書籍の詳細

北海道。過疎の町の理髪店。心配性の店主の元にはやたらと町の騒動が持ち込まれる。老いた両親のこと。中国人花嫁をもらった新婦の悩み。50歳過ぎたオヤジたちの恋のさや当て。子供が指名手配になった! ――などなど。トラブル解決に右往左往する店主と町の人々の交流を鮮やかに描いた、奥田英朗の筆が冴え渡る極上の一冊!

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向田理髪店のレビュー一覧

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  •  モデルは2007年(平成19年)に財政破綻した北海道夕張市。寂れてしまった炭鉱の町「苫沢町(とまざわちょう)」(いうまでもなく架空地名です)に昭和25年(1950年)から続く昔ながらの床屋――向田(むこうだ)理髪店があります。北海道の中央部にある過疎の町で次々に起きる〝事件〟。店の名前をそのまま書名とした奥田英朗は、53歳の理髪店店主・向田康彦を語り手に北の町の人間ドラマを絶妙なタッチで描いていきます。
     会話に織り込まれる北海道弁が北の町の空気や匂いを運んできて、胸が熱くなるから不思議です。6編の連作短編(「向田理髪店」「祭りのあと」「中国からの花嫁」「小さなスナック」「赤い雪」「逃亡者」)からなる『向田理髪店』(光文社、2016年4月22日配信)――巻頭収録の表題作の一節を引用します。

    〈「おれは地元をなんとかしたいわけさ。このまま若者がいなくなったら、苫沢はどうなるべ。じっちゃんと婆ちゃんばかりの集落になって、終いには滅びてしまうだろう。それはマズイんでねえかと思ってさ。おれ、向田理髪店を継ぐことにしたから」
     今年の正月に帰省したとき、和昌は家族を前にして唐突に言ったのである。
    「青年団の瀬川(せがわ)さんなんかとも話してさ。あの人、家業のガソリンスタンドを継いだっしょ。瀬川さん、おれも都会に行く夢はあったけど、この地域からガソリンスタンドがなくなったら、どんだけの町民が困るか、それを考えたら自分には瀬川石油の看板を守る義務があるんじゃねえかって──。おれ、立派だなあって思って」
     元来がおしゃべりな息子であるのだが、その日はより雄弁に語るのであった。
    「じゃあ今の仕事は辞めるのか。せっかく大学出て入った商事会社を。もったいなくはねえのか」
     康彦が聞くと、和昌はきっぱり「未練はねえ」と言い切った。〉

     明治初期に石炭鉱脈が発見されて以降、日本中から入植者が押し寄せ、人口8万人を抱える日本有数の炭鉱都市となった苫沢町だが、昭和40年代に入ってエネルギー政策が石炭から石油へ転換され、衰退が始まった。向田康彦の少年期は、丸々その衰退期だった。閉山が相次ぎ、クラスメートは次々と転校していき、小中学校も統廃合が繰り返された。打開策として町は映画祭を誘致し、レジャー施設を造るなど観光に力を注いだものの、すべて振るわず、放漫なハコモノ行政のツケは膨(ふく)らむばかりだった。康彦が札幌で社会人になった年、町は財政破綻した。以後、人口流出は止まらず、使用されない図書館や音楽ホールが、だだっ広い自然の中に虚(むな)しく点在している――。
     父親がヘルニアを患(わずら)って店に立てなくなったのを機に、康彦が札幌の広告会社を退職して苫沢町に帰り、店を引き継いだのは28歳の時でした。以来、四半世紀にわたって夫婦で営んできた理髪店ですが、康彦自身、将来性があるとは思っていません。だから、自分の代で終わらせるつもりだった。なにしろ、かつては町に10軒以上あった理髪店が、いまでは2軒になってしまっている。しかも客の大半は町に残る高齢者です。
     人より牛の数が多い過疎の町に、若者を惹きつける要素などひとつもない。子供たちには子供たちの人生がある。自分と妻の老後は不安だが、それも仕方のないことだ――康彦はそう考えていたのですが、正月休みで帰省したとき、長男の和昌が家族を前にして唐突に家業を継ぐと言いだしたというわけです。

    「人より牛の数が多い過疎の町」「町民の多くが同じ中学の出身者」「噂から逃れようのない小さな町」――ネガティブな意味あいで語られることの多い「田舎」ですが、都会で暮らすことと田舎で生きることの決定的な違いは何か。奥田英朗の視線はどこまでもポジティブで温かい。
     巻末収録の「逃亡者」は、町の中学では生徒会長を務めるほどの優秀で活発だった少年が札幌の進学校から東京の大学に合格、卒業後に事業を興したものの、結局不動産詐欺に走り全国指名手配されるというストーリーです。
     小さな町を揺るがす「騒動」は、指名手配犯の顔写真公開を伝えるNHKの7時のニュースで始まります。

    〈「おい! これ、広岡君の息子でねえか!」
     夕食をとっていた康彦は、思わず腰を浮かせ、大声を上げた。驚いた母が入れ歯をテーブルに落とし、ふがふがと呻いている。
    「おい! 恭子! テレビ、テレビ!」
     台所にいた妻を呼ぶと、何事かと慌てた妻が、硝子戸の段差に足のつま先をぶつけ、「痛い!」と悲鳴を上げ、けんけんをしながら居間に転がり込んできた。
    「ほれ! 広岡君の家の秀平君だ!」康彦が画面に大映しされた顔を指さす。
    「いててて……。秀平君って、こんな顔してた?」恭子が床にうずくまりながらも、目を凝らした。
    「してた、してた。もう五年くらい見てねえけど、祖父(じい)さんの葬式のときに帰って来て、そんときおれに挨拶したさ。立派な大人になってと思ってたけど、それからは帰省したって話も聞かなかったな」
    「人違いなんじゃないの? 同姓同名ってこともあるし」
    「いや、秀平君だ。間違いねえべ」
    「でも、あの子、そんな悪さする子じゃなかったし……」(中略)
     康彦はショックで鳥肌が立った。秀平には幼い頃から中学生まで散髪をしてきた。子供だったので、大した会話はなかったが、散髪中も漫画を無心に読みふけっていたことを憶えている。
    「広岡さんは知ってるのかしら」恭子が聞いた。
    「そりゃあ警察から連絡くらいあったべ」
    「うわあ、奥さん、どうしてるんだろう」
     恭子は顔をゆがめ、声にならない声を上げた。〉

     小さな町で、我が子がテレビのニュースになるような犯罪に手を染め、逃亡。町には東京の警視庁から刑事が来たという。捜査協力を要請された地元の警察署に緊張が走り、マスコミも東京から押し寄せてきた。康彦たち町の友人たちは「マスコミに捕まったら家族がさらし者にされるべ」と案じた。
     父と母――広岡さん夫婦は家に閉じこもり、町の人びとの心配が募っていく……。
     康彦は、母が畑で収穫したキュウリを手に広岡の家を訪ねます。広岡は玄関口に出て来たものの気安く会話ができる雰囲気はない。広岡は無言だが、帰ってくれと言っている。「じゃあ、また……」と声をかけて踵を返した康彦が家に戻ると、すぐに広岡から電話がかかってきた。

    〈開口一番、「さっきはすまなかったべ」という謝罪を口にした。
    「女房から、心配して来てくれたのにお茶も出さねえでって、叱られた」
    「いや、なんもなんも。それより奥さんは、どうしてるの」
    「寝込んでるけどね」
    「あ、そう」康彦は胸が痛くなった。きれいな奥さんなのである。
    「おれは会社を休んでる。社長がしばらく休めって言ってくれたから」
    「それがいいべ」
    「どうせ仕事なんか手に付かねえし」
    「しょうがねえって」
    「うちの倅が、とんでもねえことしてくれた」
     広岡が重い口調で吐き捨てる。康彦は返事に詰まった。
    「死んで詫びるしかねえかなあって」
    「お、おい、広岡君。ちょ、ちょっと待てって」康彦は思わず舌がもつれた。「そったらことしたって解決にならねえ。それに秀平君は大人だろう。いくら親でも全部の責任を取れるわけがねえべ」
    「そうかもしれんが、もう表は歩けねえ」
    「馬鹿言うなって。落ち着け。みんな心配してっから」
    「とにかく、すまね。さっきはつっけんどんで、あまりに申し訳なかったから、ちゃんと謝っとかねえと心残りになる」
    「心残りって──」康彦は背筋に悪寒が走った。
    「これからもう一回行くべ。少し話をするべ」
    「いや、いい」
    「よくねえって。広岡君、死んで詫びるしかねえとかって、妙な気を起こすなよ」
     康彦が語気強く言うと、広岡はしばらく黙ってから、「ああ、そうだね」と力なく返事をした。
    「とにかく、落ち着いてくれ。ぼくらはいつでも相談に乗るから」
    「ありがとう。久し振りに人としゃべったべ」
     広岡が礼を言って電話を切る。康彦はお尻のあたりがもぞもぞとして落ち着かなかった。やはり放ってはおけない。広岡に自殺でもされたら、町全体が当分は沈み込んでしまう。〉

     田舎は都会とちがい、匿名でいられない。身内から犯罪者を出すと、道も歩けないのだ。幼馴染みに心から同情した康彦たちは語らって、交代で広岡の家に食事の差し入れを始めます。都会では考えられない、お互いが顔を知っている小さな町だからこその行動です。
     匿名ではいられない田舎の悪い面といい面。まるでコインの裏表のようです。
     康彦の長男、和昌は、逃亡中の広岡秀平とは中学のサッカー部の先輩後輩の関係です。和昌はやはり町に残っている青年団の仲間とともに、全員が顔見知りという「田舎の町」の特性を逆手にとった思い切った行動に出ます――。

     喜び。怒り。哀しみ。楽しみ。喜怒哀楽がいつでも一緒にある、誰もが顔見知りの小さな町。そこで暮らす人びとの日常を描いた物語には涙もあれば笑いもある。そして青年世代の成長小説としても読める一話一話が心に深く沁みいってきます。北海道弁がかもしだす、なまら温かい北の人たちがなんとも魅力的です。ちなみに、「なまら」とは「すごく」「たいへんに」といった意味で使われる北海道弁です。(2016/5/20)
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    投稿日:2016年05月20日