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なぜ、彼はこの半世紀、人びとの関心を集め続けてきたのか。「男が惚(ほ)れる男」だった父・潔と、「日本で最も愛された男」と言われた弟・裕次郎へのコンプレックスから、新銀行東京問題までを徹底取材。大衆の心にひそむ欲望を、無意識に、しかし過剰なまでに映し出す鏡であり続けてきた慎太郎の本質を暴く!(講談社文庫)

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誰も書けなかった石原慎太郎のレビュー一覧

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  • 浦野靖人衆議院議員(40歳、当選1回)「出て行けよ」/石原慎太郎共同代表「出て行く? 立って言ってくれよ」/浦野衆議院議員「出て行ったら、よろしいですやん」/石原共同代表「そうですか」/2014年3月6日、テレビのニュースが異様な光景を映し出していました。日本維新の会のエネルギー調査会の初会合で、会長を務める石原慎太郎共同代表が講演し、トルコへの原発輸出を可能とする原子力協定締結に反対する党の原子力政策を真っ向から否定。「これだけ大きな政党が賛否を記名投票で問うとは、恥ずかしい。高校の生徒会のやり方だよ。私は採決で賛成します。どうしますか、賛成したら」と挑発的な発言をしたとき、1年生議員の浦野氏が席に座ったまま、しかしはっきりと「出て行けよ」と声を上げました。上記はその時のひな壇の石原共同代表と浦野議員の“対決”模様です。「出て行け」は、念のために書き添えますが、会議室からの退場をいっているわけではありません。日本維新の会という政党から出て行け、と党の代表に向かって詰め寄っているのです。党の方針に逆らった若手を代表が出て行けと叱るのはどこの組織でもよくあることですが、その逆、党として決定した方針、方向性を否定し、採決になったら協定締結に賛成するとまで言った代表に対して若手議員が「出て行け」と詰め寄ったわけですから驚きました。驚きましたが、「異様」と感じたのはそのことだけではありません。なにより異様なのは「これだけ大きな政党が賛否を記名投票で問うとは、恥ずかしい。高校の生徒会のやり方だよ」と言い放った石原慎太郎代表の主張です。多数決でことを決め、決まったら反対であった人もその決定には従うという現代社会のルールを破りますと宣言しているわけですから。しかもその代表にまわりの幹部たちがちゃんとものの理を主張できない。党の決定には従ってもらわなければならないなどと言ってはいますが、どうにも困り果てた顔で腰が引けていて迫力がまったくありません。石原代表もそんな批判めいた物言いは、どこ吹く風といった感じです。最後の「そうですか」も、それなら出て行きます、という意味ではもちろんありません。実際の数日後の強面の石原慎太郎は「憲法改正や集団的自衛権など重要問題を前に党に亀裂を生じさせないほうがいい」として「造反」を撤回してみせました。しかし、です。石原慎太郎という男の行動を丹念に追いかけ、200人を超える関係者から多くの証言を集めた『誰も書けなかった石原慎太郎』を読むと、この日本維新の会の事態は決して「異様」ではないのだと思い至りました。著者の佐野眞一は、講談社発行の純文学雑誌『群像』の元編集長で、鬼と呼ばれて多くの作家を震えあがらせた大久保房男氏の指摘を紹介しています。ちなみに、『群像』は現在に至るも石原慎太郎作品を掲載したことがないそうですが、そのきっかけは大久保房男編集長だったそうです。少し長くなりますが、以下に引用します。〈「芥川賞をとったからといって、原稿を頼みに行くわけじゃありません。あれはあくまで文藝春秋の商行為であって、何もそれと一緒につきあうことはないという考えが、僕にはあった。ところが(よそは)石原慎太郎と組むと商売になると思ったものだから、わんさと押しかけた。あそこで文学が社会現象に転換した。同時に純文学の通俗化が起きた。『群像』はどこまでも純文学で行くという考え方でしたから、ちょっと面白いな、くらいには思っても、原稿を頼みに行く気にはなれなかったんです」大久保氏はその頃、『太陽の季節』の授賞に賛成した舟橋聖一と、大反対した佐藤春夫に原稿依頼の仕事で会っており、そのときも慎太郎のことが彼らの方から話題に出た。舟橋は「なぜ『群像』は石原慎太郎を載せないんだ」と憤慨し、佐藤は、笑いながら「あれは股間の剣を使った剣豪小説だ」と精一杯の皮肉をいった。(中略)・・・・・・しかし、決定的だったのは高見順宅での一件だった。「高見さんのところで石原慎太郎に会い、彼がその頃書いた小説について、僕なりの批評をしたんです。すると彼は、『群像』なんていう古くさい雑誌は僕には何の興味もない、といった。それで僕は、あ、そうか、この人は将来にわたって『群像』とは縁がないんだ、と思った」慎太郎からすれば「鬼」であろうと何であろうと、自分のことを棚にあげ、「編集者風情がオレに説教するとは生意気な」と思ったに違いない。「彼が帰ったあと、高見夫人が、大久保さん、あの人は若いからあんなこといったけど、本当は『群像』に書きたくてしょうがないのよ、と一生懸命とりなしていた。けれど、いくら新人であろうと、一ぺん作家が口に出したことは尊重しなきゃならない」(中略)大久保氏は別れ際、慎太郎を珍しく褒めた。しかしそれは、やはり慎太郎への最後の痛烈なあてつけとしかとれなかった。「人と同じことをいわないのが文士気質なんです。彼は『シナ』といって、マスコミから随分非難されていますが、常識で非難するマスコミのほうが間違っている。作品はさておき、僕は石原慎太郎を政治家として、非常に認めているんだ(笑)」〉大久保元編集長が指摘する「シナ」は、石原慎太郎が中国のことを「シナ」と繰り返し言っており、そのたびに当の中国から厳しい非難を受け、また日本の多くのマスコミも批判を繰り返していることを指していますが、肝心の石原慎太郎は非難の集中砲火をあびても揺るぎありません。常識で推し量っていたのでは、「石原慎太郎」の内側には入ってはいけませません。平行線をたどるだけで、けっしてクロスすることはないというわけです。ときに「暴走老人」などと揶揄される石原慎太郎。その非妥協性、傲岸不遜な生き方はどこからきているのか。そして『太陽の季節』で芥川賞を受賞して以来ほぼ半世紀、「時代と添い寝してきた男」といわれるほど、いつの時代にも脚光を浴び続け、日本人の熱狂(あるいは反熱狂)の対象であり続けていられるのは何故なのか。佐野眞一がつかんだ石原慎太郎理解のキーワードは「コンプレックス」です。石原慎太郎が弟・裕次郎と共に少年時代を過ごした北海道の小樽を訪ねたとき、小樽文学館で一悶着を起こして周囲を困惑させたという。慎太郎はコーナーに自分の著書が飾ってないといって、係員を怒鳴りつけ、これまで自分が寄贈した本を全部引きあげるといいだした。そのあと慎太郎は石原裕次郎記念館に回ったが、そこでも機嫌は直らない。再び本書から引用します。〈・・・・・・このとき慎太郎に随行した地元関係者の一人は、慎太郎がふと洩らした言葉をよく憶えている。「弟は親父が死んで、おふくろが家計で苦労しているのに、何の思いやりもなく、慶応高校なんてカネのかかるところへ行きやがって……」この関係者は、その言葉を聞いて、裕次郎や石原軍団だけを持ちあげる小樽の空気が呼び水となって、元々慎太郎が内面に抱えていた弟への強いコンプレックスが、一気に爆発したような気がしたという〉その華々しい経歴から、太陽にも光にも例えられる慎太郎だが、裕次郎との心理的関係に於いてだけは、心ならずも、影の役回りに甘んじさせられている――佐野眞一は、石原慎太郎の心の闇に光をあてていきます。(2014/3/14)
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    投稿日:2014年03月14日