書籍の詳細

“最後の文士”高見順が、第二次大戦初期から死の直前まで、秘かに書き続けた精緻な日記は、昭和史の一級資料たるのみならず、日記文学の最高峰の一つとなった。ここに収録されたのは昭和20年1月から12月までの記録で、自己をも押し流しながら破局へと突き進む空襲下の8月までと、すべて価値観が変わってしまった、連合軍の占領下にある年末までの日本の悲劇を、冷徹で仮借ない文学者の目をもって率直に活写した、ハイライトの部分である。

まだユーザーレビューはありません。最初のレビューを書いてみませんか?

敗戦日記(新装版)のレビュー一覧

絞込み条件
  • レビュアー絞込み
表示形式
  • 表示件数
  • 表示順
  • 没後46年の2011年(平成23年)の夏、高見順『敗戦日記』が見直されています。「最後の文士」と称される昭和時代の作家・高見順が1945年(昭和20年)1月1日から12月31日までの1年間を綴った日記です。いうまでもなく、66年前のこの年は第2次世界大戦(太平洋戦争)最後の年で、3月の東京大空襲、6月の沖縄陥落、8月6日広島、9日長崎への原子爆弾連続投下を経て8月15日に天皇が戦争終結の詔書を放送。いわゆる玉音放送で、それを境に日本は敗戦国として連合国軍の占領下に入り、焼け跡からの復興の道を歩み始めます。まさに激動の1年でした。高見順はその1年をどう生き、何を見ていたのでしょうか。8月15日には次のように書いています。〈「ここで天皇陛下が、朕とともに死んでくれとおっしゃたら、みんな死ぬわね」と妻が言った。私もその気持ちだった。(引用者中略)十二時、時報。君ガ代奏楽。詔書の御朗読。やはり戦争終結であった。(中略)遂に敗けたのだ。戦いに敗れたのだ。夏の太陽がカッカと燃えている。眼に痛い光線。烈日の下に敗戦を知らされた。蝉がしきりと鳴いている。音はそれだけだ。静かだ〉ジリジリと照りつける太陽と蝉の鳴き声がかえって静けさを伝えていて、喪失感とともに戦争が終わったというある種の解放感を感じさせます。高見順自身、前日の8月14日にはこんな風に書いています。〈戦争が終ったら、万歳! 万歳! と言って銀座通りを駆け回りたい、そう言った人があったものだが、私もまた銀座へ出て、知らない人でもなんでも手を握り合い、抱き合いたい。そう言ったものだが〉戦争、敗戦、そして復興へ――同時代人として生きた作家によってその時代の日本人のありのままの心情が書き残された貴重な記録です。こうした日記文学を高く評価するドナルド・キーン米コロンビア大学名誉教授は、東日本大震災直後に「こうした日本人と共に生きたい。日本人になる」と語り、その理由の一つとして高見順ら日本人作家の日記の存在に光をあてました。これが高見順再評価のきっかけとなったわけですが、戦争終結から66年、3.11から5か月の2011年8月に、ぜひとも読み直していただきたい一冊です。ほかに1945年を東京で医学生として体験した山田風太郎による『戦中派不戦日記』(講談社電子文庫)もあります。これも見逃せません。(2011/8/12)
    • 参考になった 2
    投稿日:2011年08月12日