書籍の詳細

「ジャーナリスト湛山の真価を知るようになったのは1990年代以降の日本のいわゆる『失われた時代』を経て、日本のガバナンスの不具合を痛感してからのことである。バブルが崩壊し、不良債権処理につまづき、経済停滞が慢性化する。財政が危機的状況に立ち至り、金融が十分に機能せず、デフレが深まる。中国の台頭と挑戦で国民が動揺する。少子高齢化と人口減少が社会と企業にのしかかり、世代間公正が揺らぎ、所得格差が拡大する。ネット革命に伴うメディアの変質も手伝ってポピュリズムとナショナリズムが激化する。3・11大震災と福島原発危機。民主党政権メルトダウンと政党デモクラシーの揺らぎ。そして、安倍政権とアベノミクスの登場……。湛山が私たちの同時代に生きていたとしたら、それらのテーマをどう考えただろうか。私は、湛山の言葉にもう一度、しっかりと耳を傾け、そして語りかけたくなった。『石橋湛山全集』のページをめくって、声を上げて原文を読む。ジャーナリスト湛山の肉声に耳を澄まし、その奥にさわだつ思想の息吹に触れてみる。そして、平成の『失われた時代』と第一次世界大戦と第二次世界大戦の『両大戦間』の『失われた時代』の2つの同時代の状況と課題を照らし合わせつつ、湛山の問題提起を切り口にして、私たちの時代の課題を考えてみる。」──本書「はじめに」より。石橋湛山(1884-1973)は大正・昭和期に東洋経済新報社主幹として活躍したジャーナリスト。自由主義的論説で知られ、戦後は政治家に転じ、首相も務めた。本書は、近代日本を代表するジャーナリストである湛山の論説から珠玉の70編を選び、現代日本を代表するジャーナリストである船橋洋一氏が、その時代背景、現代的意義を説く。

まだユーザーレビューはありません。最初のレビューを書いてみませんか?

湛山読本―いまこそ、自由主義、再興せよ。のレビュー一覧

絞込み条件
  • レビュアー絞込み
表示形式
  • 表示件数
  • 表示順
  • 「戦争放棄」を宣言した日本国憲法第9条を読んだのは、いつのことだったか。
    「第九条 【戦争(せんそう)の放棄(ほうき)、軍備(ぐんび)及び交戦権(こうせんけん)の否認】 日本国民は、正義(せいぎ)と秩序(ちつじょ)を基調(きちょう)とする国際平和を誠実(せいじつ)に希求(ききゅう)し、国権(こっけん)の発動(はつどう)たる戦争(せんそう)と、武力(ぶりょく)による威嚇(いかく)又は武力の行使(こうし)は、国際紛争(こくさいふんそう)を解決(かいけつ)する手段(しゅだん)としては、永久(えいきゅう)にこれを放棄(ほうき)する。
    ② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力(せんりょく)は、これを保持(ほじ)しない。国(くに)の交戦権(こうせんけん)は、これを認めない。」(講談社学術文庫『新装版 日本国憲法』より引用)

     2月3日衆議院予算委員会で、安倍晋三首相は「戦力の不保持」を宣言した第9条2項改正の必要性を明言しました。さらに、現行憲法を「占領時代につくられ、時代にそぐわないものもある」と指摘し、憲法改正を夏に予定される参議院選挙の争点化する姿勢を強く打ち出しました。安倍首相にすれば、〝一強体制〟のもとで念願の憲法改正を実現すべく一歩を踏み出したということでしょう。

     ここに一冊の本があります。船橋洋一著『湛山読本――いまこそ、自由主義、再興せよ。』(東洋経済新報社、2015年11月20日配信)。
    「湛山」――石橋湛山とは何者か。本書巻頭収録の「読者のみなさまへ」で著者は以下のように綴っています。

    〈石橋湛山(1884~1973)は戦前、『東洋経済新報』という経済週刊誌を中心に、政治、外交、財政、金融、社会、文化の多岐にわたって言論活動を行ったジャーナリストです。自由主義の立場から、時の政府の政策についてその是非を問い、鋭い論評を加え、自らの構想を掲げ、日本の進むべき道を大胆に示しました。
     その論説は時に当局の掲載差し止め処分を受けました。それでもめげずに第一次世界大戦から第二次世界大戦のいわゆる「両大戦間」の時期、軍国主義からファシズムへ、そして日中戦争から太平洋戦争へとなだれ込んでいく日本を何とか良識の淵へ引き戻そうと、筆だけを頼りに果敢に戦いました。湛山の最大の業績は、ジャーナリストのもっとも大切な役割である権力監視の仕事を最後まで貫徹したことだったと思います。〉

     一方、著者の船橋洋一氏は、ボーン・上田国際記念賞(1986年)、石橋湛山賞(1992年)、日本記者クラブ賞(1994年)を受賞した元朝日新聞社主筆。3.11フクシマ後の2011年9月に独立系シンクタンク一般財団法人「日本再建イニシアティブ」を設立、現在理事長を務める一方、旺盛な執筆活動を展開。日本を代表するジャーナリストの一人です。
     その船橋氏が、自由主義者・石橋湛山の著作(『石橋湛山全集』全16巻、東洋経済新報社。電子書籍未配信)を改めて斜め読みして、膨大な数の論説から70本を選び出してテーマ別・時代別に整理。自由主義の立場を貫いた湛山の論説を彼が生きた時代背景の中で読み解き、いまの時代に通ずる意味を探ったのが、本書です。
     2016年最大の論点となる「日本国憲法」について、石橋湛山はどう考えていたのでしょうか。日本国憲法は、昭和21年(1946年)11月3日公布、翌昭和22年(1947年)5月3日施行されました。11月3日が「文化の日」、5月3日は文字どおり「憲法記念日」として国民の祝日となっていることはご存知のとおりですが、石橋湛山はこの公布・施行時の吉田茂内閣の大蔵大臣として「憲法原本」に名を連ねています(副署)。船橋洋一氏は、『東洋経済新報』1946年3月16日号の社論「「憲法改正草案を評す 勝れたる其の特色と欠点」を取り上げています。

    〈今回の憲法改正草案要綱の最大の特色は、
     国の主権の発動として行う戦争及び武力に依る威嚇又は武力の行使を、他国との紛争の解決の手段とすることは永久に之を放棄すること
     陸海空軍その他の武力の保持を許さず、国の交戦権は認めない と定めた第二章にある。
     …
     これまでの日本、否、日本ばかりでなく、独立国であればどんな国であっても、未だかつて夢想したこともなかった大胆至極の決定だ。しかし、記者はこの一条を読んで、痛快極りなく感じた。
     …
     本当に国民が「国家の名誉を賭し、全力を挙げて此等の高遠なる目的を達成せんことを誓う」ならば、その瞬間、最早日本は敗戦国でも、四等、五等でもなく、栄誉に輝く世界平和の一等国、以前から日本において唱えられた真実の神国に転じるであろう。〉

     石橋湛山は日本国憲法の「戦争放棄」の考え方を「どんな国であっても、いまだかつて夢想したこともなかった大胆至極の決定」とし、「記者はこの一条を読んで、痛快極まりなく感じた」と胸をはっています。船橋氏は、解題してこう続けます。

    〈幣原喜重郎内閣は、1946年3月6日、憲法改正草案要綱を発表した。
     『朝日新聞』は「なんとなくサイズの合わない借りてきた洋服のようだ」としながらも、その内容を歓迎した。
     湛山も歓迎した。とりわけ戦争放棄条項を含む第9条に対しては「痛快極まりなく感じた」と手放しで歓迎し、これによって日本は「敗戦国でも四等、五等でもなく、栄誉に輝く世界平和の一等国」、いや、「真実の神国」に転ずるものだ、と気持ちを高ぶらせる。〉

     湛山が戦前から主唱してきた「小日本主義の時代」がいよいよ到来したというわけです。しかし、この敗戦後の出直し理想主義は5年後に勃発した朝鮮戦争によって挫折したとする船橋氏の分析――。

    〈国際政治は、いつの時代も、勢力均衡(バランス・オブ・パワー)を無視できないし、丸腰平和主義は、その意図する平和をもたらすよりはむしろ力の真空地帯を生み出し、かえって不安定要素となりうる。
     戦後、米国、欧州、日本を中心に自由で開放的な国際協調主義体制(リベラル・インターナショナル・オーダー)とそれを裏打ちする同盟体系が、冷戦の平和を支え、冷戦後の、さらには21世紀の国際秩序の骨格を形成してきた。
     その中で、日本は非軍事中心のグローバル・シビリアン・パワーとして、世界の安定と平和を下支えしてきた。その意味で、湛山の戦前の小日本主義構想は戦後のブレトン・ウッズ体制の下、グローバル・シビリアン・パワーとして開花したといえなくもない。(中略)
     しかし、平和憲法が規定する「紛争の手段としての軍事力の否定」の制約に加えて、日米同盟が組み込んでいる軍事一国主義の制約もまた自制力を内蔵している。alliance(同盟)の語源はラテン語であるが、それは本来「縛る」を意味する言葉である(当然のことながら、日米同盟は日本だけでなく米国をも縛る)。その自制力が、安全保障の鬼門である「囚人のジレンマ」(引用者:ここでは省きますが、本書には丁寧な解説の注がついています。ご参照ください)を克服する上で役立つし、「静かな抑止力」を強化する上でも効果的であるだろう。
    「静かな抑止力」とは、対話による信頼関係の構築を絶やさず、それぞれが相手の譲れない一線である〝レッドライン〟を含む状況認識を共有することで、双方の過剰反応、とくにナショナリズムを惹起させずに、攻撃力の行使を自制、抑止させることである。それは、いかに上手に軍事力を使わずに平和を保つかの理論であり、実践に属する(日本再建イニシアティブ・日米戦略ビジョンプログラム『静かな抑止力』)。
     それでもなお、日本は、アジア、とりわけ中国と韓国との確かな信頼関係を築くことができていない。
     それが共通の戦略的状況認識の形成を妨げている。そして、そこには歴史問題の深い溝が横たわっている。〉
     日本とアジア諸国との間の深い溝とは、明治維新以降の歴史を顧みてはじめて理解できるのではないかと、船橋氏は続けます。

    〈明治元年の1868年から敗戦の1945年の間に、日本は10の戦争を繰り返してきた。そのうち一つ(太平洋戦争)を除いて、すべてアジアの諸国の犠牲を伴った戦争だった。日本は、その歴史的事実に目を背けてはならない〉

     いま、日本に求められているのは、自由主義的気質を湛えた政治的リーダーシップ――石橋湛山を読み返して、船橋洋一氏はそう訴えています。

    〈1960年の安保闘争後、「寛容と忍耐」をスローガンとして登場した池田勇人内閣以降の歴代自民党政権は、20世紀末の小渕恵三政権までは、貧富の差や世代間対立を和らげ国民を広く統合することを目指した中道保守だったと言ってよい。
     自民党はその「戦後保守」の正の遺産を継承し、より深く根付かせなければならない。〉(2016/2/12)
    • 参考になった 2
    投稿日:2016年02月12日