書籍の詳細

敗戦から昭和三十年代にかけて、急速な経済成長の中で失われた様ざまな習慣、やさしく奥深い言葉の数々、変わりゆく家族のかたち、東京の町並……それらをいとおしみ、表現し、そして体現し続けた向田邦子。様変わりした現代において、今なお高い人気を誇る作品群をひもとき、早世の天才作家が大切に守り続けたものとは何かをつづる。

まだユーザーレビューはありません。最初のレビューを書いてみませんか?

向田邦子と昭和の東京(新潮新書)のレビュー一覧

絞込み条件
  • レビュアー絞込み
表示形式
  • 表示件数
  • 表示順
  •  向田邦子という作家がいた。
     昭和4年(1929年)、東京に生まれ、東京タワーと名付けられた新しいテレビ塔が完成した昭和33年(1958年)にテレビドラマの脚本を書くようになった。「七人の孫」、「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」など数々のヒッドラマを生み出し、昭和55年、「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で第83回直木賞(1980年上半期)受賞。
     翌56年(1981年)、台湾旅行中に航空機事故で死去。
     記憶に残る、「昭和の作家」だった。

     昭和19年(1944年)生まれの評論家・川本三郎は、向田邦子を読み直すことで、私たちの暮らしから消えていってしまったものを再発見していきます。
    『向田邦子と昭和の東京』(新潮新書、2014年6月20日配信)の一節を引用します。

    〈向田邦子は、〝卓袱台(ちゃぶだい)のある暮し〟のなかで育ってきた。とりわけ実直な会社員を父親に持つ家庭だったから、向田家では小市民の暮しが平穏に営まれていた。
     のちに成長した時、向田邦子にとってこの〝卓袱台のある暮し〟がかけがえのない、大事な記憶になった。
     テレビドラマの脚本を書くようになるのは昭和三十三年(一九五八)、まさに東京タワーというテレビの電波塔が完成した年からだが、時代の最先端をゆく世界で生きてゆくにつれ、自分の故郷ともいうべき〝卓袱台のある暮し〟が世の中から消えてゆくことを強く意識するようになったのではないか。だからこそ作品のなかでそれを残しておきたいと。(中略)
    「単なるノスタルジーではなく」という常套句があるように昔を振返るノスタルジーは近代社会のなかで評価が低い。にもかかわらず向田邦子は、ノスタルジーにこだわった。ことあるごとに消え去った昭和を懐かしんだ。まさに「昭和の子」だった。
    「時分どき」「到来物」といった現代では死語になりつつある言葉を好んで使ったのも昔好きゆえだろう。
    「私は人間の出来が古いのだろう、物の言い方にしても新しいより古いほうが好きである」とエッセイに書いている(「傷」、『夜中の薔薇』)。〉

     グラスよりコップ、ワインよりぶどう酒、クッキーよりビスケット、石けんよりシャボン、息子より倅、おにぎりよりおむすび・・・・・・私は昭和24年(1949年)東京生まれ、向田邦子が好んで使ったというこれらの言葉に〝昭和の匂い〟を感じ、懐かしい情景が浮かんでくる団塊世代です。
     フランス文学者の澁澤龍彦(昭和3年生まれ)も彼の著書の中で、向田邦子と同じように昔の言葉がいい、お新香よりおこうこ、陶器より瀬戸物、とてもよりたいそう、そしておにぎりよりおむすびがいいといっていることを紹介しているくだりも出てきます。「オニギリなどという言葉は家では聞いたこともなく、オムスビ一本槍であった」というのですから、澁澤龍彦もまた「昭和の子」である――と、川本三郎の「昭和再発見」は続きます。

     さて、「寝押し」です。「ズボンなどを布団の下に敷いて寝て、しわを伸ばし折り目をつけること」(三省堂『新明解国語辞典』より)で、大方の国語辞典には言葉として収録されているようですから、平成生まれの読者も耳にしたことはあると思います。ただし実際にやった経験のある人はどうでしょうか。おそらくいないのではないか。しかし、昭和の時代、女学生の向田邦子にとっては大事な生活上の行事だった。川本三郎はこう書いています。

    〈向田邦子の少女時代の記憶のひとつに、スカートの寝押しがある。随筆集『女の人差し指』(「セーラー服」)のなかで書いている。
    「女学生の頃、スカートの寝押しは重大な行事であった。
     女学校に入りたての頃には、母がやってくれたが、一学期の終り頃からは、私の仕事になった」
     寝押しなど、いまの女の子たちがしているかどうか。これも消えていった昭和の生活感覚だろう。向田邦子は、だからこそ思いをこめて寝押しの思い出を語る。
     一般に、従来は、昭和という時代を語る時、政治や経済、あるいは軍部の動きといった大きなところから語ることが多かった。それに対し、向田邦子は寝押しのような生活の細部を大事に語った。
     歴史より記憶である。女性だから出来たことだろう。
     女学生が夜、明日も着てゆくセーラー服のスカートを寝押しする。可愛らしい。「随分気をつけて寝押しをしたのに、寝相が悪かったのだろうか、朝起きてみると、襞が二本になったりしていることがある。今から考えれば何でもないことだが、その頃は胸がつぶれる思いがした」。
     うまくいった時のことではなく失敗したことを書くのが自慢話をしない向田邦子らしいが、朝、スカートが二本の襞を付けているのを見て、(あえて昔の表現を使えば)ベソをかいている女学生がまた可愛らしい。〉

     昭和30年代後半(1960年代)、つまり東京オリンピックの前後から家庭用のズボンプレッサー(プリーツスカート専用のスカートプレッサーもあった)が使われ始めますが、高校時代、私も学生服のズボンの寝押しをしていました。向田邦子の失敗エピソードではありませんが、寝押しがうまくできたという記憶はあまりありませんが。

     向田邦子の最後のエッセイ集『夜中の薔薇』(講談社文庫、新装版が2016年3月11日配信)。川本三郎は好きな随筆がある――として、収録作の「刻む音」をあげ、以下の2か所を引用して紹介しています。
    「朝、目を覚ますと台所の方から必ず音が聞えてきた。
     母が朝のおみおつけの実を刻んでいる音である。実は大根の千六本であったり、葱のみじんであったりしたが、包丁の響きはいつもリズミカルであった」
    「顔を洗っていると、かつお節の匂いがした。おみおつけのだしを取っているのである。少したつと、プーンと味噌の香りが流れてきた。
     このごろの朝の匂いといえば、コーヒー、ベーコン、トーストだが、私に一番なつかしいのは、あの音とあの匂いなのである」

     向田邦子が心に残った記憶として描いた〝朝の風景〟。川本三郎はこう綴ります。
    〈向田邦子が愛してやまない戦前昭和の小市民の平穏がここにある。家族のなかで誰よりも早く起きた母親が台所で朝食の仕度を始める。その音で娘が目を覚ます。小津安二郎や成瀬巳喜男の映画の一場面といってもおかしくはない。いまはもう消えてゆく風景だけにまるで幻影のように見える。「味噌汁」ではなく「おみおつけ」と書くところも向田邦子ならでは。
     家を大事にした昭和の女学生らしい良き記憶である。カレーライスとライスカレーの違いを「金を払って、おもてで食べるのがカレーライス」「自分の家で食べるのが、ライスカレーである」と絶妙に区別してみせた(「昔カレー」、『父の詫び状』)のも、戦前の小市民の家を大事にした向田邦子ならではだろう。永遠の女学生が「ライスカレー」のほうを好んだのは、いうまでもない。〉

     おみおつけの、「おみ」は味噌の意の、「おつけ」は吸い物の汁の意の女性語で、「おみおつけ」は味噌汁の丁寧語ですが、最近では死語といっては言い過ぎでしょうが、耳にすることはあまりありません。
     またライスカレーもカレーライスに席巻されてしまいました。向田邦子が使い分けた、家(向田邦子は「いえ」とは読まず、あくまでも「うち」といっていました)で食べるライスカレーが家庭の食卓に登ることはすっかりなくなってしまいました。

     向田邦子が慈しんだ昭和の風景、言葉。それが消えていったそのあとに――平成になってやってきたのは何か。川本三郎の指摘は、深く、重い。

    〈昭和が去り、平成の世もすでに二十年も数えるに至った。誰もが感じているように、平成になって、われわれの暮しから倫理が失われるようになった。平たくいえば、なんでもありの荒んだ世の中になってしまった。
     そんな時代になればなるほど「昭和の子」向田邦子さんの世界が懐かしく、大事に思えてくる。倫理といっても決しておおげさなものではない。
     みんながしていることでも、自分はしないと、自分なりの禁止事項を作ることである。自慢話はしない。恨みごとをいわない。大仰なものいいをしない。そんな小さなことを心に決めることである。
     向田邦子さんは、そういう意味で倫理をきちんと持っていた。〉

     ひるがえって、舛添都知事である。超高額海外出張費、公用車を使った湯河原別荘通いの露見に続いて、家族旅行や家族で行った回転寿司屋の費用を政治資金として計上していたことが次々と暴露されたが、「第三者の弁護士に調査してもらい、その結果を発表する」の一点張りで説明回避。6月6日になってようやく発表した調査結果も、結局は「不適切な支出が一部あった」と認めつつも、そのすべてについて「違法性はなかった」と繰り返すばかりで説得力はまったく感じられませんでした。そして紛れもない公私混同が常態化していたにもかかわらず、堂々と都知事続投を表明。責任をとる姿勢はまったくといっていいほど見えません。〝舛添ケチジ〟などと揶揄されるほどケチだったようですが、公金の使い方では海外出張のときなどなかなかの太っ腹ぶりを十分に発揮していますから、驚きます。この政治家の辞書には「矜持」という言葉はないのだろう。都議会与党の自民・公明両党の追及がゆるいとみこんでいるのか、責任をとって職を辞する様子はかけらもありませんから、「倫理」も同様、都知事の辞書にはないのでしょう。
     もう一人、〝政治家特有の辞書〟をお持ちの御仁がいます。甘利明・前経済再生担当相です。『週刊文春』のスクープで千葉県の建設業者から現金を受け取っていたことが明らかとなって、2016年1月に大臣辞任に追い込まれ、それ以降、現職の衆議院議員でありながら「睡眠障害」を理由に国会欠席を続けていました。ところが5月31日に東京地検が不起訴処分を明らかにした途端、しっかりした足どりで表舞台に出てきて政治活動を再開したのですから、まさに〝なんでもあり〟です。

     もういちど、『向田邦子と昭和の東京』から川本三郎の言葉を引用して終わります。
    〈昭和が去り、平成の世もすでに二十年も数えるに至った。誰もが感じているように、平成になって、われわれの暮しから倫理が失われるようになった。平たくいえば、なんでもありの荒んだ世の中になってしまった。
     そんな時代になればなるほど「昭和の子」向田邦子さんの世界が懐かしく、大事に思えてくる。〉
    (2016/6/10)
    • 参考になった 3
    投稿日:2016年06月10日