書籍の詳細

1986年の巨大原発事故に遭遇した人々の悲しみと衝撃とは何か。本書は普通の人々が黙してきたことを、被災地での丹念な取材で描く珠玉のドキュメント。汚染地に留まり続ける老婆。酒の力を借りて事故処理作業に従事する男、戦火の故郷を離れて汚染地で暮らす若者。四半世紀後の福島原発事故の渦中に、チェルノブイリの真実が蘇える。(解説=広河隆一)2015年ノーベル文学賞受賞。

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チェルノブイリの祈り-未来の物語のレビュー一覧

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  •  圧倒される思いで、一気に読み終えました。
     2015年ノーベル文学賞受賞のスベトラーナ・アレクシェービッチの『チェルノブイリの祈り 未来の物語』(岩波現代文庫)は、いま、私たちが読むことのできるドキュメンタリー文学の最高峰に位置する一冊です。
     著者のアレクシェービッチは、1948年ウクライナ生まれ、国立ベラルーシ大学卒業のジャーナリスト。第一作は第2次世界大戦に従軍した女性を取材した『戦争は女の顔をしていない』(群像社)。第二作『ボタン穴から見た戦争』(群像社)は、第2次世界大戦のドイツ軍占領侵攻当時、子どもだった人びとの等身大の体験談を聞き取った労作です。このほか、帰還兵やその家族の証言を積み重ね、ソ連のアフガニスタン侵攻の隠された真相を明るみに出した『アフガン帰還兵の証言』(日本経済新聞社)が邦訳されています。電子書籍版がまだないなかで、本書『チェルノブイリの祈り』が、アレクシェービッチの著作電子版第1号として、ストックホルムで行われるノーベル賞授賞式(12月10日)を間近に控えた12月4日にリリースされました。

     1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所(旧ソ連。現在のウクライナ)でメルトダウン(炉心溶融)、爆発の原子力事故が発生。国際原子力事象評価尺度で最悪のレベル7に分類され、世界最大の原子力事故となりました。
     事故発生から11年――1997年に本書『チェルノブイリの祈り』が発表されました。被災地を歩き、原子力事故を直接体験した人びとへのインタビューを重ね、チェルノブイリ後を生きる人びとを見つめ続けたジャーナリストが10年あまりの時を経て紡ぎ出した言葉の束は、「チェルノブイリで何があったのか、そしてその後人びとはどんな事態に遭遇することになるのか」を見事に浮き彫りにしました。これは、私たちの未来の物語です。

     チェルノブイリ原子力発電所で爆発が起きた、その時――真っ先に出動した消防士、故ワシーリイ・イグナチェンコの妻リュドミーラ・イグナチェンコのモノローグ(独白)から、このドキュメンタリーは始まります。

     著者は、消防士の妻の証言に〈孤独な人間の声〉という見出しをつけました。

    〈なにをお話しすればいいのかわかりません。死について、それとも愛について? それとも、これは同じことなんでしょうか。なんについてでしょう?
     私たちは結婚したばかりでした。買い物に行くときも手をつないで歩きました。「愛しているわ」って私は彼にいう。でも、どんなに愛しているかまだわかっていませんでした。考えてみたこともなかった。私たちは夫が勤務している消防署の寮に住んでいました。二階に。寮にはほかに若い家族が三家族いて台所は共用でした。一階には車が止まっていた。赤い消防車。これが夫の仕事です。(中略)
     夜中に外がざわついていた。窓からのぞいてみたんです。夫は私に気づいた。「換気窓を閉めておやすみ。発電所が火事なんだ。すぐにもどるよ」
     私は爆発そのものは見ませんでした。炎を見ただけ。なにもかも光っているようでした。空一面が。高く燃えあがる炎。すす。ひどい熱気。夫はいつまでたっても帰ってこない。すすはアスファルトが燃えたためです。発電所の屋根はアスファルトでおおわれていましたから。タールのなかを歩いているようだったと、あとで話してくれた。炎をたたき消し、燃えている黒鉛を足でけりおとした・・・・・・。夫たちは防水服をきないで行きました。シャツ一枚のまま出動したのです。警告はなかった。ふつうの火事だと呼び出されました。〉

     4時、5時、6時になっても消防士の夫は妻のもとへ帰ってきません。そして、7時――。

    〈七時に夫が病院にいると教えられました。私は病院へ走りましたが、病院のまわりはすでに警官に囲まれていてだれも通してくれない。救急車だけが入っていく。警官がどなっていた。「車は計器がふりきれるほど汚染されてるから近寄らないでくれ」。私だけではありません。その夜、自分の夫が発電所にいた妻たち全員がかけつけていました。私はこの病院で働いている顔見知りの女医を大急ぎでさがしました。車からおりた彼女を見つけ、白衣にしがみつきました「なかに入れて!」「だめよ! 容体が悪いわ。彼ら全員が悪いの」。私は彼女をつかんだまま「ひと目でいいの」「しかたないわね、一五分か二〇分よ。さあ、急いで」
     夫に会いました。全身がむくみ、腫れあがっていた。目はほとんどなかった。「牛乳が必要よ。たくさんね。全員が三リットルずつ飲めるくらいたくさんいるわ」と彼女。「でも、夫は牛乳を飲まないのよ」「いまは飲むわ」。この病院のほとんどの医者、看護婦、特に看護員はこのあと病気になり亡くなります。でも、このときはだれもそんなことは知りませんでした。〉

     深夜、道路に何百台ものバスが並び、町が疎開の準備を始めるなかで、チェルノブイリの消防士たちは特別機でモスクワの病院に連れていかれました。
     シュキンスカヤ通りの第六病院特別放射線科。

    〈彼は変わりはじめました。私は毎日ちがう夫に会ったのです。やけどが表面にでてきました。くちのなか、舌、ほほ。最初に小さな潰瘍ができ、それから大きくなった。粘膜が層になってはがれ落ちる。白い薄い膜になって。顔の色、からだの色は、青色、赤色、灰色がかった褐色。でもこれはみんな私のもの、私の大好きな人。とてもことばではいえません。書けません。(中略)
     会話の断片が記憶に残っています。だれかが忠告してくれた。「忘れないでください。あなたの前にいるのはご主人でも愛する人でもありません。高濃度に汚染された放射性物体なんですよ。あなた、自殺志願者じゃないんでしょ! 冷静におなりなさい!」。私は気がふれたように「彼を愛しているの、愛しているの」とくりかえすばかり。彼が眠っている、私はささやく「愛しているわ」。病院の中庭を歩きながら「愛しているわ」。便器を運びながら「愛しているわ」。以前のふたりのくらしを思い出していました。消防署の寮での生活。夜、私の手を握らないと彼は眠りませんでした。それが彼のくせ。眠っているとき、私の手を握っているんです。一晩じゅう。
     病院で彼の手を握るのは私。はなしませんでした。〉

     仕事仲間2人の埋葬に一緒に行って欲しいと彼らの妻から頼まれたリュドミーラが墓地に行っていた間に、消防士の夫が亡くなりました。病院での最後の2日間――壮絶な死でした。

    〈全員集まりました。夫の両親、私の両親。モスクワで黒いスカーフを買ってきました。私たちの応対をしたのは非常事態委員会で、だれに対しても同じことをいうのでした。「ご主人」、あるいは「ご子息」の「遺体はおわたしできない。遺体は放射能が強いので特殊な方法でモスクワの墓地に埋葬されます。亜鉛の棺に納め、ハンダ付けをし、上にコンクリート板がのせられます。ついては、この書類にご署名願いたい」。憤慨して棺を故郷に持ち帰るといいだす人がいても、説きふせられてしまうんです。あなたのご主人は英雄であり、もう家族のものではない。国家的な人物で、国家のものなんですと。
     霊柩車に乗りました。親戚一同と軍人。(以下略)〉

     「遺体は渡せない」夫を失った妻の証言に社会主義体制下における国家と個人の問題が露呈しています。
     未だかつて経験したことのない放射能汚染にどう対処していけばいいのか。300人を超す人びとへのインタビューは、その実相を、人びとの悲しみを描き出しました。
     召集されてミンスク郊外に駐留した化学技師(修士)。ウオッカが放射線に効くと信じて、6日間ウオッカを多めに飲み続けた。手に持たされたのはシャベルだけだった。
     事故処理作業者のアレクサンドル・クドゥリャーギンは、作業実態を風刺するアネクドート(小話)を語りました。
    〈アメリカ製のロボットが屋上に送りこまれました。五分間仕事をしたら、ストップ。日本製のロボットも五分間仕事をして、ストップ。ロシア製のロボットは二時間仕事をしています。無線機で指令がとびます。「兵士イワノフ、二時間後に下におりて一服してよろしい」。はっはっは!〉

     事故処理作業に投入された部隊はぜんぶで210部隊、およそ34万人。放射線値が高いところでは電子回路が故障するため、いちばん頼りになる〈ロボット〉は兵士だったという。軍服の色から、〈緑のロボット〉と呼ばれた。崩壊した原子炉の屋根を通りすぎた兵士は3600人――ロケット技師で、共和国連盟「チェルノブイリに盾を」副理事長のセルゲイ・ワシーリエビッチ・ソボリョフの証言です。

     チェルノブイリ後の世界。そして3.11フクシマ後の世界。本書を読み進めていくとき、浮かびあがってくるのは、その重なり合う状況です。
     日本語翻訳者の松本妙子さんは、「訳者あとがき」で著書が住むベラルーシで本書の出版計画が突然取り消されたことを指摘したうえで、〝独裁者〟ルカシェンコ大統領の次のような発言を紹介しています。
    「ベラルーシにはチェルノブイリの問題は存在しない。放射能にさらされた土地は正常で、ジャガイモを植えつけることができる」
     東京オリンピックのプレゼンテーションの際、「The situation is under control」と世界に向かって胸を張った〝一強〟安倍晋三首相の「フクシマ論」が通底していることに気づかされました。
     3.11から4年――私たち日本人が、いま読むべきノーベル文学賞受賞作家によるドキュメンタリー文学の最高傑作です。(2015/12/11)
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    投稿日:2015年12月11日