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昭和庶民伝第二部。笑いと涙の、傑作戯曲。敗戦後、復員してきたプロ野球選手を巡って神田の愛敬稲荷神社で起こる珍騒動。戦争と神道という重いテ-マを野球で明るく解き明かす名作。(講談社文庫)

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闇に咲く花のレビュー一覧

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  • 「花は黙って咲いている。人が見ていなくても平気だ。人にほめられたからといって奢らない。」井上ひさしさんの芝居のせりふの一節が、自宅の小さい書斎の壁に額装されてかかっています。一昨年、井上ひさし生誕77年にちなんで77のせりふを集めて開かれた「せりふ展」の際に気に入って買い求めたものです。1987年10月初演の「闇に咲く花 愛敬稲荷神社物語」からとられたもので、初演は見逃したのですが、1999年になってようやく見ることができました。いまでも、壁の「せりふ」を眺めていると、主人公の健太郎役を演じた益岡徹のせりふが耳のなかで甦ってくるような気がします。もうおわかりのように、今回とりあげる『闇に咲く花』は、こまつ座の座付き作家として・井上ひさしさんが生み出した傑作戯曲。第15回テアトロ演劇賞を受けた「昭和庶民伝三部作」の第2作です(第1作は「きらめく星座」[戦前編]、第2作が「闇に咲く花」[敗戦編]、第3作は「雪やこんこん」[戦後編])。太平洋戦争が終わって2年たった昭和22年(1947年)夏。神田猿楽町の愛敬稲荷神社――神田明神と九段の靖国神社に挟まれた神田駿河台の一角にある小さな神社は、空襲でやられて残っているのは神楽堂くらい。食糧難の時代、宮司と5人の未亡人が境内で「お面工場」を営む一方、妊婦姿に偽装して闇米の買い出しに明け暮れる日々をおくっています。そこへ戦死したはずの宮司・牛木公麿の一人息子、牛木健太郎が帰ってきて、物語が動き始めます。健太郎は神田中学時代、快速球投手として名をあげ、職業野球団イーグルスに入団しましたが、そこで召集となりグアム島へ。そして転属命令をうけて乗り込んだマニラ行きの輸送船が米潜水艦の攻撃を受けて沈没。父の宮司の元には「戦死公報」が届きましたが、健太郎は海に投げ出されたところを米軍によって救出されました。しかし記憶喪失で病院に収容されて、2年後に生還を果たしというわけです。もともと職業野球の投手だった健太郎はただちに球団のテストを受け合格、契約し、周囲は大喜びしたのも一瞬で、C級戦犯の容疑がかかっていて、GHQからの出頭命令が伝えられます。突然の暗転に牛木宮司、バッテリーを組んでいた親友の精神科医師、戦争未亡人たち、監視役を命じられながらも愛敬稲荷神社の仲間たちにシンパシーを感じている派出所の警官、そして窮地に陥った健太郎自身は何を考え、どう動くのか・・・・・・井上ひさしさんは神田の小さな神社を舞台に敗戦後の社会を生きる昭和庶民の姿を通して何を描こうとしたのでしょうか。井上ひさしさんは常々、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」といっていました。この物語もその井上流が貫かれています。テーマとされているのは、神社(靖国神社)と戦争責任です。こんなくだり――せりふがあります。〈公麿 平和の太鼓だ。八月十五日と十一月三日の両日、都内の全神社が正午を期して一斉に太鼓を鳴らす。神田明神あたりのへっぽこ太鼓には負けんぞ。戦さは終ったドンドコドン、日本は平和だドンドコドン、民主日本だドンドコドン、デモクラシーで暮しいいドコドン。こう唱えながら鳴すんだそうだ。戦さは終ったドンドコドン……。 健太郎 ぼくが出征する前、とうさんは境内に町内の皆さんを集めて「足踏み運動」というのをやったでしょう。「さあ、これから地面を力一杯、八百八十八回踏みつけましょう」と号令をかけて。 公麿 さあて……? 健太郎 とうさんの叩く太鼓に合せて皆さんが、地球の裏側アメリカだドンドン、力一杯踏みつけりゃドンドン、その分アメリカ降参だドンドン……。 公麿 そんなことやったっけ。 繁子 わたしはやりましたよ。 藤子 あたしも。毎朝、あればっかりやらされて、おかげで足の裏が真ッ平になっちゃった。 勢子 頭にはひびくし、 加代 赤切れは余計痛むし、 民子 下駄は割れるし、 繁子 降参したのはわたしたちの方でした。 五人 朝から晩まで踏みつけりゃドンドン、そのうちアメリカ大地震ドンドン、ナイヤガラーは崩れ落ちドンドン、エンパイヤーは滅茶苦茶ドンドン、ホワイトハウスはぺっしゃんこドンドン、ルーズベルトもぺっちゃんこドンドン。 公麿 ……。 健太郎 そのとき、とうさんに忠告した。「日本の反対側はアメリカじゃなくて、ブラジルかアルゼンチンのあたりじゃないのかい」。とうさんは怒った。「お国がつくったものに、おまえは難癖(なんくせ)つける気か」。それが今度は平和の太鼓か。悪いけど、ぼくは気が進まないな〉戦前は大地を踏みつけてアメリカをやっつけろと鼓舞していたのが、戦後は一転して平和の太鼓を打ち鳴らせ――上にあわせてこうくるくる変わるのは無責任だと断じて、健太郎は最後にこう言います。〈健太郎 上になにか戴(いただ)いていないと落ち着かないんだ。そうして、上に戴くものが白なら、何の考えもなく白くなる。白が青に変れば、こんどは何の反省もなく青くなる。平和の太鼓の次はなにを上に戴くつもりだろう〉問われているのは、「国家神道」――全国8万の神社を内務省の神社庁のもとにたばね、庶民を戦争にかりたてていった歴史がありました。5人の戦争未亡人のせりふをご覧ください。〈繁子 こんな人のいい神主さんが、私の主人を戦地に送り出すとは鬼のような顔で、「骨は国が拾ってやる、安心して征きなさい」と云ってました。 藤子 あたしの亭主のときは、こうだった。「この次は九段でお会いしましょうな」。今、考えてみると、あれは「生きて帰ってくるな」という脅迫だったね。 勢子 わたしの主人のときは。「イヌ、ネコ、バッタ、コオロギに至るまで戦さの役に立たねばならぬ時代でありますから、中村洋一くんが戦地に赴(おもむ)かれることになりましたのは当然で」というおコトバをくださった。 加代 うちのときは「神となってお帰りください」だった。 民子 うちは、「よろこんで死んできてください」だった〉 町の小さい神社の話としてわかりやすくしてありますが、その頂点にあったのが靖国神社です。そしてそこに「平和を祈って」と称して参拝する首相の存在。「政府が右ということを左というわけにいかない」と堂々と語ったNHK新会長。戦前・戦後の180度の大転換にしても、白から青への反省なしの移行にしても、現在の日本のありようそのままといってはいいすぎでしょうか。井上ひさしさんはどう見ているのでしょうか。健太郎は父の公磨にこう説きます。〈出征兵士を死の世界へ送り出したとき、神社は神社でなくなり、神道は神道でなくなったんだ〉〈父さん、ついこのあいだおこったことを忘れちゃだめだ、忘れたふりをしちゃなおいけない。過去の失敗を記憶していない人間の未来は暗いよ。なぜって同じ失敗をまた繰り返すにきまっているからね。神社は花だ。道ばたの名もない小さい花・・・・・・〉私の書斎の額装した「せりふ」は、過去の失敗を繰り返さないことを願う井上ひさしさんが絞りだした、私たちへのメッセージです。(2014/2/7)
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    投稿日:2014年02月07日