書籍の詳細

中学受験失敗から不登校になってしまった光司は、ライターの田村章に連れられ、被災地を回る旅に出た。宮古、陸前高田、釜石、大船渡、仙台、石巻、気仙沼、南三陸、いわき、南相馬、飯舘……。破壊された風景を目にし、絶望せずに前を向く人と出会った光司の心に徐々に変化が起こる――。被災地への徹底取材により紡がれた渾身のドキュメントノベル。

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希望の地図 3.11から始まる物語のレビュー一覧

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  •  重松清のドキュメント・ノベル『希望の地図 3.11から始まる物語』(幻冬舎)が文庫化され、同時に文庫版を底本にして製作された電子書籍版も新たにリリースされました。東日本大震災が日本を襲った2011年3月11日から半年たった9月13日付けから2012年2月10日付けまで夕刊紙『日刊ゲンダイ』に連載された作品が連載終了1ヵ月後の2012年3月に単行本となり、3年の月日を経て文庫化されたわけです。文庫化にあたって2011年の写真を配した巻頭カラー口絵に対置する形で「被災地」の2014年の姿を撮(うつ)した巻末カラー口絵と「四度目の春を前に――文庫版あとがきにかえて」と題する長文が書き加えられました。あの日から4年を迎える今、本書を改めて読者に届ける意味とは何か――。
     
     著者自身、こう記しています。
    〈文庫版というハンディな形に改められるのを機に、年少のひとにも読みやすいように、ルビを単行本版より多めに付けることにした。再読三読も、内容というより漢字のルビの確認が主眼となった。そのおかげで、単行本版のときには見過ごしていたことに気づいた。「目処(めど)」──目処が立つ/立たない、目処がつく/つかないの「目処」という言葉が、驚くほど数多く用いられていたのだ。
     もちろん、それは書き手として恥じ入るべき話である。語彙(ごい)の乏(とぼ)しさや、単行本版での推敲(すいこう)の甘さをつくづく思い知らされ、急いで別の言葉に置き換えようとしたのだが、しばらく考えたすえ、そのままにしておくことに決めた。
     本書でスケッチをつづけてきた二〇一一年秋から二〇一二年初頭にかけての日々は、確かに、震災からの復旧や復興の「目処」が問われた時期だった。だが、文庫版が刊行される二〇一五年二月は、震災発生から丸四年になろうとする頃(ころ)である。もはや復旧や復興を「目処」で語る段階ではないし、そのレベルにとどまっていてはならないはずなのだ(だからこそ、いまだに「目処」すら立たない原発事故など幾つもの事柄に、あらためてやりきれなさや憤(いきどお)りがつのらないか?)。

     その意味では、「目処」の一語は、本書の性格をなによりも象徴的に示しているかもしれない。〉
     著者は、連載終了、単行本を上梓(じょうし)した後も繰り返し東北の被災地を訪ねています。被災直後に話を聞き、その苦闘や希望を綴った人々のその後を見つめてきたのです。おそらく文庫化の機会に書き加えたいことはたくさんあったのではないでしょうか。書き直したいところもあったのかもしれません。しかし著者はそれをすることなく、2015年に本書を目にする読者に対し「3.11から始まる物語」を「目処」を多く含むという意味で「未完の物語」としてそのまま提出したのです。
     途中経過の「記録」としての価値。それは本書の取材から出版までに関わった編集者、カメラマンたち――日刊ゲンダイ、幻冬舎のスタッフたちが会社の枠を超えて惜しみないサポートを続けてくれたと著者が記しています――の存在があってこそ生まれたものだと思います。本や雑誌の売上げ低下にあえぐ最近の出版界の数少ない“いい話”です。

     本書を冒頭で「ドキュメント・ノベル」と書きました。普通ドキュメンタリータッチの展開の小説を指して使われることの多い言葉ですが、本書の場合、そうではありません。本書に登場するのはすべて実在の人物で、しかも実名です。それでも「ノンフィクション」とは言わずに、フィクション(ノベル)とされるのは、主人公のフリーライター・田村章と田村の大学時代の友人の息子でいじめから不登校なった中学生・光司が東北の被災地を取材に歩くという設定そのものがフィクションだからです。もっとも重松ファンの読者でしたらご存知でしょうが、主人公の「田村章」という名前は作家デビュー前のライター時代に重松清が実際に使っていたペンネームです。私立中学の受験に失敗して、公立中学に入学したところいじめに遭い、不登校になったという中学1年生・光司は、重松清作品今話題のTVドラマ原作『流星ワゴン』の主人公の長男とよく似た設定です。

     震災からちょうど半年たった2011年9月11日。父親に伴われた光司が秋葉原で田村に初めて会うところから物語は始まります。その日、半年間東日本大震災の取材にかかりきりだった田村は「『希望の地図』を描く旅は、ここから始まるんだ」と言って光司を廃校になった学校を再生したアートスペースの体育館に連れていきます。富士写真フイルムがプロジェクトチームを組んでボランティアの人たちと協力しながら取り組んでいる「写真救済プロジェクト」――泥にまみれたアルバムから写真を取り出して一枚一枚なでるようにして汚れを落としていく――その現場です。

    〈冷房設備のない体育館は、大型の扇風機を何台も回していても、むわっとした蒸し暑さが立ちこめていた。
     そんな中、約八十名の参加者はいくつもの作業机に分かれて、津波で泥をかぶってしまった写真の洗浄作業をしている。中心は二十代と三十代だったが、親子で参加している人もいるようだった。(中略)
     だが、光司には、正直に言ってピンと来ない。
     忙しいのに、無理しなくていいじゃん──という気持ちが半分。
     それに、瓦礫を片づけたり避難所で炊き出しをしたりするんならともかく、写真なんて後回しでいいんじゃないのかなあ──という気持ちが、残り半分。〉

     プロジェクトを立ち上げた板橋さんらスタッフの話を聞いても、震災の発生時間に全員で黙祷をした時も、「なんか、嘘っぽいんだよなあ」と心の中でつぶやいく光司。しかし、洗浄した写真を一枚ずつ洗濯ばさみで留めたネットの前に案内されて、それらの写真を一枚一枚見ていった光司の内部である変化が起こります。

    〈写真の中の人たちはさまざまだった。家族、同僚、友だち、老人、若者、子ども、赤ちゃん……。写真の背景も、自宅、学校、オフィス、旅行先、レストランの店内、車の中……。
     どの写真にも笑顔があった。写っている人たちはみんな幸せそうだった。だが、その中にも、震災の犠牲になった人は、きっとたくさんいるのだろう。
    光司は写真を一枚ずつ見ていった。自然と、中学生の写っている写真を見つめる時間が長くなる。
     みんな、無事でいてください。きれいになった写真を受け取ってください──。 会ったこともない相手なのに、心の底から素直にそう思った。そして「写真をきれいにしてあげよう」と板橋さんたちががんばる理由も、ほんの少しだけわかったような気がした。 黙祷の前に写真を見ておけばよかった、と後悔した。そうすれば、心を込めて目をつぶることができたはずなのに……。(中略)
    「今日はどうだった?」
     会場を出たあと、田村章は光司に訊いた。
    「どう、って……」
     うまく答えられない。「面白かった」というのとは違う。「楽しかった」というのとも違う。それでも、富士フイルムの『写真救済プロジェクト』の活動には胸が熱くなった。
     最後にスタッフの人が「特別にやってみる?」と、写真にこびりついた乾いた泥を習字の筆で落とす作業を手伝わせてくれた。
     筆を丁寧に左右に動かすと、泥が落ちて、赤ちゃんを抱っこした若いお母さんの笑顔が見えてきた。そのときのうれしさは忘れない。お母さんと赤ちゃんは無事だろうかと思ったときの、泣きたくなるようなせつなさも、忘れたくない。でも、それを、どんな言葉で表現すればいいんだろう……。〉

    「来てよかったと思う?」と田村に訊かれて、光司は言葉でうまく答えられなかったぶん、大きく、こっくりとうなずきます。
    「震災後」をともに生きる仲間。田村章と光司の「希望の地図」を描く人々をめぐる、長い旅が始まります。(2015/3/20)
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    投稿日:2015年03月20日