書籍の詳細

青山と麻布と六本木の台地に挟まれた谷間には、夜が更けるほどにみずみずしい霧が湧く。そこが僕らの故郷、霞町だ。あのころ僕らは大学受験を控えた高校生で、それでも恋に遊びにと、この町で輝かしい人生を精一杯生きていた。浅田次郎が初めて書いた、著者自身の甘くせつなくほろ苦い生活。感動の連作短編集。

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霞町物語のレビュー一覧

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  • “Sitting in the morning sun ・・・”( 朝日を浴びて座っている・・・)The dock of the bayを歌うオーティス・レディングの透き通った声が、詩が頭の中で繰り返し、繰り返し聞こえてきました。” Sitting on the dock of the bay”確かにあの、懐かしい歌が聞こえてきます。1951年生まれの浅田次郎は『霞町物語』の表題作をこんな風に書き始めています。〈霞町という地名は、とうに東京の地図から消されてしまった。だが今でも、かつてそう呼ばれたあたりの街角に立てば、誰もがなるほどと肯(うなず)くことだろう。できれば冬の夜がいい。青山と麻布と六本木の台地に挟まれた谷間には、夜の更けるほどにみずみずしい霧が湧く。周囲の墓地や大使館の木立から滑りおりた霧が、街路に沿ってゆったりと流れてくるのである。 あのころ――いや、もう「あの時代」とでも言った方がいいのかも知れない。飛行機事故で死んでしまったオーティス・レディングの歌声が、ビルの谷間に沈んで行く僕らの故郷に妙に似合っていた、あの時代の話だ〉そう、機動隊導入によって安田講堂の封鎖は解除されたものの東大入試が中止となった年、柏戸が大相撲を引退した年――1969年に日比谷高校とおぼしき都立高校に通う3年生の「僕」(伊能)とその仲間たちの青春を、その時代にちょうど高校3年だった浅田次郎が8篇の連作短篇にまとめました。浅田次郎自身の青春が投影されていると言われるゆえんですが、東京生まれで、1969年には大学2年だった私も同じ時代の空気をすって育ちました。8篇すべてに登場する「僕」こと伊能は、お屋敷町に隣接する写真館の3代目。夜な夜な六本木界隈に繰り出し、夏になれば愛車を駆って湘南の海にでるが、根っからの不良というわけではない。18歳になるのを待って軽免許(排気量360cc以下の軽自動車に乗れる資格)を普通免許に換えた伊能は、親に泣きついてホンダの「エヌコロ」(N360)と呼ばれた軽自動車からマツダのロータリークーペに乗り換えた。どちらも当時話題となった懐かしの名車です。そういえばN360はホンダ初の軽自動車でしたが、11月2日に復刻モデルの後継車が発売されて、再び話題となっています。車だけではありません。「あの時代」を彩る音楽として冒頭に紹介した、オーティス・レディングを初めとするR&B、プレスリー、ビートルズの存在。東京から湘南の海に走るルート、隧道や岬、海岸、茅ヶ崎のパシフィックホテル。コンテンポラリーのスーツを着、タブカラーのシャツに細身のタイといったファッション。そして――同級生との恋。〈僕のロータリークーペは一目散に恋人岬へと向かった。逗子湾を柿色に染めて沈む夕日の美しさを、僕は一生忘れない。恋人たちの踏み分けた巌(いわお)の崖道を下りると、静かな磯場があった。満ち潮がひたひたと岩を洗うほど海は凪(な)いでいた。危うい崖道でつないだ手を、僕らはずっと離さずにいた。平らな岩に腰を下ろして夕日を眺めながら、自動販売機で買ってきた一本のコーラを二人で飲んだ。海岸通りの喧噪(けんそう)は波音に消されているのに、恋人たちの車から洩れ出てくるビートルズのバラードだけは耳に届いた。僕らは黙りこくったまま、昏(く)れなずむ海を見つめていた。(中略)いつの間にか僕の肩に頬をあずけ、短い髪を指先でくしけずりながら真知子は言った。「キスしても、いいよ」僕たちは眠るような長い接吻をした。時の過ぎるのも忘れ、黙って海を見、また唇を重ね合って、僕らは次第に時間も場所もわからない未知の世界に引きこまれて行った――。〉収録短篇の一つ、『夕暮れ隧道』の一節です。「あのころ」を同時代として生きた、私たちの世代には、まさにオンリー・イエスタディーです。40代、30代の人たちにとっては、一世代も二世代も上の父や母の時代の物語です。戦後すぐには、石坂洋次郎『青い山脈』がありました。敗戦から10年たった1955年に発表された石原慎太郎『太陽の季節』では、翌56年に「経済白書」が「もはや戦後ではない」と宣言して流行語となった時代の青春が描かれました。60年安保の時代の青春を描いた柴田翔『されどわれらが日々―』が世に出たのは、太陽の季節から約10年後の1964年でした。時代を刻んできた青春文学の系譜に、浅田次郎が加えたのは、高度成長の頂点に達した経済の時代であると同時に、70年安保闘争で東大入試が中止されるという政治の季節でもあった1960年代後半から1970年代の初めに東京の霞町(今の西麻布交差点を中心とするエリア)を活動の拠点とした若者たちの青春ストーリーです。1995年から98年にかけて「小説現代」に発表された同名作品が初出ですが、舞台装置としての「あの時代」――「あのころ」を体験してみてください。時代によって刻印された若者の心情が世代を超えて共感を呼んでくれればと思います。(2012/11/2)
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    投稿日:2012年11月02日