書籍の詳細

安倍政権はいつまで続くのか。安倍官邸のキーパーソン、そして、「ポスト安倍」の有力候補は誰か。新聞の首相動静にも記されない、日本の行方を決定づける非公式会議に、「隠し廊下」を通って集結していたメンバーとは――。政治記者歴35年の著者が、2015年以降の政局の行方と安倍内閣の「本質」を読み解く。(講談社現代新書)

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安倍官邸の正体のレビュー一覧

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  •  首相官邸5階――総理執務室、官房長官室、官房副長官室が置かれる日本の中枢ともいうべきフロアに外部からはうかがい知ることのできない「隠し回廊」が存在することを、本書『安倍官邸の正体』(田崎史郎著、講談社現代新書)で初めて知りました。
     現在の官邸は2002年4月から使われ出したもので、私も週刊誌編集者時代には幾度か足を運んだことがある旧官邸の問題点の一つが重要な機密が充分に保てないところにあったという。政治記者歴35年の著者・田崎記者は、こう指摘しています。

    〈二〇〇二年四月二九日まで使っていた旧首相官邸での取材は、今では型破りに思えるほど自由だった。首相番記者は首相執務室の入り口で取材し、執務室内で大声で話すと木製ドアのすき間からその声が漏れた。官房長官は記者の関門を通らないと、首相執務室に入れなかった。記者は官房長官らが出入りするたびに、用件や内容を尋ねた。官房長官の出入りの頻度や来訪者の顔ぶれ、そして彼らの表情を見ていれば、今、政権で起こっていることがある程度、うかがい知れた。
     それにとどまらず、官房長官の秘書官室には記者がしょっちゅうたむろしていた。秘書官の椅子に記者が座ったり、かかってくる電話に「はい、官房長官室です」と応対したりしていた。記者が国家機密のすぐそばにいる、それが白昼公然と認められる、のどかな時代であった。
     しかし、これが政権中枢部にいた人たちにとっては頭痛のタネだった。官邸の建て替えが決まった一九八七年の中曽根政権当時から九五年まで官房副長官を務めた石原信雄は、旧官邸の問題点として記者の取材を挙げ、設計に当たった旧建設省の技術者に工夫するよう指示した。〉

     その結果、新官邸には正面玄関以外に少なくとも3か所の出入り口が設けられ、記者の目を逃れるのはそう難しいことではなくなったという。田崎記者は新官邸5Fの秘密をこう明かしています。

    〈首相執務室は官邸の五階にある。この階と閣議室などがある四階に、記者は立ち入り禁止だ。首相番記者は正面玄関がある三階のロビーで張り込み、入ってくる閣僚、官僚ら一人ひとりに「総理に会われますか?」と聞いている。実際に会っているかどうかは、執務室前の「外廊下」に設置されたカメラの映像を、三階ロビーの隅にある控え室(通称・番小屋)に置かれているモニターで見て確認している。そして、モニターに映った来訪者がロビーに現れた時に話の内容を聞いている。
     ところが、五階には外側から見えない「内廊下」がある。この廊下で、首相執務室は同じフロアにある官房長官室、官房副長官室などとつながっている。国家権力のすみかに設けられた「隠し回廊」と言える。
     内廊下は、自然光がふんだんに入ってくるガラス張りの外廊下に比べ、かなり暗い。幅は外廊下ほど広くはないが、一メートル余りあり、人がすれ違って通ることができる。
     内廊下を歩いていれば、その動きはモニターに映し出されることはなく、記者にはまったく分からない。カメラが設置されていない官房副長官室のドアから入り、内廊下をつたって首相執務室に入れば、記者には見つからない仕組みになっている。外廊下の静謐(せいひつ)さに比べ、内廊下での人の行き来は激しい。〉

     首相には四六時中、番記者が付いて回ります。その動静は細大漏らさず、報道されています。新聞政治面の「首相動静」は、その日の首相の動きを逐一伝えているはずです。ところが、官邸5階に設けられた「隠し回廊」という特殊な造りが壁となって、安倍首相を中心にほぼ毎日のように開かれていながらけっして報道されることのない非公式の重要な会議があるという。「正副官房長官会議」――「隠し廊下」を通って、首相執務室に集まってくるのは官房長官・菅義偉(すが・よしひで)、副長官の加藤勝信(かとう・かつのぶ、大蔵省=現財務省=出身)、世耕弘成(せこう・ひろしげ、参議院議員)、杉田和博(すぎた・かずひろ、警察庁出身)の4人。これに、執務室隣の秘書官室にいる首席秘書官・今井尚哉を加えた6人による非公式会議です。
     2014年7月、安倍首相に「正副官房長会議」について尋ねたときのことを田崎記者はこう書いています。再び、同書から引きます。

    〈「そこは今井秘書官も前政権を経験したわけですよ。これ、大きいんですよね。やっぱり前政権を経験しているということは、あの一年間の挫折を経験しているということ。日程にできる限り正副長官会議を入れるのと、秘書官会議を一日の終わりに必ずやると、それを今井さんが日程の中に組み込んだわけですね。今はけっこうチームプレイなんですよ」(中略)
    「(正副長官会議は)雑談のことも多いんだけど、人間って雑談することも大切なんですよ、とってもね。呼吸がわかるんです。何考えてるのかなと、なんか困ったことがあるのかなと、そこで言うじゃないですか」(中略)
    「志を官房長官ともまったく同じくしていて、(私は閣議決定が)うまくいかないと思う時もあったんだけど、官房長官は終始、強気なんだよ。私の前ではけっこう『大丈夫ですから』って強気だった。いや、もうちょっと時間を置くかな、なんていう気持ちになる時もあるじゃないですか。そのとき彼は『この機を逃してはダメです』という感じだった。終始ね」〉

    「前政権」とあるのは、2006年9月~2007年9月の第1次安倍政権を指しています。参院選大敗と自らの体調不良を理由に就任1年で安倍首相は辞任しました。「政権投げ出し」の批判の声が大きかったことを覚えている人も少なくないと思います。その挫折経験を第2次政権の今は貴重な体験として生かして、強い信頼関係にある限られたメンバーによる「正副官房長会議」という名のチームで、さらにいえばそのなかでも安倍首相、菅官房長官、そして今井首席秘書官の3人で、人事にせよ、政策にせよ、外交方針にせよ、すべてを決めているという。

     謎のベールに包まれた正副官房長会議の内幕が外に洩れ出ることはまずありません。筆者の田崎記者が例外的にその一端を知ることとなった事例を紹介しています。サンフランシスコ講和条約締結の日の記念式典を行うかどうか、天皇の式典出席は政治利用にならないかをめぐって激論が交わされました。

    〈今井秘書官 「米国の独立記念日とかフランス革命の日と違って、日本の独立は米国から許されただけなんだから、やらなくてもいいんじゃないですか」
     加藤副長官 「J・ファイル(自民党の総合政策集)に書いた建国記念日、竹島の日と主権回復の日のうち二つをやらなかった。ここで主権回復の日もやらないと自民党の沽券に関わる」
     世耕副長官 「ここはじっくり考えるべきだ」
     菅官房長官 「J・ファイルにも書いているし、今回は六〇周年、正確には六一周年だが、その節目ということでやりましょうか」
     安倍首相 「そうだね」
     今井と杉田が慎重論、加藤は積極論、世耕はどちらとも取れる発言だった。最後は菅がまとめ、安倍も同調した。物事を進めるのにはたいてい賛否両論があり、それでも決めていくのが官邸の役目である。主権回復の日の開催の是非という政治問題ではとくに、各省が決めて官邸に上げてくるわけでもない。官邸で決めなければならないことを、首相一人の独断ではなく、合議体で決めているのがこの政権の最大の特徴であり、それはわずか一年で終わってしまった一次政権の反省でもあった。〉

     終戦記念日前日に発表された戦後70年の首相談話、全国戦没者追悼式で、「さきの大戦に対する深い反省」と初めて言及された天皇、そしていうまでもなく、安倍内閣がおしすすめる安保法案と「解釈改憲」・・・・・・日本は戦後70年を迎えて大きな岐路に立っています。その道筋を決定するのが、安倍首相と「正副官房長会議」であるとするならば、ベールに包まれたままのその活動を注視していく必要があるのではないでしょうか。いったい、そこでどんな議論がくりひろげられているのか。その一端を垣間見せてくる『安倍官邸の正体』――時事通信のベテラン政治記者が、安倍チームの懐に入り込んで綴った渾身作をぜひ紐解いてみてください。(2015/8/21)
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    投稿日:2015年08月21日