書籍の詳細

なぜ、私たちはこんなに歴史と切れているのか?あの敗戦、新憲法、安保闘争、バブル、オウム事件、そして3・11……。〈知っているつもり〉をやめて、虚心に問うてみたら、次から次へと驚きの発見が噴出!『東京プリズン』の作家が、自らの実体験と戦後日本史を接続させて、この国の〈語りえないもの〉を語る。(講談社現代新書)

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愛と暴力の戦後とその後のレビュー一覧

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  • 女性であるというだけで、卑劣きわまりないヤジを浴びせかけられる社会。しかもヤジを発した男性の本人は議会の壁によって守られ、手厚く庇護されています。女性が常に弱者の立場に置かれている男性優位の社会の問題性を問う赤坂真理の『愛と暴力の戦後とその後』(講談社現代新書)が6月27日にリリースされました。第66回毎日出版文化賞、第16回司馬遼太郎賞を受賞した『東京プリズン』(河出書房新社、2012年)に続いて、戦後日本について考察した赤坂真理は次のように書いています。〈私は、敬宮愛子様の母親である雅子妃のことを、以前、ちょっと気味の悪い人だと思っていた。公務を果たせとか鬱がどうのという話ではない。もし私が小学生だったとして、あるクラスメイトの母親が、毎日わが子を心配して「一人参観」しに来ていたら、そらちょっとそのおばちゃん気味が悪いだろ。そのくらいの気持だった。けれど、あるときふと、愛子という子供の目線になってみたとき、世界はまるで違って見えたのである。敬宮愛子という女の子は、生まれてこのかた、「お前ではダメだ」という視線を不特定多数から受け続けてきたのだ。それも彼女の資質や能力ではなく、女だからという理由で。それは、どうにもならない。ゆくゆくは彼女の時代となることを視野に入れた女性天皇論争も、国会での議論が、秋篠宮家に男児が生まれた瞬間に、止んでしまったのだ! もう、彼女が彼女であることそのものが、無意味と言われているのと一緒である。彼女は生まれながらに、いてもいなくてもよくて、幼い従兄弟の男児は、生まれながらにして欠くべからざる存在なのだ。なんという不条理! それを親族から無数の赤の他人に至るまでが、信じている。ごくごく素朴に、信じている。この素朴さには根拠がない。けれど素朴で根拠のない信念こそは、強固なのだ。敬宮愛子様はクラスメイトの男子の他愛もない乱暴さに敏感であると言われ、不登校に近い状態もあったという。しかし、生まれてこのかた「お前ではダメだ」「要らない」と暗に言われ続けた子として見たならば、けなげなくらい、問題を出さないいい子ではないか。逆に、そのよい子すぎぶりに、私は涙が出そうになり、もっと荒れていいよ愛子! などと、一人の子供としての彼女を応援したくなった。そしてそんな彼女に対して無条件の肯定と抱擁を与えられるとしたら、母親しかいない。その世界にあるのは、こういう命題だ。後継者は、世襲で、かつ男系の男子でなければいけない。〉なぜ天皇の後継者は「世襲で、かつ男系の男児」でなければならないのか――。このルールは近代になって生まれたもので、近代天皇制は百数十年の歴史しかありません。にもかかわらず、「近代天皇制が水のように染みている」かのように男性優位の原理が日本という社会に根をはっている、と赤坂真理は指摘します。もうひとつ、ネット上でも議論が沸騰しているエッセイがあります。ディズニーの大ヒット映画『アナと雪の女王』を論じた、コラムニスト・中森明夫の「ボツ原稿」です。月刊誌「中央公論」からの依頼をうけた中森明夫は約10枚の原稿を書き上げて入稿しました。しかし、5月下旬になって中森明夫は編集部から掲載見送りを電話で通告されます。ネタバレしていること、哲学者の長谷川美千子氏(NHK経営委員)と雅子妃に言及していることの3点が問題というだけで、中森によれば、長谷川氏や雅子妃についての記述の削除や書き直しの要請はなかったという。『サンデー毎日 7月6日号』はボツ原稿全文だけでなく事件の顛末をまとめた編集部原稿を加えて掲載。中森明夫は、このディズニーのアニメ映画をどう見たのか。中森明夫はこう書き始めます。〈遅ればせながら、私もゴールデンウィーク明けにこの映画を観たが、正直、ショックを受けた。こんな作品だったのか!? これは大変だ。私の受けた衝撃、“大変”の意味を本稿で明かしたいと思う〉中森の要約によれば――雪や氷を作る魔力を持つ王女エルサは、幼い日に妹アナと遊んでいて、魔力を制御できずアナの頭を凍らせてしまいます。回復したアナは、引き換えに魔力の記憶を失う。ショックを受けて閉じこもるエルサ。時を経て、エルサが王位を継ぐ宴の日、アナはハンス王子と出逢って、恋に落ちる。婚約すると言うアナと口論になったエルサは、魔力を爆発させて王国を雪と氷の世界に変える。バケモノ呼ばわりされた彼女は山奥へと逃げる。姉を探す旅に出るアナ。山男のクリストフや雪ダルマのオラフが彼女を助ける。やっと再会した姉妹だが、またケンカとなり、エルサはアナを凍らせてしまう。“真実の愛”だけがアナを溶かすことができるというのが、これまでのディズニー映画のパターン。ところが、『アナと雪の女王』はまったく違う。ハンス王子はアナの愛を利用して王国を奪おうとする極悪人だと露見するし、えっ、すると山男のクリストフの愛がアナを……と思いきや、最後にアナの凍った体を溶かしたのは、なんとエルサ!〈そう、“真実の愛”とは“姉妹愛”だったのだ!? この結末にはびっくり仰天した〉として、中森明夫はこう続けます。〈『アナと雪の女王』のメッセージは明白だ。王子様なんかいらない。いや、王子様こそ極悪人だ。真実の愛とは、男女の恋愛ではなく、姉妹愛――女性同士の愛なのだ。いつかきっと王子様が……というこれまでの童話の価値観を全否定した、こんな過激なメッセージを持つ物語が、なんとディズニーアニメとして作られ、記録を塗り変える爆発的大ヒット! 世界中の子供たちが観てしまった。これは大変だ――と私が言った意味が、もうおわかりだろう。『アナと雪の女王』は世界を変革する。世界中の将来世代の意識に、強くそのメッセージは刻みこまれてしまった。(中略)『アナと雪の女王』は、真実の愛=姉妹の愛を訴えた映画では、ない。雪の女王エルサと妹アナは、見かけは姉妹だが、実は一人の女の内にある二つの人格なのだ。あらゆる女性の内にエルサとアナは共存している。雪の女王とは何か? 自らの能力を制御なく発揮する女のことだ。幼い頃、思いきり能力を発揮した女たちは、ある日、「そんなことは女の子らしくないからやめなさい」と禁止される。傷ついた彼女らは、自らの能力(=魔力)を封印して、凡庸な少女アナとして生きるしかない。王子様を待つことだけを強いられる〉女は誰もが自らの内なる雪の女王を抑圧し、王子様を待つ凡庸な少女として生きることを強いられる。エルサとアナに引き裂かれている。それを“アナ雪症候群”と呼んでみたい、としたうえで中森明夫は、こう書きます。〈私たちの国を代表する雪の女王がいた。そう、雅子妃殿下である。小和田雅子氏は外務省の有能なキャリア官僚だった。皇太子妃となって、職業的能力は封じられる。男子のお世継ぎを産むことばかりを期待され、好奇の視線や心ないバッシング報道にさらされた。やがて心労で閉じ籠ることになる。皇太子殿下がハンスのような悪い王子だったわけではない。「雅子の人格を否定する動きがあったことも事実です」と異例の皇室内の体制批判を口にされ、妃殿下を守られた。同世代の男として私は皇太子殿下の姿勢を支持する。雅子妃は『アナと雪の女王』をご覧になったのだろうか? ぜひ、愛子様とご一緒にご覧になって、高らかに『レット・イット・ゴー』を唄っていただきたい。(中略)皇太子妃が「ありのまま」生きられないような場所に、未来があるとは思えない〉中森明夫は、映画を見終わった女性たちが、年齢を問わず実に生き生きとした顔をしていたところに、始まった変化を感じとったようです。それは、あまりのよい子すぎぶりに涙が出そうになった赤坂真理が「もっと荒れていいよ愛子!」と背中を押すように書いた気持につながっていくのではないか。(2014/7/4)
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    投稿日:2014年07月04日