明仁天皇と平和主義

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天皇陛下の平和を希求する強い気持ちは、どこに源流を発しているか──膨大な文献と証言から、ご誕生からの歴史的、個人的事蹟を丹念に読み解き、「人間」としての天皇の自己形成の道程をたどる。果てしない慰霊の旅と祈りの原点とは。

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天皇陛下の平和を希求する強い気持ちは、どこに源流を発しているか──膨大な文献と証言から、ご誕生からの歴史的、個人的事蹟を丹念に読み解き、「人間」としての天皇の自己形成の道程をたどる。果てしない慰霊の旅と祈りの原点とは。

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書籍の詳細
  • 書籍名: 明仁天皇と平和主義
  • 著者名: 斉藤利彦
  • eBookJapan発売日: 2015年07月15日
  • 出版社: 朝日新聞出版/文芸
  • 電子書籍のタイプ: リフロー型
  • ファイルサイズ: 26.9MB
  • 関連ジャンル: 専門書 歴史
  • 対応デバイス: WindowsMaciPhoneiPadAndroidブラウザ楽読み

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書店員のレビュー

『明仁天皇と平和主義』(斉藤利彦著、朝日新聞出版刊、2015年7月15日配信)に、天皇と皇后のある行動――“公務”の一端が紹介されています。2011年3月11日、東日本大震災と福島原発事故の直後、計画停電が実施された時のことです。

〈一四日には、前述の「平成二三年東北地方太平洋沖地震に関する天皇皇后両陛下のお気持ちなど」が表明される。
 そこでは、震災の被害にともない各地で計画停電が実施されたが、その対象外となった千代田区の皇居においても、自発的に「停電の時間帯に合わせて……電力使用を停止する」ことが述べられている。
 この皇居の「自主停電」について、報道は次のように伝えている。
<15日は午後3時半~5時半、16日は午後零時半~2時半、17日は午前9時半~11時半と午後5時~7時……。この間、ブレーカーを落とし、照明も、暖房も消える。1回2時間。暗い部屋で寒さをこらえ、夜の場合はろうそくの灯で夕食をとられている>(読売新聞二〇一一年四月三日付)
 自主停電は「計画停電」の解除後も、皇居では五月まで続けられた。〉

 川崎市北部にある私の自宅エリアも計画停電の対象外でした。その幸運に安堵しつつも、いったいいつまで続くのか不安な日々をおくったことは今も鮮明な記憶として脳裡に刻まれています。その間――「計画停電」が解除された後も――皇居の天皇と皇后は「自主停電」を続けていた。象徴天皇として何をなすべきか。明仁天皇と美智子皇后の姿勢は明瞭に思えます。震災から3日たった14日に発表された「お気持ち」にはこうありました。再び、同書から引用します。

〈次いで、「現下の大災害に関連する諸々の対応に忙殺されている警備当局に更なる負担をかける結果にならないように配慮」し、「適切なタイミングを選んで、被災した人々を慰め、また救援活動に従事している人々を労うなど、いわば人々の心の支えになれ」るような行動を行うことが表明された。
 この、「人々の心の支えになれる」ようにという姿勢は、国民との共苦の意志として天皇と皇后の行動を一貫して貫くものである。〉

 例年この時期に行われていた園遊会などの各種催しの中止が発表され、そして震災発生から5日経過した時点から、救援活動に携わる専門家による説明を受け始めます。
 3月17日 日本赤十字社社長、副社長
 3月18日 海上保安庁長官
 3月23日 日本看護協会会長
 3月24日 日本看護協会副会長
 3月28日 東京大学付属病院院長
 3月30日 外務事務次官
 4月1日 防衛大臣、統合幕僚長
 4月4日 文部科学省研究振興局長、京都大学名誉教授、名古屋大学医学部保健学科教授、学習院大学理学部化学科教授
 4月12日 東京工業大学原子炉工学研究所所長
 この後も専門家による「ご説明」や「ご聴取」が続くのですが、そこに著者は〈傍観者としてではなく、自分自身が状況を深く客観的に理解し、その上で「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていく」ことを志向する意志〉を読み取ります。

 そうして3月30日、4月8日、4月11日と立て続けに首都圏に避難している被災者への慰問・交流を行った天皇と皇后は、4月14日、千葉県旭市を皮切りに被災現地への訪問を開始します。
 茨城県北茨城市(4月22日)、宮城県東松山市・南三陸町・仙台市宮城野区(4月27日)、岩手県花巻市・釜石市・宮古市(5月6日)、福島県須賀川市・玉川村・福島市・相馬市(5月11日)。当初5月2日に予定されていた岩手県訪問を、強風のため自衛隊ヘリが飛べず6日に延期するなどの紆余曲折はありましたが、3月30日の東京の避難所訪問を含めて、7週連続で行われた天皇と皇后の被災者慰問――。
 著者の以下の指摘には、多くの人が肯(うなず)けるのではないか。

〈理念は言葉でも語ることができる。しかし、それを本当に示すものは行動である。未曾有の大災害に直面し、明確なマニュアルのない中で、天皇が課題としたことは何であったのか。
 まずは、被災者や現地を訪問する日程の中に、意志があらわれている。それは、すべて日帰りで被災地を訪れる強行軍の日程であった。
 宿泊をすれば日程に余裕はあるものの、宿舎にまた警備が必要になり現地の人びとに負担をかけるという配慮があった。また、一週間をおかずに現地を訪問しており、七〇代後半(七七歳、七六歳)の高齢の二人が通常組む旅程でないことは明らかである。(中略)
 天皇は、被災の現地ではマイクロバスや時にはレンタカーを使用して移動するという、強行軍を貫いた。
 福島への訪問が一番後になったのは、福島原発の状況を判断する必要があったからである。それでも、原発に近接する相馬市、そして相馬港と原釜を訪問している。
 四月二七日は、甚大な津波の被害を受けた南三陸町で、約二〇〇人が避難する歌津中学校を訪れ、仙台市では約二七〇人が避難する宮城野体育館を見舞った。
 五月六日の釜石市では、九八人が避難生活を送る石中学校を訪れ、宮古市の避難所では一一六人が避難する宮古市民総合体育館を慰問した。
 津波で大きな被害を受けた地区では、黙礼して犠牲者に哀悼の意をささげ、避難所ではできるだけ多くの被災者の話を聞き、床に膝をつき、時に正座し、被災者の話に耳を傾けた。
 また、家族が行方不明のままの被災者や、福島第一原発事故で避難した人々に対して慰問を行った。
 ところで、この場合に限らず、こうした人びとや子どもたちに声をかけ、差し出す手を握り、寝ている老人の枕元まで膝をつきながら行くという二人の行為に、「何もあそこまで」と言う宮内庁幹部もいるという。
 文芸評論家の江藤淳は、阪神・淡路大震災の現場で見舞う両陛下に、こう苦言を呈した。〈何もひざまずく必要はない。被災者と同じ目線である必要もない。現行憲法上も特別な地位に立っておられる方々であってみれば、立ったままで構わない。馬上であろうと車上であろうと良い。〉
 しかし、天皇と皇后が自らの意志で行った、こうした行為こそが、二人の真情を率直にあらわしているのではないだろうか。誰も、人間の真摯で率直な行為を止めることはできないのである。〉

 明仁天皇、そして美智子皇后にとって、“公務”とは、このような行為、行動を含むものなのだ。47歳の誕生日を前にした記者会見で「ご自分に厳しすぎるのではないか」と問われて〈ただ自分に忠実でありたいという気持ちは持っていますけどね。それ以外厳しくしているとは全然思っていません〉と述べた皇太子時代から一貫するその姿勢は自然体で、無理がない。
 戦後70年の2015年(平成27)初め、天皇は年頭所感で4月のペリリュー島訪問を念頭に〈この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています〉と述べました。ペリリュー島では、1944年9月から2か月間、日本軍とアメリカ軍との間で激戦が繰り広げられ、日本兵の戦死者は1万人を超え、生還者はわずか34人。アメリカ側の戦死者も1,700人を超えた。日本から約3,000キロ離れた南太平洋パラオ諸島のペリリュー島へ。天皇と皇后が長年にわたって強く求めてきた鎮魂の旅――慰霊碑の前で深く静かに頭を下げ拝礼する天皇と皇后の姿が目に焼きついています。
 明仁天皇の、強い平和への思いはどこからきたのでしょうか。著者は、幼少期の時代状況について語った即位10年の記者会見(1999年)に注目して以下のように書いています。

〈一九三七(昭和一二)年には「日中戦争」(「盧溝橋事件」)が引き起こされ、さらには四一年からの「大東亜戦争」へとなだれ込んでいく。
 こうした幼少期の時代状況について、後に明仁天皇は一九九九(平成一一)年の「天皇陛下ご即位十年に際し」ての記者会見で、次のように述べている。
<私の幼い日の記憶は、三歳の時、昭和一二年に始まります。この年に盧溝橋事件が起こり、戦争は昭和二〇年の八月まで続きました。したがって私は戦争の無い時を知らないで育ちました>
 このように、明仁天皇の幼少期は、まさに「戦争の無い時を知らない」という時代の状況の下で始まったのである。〉

 明仁天皇が誕生した1933年(昭和8年)――日本は満州への軍事拡大をめぐり国際連盟を脱退し、世界からの孤立を鮮明にしていきます。この年に改訂された国定教科書は「日本は神国である」とうたい、日本を世界に冠たる特別な国家であるとし、天皇の神格化をいっそう推し進めたと著者は指摘します。プロレタリア文学不朽の名作『蟹工船』(岩波文庫版『蟹工船 一九二八・三・一五』、新潮文庫版『蟹工船・党生活者』)で知られる小林多喜二が治安維持法違反で検挙され、警視庁築地署で虐殺されたのもこの年であり、同じく治安維持法違反で受刑中だったマルクス主義経済学者、京都帝国大学教授の河上肇博士が明仁皇太子誕生を記念する恩赦によって5年の禁固刑を4分の1(1年3か月)減じられたのは、誕生の翌年1934年の紀元節(2月11日)のことです。ちなみに「紀元節」とは、日本書紀が神武天皇即位の日と伝える2月11日に基づいて明治政府によって制定された祝日で、戦後の1948年(昭和23)に廃止されましたが、安倍晋三首相の大叔父にあたる佐藤栄作政権の下で1966年(昭和41)に「建国記念の日」として復活しました。
 この時は紀元節復活への抵抗は根強く、提案と廃案を繰り返してようやく成立したのですが、今は安倍一強体制の下「共謀罪」の成立が時間の問題となっています。明仁天皇誕生の昭和前期の日本は、国内的には治安維持法を使って国民を監視、自由な言論を徹底的に弾圧。一方対外的には1937年(昭和12)の盧溝橋事件から「日中戦争」へ、そして1941年(昭和16)「大東亜戦争」へとなだれ込んでいきました。まるで現在の北朝鮮ではないか。そう思えてくるような国家の状況だったわけですが、明仁天皇の〈戦争の無い時を知らない〉との発言は、ただ「戦争状態かどうか」の意味にとどまるものではない――著者はそう指摘して、明仁天皇の「平和主義」をこう要約します。

〈最も重要な鍵となるのは、「平和の問題というものは、非常に関心のあるところです」と自ら述べているように、天皇が自己の体験の中から見いだしていった平和という価値の問題である。
 ここで、本書が用いる「平和」という概念は、単に戦争のない状態をさしているだけではない。国民が営む生活全体の平穏と安定の状態をさすものであることを確認しよう。例えば、命の尊厳、人権と民主主義の尊重、自然と環境の保全、国際親善、あるいは甚大な自然災害の下でも人びとが共に支え合い、復興の課題を見いだしていこうとする状態をもさしている。さらには、暴力による支配や権力の抑圧から解放され、国民が自由で安定した生活ができる状態をもさすものである。〉

 5月21日、毎日新聞一面トップに〈陛下 公務否定に衝撃〉〈有識者会議での「祈るだけでよい」〉〈「一代限り」に不満〉の見出しが躍り、退位特例法案を閣議決定したばかりの首相官邸、国会周辺に衝撃が走りました。昨年8月に天皇が退位の意向をこめたおことばを公表したのを受けて急遽退位に関する有識者会議が設置された。そこで保守系の専門家が、「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」として、被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀(さいし)だけを続ければ退位する必要はない」との主張を展開したことに、陛下が強い不満を感じている、宮内庁幹部は「陛下の生き方を全否定する内容」だとして、陛下の考えを首相官邸に伝えた――これがスクープ記事の主な内容です。
 退位特例法案は衆議院を通過しましたが、退位を一代限りのこととしつつ、官房長官が「将来の先例となりうる」と表明するという小手先の対応は、はたして天皇の希望することに正面から向き合ったものと言えるのでしょうか。
「戦争のない時を知らない」で幼少期を過ごした明仁天皇は、「平和」の価値――国民が自由で安定した生活ができる状態――を根底に据えて行動してきました。それこそが、自らが果たすべき公務なのだということを天皇は知りぬいているのです。

〈天皇は、戦争の記憶が絶対に忘れられてはならないという信念を、身をもってあらわしてきたといえる。その生涯を通じた哀悼の行動こそが、自らがいやおうなしに引き受けようとしたものを示している。そして、日本国憲法の下での象徴天皇の課題とは何かを、深く本質的につかみ得た姿がそこにはある。〉

 戦後日本社会は、いまかつてない岐路に立っています。日本国憲法の下で「平和」――自由で安定した生活――がありました。それを今後どうしていくのか。象徴天皇制の意味を見つめ直した本書『明仁天皇と平和主義』は、日本社会の将来を構想する際に重要な手がかりとなる一冊です。
 矢部宏治&須田慎太郎の写文集『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』(小学館、2016年1月15日配信)、2017年6月2日配信の小林よしのりの新刊『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論平成29年~増補改訂版~』(小学館、上・下)も併せてお読みください。(2017/6/9)
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