッジに入ります。日本では鎖国令が出された1636年、この地に牧師養成を目的にアメリカ初の高等教育機関(1639年にハーバード大学と命名)が設立された時は「ニュータウン」と呼ばれていたそうです。ニュータウンとしてスタートした町はいまや、世界トップクラスのハーバード大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)を中心とする大学町として発展を遂げています。
     その後、ニュータウンはイギリスを始め世界各地で建設されてきました。日本でも第2次世界大戦後の高度成長期に、大都市の過密化対策として都市周辺に新しい大規模市街地が造られました。東京周辺の多摩、横浜の港北、名古屋近郊の高蔵寺、大阪周辺の千里・泉北など、地名の下に「ニュータウン」の名がつけられ、団塊世代などの都市生活者が移り住みました。しかし21世紀に入って、住民の高齢化、建物・施設の老朽化などの都市問題が顕在化してきました。
     岐路に立つニュータウンを舞台に直木賞作家・重松清が描いた家族の物語――『希望ヶ丘の人びと』(上・下。講談社文庫、2016年6月17日配信)が面白い。
     7月16日(土)スタートの連続TVドラマ(WOWWOW)にタイミングを合わせるように、6月17日に電子書籍がリリースされた話題作ですが、私が初めて本書を目にしたのは昨年12月でした。講談社から文庫版が発売されたのは、その一月ほど前の11月でした。たまたま書店で手に取った上下2冊本の下巻あとがきの中に懐かしい名前を見つけました。
     初出は「週刊ポスト」の連載(2006年12月~2008年5月)で単行本刊行が2009年1月。そして2011年3月11日の東日本大震災直後の小学館文庫版(2011年5月)を経て、昨年講談社文庫版が出ました。著者自身が「いくつかの、意味が小さくない修正を加えている。……『希望ヶ丘の人びと』の最終決定稿」というバージョンです。
     重松清は、講談社文庫版のあとがきに、ひとつ前のバージョンである小学館文庫版のあとがきも全文再録しました。そこには担当編集者との、こんなやりとりが綴られていました。作品構想をめぐって作家と編集者との間でどんな会話が交わされたのか。その一端が垣間見えて興味深いものとなっています。少し長くなりますが、紹介しましょう。

    〈連載開始まで二カ月を切っていても、まだ『希望ヶ丘の人びと』に出てくる面々は「希望ヶ丘」に暮らしてはいなかった。二〇〇六年秋のことである。ニュータウンの家族を描くということまでは決まっていても、その先が見えない。いや、それはプロットが云々、主人公の造型がどうこう、という問題なのではない。「その先」というより、むしろ手前、物語の根っこの部分が定められずにいたのだ。
     取材に出かけた。一九九七年に起きた連続児童殺傷事件の現場となった兵庫県のニュータウンである。事件そのものをお話に組み込むつもりはなかったが、「ニュータウン的なるもの」の一つの極北を感じ取るべく事件の舞台を歩いた。収穫はいくつもあったが、その一方で、さらなる迷宮にさまよいこんでしまったことも少なくなかった。要するに「よし、これでいける!」という確信は得られなかったわけである。
     東京に帰る新幹線を待つ間、取材に同行してくれた『週刊ポスト』編集部の関哲雄さんを夕食に誘い、軽くビールを飲んだ。むろん、ここで弱音を吐くわけにはいかない。そういうところでの僕は情けないほど見栄っ張りな男だし、なにより関さんは僕の担当になってから一カ月余りしかたっていない。上司などを交えず二人で会うことすら、この取材が初めてだったのだ。ニュータウンの家族を描くという僕の狙いを、彼はどう評価してくれているのだろう。そもそも、「ニュータウン」や「家族」を、僕より数歳年下の彼は、いまの時代を生きる一人の人間として、どんなふうにとらえているのだろう……。
    「方向性は二つあるんだ」と僕は言った。一つは、ニュータウンや家族の抱える病理をえぐり出すシリアスな方向。もう一つは、そういう病理があることは認めながらも、明るさや元気へと向かうポジティブな方向。どちらも大変だと思っていた。だからこそ、「オレはどっちでもいいけどな」とセコく見栄を張った。
     関さんは少し考えてから、「前向きなほうをお願いしたいです」と言った。そして、つづけて──。
    「こんな時代ですから、生きることに希望が持てるような小説を『ポスト』の読者に届けたいんです」
     その言葉を聞いた瞬間、もつれていたものがあっけなくほどけた。「膝を打つ」というのを初めて体験した。「よしわかった」と僕は言った。「希望だよな、うん、オレもさっきからそう思ってた」と、最後の一言は噓だった。〉

    「関さんがいなければ、本作は生まれなかった」――重松清はこう続けていますが、その関哲雄さんが、私が見つけた懐かしい名前です。関さんはかつてその頃の小学館には珍しい京大卒の新入社員として「週刊ポスト」編集部に配属されてきて、その後の数年間一緒に仕事をしました。週刊誌の特集づくりで共に苦労した仲です。
     その彼が重松清という書き手を得て、連載立ち上げから文庫化まで手がけた作品――『希望ヶ丘の人びと』。キーワードは、書名にあるとおりの「希望」。子宮と卵巣にガンが発見されてわずか1年後、妻が亡くなった。39歳だった。その2年後の春、残された夫と二人の子どもは、妻が愛した風景の残る街に帰ってきた。1970年代初めに開発され、妻の圭子(けいこ)が小学校5年生から中学卒業までの日々を過ごしたニュータウン、希望ヶ丘。勤めていた会社の早期退職に応募、割り増し退職金を手にした夫の田島さん(私)と、4月に中学3年生になる娘の美嘉(みか)、小学5年生になる息子の亮太(りょうた)の3人家族は、〝おかあさんの思い出〟が詰まっているはずの街に住むことを選択しました。フランチャイズ制の進学教室室長が田島さんの新しい仕事です。

     引っ越して2か月――教室のポスターを貼りに行ったゲームセンターで出会ったハーフの少女が田島の耳元で「ねえ、あの女の子、学校でいじめられてるよ」と、娘の美嘉を指してそう一言だけ言って、振り向きもせず立ち去った。翌日、入室したいとバイクで教室にやって来た少女――阿部真理亜との会話。

    〈「差別じゃない。偏見でもない。でも、転校したての頃は、いじめられた。なんでだと思う?」
    「帰国子女で……歳も一つ上だから、なのかな」
    「じゃあ、なんで帰国子女や年上の子がいじめられるの? その理由はなに?」
    「いや、だから……」
     逆に、こっちのほうが面接されている気分になってしまった。それも、こっちの胸にあるいちばん弱くてずるい部分をえぐられるような、尋問にも似た面接だ。
    「やっぱり……ほかの子と違ってるから、なのかな」
     マリアは、そう、とうなずいた。
    「同じじゃないと、はじかれるの。ロスの連中みたいに、露骨な差別の目で見るわけじゃない。見下したりなんかしない。もしかしたら、みんなのほうがわたしのこと怖がってたかもしれない」
    「うん……」
    「でも、同じじゃないっていうだけで、はじかれるの。たとえその子が強くても、強いっていうことで、みんなと同じじゃないからはじかれちゃう。強い子がいじめに遭うのって、たぶん、ニッポンの学校だけだよ」
     そうかもしれない。胸が痛む。いまどきのガキどもは……というのではなく、私自身にだって、そんな思いがあるから。(中略)
    「ま、希望ヶ丘っていうところは、ダメになっていく子には冷たい街だからね」と付け加えた顔は、にこりともしていなかった。
     美嘉の姿が、また浮かんだ。
     みんなの中でぽつんとひとりぼっちでいることは、いままでと変わらない。だが、今度はそこに冷ややかな視線が加わった。正面から美嘉にぶつけるまなざしではない。後ろから、斜めから、上から、そして遠くから、男子も女子も、美嘉を冷たく盗み見ているのだ。〉

     マリア(真理亜)の父親は阿部和博。腕っぷしと度胸だけで〝希望ヶ丘のエーちゃん〟(矢沢永吉)の称号をつかんだ伝説の男で、圭子の、おそらく、初恋の相手。その規格外れの生き方が希望ヶ丘の人びとにある変化をもたらしていきます。

     皆と同じじゃないことを許さない、同調圧力の強い日本社会。なかでもニュータウンはその傾向が強く、「希望ヶ丘」が、ダメになっていく子、フツウではない子には冷たい街だというのも、日本社会の同調圧力とつながっているのではないでしょうか。
     そんなニュータウンで――
     規格外のトリックスター〝希望ヶ丘のエーちゃん〟はどんな一石を投じるのか?
     超ヤンキー娘に恋して分不相応な高校を目指す真面目中三生を待つ結果?
     圭子が子どもの頃に通った書道教室の頑固でとっつきにくい老先生は、実は?
     アメリカへ一人旅立つマリアへ、美嘉は何を伝えるのか?
     亡き妻が愛した風景の残るニュータウンへ帰った田島家――夫、娘、息子は希望ヶ丘で生きていく!
     ニュータウンを舞台に日本社会を覆う同調圧力をはね返して生きる人びとを等身大で描いた家族の物語――皆と同じじゃない「規格外」であることはしんどいけれど、本当はとても心が安まることなのだと教えてくれています。(2016/7/15)
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    投稿日:2016年07月15日