一路 (上)  (中公文庫)

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失火により父が不慮の死を遂げたため、江戸から西美濃・田名部郡に帰参した小野寺一路。齢十九にして初めて訪れた故郷では、小野寺家代々の御役目・参勤道中御供頭を仰せつかる。失火は大罪にして、家督相続は仮の沙汰。差配に不手際があれば、ただちに家名断絶と追い詰められる一路だったが、家伝の「行軍録」を唯一の頼りに、いざ江戸見参の道中へ!

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失火により父が不慮の死を遂げたため、江戸から西美濃・田名部郡に帰参した小野寺一路。齢十九にして初めて訪れた故郷では、小野寺家代々の御役目・参勤道中御供頭を仰せつかる。失火は大罪にして、家督相続は仮の沙汰。差配に不手際があれば、ただちに家名断絶と追い詰められる一路だったが、家伝の「行軍録」を唯一の頼りに、いざ江戸見参の道中へ!

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書店員のレビュー

 時は幕末、ペリー率いる黒船が浦賀沖に現れ、大老・井伊直弼が水戸浪士によって討たれた桜田門外の変が起きるなど、江戸の太平が終わり日本の歴史が大きく変わろうとしていた。
 騒然とした中で迎えた文久元年(1861年)の年の瀬――12月3日に西美濃(現在の岐阜県)に位置する田名部郡(たなぶごおり、架空地名)を出て、木曽路の妻篭宿(つまごしゅく)、野尻、天下四関の福島関所、奈良井宿、塩尻、下諏訪、沓掛、軽井沢、安中、深谷、桶川を経て12月14日に江戸入り――断崖絶壁の山道、峠越えの難所が連なる厳寒の中山道を12日で踏破しようという参勤行列を差配するのは、急死した父・小野寺弥九郎の跡を継いで算(かぞ)え19の若さで道中御供頭の大役に就いた小野寺一路。
 小野寺家は代々、西美濃田名部郡を領分とする交代寄合(こうたいよりあい)といわれる旗本・蒔坂(まいさか)家の道中御供頭を務めてきた家柄。御殿様である蒔坂左京大夫(さきょうのだいぶ)は、知行7千500石と万石格の大名ではないものの立場は大名並み。一般の旗本が若年寄支配に属するのに対し、交代寄合は大名と同じく老中支配とされており、江戸にあって登城する際にも大名に伍して帝鑑間(ていかんのま)や柳間(やなぎのま)に詰める、幕府直臣中の別格で、参勤の義務も負っています。
 別格扱いの交代寄合であることが、本書『一路』(上・下、浅田次郎著、中公文庫)で綴られる道中物語のもととなっているのですが、浅田次郎はその別格ぶりを次のように描いています。

〈蒔坂家の江戸屋敷がある本所界隈では、その戯れ歌を知らぬ者はない。
「吉良の殿さま 蒔坂さまは
 お供なくとも加州よりえらい
 松のお廊下しずしず渡れ
 ご無礼あれば お腹もの」 
 人を見た目で判断してはならぬ、という訓(おし)えであろうか。子供らに貴賎の別はないのだから、仲良く遊べという意味かもしれぬ。
 言うまでもなく「吉良の殿さま」とは、赤穂騒動の吉良上野介のことである。すっかり悪役にされてしまったが、かつては本所松坂町に屋敷のあった吉良上野介を、近在の人々は戯れ歌に托して身びいきをした。
 その吉良家はよく知られる通り、朝廷と幕府の間の礼式を司る高家の筆頭で、やはり旗本の中では別格である。小さな大名など歯牙にもかけぬという気位の高さが、松の廊下の刃傷沙汰を招いた。
 戯れ歌とはいえ、吉良上野介と蒔坂左京大夫が並び称されるというのは、まことに的を射ている。高家と交代寄合はその出自も格式もよく似ており、加賀百万石より偉いというのはいささか言いすぎにしても、それぞれの筆頭格たる両家が大名よりも権高であることにまちがいはなかった。
 騒動の末に吉良家は断絶となったのだが、今は昔の元禄の時分から、蒔坂家は同様の格式を矜っていたのである。
 しかしそうした格式も、二百五十余年の長きにわたれば災いとなる。たかだか七千五百石の知行で百人の家来を養い続け、あまつさえ隔年に参勤交代の行列を仕立て続けたのでは、返すあてのない借金が膨らむばかりであった。
 要するに蒔坂家には、金がない。〉

 江戸で生まれて、江戸で育った小野寺一路。国元にあった父が不慮の失火によって焼死し、屋敷も焼亡したため、国元に急ぎ戻り家督を相続することとなった。本来ならば、家禄召し上げとされてもやむを得ない不始末でしたが、参勤が差し迫っていたこともあって、父が務めてきた道中御供頭に任ぜられた次第です。しかし、家禄召し上げの危機は回避できたものの、それは仮の沙汰であって、参勤道中を無事差配できて初めて家名相続がかなうという厳しい条件つきです。
 父から参勤道中について何一つ聞いていない一路にとっては、絶望的な条件です。自分が腹を切らずに、家名が存続するなぞ、万にひとつもありえない・・・・・・。
焼け跡に駆けつけた一路に、祖父の代から小野寺家に仕えてきた下男の与平が泣きじゃくりながら漆が爛れ落ちた文箱を差し出した。仏壇のあたりにあったという文箱から出てきたのは、虫食いだらけの、いかにも時代を経た小冊でした。

〈家譜ではない。しかし飴色に変じた表紙の文字を読み取って、一路は目を疑った。
「元和辛酉歳蒔坂左京大夫様行軍録」
 辛酉(かのととり)といえば、文久元年の今年と同じ干支(えと)である。さては大坂夏の陣に参戦した際の行軍録であろうかと思ったが、表紙を繰ってふたたびわが目を疑った。
 
 御供頭心得
一、参勤交代之御行列ハ行軍也
 雖平時(へいじといえども) 戦備長長無怠可相務(いくさぞなえおさおさおこたりな くあいつとむるべし)
 御大将蒔坂左京大夫様
 御乗物御駕篭 但(ただし) 必ス御手馬御替馬二匹伴ヒ
 先達ハ東照権現様御賜之朱槍二筋
 軍役定メ御家来衆 五十徒士(かち)ヲ不下(くだらず)
 尚 殿軍ノ騎馬武者一騎
 御発駕期日厳守之事

 元和の昔といえば、家譜がないゆえ何代様かは知らぬが、将軍家が権現様以来十四代(じゅうしだい)を算えるのであるから、同じくらいの祖であろうかと思う。それはまさしく遥かなる祖の小野寺弥九郎が書き記した、参勤道中心得の一冊であった。おそらくは父も祖父も、この小冊を手本にして道中の御供頭を務めたのであろう。
「かたじけのうござりまする」
 一路は行軍録を頭上に捧げ持って、昏(く)れなずむ御陣下の雪雲を見上げた。〉

「参勤交代は戦場に馳せ参じる行軍だ」――200年を超えて小野寺家に受け継がれてきた行軍録にある通り、参勤交代の行列を古式にのっとった行軍に戻すことを決意した一路は、勘定役に賄料百両を申し出ます。勘定役から示された額は四十両でした。勘定役は亡き父の盟友、許婚の薫の父親です。

〈「こいというたらこい。家内がせっかく誂えた二人前の弁当じゃ」
「弁当などでごまかされませぬ。百両を賜りたい」
 勘定役は返す言葉のかわりに座敷を振り返った。そして乾いた唇を震わせて、しみじみと呟いた。
「弥九郎に生き写しじゃ。居ずまい佇い、物言いから梃でも譲らぬ一徹まで、うりふたつじゃな」
 一年ごとに江戸と国元に住もうていた父を、知らぬ人はおるまい。しかし勘定役の顔には父をよく知る人の近しさがあるように思えた。
「百両とは、また大きく出たものよ。五十徒士を揃えての行列とはわけがわからぬが、無策の御公辺を一喝するつもりとあらば、なかなか面白いではないか。弥九郎が達者なら、同じことを言い出したやもしれぬの」
「して、いかがなされますのか」
「人払いをさせておいて、わしのそばには寄りとうないか」
 一路は縁側ににじり寄った。膝前に並べられた重箱は、たしかに二人前である。それはほかの誰のためではなく、勘定役の奥方が一路のために誂えたような気がした。
「まず通例の賄料として五十両。勘定方の裏金から三十両。わしの懐から二十両。つごう百両を渡す。弥九郎めはことごとに、おぬしを天下一の倅ではのうて、天下一の武士にしたいと言うておった。あやつとは竹馬の友じゃによって、ただの親馬鹿であったか、それとも本心であったか見定めてみたい」
 一路はかたずを呑んだ。(中略)
「わしの申すことが信じられぬようじゃな」
「はい。とうてい信じられませぬ」
「ならば、おぬしをうつけ者というたわけを教えて進ぜよう」
「承ります」
「他人の屋敷の前で長々と頭(こうべ)を垂れ、あまつさえ童のごとく泣き出す馬鹿があるか。家内にまで貰い泣きをされたのでは、亭主のわしが命を張らぬわけにはゆくまい。この、うつけ者めが」
 一路は冴え返ったふるさとの空を見上げた。この国分様を晴れて岳父と呼べる日が、いつか来るのだろうか。〉

 前夜、薫を門前まで送ったときの様子を屋敷内にあって勘定役と妻はちゃんと見ていたのです。田名部郡に戻って以来、父の大罪ゆえか、自身を見る目の冷たさ、よそよそしさばかりを感じていた一路ですが、けっして孤立無援ではないことを知りました。

 命懸けの知ったかぶりで参勤道中の12日間を歩みきるしかないと覚悟していた一路は、遙かなる祖が遺していた行軍録を唯一の頼りとして江戸への参勤道中へ。待ち受けるは、中山道の難所、冬の荒天など自然との闘いだけではありません。行列の中にはお家乗っ取りを企む後見役・蒔坂将監(しょうげん)の意を受けたものも入り込んでいるようです。不手際があれば、ただちに家名断絶、許婚の薫をもらい受けることもかなわなくなります。
 初の道中御供頭の大役をつつがなく終えることができるのか。御殿様――蒔坂左京大夫は無事江戸入りを果たせるのか。自らの領分を、一人一人が力を尽くして守る。だから、「一生懸命」ではなく、「一所懸命」。一所懸命に生きる人を描く名手・浅田次郎による長編歴史小説の主人公、19歳の一路が決断を迫られる場面の一つ一つは、たとえば大プロジェクトを任された若手ビジネスマンが置かれた状況に重なり、読む者の琴線を刺激してきます。NHK・BSプレミアムで連続ドラマ化、7月31日放映開始です。(2015/7/24)
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