昭和天皇 第四部 二・二六事件

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五・一五事件から二・二六事件に至る時代、すなわち昭和7年から11年は、近代日本の曲がり角ともいうべき時期だった。彼(か)の人は敢然とクーデタの鎮圧にあたるが、その行動がなぜ戦争への歯車を逆転させることに繋がらなかったのか。宮中側近、リヒャルト・ゾルゲ、太宰治、古川ロッパ……多彩な人物の視点から描く、大河評伝第四部。

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五・一五事件から二・二六事件に至る時代、すなわち昭和7年から11年は、近代日本の曲がり角ともいうべき時期だった。彼(か)の人は敢然とクーデタの鎮圧にあたるが、その行動がなぜ戦争への歯車を逆転させることに繋がらなかったのか。宮中側近、リヒャルト・ゾルゲ、太宰治、古川ロッパ……多彩な人物の視点から描く、大河評伝第四部。

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書籍の詳細

書店員のレビュー

「昭和の日」として祝日となっている4月29日は、もともと昭和天皇の誕生日で、1988年(昭和63年)までは天皇誕生日でした。1989年1月7日、天皇崩御により昭和から平成へ時代が移り、4月29日は初め「みどりの日」として祝日となり、その後2007年に「昭和の日」と改められました。昭和が終わってすでに25年の時が過ぎ去りました。「昭和」を回顧するテレビ番組が人気を集め、「昭和」を論じる書籍も数多く刊行されています。なかでも福田和也著『昭和天皇』(文藝春秋刊、全7巻)は、気鋭の文芸評論家が自らの思いを語ることのなかった昭和天皇の内面、心情の移ろいにフォーカスを当てて描いた昭和史として雑誌『文藝春秋』連載中から話題となった力作です。現時点で電子書籍になっているのは、「第一部 日露戦争と乃木希典の死」、「第二部 英国王室と関東大震災」、「第三部 金融恐慌と血盟団事件」、「第四部 二・二六事件」、「第五部 日米交渉と開戦」までで、敗戦後の昭和後期をテーマとする「第六部 聖断」、「第七部 独立回復」(完結編)は紙版だけとなっています。今回は「第五部 日米交渉と開戦」を中心に紹介します。昭和天皇は、明治憲法下で全権を握る天皇として二つの決断を下しました。一つは1941年(昭和16年)の対米開戦、もう一つが1945年(昭和20年)のポツダム宣言受諾(降伏)です。日米開戦に至る過程を追った本書あとがきで、著者はこう記しています。〈昭和十四年九月に、ドイツがポーランドへ侵攻し、第二次世界大戦が勃発します。電撃作戦によりポーランドを席巻し、その後も軍事的成功を重ねたドイツに魅了された日本政府は、北部仏印に進駐するとともに、ドイツ、イタリアとの軍事同盟に参加しました。いよいよ厳しい姿勢をとるアメリカとの関係を打開すべく、昭和十六年四月から、ワシントンで、日米交渉がはじまります。交渉は、大使をつとめた野村吉三郎が、あまり英語が得意でなかったためもあり、難航を重ねました。それでも国務省内部の親日派のなかには、なんとか妥結しようと努力する外交官もいたのですが、陸軍の南部仏印進駐により、すべては水泡に帰します。アメリカは、即座に日本にたいする石油の輸出を止めました。そのため我が国は、アメリカに全面的に屈服するか、備蓄した燃料のあるうちに、対米戦争に挑むか、という選択をせまられます。日本は、アメリカと戦う事を選びました。それは、後世から見れば、誠に愚かしい、馬鹿げた決断と両断されるべき決定でしょう。けれども、当時の指導者、昭和天皇その人から、閣僚、軍人、そして市井の人々が、歴史の曲折を経験しながら、結局はその選択を受け入れたという事、その意味合いの深さ、大きさは、単純に裁けるものではありません。苦闘を重ねた後、あらゆる人知、努力を払った後に、この結論に至った事、その経緯と意味は、いまもって私たちが問い、考えるべき事として残されています〉福田和也は本書において、昭和天皇を「彼の人」と書き、「かのひと」とルビを付しています。だんだんと無口になり、表情の乏しくなっていく裕仁を見て、明治の元勲・山県有朋は「石地蔵のようだ」と嘆いたそうですが、著者は少年時代の昭和天皇を通して昭和という時代をこう描きます。〈彼の人は、俊敏とも利発ともいい難い子供でしたが、真面目であること、我慢強いことにかけては無類でした。(中略)若き天皇は、誠に孤独で、過酷な少年時代を過ごしたと云ってもいいかもしれません。とはいえ、それはまた、すべて、周囲の善意、誠意、熱意が生んだ残酷さだったのです。そのことを、将来の天皇としてよく弁えていた彼の人は、幼い体と心で、すべて受け容れたのです。かくあるべき君主になるために。けれども、その真摯さ、真面目さは、明治の丈高い楽観とはかなり違った肌合いのものでした。それは、誰もが真剣で、善意に満ちているが故にこそ救い難く、息苦しい時代の、序曲にほかなりませんでした〉(「第一部 日露戦争と乃木希典の死」より)真摯であろうしたがゆえに、引き返すことかなわずにひた走っていった日米開戦への道。「彼の人」は何を見て、何を思っていたのでしょうか。12月8日の真珠湾奇襲-日米開戦前夜の君主と周囲の善意・誠意・熱意の有り様を著者はこう描き出します。〈昭和十六年十一月三日、彼の人は、杉山元参謀総長、永野修身軍令部総長から作戦計画について説明を受けた。明治節のお祝いを言上しに参内する皇族、文武百官の応接を縫っての事であった。両総長は、昂奮していた。その昂ぶりは、彼の人にとって不快なものではなかった。まず、永野総長が申し述べた。開戦劈頭(へきとう)、フィリピンとマレーに対する先制空襲を行う。同時に航空母艦六隻を基幹とする機動部隊により、ハワイに停泊しているアメリカ主力部隊を空襲する。機動部隊は、千島で補給した後、開戦十数日前に内地を出発、北方から接近し、日の出の一、二時間前、オアフ島の北約二百海里から、全搭載機四百機を発進させて、停泊中の航空母艦、戦艦、航空機を目標として奇襲攻撃を行う。「桶狭間と鵯(ひよどり)越えと川中島を合わせた作戦でございます」永野は、誇らし気に云った。「海軍の開戦予定日は何時(いつ)か」彼の人は質した。「十二月八日と予定しております」「八日は何曜日だ」「月曜でございます。休日の翌日なので疲れております」日米交渉が妥結しなかった場合、何時、どんな形で戦端が開かれるのか、彼の人ははじめて明確に認識したのだった〉この日から35日後――12月8日、日本海軍航空隊が計画通りにハワイの真珠湾を攻撃し、陸軍の部隊はアジアエリアの石油産地を手に入れるための南方作戦を実施。アメリカなど連合軍を相手に全面戦争に突入しました。繰り返しますが、「後世から見れば、誠に愚かしい、馬鹿げた決断と両断されるべき決定」であり、「当時の指導者、昭和天皇その人から、閣僚、軍人、そして市井の人々が、歴史の曲折を経験しながら、結局はその選択を受け入れ」ました。しかし、その歴史を受け容れていく普通の人々の心情にも、著者は目を向けています。「熱情」の本質を見抜く確かな感性が人々の間に育まれていたことがわかります。真山青果原作の『元禄忠臣蔵』後編を撮る溝口健二監督の現場。〈撮影中、大本営発表が飛び込んできた。「おい、この戦争どうなるんだよ」中村右衛門が河原崎長十郎に訊ねた。前進座は、一座をこぞって『元禄忠臣蔵』の撮影に参加していた。「じゃあ、いいじゃないか、一、二、三で、料簡を云おう」一、二の三……「負ける」「負ける」異口同音だった〉「真珠湾奇襲大成功」の大本営発表が日本中に流されるなかで、そうした熱情に踊らされることなく、役者二人が二人とも「負ける」という確かな判断を心の内に秘めていたというわけです。まさかとは思いますが、尖閣列島をめぐる中国との争いは「戦争前夜」を彷彿とさせる状況です。「集団的自衛権」をめぐる議論も、ある意味できわめて現実的なものとなっている状況です。つい70年前の歴史を、いまの問題として読み返してほしいと痛切に思います。(2014/4/25)
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