書籍の詳細

写真家志望の大学生・慎吾。卒業制作間近、彼女と出かけた山里で、古びたよろず屋を見付ける。そこでひっそりと暮らす母子に温かく迎え入れられ、夏休みの間、彼らと共に過ごすことに……。心の故郷の物語。

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夏美のホタルのレビュー一覧

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  •  少し前、森沢明夫の『エミリの小さな包丁』について書いた。エピローグの一行を目にした時、涙腺が一気に緩んでしまったことを自覚した――と、告白して文を閉じました。同じ著者の『夏美のホタル』(角川文庫、2014年9月5日配信)――熱くなった目頭から涙が頬をひと筋流れ落ち、タブレット端末の液晶画面をポツンと濡らした。一瞬のことで、目頭をおさえることもできなかった。目をつむって反芻し、気持を落ち着かせてから、先へ進む。そんなことを繰り返しながら、ページをめくっていく。幾度、目頭をおさえたことか。
     人間(ひと)の温かさが胸に沁みて、胸の内がジワッとやさしい気持で満たされていく。吉永小百合が「優しく温かい」と惚れ込んだ森沢明夫らしい物語『夏美のホタル』。映画公開中で話題の作品ですが、物語の舞台となる山里のよろず屋のモデルが、高校生の頃からバイクで走り回った千葉県に実在したことを、著者自身があとがきで明かしています。

     主人公――芸術系の大学で写真を学ぶ相場慎吾をタンデムシート(後部席)に乗せた幼稚園教諭・夏美の愛車、真っ赤なHONDAのCBX400F4が、房総半島の九十九(つづら)折りの山道を進んだ先にある、古びたよろず屋「たけ屋」の前に停まった。著者が実際に「たけ屋」のモデルとなったよろず屋と出会った時とまったく同じように、トイレを借りるために立ち寄った若者二人が、「たけ屋」を営みながら山里でひっそりと暮らす母子――ヤスばあちゃんと集落の皆から地蔵さんと呼ばれているじいさん――と出会い、そこから、奇跡の物語が始まります。

     地蔵さんの名前は福井恵三(ふくいけいぞう)さん。年齢は62歳。
     ヤスばあちゃんは福井ヤスエさんといい、年齢は84歳。
     山々はきらきらした新緑で彩られ、風がまるくて心地いい初夏の一日。卒業制作のロケハンを兼ねて房総半島を疾走してきた23歳の夏美と22歳の慎吾。昭和の香りを漂わせる、懐古的な造りの店「たけ屋」。その背後にはこんもりとした竹林の山がそびえています。店先に停めた夏美の愛車は、若くして逝った父親の形見です。

     いつもペットボトルのお茶ばかり飲んでいる一人暮らしの大学三年生である慎吾は久しぶりに熱い焙じ茶をすすった。茶柱がたっていた。最後に茶柱を目にしたのは何年前のことだろうか……そんなことを思ったヤスばあちゃんと地蔵さんとの運命的な出会い。少し長くなりますが、引用します。

    〈「慎吾くんは、川なんかは、撮らないのかい?」
    「いえ、撮りますよ。きれいな風景でしたら、何でも」
    「来月になったらよぅ、すぐそこの川に、蛍がいっぱい飛ぶんだよぅ。これがまたきれいなんだぁ」
     蛍か……。いいな。
     ぼくがそう思ったとき、夏美が「わっ、蛍、すてき!」と言って、右手で口を押さえる仕草をした。「慎吾ちゃん、来月も来ようよ」
     ぼくは頷いて、親指を立ててみせた。
    「もし本当に来るなら、来月の中旬以降がいいよぅ。ちょうど梅雨時季だから、うまいこと晴れ間を狙っておいでよぅ」
     じいさんが座ったまま、ぼくを見上げて言う。
    「はい。そうします」
    「じゃあ、おばあちゃん、そういうことで、来月、また来るからね。わたし、蛍、はじめてなの。楽しみだなぁ」
    「あたしも楽しみにしてるよぅ」と言いながら、おばあちゃんも「よっこらしょ」と立ち上がる。どうやら見送りに出てくれるようだった。
     じいさんは座ったまま「じゃあ、気をつけてなぁ」と言って、あの親しみやすい笑みを浮かべてくれた。
     じいさんを残して、三人は店を出た。(中略)
     ……夏美がおばあちゃんをハグした。小さなおばあちゃんは、夏美の胸のなかに顔を埋(うず)められたまま、あれまー、と笑い出した。
    「おじいさんにも、お礼を伝えておいてください」
     ぼくが言うと、おばあちゃんはしわくちゃの笑顔をこちらに向けてくれた。そして、その笑顔を少しも崩さずに、店の奥を見ながらこう言ったのだった。
    「あの子はよぅ、ずっと身体が悪いもんだから、見送りにも出られねえけど、あんたらに会えて今日は嬉しそうだったよぅ。本当にまた来てくださいねぇ」
    「うん、また来るよ。それまで元気にしててね」
     夏美はおばあちゃんの手を右手で握り、左手でそのしわしわの甲をなでながら言った。
     そして、風鈴が鳴るのを合図に、ぼくらはさよならをした。
     夏美はバイクをゆっくり走らせた。
     ぼくはタンデムシートから後ろを振り向いて手を振った。
     最初のコーナーを曲がって姿が見えなくなるまで、おばあちゃんは「たけ屋」の前に立って、ずっとぼくらを見送ってくれた。〉

     6月に入って、慎吾と夏美は約束の蛍狩りに再び「たけ屋」を訪れます。
     この時、二人はじいさんが立ち上がっている姿を初めて見て言葉を失います。じいさんは右手に杖を持ち、よたよたと左右非対称のあぶなっかしい歩き方をしたのです。何十年も昔に脳と脊髄(せきずい)に大怪我を負って、以来、左半身が思うように動かなくなってしまったのだという。大手術の後、リハビリに励んで何とか歩けるようにはなったものの、完治には至らなかった。

    〈蛍がよく飛ぶポイントを知っているのは、じいさんだった。だから、ぼくらはじいさんの後ろに付いて歩いた。
     杖をついたじいさんが歩くとき、母親であるおばあちゃんは慣れた様子でじいさんの利かない左手を下から支えるようにそっと握り、そして、ぴったりと寄り添って歩いた。ふたりは、ゆっくり、ゆっくりと、半歩ずつ前に進み、しばしば休憩を挟んだ。ぼくと夏美は、その後ろを何も言わずに付いていった。
     やがて前方の山の端(は)に夕陽がツツツ……と沈んでいき、空が見事なパイナップル色に染まると、手をつないで歩く年老いた母子の小さな背中が淡いシルエットになって、田んぼのなかの田舎道に長い影を落とした。
     ぼくはキヤノンを構えて、その後ろ姿を撮影した。
     カメラをしまうと、夏美が「ねえ、わたしたちも」とつぶやいた。
    「え?」
    「手……」
     少し淋(さび)しいような笑みを浮かべて、夏美がそっとぼくの右手を握ってきた。
    「どしたの?」
     ぼくは、そのやわらかな手をいつもより優しく握り返した。「ううん。なんとなく」
     前を行く年老いた母子の背中を、ぼんやりと眺めながら、ぼくらは、ゆっくり、ゆっくり、半歩ずつ夕暮れのなかを歩いた。〉

     そっと手をつないで歩む年老いた母子の背中を追う若い二人。人を慈しむような優しい気持ちになっていく。とても自然で、ほほえましい情景は、無数の緑色の光がふわふわと浮かぶ神秘的な光景へとつながっていきます。

    〈川原に立つと、そこはもう別世界だった。
     薄闇のなか、三六〇度、ぼくと夏美は緑色に明滅する光に囲まれていたのだ。清涼な川風と、心地よいせせらぎの音、森と水の清々(すがすが)しくも甘い匂い。
     そして、蛍、蛍、蛍。
    「すげえなぁ……」
    「信じらんないよ、これ。夢みたい」
     ぼくは目の前にふわふわと飛んできた蛍をそっとつかまえた。包み込んだ両手の指の隙間から、緑色のやわらかな光がじんわりと漏れる。包んでいた手を少しだけ開いて、蛍をよく見てみると、それは体長一・五センチほどのゲンジボタルだった。清流にしか育たない、いまや貴重な蛍だ。
    「夏美、ホタルブクロに入れてみよう」
    「うん」
     ぼくは、夏美が手にしているホタルブクロの筒状の白い花びらのなかに、そっと蛍を入れてみた。
     そして次の瞬間、ぼくたちはうっとりとして、「はぁ~」と感嘆のため息をついてしまったのだ。
     花びらのなかで蛍が光ると、緑色の光が白い花びらを透過して、花びら自体がぼわっと幻想的に発光しているように見えたのである。
    「なんだか、妖精(ようせい)が使う照明器具みたい……」
     夏美は、絵本が大好きな幼稚園教諭らしい表現を口にしたけれど、でも、それは少しも大袈裟(おおげさ)なものではなかった。
    「夏美、ホタルブクロを顔の前で動かさないで持ってて」
    「うん」
     ぼくはカメラを構えて、淡い緑色に発光するホタルブクロと、それをうっとりと見詰める夏美の横顔を、一枚の写真におさめた。
     そして液晶モニターでその写真を確認したとき、ぼくは自分自身にたいして「やれやれ……」と苦笑した。
     つくづく、夏美に惚(ほ)れているのだった。〉

     7月のなかば過ぎ――。
     梅雨明けと同時に、慎吾と夏美が「たけ屋」を三たび、訪れます。夏美の愛車のHONDAではなく、慎吾のオンボロ軽自動車、スズキのワゴンRに二人分のふとんや掃除道具、大工道具などの荷物をぎゅうぎゅうに積み込んで、慎吾の安全運転でのんびりとやってきた。
     慎吾と夏美は夏休みの間はずっと、「たけ屋」の離れに泊まり込んで卒業制作に取り組むことにしたのです。

     山里の静かな集落で、新しい出会いがあり、そして別れがあります。
     ヤスばあちゃんの亡くなった末の弟さんの孫たち――小学4年生の拓也(たくや)と1年生のひとみも慎吾と夏美にとってかけがえのない少年と少女になっていきます。親は「たけ屋」の近くで酒屋を営んでいますが、二人とも地蔵さんが大好きで、そして最高の理解者です。

    〈「あのさ、草刈りをしてくれたのはすごく嬉(うれ)しいんだけどさ、どうしてたんぽぽだけはそのままにしてあるの?」
     雑草が抜かれてきれいになった玄関の前に、背の低いたんぽぽだけがきっちりと三本残されていたのだ。
     答えたのは、ひとみだった。「あのね、地蔵さんがね、たんぽぽが大好きだからだよ」
     と、ちょうどそのとき、勝手口の方から地蔵さんが杖(つえ)を片手に歩いてきた。(中略)
     地蔵さんは掃除の成果を見ようと、離れの方へと歩き出した。そして、ふと玄関の前で立ち止まった。
    「あれぇ、拓也とひとみが草刈りやったのかよぅ?」
    「うん。ちゃんと、たんぽぽ残したよ。ほら、これと、これと、これ!」
     ひとみが地蔵さんのとなりでしゃがみ込み、残した三つのたんぽぽを順に指差した。
    「お前たちはえらい子だよなぁ」地蔵さんはやんわりと目を細めて、立ち上がったひとみのおかっぱ頭をぽんぽんと優しく叩(たた)くようになでた。そして、誰にともなくつぶやいた。
    「たんぽぽは、いい花だよぅ」(中略)
     地蔵さんは地面に咲いたたんぽぽを見ず、逆に空を見ながらそう言った。そして、このとき、ぼくはなぜだか胸の奥の方が少しざわざわとしたのだった。地蔵さんの浮かべていた笑みが、いつもより少し淋しそうに見えたからかも知れないし、ふと見た夏美の横顔が、ちょっと心配そうな表情に見えたからかも知れない。
     すうっと生暖かい風が吹いて、また軒下の風鈴が、凜、と幽かな音を立てた。〉

     地蔵さんとたんぽぽ――には、本作品の主題「出会い」に深く関わるエピソードが秘められているのですが、ここでは触れません。
     もう一人、プロローグに出てくる榊山雲月(さかきやまうんげつ)。木彫りの菩薩像づくり、しかも贅沢な一木造りに没頭する仏師もまた、慎吾と夏美の成長に大きな影響を与えるプロフェッショナルですが、地蔵さんとは「嫁に逃げられたもの同士」で、その哀しい過去を知る存在です。

     風鈴が凜と、幽かな音を立てた……風鈴の音で微妙な〝間〟をとるかのような独特な文章のリズムが、けっして器用ではない、ただまっすぐに人生を生きようとするひとたちを温かく描きだして、気がつけば森沢ワールドにとっぷりとつかっているのです。
     読み終わった後でもう一度、冒頭の、詩のようなフレーズを、読み直してください。

     たんぽぽは、いい花だよぅ。
     花が終わっても、たくさんの命を
     空にふわふわ飛ばせるなんて、
     なんだか素敵だからよぅ。(2016/7/8)
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    投稿日:2016年07月08日