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希代の咄家・橋鶴が最期までオチをつけてオッチンだ。今宵は弟子たちが集まる通夜だけに艶っぽい逸話(エピソード)も飛び出す無礼講。笑って死ぬか、死ぬまで笑うか、どっちもどっち?粋でホロリとさせる咄家模様を描く『寝ずの番』3部作ほか、読み出したら止まらない、Hで笑撃的な“らもテイスト”満喫の短編集。

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寝ずの番のレビュー一覧

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  • 中島らも著『寝ずの番』の表題作を読み始めて、思わず芸達者たちが演じる同名映画のあるシーンが目に浮かんで思い出し笑いをしてしまいました。このシーン、原作ではこうなっています。〈「では師匠いきますよ」女房は病床の上に上がると、相撲取りのように股(また)を割った。そのまま師匠の顔のあたりまでにじり寄ると、顔に向けてスカートをまくり上げた。早々と、家を出るときにノーパンになっていたのだ。その女房の股間を、師匠はじっと見ていた。どれくらいその状態が続いたのか、おれにはわからない。七、八秒かもしれないし、二十秒くらいかもしれない。とにかく女房は役目を終えてそそをしまうとベッドを降りた。橋次兄さんが師匠の耳元までいって、「どうでした。師匠、そそをお見せしましたが」師匠は弱々しく首を振って、「そそやない。そとが見たいと言うたんや」それから三分後に師匠は亡くなった。〉師匠役に長門裕之、大事な役目を果たした女房・茂子役は木村佳乃、その亭主で弟子の橋太役に中井貴一、「そと」を「そそ」と聞き間違えた兄弟子・橋次役に笹野高史といった芸達者を揃えた映画は映画としての面白さがあるのですが、上方落語の重鎮、六代目笑福亭松鶴をモデルにした原作小説は、その文章の小気味よさ、言葉遊びの含蓄、上方噺家独特の人情の機微を捉えた中島らもの感性が凝縮された見事な出来映えです。なにしろ、映画は文部科学省認定作品でありながら、原作に忠実で猥語が頻出。それを理由にR15指定を受けているのですが、猥語頻出の語り口がとにかく面白い。前出の「そそ」についてはこうあります。〈「そそ」とは女性器の呼び名、もしくは性行為のことを指す。関西圏では普通、「おめこ」というが、京都あたりになると、はんなりと「おそそ」と呼ぶことが多い。九州では「ぼぼ」、東北では「べっちょ」、沖縄では「ほーみー」と、いろんな呼び名がある。(中略)誰が作ったのか知らないがこういう唄がある。 ♪えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ、/吉原あたりが大火事じゃ/おそそで建てた家じゃもの/ぼぼ~燃えるのは当たり前♪/というわけで、「おそそ」「そそ」は女性器および性行為をさす言葉だ。だからその言葉の通用する京都あたりでは「そそとした美人」だの、ましてや「そそくさと立ち去る」などの表現はタブーなのである〉ことのついでに言えば、落語会で「お茶子」といえば噺家と噺家の間に座布団を裏返すのが役割ですが、淡路島では女性器および性行為のことを「ちゃこ」と呼ぶそうです。〈ある日、橋鶴事務所に一人面接の女の子がきた。ブルドッグ顔で面接に出たのがうちの師匠だった。「あの、どんな仕事をすればいいんでしょうか」女の子が尋ねた。橋鶴師匠は耳の穴をほじりながら、「そうやなあ。とりあえずお茶子でもしてもろうて」「・・・・・・。私、帰らせていただきますっ」女の子はすっ飛んで逃げたそうだ〉ともあれ「そそ」と聞き間違える一波乱があったあとの通夜。師匠の前で弟子たちが「寝ずの番」で酒を呑みつつ、師匠を語り、最後には「死人のカンカン踊り」で夜を明かす。ただ単に猥語がとびかうだけではありません。ヒトの営みの最もプリミティブな性を徹底的に明るく、面白おかしく語っていく、その先には関西の人間社会の濃密さが見えてきます。iPadの画面上に上方芸人の生き様が浮かび上がってくるようです。(2011/10/7)
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    投稿日:2011年10月07日