書籍の詳細

組合設立騒動に巻きこまれ左遷された若手エンジニア田崎。家族的経営の欺瞞に直面しながら田崎は自らの信念を貫こうとするが…。組織の旧弊や矛盾望に翻弄されるエリートを描いた高杉良のデビュー作。※本書は、1997年2月に小社より刊行された『高杉良経済小説全集 第1巻』所収「虚構の城」を改題のうえ、改訂したものです。

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虚構の城 完全版のレビュー一覧

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  •  一人の経営者、一つの企業が、それを見つめる視座によってこうも違って描かれるものなのか。電子書籍にはなっていませんが、2013年本屋大賞1位の百田尚樹著『海賊と呼ばれた男』(講談社文庫)と、このほど大幅な加筆修正が加えられた角川文庫版を底本とする電子書籍がリリースされた高杉良著『虚構の城 完全版』です。ともに、出光佐三によって創業された出光興産を舞台とする企業小説ですが、その描かれ方は180度異なります。
     辛口の批評で知られる評論家の佐高信は、近著『安倍晋三と翼賛文化人20人斬り』(河出書房新社刊。残念ながら本書も未電子書籍化です)でこう指摘しています。
    「私は日本の会社を『社富員貧』と特徴づけたことがある。会社は富んでいるけれども社員は貧しいという状態を指してである。『一将功成って万骨枯る』も似たような意味だが、その典型が出光興産という会社で、同社の創業者、出光佐三は、百田尚樹が『海賊と呼ばれた男』(講談社文庫)のモデルにしたような人間ではない。高杉良の『虚構の城』(講談社文庫)も同社をモデルにした作品だが、同社は社員にとって決して居心地のいい会社ではないのである。『定年がない、出勤簿がない、首切りがない』という同社の温情主義は、ある意味で、出光佐三の押しつけであり、それに異議を申し立てる役員や社員の存在をゆるさない」
     70年前の1945年8月15日、日本が戦争に負けた日に、復興に向けて立ち上がった男の戦いを、そしてその大家族主義経営を感動の物語として謳いあげた百田尚樹に対し、高杉良はその「大家族主義」で染められた「人間尊重」の内実が、実は労働組合を絶対的なタブーとし、異議を唱えることさえ許されない息苦しいものであったことを初めて描ききり、社会に大きな衝撃を与えました。1970年代半ばのことで、発表当時、石油業界紙編集部長だった高杉良は、本書を発表するにあたって本名を明かしませんでした。そのため、この小説は同社元社員による「内部告発小説」といわれました。佐高信によれば、その頃、同書を取り上げた書評は皆、そう書いたそうです。
    『虚構の城』の主人公は、七年前に大和鉱油に入社した東大工学部応用化学科出身のエリート社員、田崎健治。物語は、田崎健治が画期的な技術開発、その実用化に功あったとして優秀社員として表彰されるシーンから始まります。

    〈何度思い起こしても身内のふるえるような感動が甦(よみがえ)ってくる。
    「田崎(たざき)健治君だね。ご苦労さん」
     大和周造(やまとしゅうぞう)社主は手ずから表彰状を読みあげたあと、金一封を添えて、田崎の前に差し出しながらそう言った。
     田崎が腰を折って、押しいただくと、社主は右手を離し、握手を求めてきた。田崎はおずおずと手を伸ばした。並外れて大きめな表彰状を二人の左手が支え、その上で右手が交錯した。田崎が顔を上げると、社主は驚くほど掌(て)に力を込め、炯々(けいけい)と輝く眼で田崎をじっと見据えた。長身の田崎は、壇の上の社主をまだいくぶん見おろす恰好(かっこう)なので、無意識に身を屈(かが)めた。
    「ご苦労さん。会社のために頑張ってください」
     社主はもう一度艶(つや)のある声で繰り返した。
     田崎は眼がくらくらするほど感激した。自分では「ありがとうございます」と言ったつもりだったが、声にならなかった。
     耳を聾(ろう)するほど盛大な拍手が大和鉱油本社の講堂をゆるがし、どよめいた。
     田崎は、乾式排煙脱硫装置と対峙するたびに、表彰式のその日の晴れがましい光景が眼に浮かぶ。
     もう三カ月にもなるのに、四月のある日、プロジェクトチームを代表して東京の本社に招かれ、優秀社員表彰式に臨んだときの感動がいまなお鮮度を失わずに田崎の胸を満たしてくる。入社して七年になるが、考えてみると、今年喜寿を迎えた大和社主と身近に接し得たのはそれが初めてのことであった。
     真っ白な長い眉毛(まゆげ)、髷(まげ)のように後頭部に残る白髪、落ち窪(くぼ)んだ深い眼、頬のあたりの黒い染み、小づくりの顔とふつりあいな大きな福耳。そのどれもに老いが忍び寄っているが、田崎には神々しくさえ見えた。〉

     その田崎健治が、若い部下から「労働組合結成」の相談を持ちかけられたのがきっかけとなって、突然左遷されます。行き先は本社企画部調査課。監督官庁である通産省(現在の経産省)からの情報収集が任務といえば聞こえがいいが、実態は官僚の接待係です。ノンポリ型の田崎にとって、労組問題は無縁の存在で、会社=家族の大家族主義を標榜し、家族に組合は存在しないという考えから、組合結成を絶対に認めない会社の在り方についてとくに疑問を持ったことはなかったにもかかわらず発令された左遷の辞令。若く真面目な部下のひたむきな性急さをいさめようとさえした田崎が部下をかばう気持から行った「彼らは健全な労使関係の樹立を願っているだけ」との説明さえも、労働組合をタブー視する上司たちにとっては論外の発言で、「田崎、恥を知れ」「君を見損なっていた」と言い放つ始末です。

     高杉良は、田崎の入社式の様子をこう描いています。
    〈四月一日の早朝、田崎たち新入社員は代々木の明治神宮参集殿に集合するよう命じられた。明治神宮に参拝し、皇居を遥拝(ようはい)したあと、国歌を斉唱した。そして参集殿で長々と続く大和社主らの訓示、新入社員の代表の宣誓までが会社側が予(あらかじ)め用意したものだとしても、聞いている田崎がなにやら気恥ずかしくて脇腹のあたりがこそばゆくなるほど時代がかったものであった。大和精神だの、人間尊重の事業経営だの、聞きなれない言葉がやたらと耳にとび込んできた。
     これが近代産業の最先端をいく石油産業の、しかも業界最大のシェアを誇る企業の姿なのか。
     田崎は多少のことは話に聞いていたが、これほど変わった会社とは思わなかった。〉
     昭和40年代初めの頃のことです。一風変わった会社であったことは確かです。

     社主が君臨する会社に入って初めての挫折感を味わい、暗澹とした気持で東京に赴任。技術屋でありながら、通産省の役人接待の日々を送る田崎健治の気持ちに変化が訪れます。懇意となった通産省ノンキャリの仕掛けもあって外資系石油会社から熱心な誘いをうけ、「大和鉱油退職」という考えも浮かび始めます。誇りを傷つけられ、泣かされてきたエリート技術者が最後に至る決断はなにか? 小説の中では“大和教”と言われた特異な企業カルチャーをうち立ててきた民族系石油会社(出光興産)の光と影をあますところなく描破した高杉良の原点ともいうべき傑作小説です。(角川文庫版に先だって2012年11月にリリースされた講談社電子文庫版『新装版 虚構の城』もあります)(2015/5/8)
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    投稿日:2015年05月08日