書籍の詳細

トップセールスマンだったエリート課長・坂戸を“パワハラ”で社内委員会に訴えたのは、歳上の万年係長・八角だった―。いったい、坂戸と八角の間に何があったのか?パワハラ委員会での裁定、そして役員会が下した不可解な人事。急転する事態収束のため、役員会が指名したのは、万年二番手に甘んじてきた男、原島であった。どこにでもありそうな中堅メーカー・東京建電とその取引先を舞台に繰り広げられる生きるための戦い。だが、そこには誰も知らない秘密があった。筋書きのない会議がいま、始まる―。“働くこと”の意味に迫る、クライム・ノベル。

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七つの会議のレビュー一覧

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  •  先頃、集英社文庫版が出た池井戸潤の『七つの会議』が文庫版売れ行きランキングの上位に名を連ね、部数を伸ばしているようです。2012年11月に日本経済新聞出版社より刊行された単行本を底本に電子化され、2015年1月に配信が始まっていた電子版にも読者のアクセスが増え始めています。
     日経新聞電子版に連載された七篇の短篇に、単行本化に際して一篇が加えられ、八篇の短篇からなる『七つの会議』。第一話「居眠り八角」冒頭に、こんなくだりがあります。

    〈原島にとって、定例会議は苦痛以外の何物でもない。
     営業部では扱う商品分野によって担当課を分けており、原島が課長を務める営業第二課の守備範囲は、主に住宅設備関連の電器商品だ。冷蔵庫や洗濯機といった白ものといわれる家電製品は利幅が薄く、景気に左右される。夏こそ猛暑でエアコンが売れ、まずまずの成績を上げることができたものの、やがて夜風が涼しい季節になった頃には、成績を底上げしてくれていたエアコン需要はとっくに失速して、どうにも格好のつかない売上実績が続くようになった。
    「どうなってるんだ、原島」
     北川の叱責は容赦ない。「目標に届かないのなら、届くだけの材料を積み上げてこい! 目標未達でしたと報告するだけなら、こんな会議にのこのこ出てくる必要もないだろう」
     北川にとって、目標とは、絶対に守らなければならない〝掟〟である。〉

     舞台は、大手総合電機の雄、ソニック(ソニーとパナソニックを連想させるネーミングです)の子会社、東京建電。北川は、いつも同じ中央の席に座る営業部長で、定例会議の主催者です。
     北川部長は、目標をクリアできなかった部下に、次はがんばれと優しく励ますような温かい思考回路など持ち合わせてはいません。未達の者は衆人環視の中で徹底的に叱責し、追い込み、ギリギリと締め上げていく、モーレツ管理職であることに徹してのし上がってきた男です。未達の原島には、それが苦痛でなりませんが、一方、成績をあげているものにとっては、会議の場は自分を売り込む絶好の場となります。

    〈「営業一課から先週の売上実績並びに、当期累積実績について発表させていただきます」
     坂戸は、凛とした声でいうと、自信に満ちた表情で会議テーブルを囲んでいる面々を見回した。
     名だたる大手企業を顧客に擁し、東京建電の業績を牽引する稼ぎ頭となっているのが坂戸の率いる営業一課であった。万年業績不振の二課と比較し、社内で〝花の一課、地獄の二課〟と呼ばれる所以(ゆえん)である。扱う商品が違うから仕方がないが、一課がスマートなホールセールなら、原島率いる二課は、さしずめドブ板営業といったところだろう。
     坂戸は、堅調そのものの売上実績を淡々と報告していく。聞いていると嫉妬したくなるほどの成果だが、坂戸は人のいい男で、こういうやり手にしては珍しく、社内の誰からも好かれていた。(中略)
     仕事ができる坂戸らしく、話には無駄がなく、しかも、原島が準備したデータとは比較にならないほど詳細なものを駆使している。〉

     モーレツ部長の北川も、着席する坂戸には「この調子で頼む」と満足げですが、坂戸課長の発表中、出席者の誰もがその問題な様子に気がつきながら、一言も注意しない男がいます。入社年次は坂戸課長よりずっと上ながら、坂戸の部下である営業一課係長、八角民夫(やすみたみお)、50歳。

    〈どこにでもいるぐうたら社員を絵に描いたような男で、会議となればこれ幸いと居眠りをする万年係長だ。
     一旦、出世の街道からそれて脇道に入ってしまえば怖いものはないとばかり、北川の前でも堂々と眠るのだから、その不良社員ぶりはむしろ堂に入っていた。そうしてついた呼び名は、〝居眠り八角(はっかく)〟だ。
     だが、八角が北川を畏(おそ)れない理由は、また別のところにもあった。北川と八角は、同い歳で、同期入社なのである。
     それだけではない。聞いた話で真偽は定かでないが、北川は八角に「借り」があるらしい。それがどんな借りなのかはわからない。片や営業部長、片や係長のまま二十年も据え置きで利息もつかない男となれば、サラリーマンとしての勝敗は明らかであるが、その借りのおかげで北川は、八角に頭が上がらないというのだ。〉

     目標未達なら会議に出てくる必要ないといってはばからない部長。その定例会議が苦痛以外の何物でもないと思っている課長。逆に自らの好成績をアピールする絶好の場と心得ている、出世レースの先頭を走る最年少課長。部長と同期ながら、出世の道からはずれて、会議中も堂々と眠っているところから〝居眠り八角〟と呼ばれるようになった万年係長――池井戸潤が描く「会議」をめぐる群像劇は、まさしく日本の企業社会の縮図です。そこで描かれているのは、私たちの隣の席にいる上役であり、会社がひけたあと居酒屋で愚痴を言い合う同僚であり、悩みを聞いてやっている部下やOLかもしれません。
    彼ら彼女らが織り成していく人生模様に、池井戸潤は〝異変〟を仕掛けます。
     万年係長の〝居眠り八角〟が営業成績抜群、将来の役員候補の坂戸課長をパワハラで社内のパワハラ委員会に訴え出た。ちょっとやりすぎだったかなという声もあったものの、社内の雰囲気は圧倒的な坂戸支持でした。しかし、臨時に開かれた委員会の裁定は坂戸課長のパワハラを認める厳しいものだった。そして役員会もその裁定を受けいれて、坂戸の課長職を解き「人事部付」とする処分を決定した。
     坂戸の後任として〝花の一課〟を見ることになった原島ですが、坂戸に対してここまで厳しい処分が下された理由がわかりません。原島が「北川部長と何かあったのか? そうでなきゃ、こんな話は納得できないんだよ。一体、なにがあった?」と問い詰めても、坂戸は「それは、いまは申し上げられません」というばかりです。
     いったい〝坂戸処分〟の裏で何があったのか? 納得がいかないまま、新任課長として一方の当事者である八角との面談に臨んだ原島は、同期トップで係長に昇進した八角のサラリーマン人生を一変させた出来事を知らされます。
     当時、八角たちは、親会社から出向してきた梨田課長の指示で、高齢者をターゲットに強引な訪問販売を展開したという。キッチンやユニットバス、空調、トイレなど立ち上がったばかりの商品ラインナップで、ひとたび契約書にサインすると、関連する商品を山のように売りつける。年金暮らしの老夫婦に、強引な訪問販売を仕掛け、断り切れないのをいいことにさして必要もない商品をときには何百万円も売った。違法すれすれの営業だったという。

    〈「あるとき──オレがユニットバスを売った客が死んだ。自殺だ。息子がやってきて、あんたのせいだっていわれたよ。オヤジは買ったことを悩んでいたって。あのときのあの言葉、いまでも忘れることができねえ。胸にグサッと突き刺さったまま、抜け落ちることもない。それでオレは、目が醒めた。こんな商売してたらダメだって。少なくともオレは、こんな商売を続けることはできないと。だからオレは、梨田にそういった。こんな商売は間違ってるとな。それからさ、梨田がオレを目の敵(かたき)にし始めたのは。梨田は、オレのことを虐(いじ)めて虐(いじ)めて、虐(いじ)め抜いた。だが、会社が評価したのは、梨田のほうだった。梨田は栄転でソニックに戻っていき、オレはたった一年でダメ係長の烙印を押され、主要な仕事から一切外されることになった」
     八角は、話とは裏腹な平穏な面差しを浮かべている。
    「後悔、してますか」
     原島が尋ねると、唇に笑みが浮かんだ。
    「あの老人に、ユニットバスを売らなきゃよかった。後悔するとしたら、それぐらいのもんだ」〉

     そして八角は「会社なんてどこも同じだ」として、こう続けます。
    〈出世しようと思ったり、会社や上司にいいとこ見せようなんて思うから苦しいんだよ。サラリーマンの生き方は、ひとつじゃない。いろんな生き方があっていい。オレは万年係長で、うだつのあがらないサラリーマンだ。だけど、オレは自由にやってきた。出世というインセンティブにそっぽを向けば、こんな気楽な商売はないさ」
    「なら、どうして坂戸をパワハラで訴えたりしたんです」
     原島は、八角の矛盾を突いた。「そんなふうに力を抜くコツを知っていたんなら、わざわざ訴えることもなかったでしょう。あなたにとって、坂戸がいっていることは、まるで意味がなかったはずだ」
    「もちろん、その通りだ」
     八角はこたえた。「だが、坂戸は許すわけにはいかなかった」
    「なぜです」
    「さあな」と八角は、二本目のタバコを胸ポケットから抜く。のうのうとした態度を見ていると原島の胸底に、むくむくと怒りが込み上げてきた。
    「家族もあるひとりの男が、それでポストを失ったんですよ」
     原島は語気も荒くいった。「惚(とぼ)けないで理由ぐらいいったらどうなんです」「理由を聞くのは簡単だ。だけど、そうすることであんたはひとつ大事な権利を放棄することになるが、それでもいいか」
     意味がわからない。
    「どんな権利ですか、ばかばかしい」
     吐き捨てた原島に、「知らないでいる権利さ」、と八角はいった。「知らないうちが華だ」〉

     なおも問い詰める原島を前に、八角が語り始めます。〝花の一課〟で行われていたこと、坂戸課長が目標達成のためにやっていたこと、そして北川部長はなぜ、坂戸課長を更迭しようとしたのか、なぜ役員会がそれを承認したのか・・・・・・原島は、そのすべてを理解した。

    〈華々しい実績を支えてきたものが果たしてなんであったのか。 八角が語ったのは、会社という組織の醜悪な舞台裏に他ならなかった。これからその舞台裏を支えるのは、誰でもない自分である。〉

     原島の営業一課長としての日日は始まったばかりです――。
    視点を変えながら展開される八篇の短篇で構成される『七つの会議』。読み進んでいくに従って、徐々に醜悪な舞台裏の一端が明らかになっていきます。そしてダイナミックな長篇小説としての深みを持っていることがわかってきます。その圧倒的な面白さにぐいぐいと引き込まれていきます。
     池井戸潤が会社という組織の醜悪な舞台裏を描ききったクライムノベル(犯罪小説)の傑作――ここには、不都合な真実を隠蔽する企業の論理に翻弄されるサラリーマンの姿、そしてまぎれもない企業犯罪が横行する日本社会がそのまま活写されています。(2016/3/4)
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    投稿日:2016年03月04日