書籍の詳細

スナック従業員の男性が中野の路上で殺害された。被害者は一昨年、通園バスから降車中の園児の列にバイクで突っ込む人身事故を起こし実刑判決を受けていた。走査線上に浮かび上がった容疑者。だが容疑者には、深夜の関越道を東京から新潟に向かっていた完璧なアリバイが認められたが……その裏に隠された真相は!?

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乗り遅れた女のレビュー一覧

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  •  薬師丸ひろ子主演で映画化された『Wの悲劇』で知られる夏樹静子は、女流の第一人者として数多くの犯罪小説、ミステリーの傑作を書き続けています。
     テレビのサスペンスドラマにもしばしばなっていますが、夏木作品で特筆すべきは「犯罪」に走るのは特別な人間ではけっしてないということです。いかにもというような「極悪非道な犯罪者」はでてきません。ごく普通の人々が「犯罪」に走るきっかけ、引き金は何か。夏木ミステリーに一貫しているのは、人間の奥底に潜む “悪意”こそが犯罪を生み出す根源であり、それは誰もが持っているものだという視点です。
     今回紹介する短篇集『乗り遅れた女』収録の「独り旅」の主人公は、渋谷のマンションで独り暮らしするOL。時折出かける独り旅が唯一の楽しみですが、もうひとつ、彼女には秘かな愉しみがあった。行く先々で、わざと忘れ物をして、それが結婚している同僚OLの自宅や、別のOLのフィアンセの元に届くように仕向ける。覚えのないものが届き、中を改めると夫や恋人への不信の念が芽生える・・・・・・年若い同僚OLを相手に「不信の種」を蒔いてくる、独り身の女の密やかな“悪意”。
     しかし、この制御不能な“悪意”から蒔かれた不信の種が思いもよらぬ犯罪を生み出してしまう。それによって“悪意”の矛先とは面識さえもない母子の「希望ある暮らし」があっけなく崩壊してしまう殺人事件が起きる予想外の事態に発展する――“悪意”にちょっとした偶然が重なった時の怖さがいやおうなく迫ってくる一篇ですが、心の奥底で秘かにはぐくまれた意図が綿密な計算の上で実行された犯罪トリックを描いたのが「三分のドラマ」です。
     物語はこう始まります。

    〈「今そこで、人を轢いちゃったんです。すぐ来てください!」若い男の声で一一九番通報がなされたのは、一月二十四日日曜の午後十一時三十八分だった〉

     救急車が現場に到着した時には路上に横たわっている男は既に絶命していた。続いて到着した所轄署の交通課警部補の「事故はどういう状況で起きたんですか」との質問に対し、通報した男は叫ぶような声で説明する。

    〈「寝てたんですよ、あの人が、道路の上に」
    「寝てた?」
    「寝てたのか倒れていたのか、とにかく、道路の上に長々と・・・・・・あんな暗いところに大の男が倒れていたんでは、どうすることもできないですよ」
    「それで轢いてしまった?」
    「葦毛塚に沿ってぐるっと道がカーブしてる格好で、それが終ってすぐのところですからね。あっと思ってブレーキを踏んだ時にはもう間に合わなくて・・・・・・」
    「轢いてしまってから、直ちに一一九番した?」
    「そうです。あそこの電話から」〉

     事故現場で事情確認が行われているところに女が叫びながら駆け寄ってきます。

    〈その時、何かかん高い女の声が聞こえ、コート姿にサンダルをつっかけた女が路上へ駆けだしてきた。
    「ああ、やっぱり事故があったのね・・・・・・ああ、大変・・・・・・」(中略)
    「パパ・・・・・・パパじゃないの・・・・・・」
     女は呆然とした顔で呟き続けている。
    「あなた、この方をご存知ですか」
     係官の問いが耳に入ったのかどうか、女はいきなり地面に膝をついて、無残な遺体にとりすがった。
    「パパ・・・・・・パパ・・・・・・ああ、こんなことになって・・・・・・やっぱり事故に遭っていたのね!」
    「この方は、あなたのご主人ですか」
    「主人ですよ。さっきタバコを買いにいくといって家を出たまま、ちっとも帰ってこないので・・・・・・そのうち救急車のサイレンが聞こえたからまさかと思いながら来てみたら・・・・・・ああ・・・・・・」
    「では、お宅はこの近所ですか」
    「そこを入って、三百メートルくらいのところです」〉

     轢いてしまった若い男と惹かれた男の妻――二人の言い分は真っ向から食い違います。男は「とにかく、死んだように倒れていた」と主張し、被害者の妻は「そんなはずないわ!」「ついさっき元気で家を出た人が、五分もたたずに急病で倒れるなんてはずがないじゃありませんか。嘘ばっかり! あなた、主人を轢き殺しておいて、そんな作り話をして責任を逃れるつもりなのね!」と加害者に詰め寄るようにして叫ぶ――。
     頭部を轢かれている被害者の遺体を解剖した監察医の判断を軸に捜査が進むわけですが、その展開についてはここでは触れません。ただ深夜の交通事故死の深層に実はある意思(悪意といってもいいかもしれません)が存在していて、それが思いもよらぬ結末につながっていくとしておきましょう。
     ここに紹介した2篇、表題作「乗り遅れた女」を初め、収録されている6篇はいずれも秋の夜長に愉しめる夏木ミステリーの秀作です。*新潮社版もあります。(2012/9/28)
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    投稿日:2012年09月28日