書籍の詳細

美徳を信じたがゆえに悲惨な運命にみまわれるジュスティーヌの物語と対をみなす、姉ジュリエットの物語。妹とは対照的に悪の哲学を信じ、残虐非道のかぎりを尽くしながら、さまざまな悪の遍歴をかさねるジュリエット。不可思議な出来事につぎつぎに遭遇し、最後には悪の讃歌をうたいあげるその波瀾万丈の物語は、サドの代表作として知られる古典的傑作である。

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悪徳の栄えのレビュー一覧

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  • 〈・・・激怒の発作には何物をも容赦せず、自然が馬鹿者どもの崇拝のためにのみ造ったかのごとき、乳房とか、玉門の内部とか、あるいは顔とか、もっとも微妙な肉体の部分に対してさえも、同じ兇暴な激情を行使する、おお、ジュリエット、もしこんなことができるとしたら、何という無上の快楽でしょう!〉マルキ・ド・サド著、澁澤龍彦訳『悪徳の栄え』(上巻)の一節(クレアウィル夫人のこと、151ページ)です。日本国語大辞典によれば、「玉門」は普通「玉で飾ったりっぱな門。また、門の美称」といった意味で使われますが、もう一つ「女性の陰部。陰門」の意味も持っています。澁澤龍彦は、18世紀フランスが生んだ特異な作家サドの代表作を訳出するにあたって、和語にこだわり、その性的描写を見事な日本語によって表現してみせました。前門、表門、後門、未通女(ていらず)、初物、陰間(「かげま」と読み、まだ舞台に立てない少年の歌舞伎俳優、宴席にはべって男色を売った少年)、若気(「にやけ」と読み、貴人の側にはべり、男色の対象となった少年)、和毛(にこげ)、千鳥(遊里で、上位の遊女に仕えて、その見習いをする少女、禿(かぶろ)の通り名)、賢水(精液のこと)、破爪(女性の16歳のこと、性交によって処女膜が破れること)などの言葉が連なる澁澤龍彦訳『悪徳の栄え』は、猥褻罪で起訴され、「チャタレイ夫人の恋人」をめぐる裁判とならぶ有名な猥褻罪裁判となりました。第一審無罪、第二審で逆転有罪、最高裁が被告側の上告を棄却して有罪が確定しましたが、猥褻罪にはあたらないという反対意見をつけた最高裁判事・田中二郎の指摘が注目されました。「この作品は、芸術性・思想性をもった社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍彦は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、また、販売等にあたった被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」ご存知のように、マルキ・ド・サドは74年の生涯の後半ほとんどを獄中で過ごしました。その時代、18世紀後半から19世紀初頭のフランスは、フランス革命が起こって宮廷文化が解体していく激変の時代でした。劇的な時代に生きたサドは前半を貴族として性的乱行の限りを尽くしました。娼婦を鞭で打ちすえ、何人もの女に鶏姦を強いました。そして性的狂乱の罪から後半は特権を剥奪されて獄中で性的妄想に耽りました。「監獄ヴァンセンヌと監獄バスティーユに連続幽囚された。それでいて大小50巻に達する書物に性的想像力の極みを言葉に移しおえた。ピエール・クロソウスキーとジョルジュ・バタイユとシモーヌ・ド・ボーヴォワールは、それを大革命が産み落としたもうひとつの哲学とみなした」(松岡正剛「千夜千冊」より)のです。前半生の快楽体験が作品に投影されていることはいうまでもありません。悪徳とは?美徳とは?人間の存在を根源的につきつめていったサド、その代表作が本書『悪徳の栄え』。上下2巻の長編です。(文中、和語の説明は「日本国語大辞典」によっています)(2012/2/24)
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    投稿日:2012年02月24日