黒書院の六兵衛 (上)

著:浅田次郎

日本経済新聞出版社

1200円 (税別)

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「明治維新150年」が称揚されています。明治維新よって日本は近代化に舵を切り豊かな国となったとして明治以降の150年を日本が誇るべき時代だとする一方で、それ以前の近世──江戸時代は遅れた封建制の社会であり、鎖国によって世界から取り残されていったと負の側面をことさら強調する。
 そんな歴史観に一石を投じた歴史小説があります。浅田次郎『黒書院の六兵衛(上・下)』(日本経済新聞出版社、2014年12月19日配信)です。
 江戸最晩年、慶応年間の江戸城明け渡しに際して、城中に座り続けながら、黙して語ることのない謎の武士を巡る悲喜こもごもの物語。書名にある「黒書院」とは、将軍が常日ごろ政(まつりごと)を行う御座敷のことで、総檜造りの御殿の中では唯一、赤松の材が用いられており、黒書院の名は、しっとりと沈んだその色合いにちなむという。
 殿中に座り続け、最後には黒書院──御殿の奥深い高貴な座敷に端座したのが、的矢六兵衛(まとや・ろくべい)という名の御書院番士。戦時には主君の御馬廻りに近侍する騎士であり、平時においては御身辺の警護をするのが役割だ。
 この時期──旗本中の旗本である御書院番士といえば、ある者は鳥羽伏見の戦で討死し、ある者は脱走して奥州の戦に奔り、またある者は上野の彰義隊に加わった。10組500人の番士は今やちりぢりで、すでに軍隊の体容はない。そもそも、いないはずの勤番士が殿中にいる、ということそれ自体がどう見ても奇怪──。
 鼻梁の通った浅黒い顔には何の感情も窺えません。的矢六兵衛は、なぜそこにいるのか? なぜ、石仏に化身して座り続けるのか?

 時代変わりの真っ只中、先の見えない不安が江戸の町に重くのしかかっている。ミステリーめいた物語は、こう始まります。

〈その日の江戸は鼠色(ねずみいろ)の糠雨(ぬかあめ)にまみれていた。
 濠端柳の若葉も土手に萌え立つ草も春の緑とは見えず、空は涯(はて)もない鈍色(にびいろ)である。風は生温(ぬる)く腐っている。
 生まれ育った江戸の景色が、なぜかきょうばかりは見知らぬ町に思えて、加倉井隼人(かくらいはやと)はしばしば馬を止めた。
 隊長が止まれば隊列が止まる。しかし三十人のどの顔にもさほど不審のいろはない。やはりおのれひとりの思い過ごしかと思うて、隼人はふたたび駒を進めた。めざすは外桜田の御門である。
 夢か現(うつつ)かと思えるほど急な話であった。まだ暗いうちに宿直(とのい)の御小姓が門長屋にやってきて、隼人を叩き起こした。表御殿の御用人部屋に急ぎ参れという。〉

 加倉井隼人は、御三家筆頭、尾張徳川家江戸定府の御徒組頭(おかちぐみがしら)にすぎません。藩主はじめ家来のあらかたは国元に帰っていましたが、いかに手不足とはいえ留守居の御用人から、直に急用を申し付けられるはずはない・・・・・・そんな疑問を感じながら向かった市ヶ谷の尾張徳川家上屋敷。御用人部屋で待ち受けていたのは、西洋軍服を着た見も知らぬ侍たちだった

〈官軍の先鋒が尾張屋敷に入ったという噂は耳にしていたが、置行灯(あんどん)ひとつの薄暗い小座敷で取り囲まれれば、何か思わぬ濡れ衣でも着せられたか、さもなくば狐狸妖怪の仕業かと疑うた。
 官軍の軍監と称する土佐の侍は、一揃いの西洋軍服と羅紗(らしゃ)地の陣羽織を隼人に勧め、さらには赤熊(しゃぐま)の冠り物まで押しつけた。
 曰(いわ)くところはこうである。
 東海道と中山道を下った官軍はすでに品川と板橋に宿陣し、来たる三月十五日の江戸総攻めを待つばかりであったが、このたび勝安房守殿の談判により不戦開城と決した。ついては、まもなく勅使御差遣のうえ江戸城明け渡しの運びとなるところ、まずは御三家筆頭たる御尊家に物見(ものみ)の先手(さきて)を務めていただきたい。聞けばそこもとは父子代々江戸定府(じょうふ)との由、知己も多く勝手もわかっておろうゆえ、この大役は余人をもって代えがたい──。
 要するに加倉井隼人は、江戸城明け渡しに先んずる官軍の、俄(にわ)か隊長を命ぜられたのである。〉

 官軍が入城するに先立っての露払いというわけで、まず命などいくつあっても足るまい、と肚を括った加倉井隼人は、すわ何ごとぞと青ざめる女房を宥(なだ)め、赤児もろとも抱きしめて金輪際の別れみたような真似もして、あわただしく出発した。付き従う配下の徒士たちは、やにわに軍服を着せられ鉄砲を持たされて俄か官兵となったのですから、まるで夢見ごこちの様子。日頃の勤めといえば市ヶ谷屋敷と戸山御殿の門番で、得物は六尺棒と限っているのだ。
 命をはかなむごとく糠雨のそぼ降る朝。とまどいながらも、相手が誰であろうと、けっして頭は下げるな謙(へりくだ)るなと思い定めた加倉井隼人率いる一隊を、外桜田門で黒い蝙蝠(こうもり)傘をさした一団の武士が待っていた。西の丸目付と使番(つかいばん)。どちらも千石取りの大身です。

 すこし横道にそれますが、浅田次郎は外桜田門について、こんなふうに書いています。
〈江戸城の総構えのうち、どこが最も美しいかと問えば、多くの人は「三宅坂から望む外桜田門」と答えるであろう。
 しかし八年前の申(さる)の年に御大老暗殺という大騒動が起きて以来、その風景は紗を掛けたように翳(かげ)って見える。美しいがゆえになおさらである。〉
 そして、その外桜田門で〈黒い蝙蝠傘をさした一団の武士〉がにわか官軍の先遣隊を待っていたとし、
〈旧幕臣の間には、この黒木綿の西洋傘が流行している。権威を奪われた侍たちが、雨降りにも日盛りにも、黒羽織に蝙蝠傘をさして歩む姿は暗鬱(あんうつ)きわまりなかった。そのうえ彼らは、おしなべて寡黙である。〉
 と続けるのです。旧幕臣の間で黒木綿の西洋傘が流行していたというのも耳新しいエピソードで、それをさりげなく小道具にもってくるところがうまい。8年前に大老暗殺があって今もなお翳って見える外桜田門にて糠雨の中、にわか官軍の一隊を待つ黒い蝙蝠傘の武士の姿──何が起きているのか、どんな時代状況なのか、絵的ですっと入ってくる浅田次郎らしい文章表現に引き込まれていきます。

 話を元に戻します。江戸城内に入った加倉井隼人、西の丸留守居役、内藤筑前(ないとう・ちくぜん)守に案内されたのは、勝安房守の部屋。西郷隆盛と江戸城不戦開城の談判をした勝海舟です。〈ちと、話がある〉と切り出した勝安房守。やっかいな相談事を持ちかけてきます。

〈「・・・・・・実はこの西の丸御殿の中に、どうしても了簡できぬ侍がひとりだけおる」
 背筋にひやりと悪寒を覚えた。いくつもの門を潜り、畳廊下をいくたびも折れてたどってきたこの広い御殿のどこかしらに、勝安房守の説得に応じぬひとりの侍がある。想像のしようがないだけに、その「ひとり」が人間ではない何ものかに思えたのだった。
 江戸を戦場にせぬという談判の成果は、そもそも御城内にある侍たちの悲願であったにちがいない。だからこそみながみな、整斉と勝安房守の差配に服(まつろ)うているのである。しかし、応じぬ者がひとりだけいる。
「のう、加倉井さん。そうと聞いては帰るわけにもいかぬだろう。どうだね、会うてみるか」
 はたして御城が引き渡しの勅使を迎えられるかどうか、つまるところ命がけのおのれの使命はそれに尽きるのである。よもやこれをなおざりにして帰れるはずはあるまい。
 饒舌な勝安房守は、茶を喫しおえる間、なぜか一言もしゃべらなかった。
「では、参ろうか」
 ほの暗い畳廊下に出た。〉

 勝安房守と西郷隆盛との間で成立した「不戦開城」の合意にどうしても従わない侍が江戸城内にひとりだけいる。そのままでは城引き渡しの勅使を迎えることはできません。それこそが官軍の俄(にわ)か隊長にされた加倉井隼人の使命というわけです。隼人を男が端座する御書院番の宿直(とのい)部屋に伴い、〈西郷さんとの約束だ。力ずくではのうて、何とか説得しなければならぬ〉と託す勝安房守の横顔は悲しげだった・・・・・・物語は、御禄百五十俵の御徒組頭、加倉井隼人を視点人物に進みます。

 江戸城総攻めを待つばかりとなっていた春、3月に始まり、明治天皇を江戸城に迎えるまでの10か月もの間、江戸城内に座り続ける謎の旗本、的矢六兵衛とその六兵衛を立ち去らせることにのみ腐心した官軍俄か隊長、加倉井隼人。六兵衛とはいったい何者なのか。なぜ、城内に留まり続けるのか。その思いはどこにあるのか。黒書院を繞(めぐ)って立ちすくみ、あるいはひれ伏す人々の間を這いずり回った加倉井隼人がついに悟るものは何か。

 時代が大きく変わってゆく幕末の時の移ろいを、浅田次郎は多様な「雨」を使い分けて描いています。加倉井隼人が初めて江戸城に入る日──〈江戸は鼠色(ねずみいろ)の糠雨(ぬかあめ)にまみれていた〉と書き出しにあり、ここから物語が始まることは先述の通りです。
 下谷稲荷町に広大な屋敷を構える的矢家に “異変”が起きた日のことを、人相のよからぬ奴(やっこ)が〈おととしの秋、慶応二年寅の歳の秋でござんす。ちょうどきょうみてえに、長雨がしとしとと降る日のことでござんした〉と語ります。長雨が続くなか、両替屋の看板を隠れ蓑にあこぎな商売をする高利貸しが屋敷に乗り込んできた目的とは何だったのか。
 東征大総督有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王が到着し、官軍の本営となった江戸城に、尾張の徳川慶勝公が乗り込み、的屋六兵衛と対面した日は、〈慶応四年五月。江戸は欝々(うつうつ)たる霖雨(りんう)にくるまれて〉いた。
「お頭はどこじゃ! お出会いめされよ、六兵衛が六兵衛が!」の声。〈折しも御中庭には時を怪しむ黒雲がかかって、稲光が閃いた。沛然(はいぜん)たる雨が降り始め〉るなかを「腹を切ってはならぬぞ、六兵衛!」と急いだ加倉井隼人。稲光に照らされる六兵衛の膝前には硯箱(すずりばこ)と一葉の半紙──「自反而縮雖千万人吾往矣──。」(みずからかえりみてなおくんばせんまんにんといえどもわれゆかん)みごとな筆跡に目を瞠(みは)った。
 明治天皇が江戸城に入り、旧幕臣が城を去る日。幼き天皇が六兵衛に会うため黒書院に出向くとむずかる一大事の報。「六兵衛に対面なされるは叡慮(えいりょ)。誰がお諫めできましょうや」と隼人──〈非常を告ぐる御太鼓が叩き出された。すると、にわかに雲が湧いて秋空をかき消し、時ならぬ雷鳴とともに驟雨(しゅうう)が白沙を叩き始めた〉

 日本語には、「雨」のさまざまな姿を表す美しい言葉が数多くあります。雨づくしの1200語を集めた『雨のことば辞典』(講談社学術文庫、2014年9月26日配信)の説明を借ります。
・糠雨(ぬかあめ):ごく細かい雨。霧雨。「糠雨(ぬかさめ)」「糠雨(こうう)」とも。糠のように細かい。しっとりと降り、情緒がある。
・霖雨(りんう):何日も降りつづく長雨のことをいう。「霖霪(りんいん)」「雨霖」とも。春の長雨が「春霖雨」、秋の長雨が「秋霖雨」。霖は、三日以上降りつづく雨。
・驟雨(しゅうう):夏のにわか雨。『日本大歳時記』は、夕立とほぼ同じだが、「最近、夕立とは別に驟雨として詠まれることも多くなった。木々の青葉をたたき、大地にしぶきを上げて急にふってくる驟雨は、いさぎよく、また涼を呼んで、いかにも夏の感じがある」(森澄雄)といっている。夕立と類義だが、夕立が庶民的なのに対して、驟雨には文芸的な語感がある。暑い昼下がりざあっと降ってあとに涼を残していくので、人々に喜ばれる。

 西の丸下の広場に佇(たたず)み、主人を待ちわびる奥方とご隠居夫婦と二人の男子、そのうしろに控える若党、中間奴(ちゅうげんやっこ)。馬が引かれ、槍が立てられ、最後の旗本が江戸城を去ってゆく感動のラスト。〈その日の江戸は鼠色の糠雨にまみれていた〉の書き出しで始まった物語は、徳川三百年の終焉と重なるような江戸の夕景を描く一文で終わります。

〈秋空ははや墨色に染まり、名残の茜(あかね)はしめやかに退いていた。昏(く)れなずむほどに大名小路の甍(いらか)と白壁が際立った。
 供連れは翳(かげ)りの中をしずしずと去ってゆく。漆黒と純白のみを彩(あや)と信ずる江戸の夕景は、そのうしろかげにこそふさわしい。〉

 江戸から明治へと時代が移っていくなかで失われていくものへの想いを見つめる浅田次郎の時代長編。もの言わぬ武士の秘めた希(のぞ)み、そして移ろいゆく時代の情景を陰翳(いんえい)深く美しいことばで描く。名手の繊細なことばづかいを堪能してください。(2018/2/23)
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