書籍の詳細

島村藤村『破壊』と並び、田山花袋の『蒲団』は性の赤裸々な暴露を描いて、自然主義文学の代表作と評された。それだけに、実地調査と細密な観察にもとずく大震災直後からの被災の実態描写は、記録文学の金字塔ともいうべき名作となった。

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東京震災記のレビュー一覧

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  • 「大成殿も高等女子師範も順天堂病院もすべて焼けていた。ことに、驚いたのは、駿河台のあの大きな崖が崩れて、樹木や家屋と一緒にあの省線の電車のレイルが、くねくねと他愛なく曲がって、殆ど水を堰きとめるかとばかりにあの濠の中に横って落ちていることであった。私は思わずじっと立尽くした。(中略)そこから少し此方に来ると、遥かに遠山が――多摩秩父の連山が、午前の明るい日影を帯びて、いつもと同じように、首都が『廃墟』になったことなどには少しも頓着しないように、無心に、むしろ無関心に、そこに美しい色彩を展開しているのを眼にした」――1923年(大正12年)9月1日の関東大震災によって「廃墟」と化した東京および近県を、自然主義文学を代表する作家・田山花袋が自ら歩き、見て、書いた記録『東京震災記』の一節です。お茶の水界隈の惨状に立ち尽くした田山花袋は、しかし、午前の明るい日差しを受けて輝く多摩秩父連山に希望を見いだしています。首都が廃墟と化そうが、そんなことには頓着することなく、無心に、むしろ無関心に美しい色彩を展開している山々の姿。それを廃墟から立ち上がろうとする人々のための拠り所と捉えて、人間の営みを超えた自然の摂理の揺るぎなさを、そして時の経過とともに訪れる安堵感を読みとっています。2011年3月11日の東日本大震災から3週間。この間、被災地から伝えられてきた惨状には言葉を失いますが、田山花袋が90年近く前の関東大震災で廃墟と化した東京を文学者の目で捉えた文章は、いま私たちが直面している状況と重なり合います。そのままと言ってもいいほどです。しかし、そこには一つだけ、決定的に異なることがあります。田山花袋は揺るぎない自然の摂理に希望を読みとりました。その確信をもたらしたのは、午前の日差しを受けて輝く多摩秩父の山々の姿でした。東北の人々はいま、岩手山、磐梯山など奥羽山脈の山々にそうした「希望」を見いだすことができるでしょうか。地震・津波に見舞われた福島原発から放出された放射性物質によって、大地が汚染され、水が汚染され、私たちの暮らしを支えてきた揺るぎなき自然の摂理さえもが脅かされているのです。拠り所を喪った私たちには「希望」さえ見いだしにくく、不安が消せなくなっています。関東大震災と東日本大震災の88年の間に、私たちは何を得て、何を喪ってきたのか。便利さを得るのと引き替えに、大地を、海や川を、空気を喪ってきたのではないか。――自然の摂理と引き替えに手にした「豊かな生活」がいかにもろいものだったのか、代償の大きさを田山花袋「東京震災記」は教えています。いまこそ読み直したい一冊です。(2011/4/1)
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    投稿日:2011年04月01日