書籍の詳細

橋岡は「名簿屋」の高城に雇われていた。名簿屋とはオレオレ詐欺の標的リストを作る裏稼業だ。橋岡は被害者から金を受け取る「受け子」の手配も任されていた。騙し取った金の大半は高城に入る仕組みで、銀行口座には金がうなっているのだ。賭場で借金をつくった橋岡と矢代は高城に金の融通を迫るが…。一方で府警特殊詐欺班の刑事たちも捜査に動き出していた。最新犯罪の手口を描き尽くす問題作!

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勁草のレビュー一覧

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  •  第153回芥川賞・直木賞(2015年上期)の発表が2週間後の7月16日に迫りましたが、ちょうど1年前の2014年7月17日に『破門』で第151回直木賞に輝いた黒木博行が元気だ。色で老人を喰う裏稼業を描いた『後妻業』(文藝春秋)が筧千佐子による連続夫毒殺事件を彷彿させるリアティで評判ですが、今度はオレオレ詐欺集団の悪辣な実態を暴き出す『勁草(けいそう)』をリリース。「勁」は「頸」の省文と見られる「坙」を偏(へん)に旁(つくり)として筋力の意の「力」を加えた字です。頸部は人体で最も力の強健なところで、そこから「つよい」という意で用いられると、白川静『字通』(平凡社刊)にあります。風雪に耐える強い草を意味する言葉「勁草」を書名にもってきたところに、犯罪者集団に対する著者の観察眼、分析力の確かさが表れています。
    「オレオレ詐欺」の被害総額は年間560億円にのぼるという。繰り返される新聞報道をみていて、老人たちがいともたやすく多額の金を騙しとられてしまうのが理解できないでいました。被害者がちゃんとしてさえいれば、はんグレの若い男などにひっかかることなどありえない、むしろ被害を受ける側に社会常識の欠落があったためにつけ込まれてしまったのではないかとさえ感じていたのですが、黒川博行が描き出すオレオレ詐欺グループの実態は、そんな生やさしいものではありません。
     物語は、銀行の支店に女が入っていくところから始まります。

    〈あみだ池筋──。三協銀行立売堀(いたちぼり)支店に背の低い肥った女が入っていった。黒のジャケットにグレーのパンツ、肩掛けの赤いトートバッグも聞いていたとおりだ。
    「あれやな。井上幹子」
     高城(たかぎ)がいった。「行って、ほんまに金をおろすか見てこい」
    「おれ、三協銀行に口座持ってませんねん」
    「今日は木曜や。客はぎょうさんおる。番号札とって、ロビーの椅子に座っとれ」
     高城はさもうっとうしそうに、「あの女が金をおろしよったら、すぐに電話せい」
    「もし、おろさんときは」
    「そのまま、出てこんかい。目立たんようにな」〉

     そう広くもない店内は人でいっぱいだった。赤いトートバッグを膝に置いた女――井上幹子がカウンター近くにいるのを確認した橋岡は番号札をとり、シートの最後列に腰かけた。ロビーの案内係や窓口の行員に妙な動きはない。客の中に刑事らしき目付きのわるいのもいない。
     五分ほど待って女が窓口へ行った。出金依頼票と通帳を差し出す。高額の引出しなのだろう、窓口の端末機に暗証番号を入力している。
    〈橋岡は携帯の短縮ボタンを押した。 
     ──橋岡です。いま、手続きしてますわ。
     声をひそめる。
     ──行員とごそごそ話してるか。
     ──いや、普通に通帳出しました。長話もしてへんし、変なようすはないです。
     ──金を受けとるのを確認せい。
     ──五百万もの金をカウンターでは渡さんのとちがいますか。
     ──あほんだら。おまえが心配することやないやろ。金を受けとったと分かったらええんじゃ。〉

     膨らんだトートバッグを両手で持った井上幹子が銀行から出て来るのをコンビニの窓ガラス越しに見て、高城が橋岡に「電話せい」と命じます。

    〈──もしもし、井上です。
     ──岡田です。お金の用意、できましたか。
     ──はい。銀行でおろしました。
     ──五百二十万円?
     ──そうです。
     ──いま、どこにいてはります。
     ──立売堀です。三協銀行の前です。
     ──わたし、ちょっと都合がわるうなったんですわ。急な仕事が入って、取引先におるんです。勝手なこといいますけど、地下鉄の阿波座駅から千日前線に乗って、なんば駅で降りていただけませんか。
     ──岡田さん、祐介といっしょですか。
     ──いや、祐介くんは営業に出てます。今日は朝から神戸です。彼はほんと熱心ですよ。
     ──ありがとうございます。そういっていただけると一安心です。
     ──井上さん、難波の新歌舞伎座、分かりますよね。閉鎖して上本町に移転する前の。
     ──はい、よう知ってます。なんべんかお芝居を見に行きました。
     ──なんば駅から新歌舞伎座のほうに歩いてください。その前で会いましょ。
     ──時間は。
     ──十時半でどうですか。
     ──はい。十時半に。
     ──また電話します。わたし、黒のスーツに白のワイシャツ、水色のネクタイしてます。
     ──黒の背広に水色のネクタイですね。
     ──すみません。じゃ、お願いします。
     フックボタンを押した。幹子は携帯をバッグに入れ、阿波座駅のほうへ歩きはじめる。尾行がついている気配はない。
    「よっしゃ。おまえは尾いていけ。わしは車で難波に先まわりしとく」
     高城は雑誌を持ってレジへ行く。
     くそぼけ。ヤバいとこはみんなおれに振りくさる──。橋岡は舌打ちし、コンビニを出た。〉

     銀行から預金を下ろした井上幹子の行動の一部始終を見張りながら、すぐに接触するわけではありません。追尾する刑事がいないか見きわめるために接触場所何回も変更する狡猾さは、警察との攻防の中で身につけてきたものだ。しかも、高城にしても、その指示で動いている橋岡にしても、直接、井上幹子に接触して金を受けとるわけではありません。被害者から金を受けとる「受け子」は別に調達されます。詐欺話のストーリーを覚え込ませたうえで接触ポイントに連れて行く。受け子はいうまでもなく、検挙される危険性が高い。そのため、犯行グループの内部事情も知らされることなく、その都度の調達でまわされています。井上幹子から金を受けとる受け子として用意されたのは宇佐美という男。

    〈道頓堀──。幹子は戎橋のたもとで歩をゆるめた。周囲を見まわしながら、ゆっくり橋を渡っていく。
    「宗右衛門町でおばはんに追いつけ」
     宇佐美にいった。「後ろから呼びとめて『岡田です』といえ。金はバッグごともらうんやないぞ。このバッグに移すんや」
     ポケットから黒のビニールバッグを出した。広げて宇佐美に渡す。よし、行け──。背中を押そうとしたそのとき、視界の端にボーダー柄の服が見えた。ジップパーカだ。阿波座駅からなんば駅まで幹子と同じ車両に乗っていた若い男が、幹子の斜め後ろを歩いている。短いスポーツ刈り。肩幅が広く、背も高い。
     ジップパーカの周りに眼をやると、その前にグレーのブルゾンを着た中年男もいた。 あかん。刑事が囲んでる──。宇佐美の腕をつかんだ。
    「中止や」
    「えっ、ほんまですか」
    「おれもおまえも泳がされてる。おばはんから金を受けとった瞬間にアウトや」〉

     日当で雇われた受け子はいわば“トカゲの尻尾”です。受け子を捕まえても、集団の中枢には届きません。受け子のほか、電話をかけて騙す役の「掛け子」、金融機関から現金を引き出す「出し子」、受け子や掛け子を管理している「番頭」、出し子と受け子をスカウトする「リクルーター」、闇の携帯電話や架空口座を売る「道具屋」、多重債務者や株取引経験者、大手企業退職者といった名簿を売る「名簿屋」――業界ではこんな符牒で呼ばれる分業体制が成立していて、頂上の「金主」まで手を伸ばしたい警察としのぎを削っているというわけです。
     オレオレ詐欺集団と大阪府警特殊詐欺捜査班の苛烈な攻防は始まったばかりです。関西弁会話がベースとなった独特の文体で描かれる黒川博行の世界。あなたの隣に潜む悪から目を離せません。(2015/7/3)
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    投稿日:2015年07月03日