書籍の詳細

小田急線・世田谷代田駅から徒歩五分、築ウン十年、二階建て全六室のおんぼろアパート・木暮荘。現在の住人は四人。一階には、死ぬ前の愛あるセックスに執念を燃やす大家の木暮老人と、刹那的な恋にのめり込む女子大生・光子。二階には、光子の日常を覗くことが生き甲斐のサラリーマン・神崎と、姿を消した恋人を想いながらも別の男性からの愛を受け入れた繭。一見平穏な木暮荘の日常だが、それぞれが「愛」を求めたとき、痛烈な哀しみがにじみ出す。それを和らげ、癒すのは、安普請のぼろアパートだからこそ生まれる人のぬくもりだった……。直木賞作家が紡ぐおかしくも温かな人間物語。

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木暮荘物語のレビュー一覧

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  • 三浦しをんは、誰もが早足で歩くような今の世の中ではちょっと規格はずれの生き方、もっと正確に言えば現代社会の規範にしばられない、へんな人の人生を描きます。へんだけど愛すべき人として肯定的に描きます。代表作のベストセラー、まほろ駅前シリーズ映像化第3弾となる映画「まほろ駅前狂騒曲」が10月18日に公開されましたが、主人公の二人、瑛太演ずる多田啓介(多田便利軒経営)と多田の元に転がり込んできた中学時代の同級生、行天春彦(演ずるのは松田龍平)はともに、ちょっとはずれた場所(まほろ駅前。モデルは小田急線とJR横浜線が交わる町田)で、世の中の常識とはちょっと距離をおいて暮らしている三十代半ばのバツイチ。一見気ままに生きているようでいて実は人生をどう生きるかについて人知れず真面目に考えているバツイチたちの真摯さがシリーズ三作(『まほろ駅前多田便利軒』『まほろ駅前番外地』『まほろ駅前狂騒曲』)の人気を支えているのですが、その三浦流は10月に刊行されるやいきなり文庫売れ行きランキングの上位に名を連ねた『木暮荘物語』にも通底しています。物語の舞台は、町田から小田急線・世田谷代田に移ります。三浦しをんは、物語の舞台をこう描写しています。〈ゆるやかな起伏のある細い道を、井の頭線の新代田駅方向へ5分ほど歩く。駅から5分。生け垣に囲まれた一戸建てと、古い木造アパートが混在した静かな住宅地だ。環七(かんなな)通りの喧噪(けんそう)からはずれた道……角を曲がると、木造二階建ての木暮荘が正面に見える。建物の外壁は茶色いペンキ、木製の窓枠は白いペンキで塗ってある。チョコレートと生クリームでデコレーションされた、小ぶりのケーキみたいだ。近寄ってよくよく見てみれば、分厚く塗られたペンキが凹凸を作り、ぬかるみが固まったみたいだが。ペンキの剥げた箇所を発見次第、大家が素人ながら刷毛をふるっているためだろう。夏草の繁る前庭から、ほのかに花の香りがする。ジョン(引用者注:大家の木暮さんの飼い犬)はひんやりした今夜の寝床を求め、さかんに土を掘り返しているらしい。灰色のシルエットが薄闇に浮かぶ。〉1階、2階あわせて6室の古アパート木暮荘の住人は、4人(2室は空き部屋)。『木暮荘物語』は、その4人とかかわる人々の人生を綴っていく連作短編集です。第1話(第1章)「シンプリーヘブン」は、学生時代に木暮荘に入り、西麻布の花屋の店員になってからもそのまま、木暮荘203号室で暮らす坂田繭の物語――。〈「せっかくいい天気なんだし、どっか行こうか」「そうだね。でもいい天気だから、どこも混んでいそうだ」
    などと、坂田繭と伊藤晃生が日曜の昼下がりにアパートの一室でごろごろしながらしゃべっていたら、大家の飼い犬のジョンが「ワン、ワン」と庭で吠えた。ふだんはおとなしい犬なのに、連続して鳴くとはめずらしい。なんとはなしに耳をそばだてていると、はたして来客を告げるブザーが室内に響いた。繭は部屋着にしているTシャツとハーフパンツを急いで身につけ、「はーい」と答えて玄関のドアを開けた。真っ黒に日焼けし、無精髭を生やした瀬戸並木が、「やあ」とにこにこして立っていた。「ひさしぶり。元気だった?」ものも言えずにいる繭の肩越しに、並木は室内を強引に覗きこんだ。「あれ、お兄さんですか? こんにちは」どこの世界に、妹の布団に全裸であぐらをかき、股間にタオルケットをかけた姿で来訪者を怪訝そうに眺めるお兄さんがいる。いたら問題だ。(中略)
    繭は口を数回、無駄に開け閉めし、やっとのことで、「並木、あなたなんで急に来たの」と言った。「さっき成田(なりた)に着いたところなんだよ」並木は、部屋の隅に下ろした登山用の大きなザックを顎(あご)で示した。使いこまれたザックは埃(ほこり)まみれで、縁(ふち)の部分がほつれていた。「住むところが見つかるまで、ここにいさせて」「だから、なんで私の部屋に?」「だって、俺たちつきあってるだろ?」ほがらかに並木は言い、めまいを感じた繭は、「つきあってない!」と大声を出した。「断じてつきあってないからね!」並木への抗議というよりは、黙って推移を見守る晃生への必死の訴えだった。〉日曜日の昼下がりのアパートの自室。つきあっている男と裸でごろごろしていたところに、突然、別の男が訪ねてきて上がり込んでしまったというのですから、フツーありえない事態です。繭がめまいを感じるのは当然ですが、動じていないというか、とりあえず冷静な伊藤晃生が名前を名乗ったうえで、闖入者の並木に会釈して言います。〈「話がまったく見えないんで、ちょっと質問していいかな」「どうぞ」並木は言い、繭もしぶしぶうなずいた。晃生は身じろぎして姿勢を正す。「まず、俺は繭とつきあっている。この認識にまちがいはない?」「ええっ」並木はあわただしく繭と晃生の顔を見比べ、「まちがいない」と繭は力強く請けあった。「では次に、繭はこの……、並木さんだっけ? 並木さんとも、同時につきあってたのか? つまり俺は、二股をかけられていたわけか?」「断じてちがう!」繭は力強く否定し、「ええっ」と並木はのけぞった。「ひどいぞ、繭。俺たち、つきあってるじゃないか」「それは三年前まででしょう!」繭は髪の毛を掻(か)きむしりたくなった。「突然なにも言わずにいなくなって、それから音沙汰(おとさた)ひとつなかったのに、なんで『つきあってる』ことになるのよ!」「えー。『別れる』とも言わなかったはずだけど」「『別れる』とも『待ってて』とも言わずに三年も姿を消したら、それはフツー、別れたことになるんじゃないの」「わかった」と晃生が言った。「なんとなく事態が飲みこめてきた。並木さん。繭は俺と半年前から交際している。そういうことなので、きみは出ていってくれ」〉そう言いながらも晃生は、有り金を使い果たしてしまったという並木に1万円を貸します。並木がザックをかついで部屋を出ていった後――謝るのもおかしい気がした繭はただ晃生の手に触れます。晃生は微笑(ほほえ)んで繭の手を握る。その時、繭の胸中をよぎる思いを、三浦しをんはこう綴ります。〈並木の撮(と)る写真を通して、繭はいつもこの世の真実と本質を垣間(かいま)見(み)る思いがした。深みに切りこみ、深みを切り取る並木の目と心と感性を愛した。純粋で激しい魂を。並木をとても大切だと思い、離れるなんて想像できない、そんなことになったら生きていけないと思った日もあったのに。少し哀しかった。晃生の穏やかな優しさと、三年前と変わっていなかった並木の明るさが。並木はいったい、どこでなにをしていたんだろう。どうして急に私のまえからいなくなり、また急にやってきたんだろう。〉しかし、繭と晃生、そして並木の物語は終わりません。夕食の材料を入れたスーパーのレジ袋をさげた並木が「ただいま!」と明るく戻ってきます。つきあっている男女の部屋に三年前までつきあっていた男が居候をきめこんで、木暮荘203号室の物語が始まります。翻訳家で法政大学教授の金原瑞人氏は、紙版(祥伝社刊)巻末に寄せたエッセイで、「(三浦しをんの)小説は、文学と呼ぶにはあまりに面白くて、読み物と呼ぶにはあまりにも深く迫ってくる」と指摘しています。死ぬ前にもう一度、セックスをしたいと思い悩む70過ぎの大家の木暮さん(101号室)。中学3年の時に不妊症を告げられて以来、刹那的な恋に走り、3人の男と「ああん、ああん」を繰り返す女子大生の光子(102号室)。その女子大生の性交を天井の節穴から覗き見ることに生きがいを見いだした税理士志望の会社員・神崎(201号室)……。三浦しをんは性を切り口にアパートの住人と彼ら彼女らと関わりを持つ人々の人生を描き出しました。短編連作小説のなかの凝縮された人生。そのどれもが、あたたかいまなざしで見つめるように描かれ、一人静かに向き合いたくなります。(2014/10/24)
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    投稿日:2014年10月24日