書籍の詳細

1878年、横浜に上陸した英国人女性イザベラ・バードは、日本での旅行の皮切りに、欧米人に未踏の内陸ルートによる東京―函館間の旅を敢行する。苦難に満ちた旅の折々に、彼女は自らの見聞や日本の印象を故国の妹に書き送った。世界を廻った大旅行家の冷徹な眼を通じ、維新後間もない東北・北海道の文化・習俗・自然等を活写した日本北方紀行。

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イザベラ・バードの日本紀行のレビュー一覧

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  • 2008年4月に講談社学術文庫として刊行された『イザベラ・バードの日本紀行』(上・下)が電子書籍化され、先頃リリースされました。イザベラ・バードは1831年生まれのイギリス人紀行作家で、「ヴィクトリアン・レディ・トラヴェラー」(女性旅行家)として、世界中を旅してまわりました。そのイザベラ・バードが1878年(明治11年)に西洋人女性として初めて東北から蝦夷(北海道)を歩き、3か月間、のべ1400マイル(2240キロメートル)の旅を、イギリスに暮らす妹宛の手紙という形で綴った記録です。書名は『Unbeaten Tracks in Japan』で、初版は1880年ですが、じつは1885年に出版された普及版の翻訳本が『日本奥地紀行』のタイトルで平凡社の東洋文庫に入っていて、その電子書籍版がイーブックジャパンでもすでに販売されています。ただ、この普及版は日本全土に及んだイザベラ・ハードの旅のうち、東北・蝦夷(北海道)に絞ったもので、それ以外の京都・奈良・大阪の旅は収録されていませんでした。その点、講談社学術文庫版では、関西圏を含む彼女の日本紀行のすべてが完本から訳出され上下2巻に収められています。彼女が旅した明治初期の日本は西洋人にとってはどんな位置にあったのか。イザベラ・バードの興味深い叙述があります。上巻から引用してみます。〈船で米国から一六日、英国からは四二日、香港からは四日かかる日本はカムチャッカからわずか二〇マイル[約三二キロ]の位置にあり、アジア大陸にある朝鮮からは木造帆船で一日かければ着く。日本帝国は三八〇〇の島々でなるといわれ、北緯二四度から五〇度四〇分、東経一二四度から一五六度三八分に位置する。つまり最北端は英国南西端にあるランズエンド岬より少し南で、最南端はアフリカ、ナイル川上流のヌビア地方よりやや北に当たる。緯度で二六度分を上まわってまたがっており、北回帰線から三〇マイル内まで伸びているので、屋久島ではほぼ常夏の気候を楽しみ、蝦夷の北部ではシベリアなみの冬の酷寒に震えることになる〉アメリカから16日間の船の旅というのは意外に近いという感じがしないでもありませんが、イギリスから42日と聞けば、やはり遠い辺境の地であることは間違いありません。その辺境の地の、さらにUnbeaten Tracks(人跡未踏の道)へと彼女をかりたてたものは何か。未踏の地への旅支度は思いの外簡単なものだったようです。荷物の重量は約50キロ。一人ついた従者の荷物が約40キロ。柳行李(やなぎこうり)二個は紙で内張りがしてあって防水カバーの役割をはたしたそうです。折り畳み椅子(日本家屋は床しか座るところがなく、寄りかかれる壁もない)、ゴム製浴槽、軽い棒にキャンバス地を張った折り畳み式ベッド(わずか2分で組み立てられた)などが必携アイテムでした。食料についても――〈私が買ったのはリービッヒ製肉エキス少々、レーズン四ポンド[約一・八キロ]、食べるのと飲むのにチョコレート少々、必要時に備えてブランディ少々、それだけです〉食生活も違えば文化も異なる異境の、人跡未踏の地に踏み入ろうという女性作家の旅支度とはとうてい思えないほど簡単なもので驚きます。さて、辺境の地でイザベラ・バードは何に触れ、何を目撃したのか。明治期の日本を知るうえで貴重な文献として研究者の間でも高い評価を得ている名作です。(2011/11/11)
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    投稿日:2011年11月11日