書籍の詳細

不慮の事故で夢を断たれた元・戦闘機パイロット・空井大祐。異動した先、航空幕僚監部広報室で待ち受けていたのは、ミーハー室長の鷺坂、ベテラン広報官の比嘉をはじめ、ひと癖もふた癖もある先輩たちだった。そして美人TVディレクターと出会い……。ダ・ヴィンチの「ブック・オブ・ザ・イヤー2012」小説部門第1位のドラマティック長篇。

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空飛ぶ広報室のレビュー一覧

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  •  失意のどん底にあった二人が出会い、いきなり感情を爆発させる。やがて二人の間に〝化学反応〟が起きて、まだ20代だというのに〝余生〟を過ごす気分に陥っていた元戦闘機パイロットと元報道記者が新しい仕事に取り組んでいくようになる。有川浩が〝前のめりの青春〟を描いた人気作品『空飛ぶ広報室』が文庫化(幻冬舎文庫、2016年4月12日配信)されたのを機に再読しました。同名のテレビ連続ドラマ(新垣結衣・綾野剛主演、2013年4月~6月放映)原作小説です。

     物語の舞台は防衛省航空自衛隊航空幕僚監部広報室――。
     築城(ついき)基地監理部総務班の空井大祐(そらい・だいすけ)二尉に転属の辞令が下ったのは、29歳の4月でした。転勤先は防衛省航空自衛隊の広報室。
     戦闘機パイロットとなって5年。子どもの頃からの夢だったブルーインパルス選抜の内示を得た28歳の春――空井のたどるべき道は、突如として断たれた。

    〈彼には何ら落ち度のない事故だった。
     歩道で信号待ちをしていたところへ、大型トラックが突っ込んできたのである。(中略)
     手術と入念なリハビリの結果、彼の右足は日常生活に支障がないほど回復した。激しい運動は難しいが、趣味のレベルならスポーツさえ楽しめるほどに。
     だが、F-15を駆る戦闘機パイロットである彼が職務を全うするにはその回復の度合いは到底足りなかった。
     結果として彼はパイロット資格剝奪の処遇となった。俗にP免と呼ばれる扱いである。(中略)
     P免措置になった彼は築城基地の監理部総務班へ転属となり、降りかかった運命を半ば呆然と受け止めた。──そして、一年経った今でもまだ呆然としていた。
     自分の年を数えることさえうっかり忘れかけながら、いつのまにやら迎えた二十九歳の四月、彼に辞令が下った。〉

     夢を絶たれた元・戦闘機パイロット――失意の底に沈んだままの新人を直属上司の広報室長がいわくつきの女性テレビディレクターに引き合わせます。
     帝都テレビのディレクター・稲葉リカ。報道記者を天職と考える稲葉(いなば)リカは、同期の先頭ランナーとして走ってきたが、突然の辞令で記者から「帝都イブニング」ディレクターに異動。しかも憲法上でその存在が曖昧なままの〝日陰者〟自衛隊の担当なんてと、まったく納得していません。
     コーヒーを淹れるために給湯室に向かおうとする空井に広報室の先輩たちは口々に「不愉快だとは思いますが何とぞこらえて! 強烈ですよ!」「グーでパンチしたくなると思うけどこらえんのよ! 敵はマスコミ、何言いふらされっか知れたもんじゃないわ!」「笑顔キープだぞ、何を言われても顔に出すな!」と剣呑な警告を重ねます。空井は「いったい、ナニと対面させられるのだろう」という激しい不安を胸に、稲葉リカと鷺坂正司(さぎさか・まさし)室長の待つ応接室に入りました――。

    〈「おやめになったんですか」
    「はあ、事故で」
     何の気なしに答えると稲葉リカの目の色が変わった。
    「何年前ですか?」
     嚙みつくような剣幕に空井は思わずたじろいだ。
    「一年ちょっと前ですが……」
    「パイロットの職を辞さねばならないほどの大事故というのはどんな事故ですか? ここ数年で大きな事故の報道はなかったはずですが」
    「え? あの……」
    「原因は?」
    「え、酒気帯びとスピード違反……」
     聞くなり稲葉リカは目を吊り上げて鷺坂に詰め寄った。
    「わたしは防衛省の長期取材を開始してから、過去数年間の主要なニュースはすべて遡(さかのぼ)りました。それなのに、飛行中の酒気帯びなんて重大事故が報道されていないのはどういうことですか?」
     口調はすっかり詰問になっている。鷺坂はにやにや笑いながら「そりゃあ報道されてるわけがないでしょう」と答えた。
    「どういうことですか!? まさか隠蔽(いんぺい)では」
    「あの、待って!」
     空井は思わず遮った。稲葉リカがじろりと空井を振り返る。うわもうこの子恐いよ、と内心では腰が退(ひ)けまくりだが、とにかく誤解を解かねばならない。
    「ご質問の件ですが、原因は、運転手の酒気帯びとスピード違反と信号無視です。赤信号ギリギリで突っ込まれて……」
    「は? だからそれが隠蔽されていることが……」
     なるほど、飛行場に信号機がないというところから説明しないと分からないレベルか。空井は更に手で待ったをかけた。気分は逸(はや)る犬にマテをするのと変わらない。
    「交通事故です」
     初めて稲葉リカが目をしばたたいた。
    「交通事故。車に撥(は)ねられました」
     もう一度重ねると、稲葉リカの頰が見る見るうちに真っ赤になった。〉

     サツ廻りを担当していた報道記者時代のクセがまだぬけていないのか、スクープを狙ってガツガツしている若手。加えて――かなりの自衛隊嫌いだ。それにしてもここまで露骨だと傷つくよ、内心つぶやいた空井ですが、その数日後、長期取材企画の相談に来た稲葉リカが放った一言に、にこやかに対応していた空井がキレてしまいます。

    〈……そうだ、航空学生に密着する長期企画はどうでしょう? いろいろドラマがあるんですよ」
    「興味ありません」
     すげない返事に思わず向き直ると、稲葉リカはいつのまにやら険しい顔だ。
     あれ、何かまずいことを言ったかな、と眉間(みけん)に立ったシワに戸惑っていると、稲葉リカは狷介(けんかい)なシワに負けず劣らず狷介な声音(こわね)を吐いた。
    「だって戦闘機って人殺しのための機械でしょう? そんな願望がある人のドラマなんか、何でわたしが」
     ──脳に言葉の意味が届くまでひどく時間がかかったような気がする。
     届いた、と同時に脳細胞が沸騰した。
     人殺しのための機械でしょう? ──人殺しの機械に乗りたい人なんでしょう?
     ──何で俺たちがこんなこと言われなきゃならない、
     人を殺したい、なんて、
    「……思ったこと、一度もありませんッ!」
     竦(すく)み上がった稲葉リカの揺れた肩で、自分が随分大きな声を出したことに気がついた。
     バタバタとけたたましい足音がして比嘉がブースに駆け込んでくる、だが俄(にわか)には煮えた思考が止まらない。
    「俺たちが人を殺したくて戦闘機に乗ってるとでも、」
    「空井二尉!」
     比嘉に肩を押さえられ、更にそれを押しのけて稲葉リカに乗り出すと、脳天にガツンとげんこつが落ちた。
    「アホッ!」
     見上げると乱入してきた片山である。
    「お客様に何て口の利き方だ! 来い!」
     まるで猫の子でもつまむように襟首(えりくび)を摑まれ、空井は応接室から引きずり出された。〉

     報告にきた空井に対し、鷺坂室長が言ったことは一つ――暴論を黙って聞いてちゃいけない、腹を立ててもいい、ただ、その正論を怒鳴っちゃ駄目だ、ということだった。

    〈「広報は自衛隊を理解してもらうために存在してる。不本意なことを言われるのは広報の努力が足りてないせいだ。パイロットである空井大祐が『何でこんなことを言われなきゃならないんだ』と思うのは当然だ。だが、広報官の空井大祐は同じことを聞いて思うことが違わなきゃならん」(中略)
     もう過去のことにしなくてはならないパイロット時代の仲間のことが思い浮かんだ。
     彼らに、自分が今日聞いたような言葉を聞かせてはならない。いざというときが来ないことを願いつつ、いざというときのための練成に励む彼らは、無駄に終わらねばならない訓練に命を懸けて臨んでいる。かつての自分と同じように。
     駄賃がむごい言葉ではあんまりだ。
    「──励みます」〉

     このとき、空井は初めて「元パイロット」として――パイロットではなく、広報官なのだと一歩、踏み出しました。ブルーインパルスの内示を得た直後の不慮の事故によって夢を絶たれてもまったく荒れることなく、感情をあらわにすることもなく、能面のような表情で周囲を心配させていた空井ですが、自衛隊嫌いの稲葉リカとの接触で感情を爆発させ、新たな仕事に前のめりになっていくきっかけを掴んだ。
     一方の稲葉リカ――彼女もまた、不本意な配置換えでモチベーションは下がりっぱなしです。それだけでなく、なんで私が自衛隊などという日陰の存在の担当をやんなきゃならいのか、と空自広報の面々に対して八つ当たり的に挑発発言を繰り返していた。その延長線上で新任の空井から怒鳴り返された。いきなり横っ面を張られたような気がした。

    〈自分は記者としてではなく、稲葉リカ個人として、空井大祐という個人をこれほどまでに傷つけたのだという事実に気がついた。これくらいの反発は慣れていると思っていたが、報道という大義名分を剝ぎ取られた状態で受け止める怒りは衝撃が違った。それは自分が加害者になった衝撃だ。
     好んで人を傷つける者は卑しい。だが、自分は空井に対してそういうことをしたのだ。配慮を厭(いと)って、好んで人を傷つけたのだ。〉

     数日後、どの面下げてと気は重かったが、稲葉リカは空井を訪ねた。空自広報室からドラマの撮影協力を取りつけるよう古参ディレクターから頼まれたのだ。一悶着があってまだ3日とたっていない。しかし、その日の空井は人が違ったように意欲的に見えた。同じ場面を経て、自分はまだうだうだしているのに、空井はもう立て直している。
     月曜9時からの社会派ドラマ。必要なのはCH-47(ヘリ)を1機。ただし撮影は1週間後――リカが持ちこんだ企画は十分すぎるほど魅力的だったが、1週間後の撮影は絶対に無理・・・・・・誰もがそう思う。
     しかし話を聞いた鷺坂室長は「断る理由なし」と大乗り気で、その場で広報班あげての対応が始まります。元戦闘機パイロットの空井大祐広報官と元報道記者の稲葉リカ・ディレクターの〝初仕事〟です。「30歳を前にして余生」を脱して、二人は前のめりに歩き出します。あっちにぶつかり、こっちでつまずきながらも、いつしか目標に向かってまっすぐの歩みとなっていきます。
     有川浩らしい、前のめりの成長物語。第148回(2012年下期)直木賞候補作に選ばれましたが、「自衛隊」の描き方についての問題指摘があって、選考委員の評価は思いの外厳しいものでした。そのなかで、宮部みゆきさんは「予想外に厳しい評価があって、私もちょっと戸惑いましたが、誰が読んでも楽しく、温かい気持ちになる作品であることは間違いありません。多くの読者の支持が、確かにそれを裏付けています。」とエンタテインメントとしての面白さを高く評価しました。

     空井とリカの後日譚として付け加えられた最終章「あの日の松島」。ブルーインパルスの母基地である航空自衛隊松島基地は3・11で大きな痛手を受けました。松島基地の、そして空自広報の3・11に触れないまま本を出すことはできないという著者の意向で出版を遅らせてまで書き加えられた、特別な最終章です。
     有川浩は、あとがきに、
    〈一番悲しみの溢れる場所へ赴いて、彼らはその地の悲しみに立ち会うのです。
     しかし、彼らは決して当事者のような顔をしません。立ち会っているだけだから悲しむ資格はないと自分の涙を詫びるのです。
     一体何という清廉(せいれん)な人たちに私たちは守られているのだろうと思います。〉
     こう書き、だから「あの日の松島」では、稲葉リカにそんな彼らをただ見てきてもらうことにしたと続けています。
     等身大の彼ら――私たちは幾度もの〝有時〟にその姿を目の当たりにしてきたはずです。日航機が墜落した御巣鷹山山中(1985年8月)、阪神・淡路大震災の焼け跡(1995年1月)、3・11(2011年)東日本大震災、大津波、原発事故によって壊滅状態となった東北の各地、そして今年(2016年4月)震度7の大地震が襲った熊本……覚悟を持って黙々と働く彼らの姿を目にしてきました。しかし、その覚悟がどんなものであるのか、どのような思いを秘めて彼らは悲しみの地に立っているのかを理解していたとはいえません。
     そのことを本書は訴えています――彼らの有時に対する覚悟があって、私たちの日常があるんだということが身に染み、なんだか心が温かくなってきます。有川浩が清廉な人たちに寄り添うように書きあげた『空飛ぶ広報室』は、そんな不思議な力をもった一級のエンタテインメント作品だ。(2016/6/3)
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    投稿日:2016年06月03日