書籍の詳細

2003年刊の底本『経済学と人間の心』(四六版上製)の新装版。著者は市場メカニズムや効率性の重視に偏った考え方を批判し、人間の尊厳や自由を大切にした経済社会の構築を訴えてきました。実際、2000年代後半のリーマン・ショックや世界経済危機を経て、「人間が中心の経済」という思想はますます輝きを増しています。同時に、幸福な経済社会を作るうえで、経済学がどのような役割を果たせるかという議論が巻き起こっています。新装版では底本の構成をガラリと変え、未公開の講演録2本を追加しました。さらにジャーナリストの池上彰氏が「『人間のための経済学』を追究する学者・宇沢弘文」と題して、解説を加えています。ノーベル経済学賞候補と言われた世界的な知の巨人・宇沢弘文氏が、温かい言葉でその思想を語った、珠玉のエッセイ集です。

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経済学は人びとを幸福にできるかのレビュー一覧

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  •  宇沢弘文(うざわ・ひろふみ)。1928年7月生まれ、85歳の、この碩学の新著を、しかも電子書籍でも読めることを率直に喜びたいと思う。東京大学理学部数学科を卒業後、同大大学院特別研究生を経て、米スタンフォード大学大学院に移り、経済学部助教授に就任。以来、カリフォルニア大学助教授、シカゴ大学教授、東京大学教授を歴任して、経済学分野で多くの研究業績をあげてきた宇沢教授が、近年力を注いでいる「社会的共通資本」の考え方を中心に経済学のこれからの課題を自らの研究者人生をまじえて平明な言葉で語ったのが本書『経済学は人びとを幸福にできるか』です。数学科出身で、経済学へ転じ最新理論を極めた宇沢教授の名前が一般によく知られるようになったきっかけは、1974年に出版された『自動車の社会的費用』(岩波新書)でした。評論家の池上彰氏は、本書巻頭によせた解説で次のように指摘しています。〈私が宇沢氏の名前を知ったのは、一九七四年に岩波書店から出版された『自動車の社会的費用』でした。当時、多くの国民が自動車を保有して乗り回すようになった日本で、自動車は富のシンボルでした。自動車生産が激増することで、日本経済も大きく躍進していました。その一方で、自動車事故の件数は増え、排気ガスによる大気汚染も深刻になりつつありました。宇沢教授は、こうした自動車の台数が増えることによって発生する「社会的費用」の膨大さを指摘・告発したのです。「自動車を所有し、運転することは、各人が自由に自らの嗜好にもとづいて選択できるという私的な次元を超えて、社会的な観点から問題とされなければならない」(同書)(中略)こうした社会的な問題に関して、現代経済学とりわけ新古典派の経済理論では分析できない。これが宇沢氏の問題提起でした。(中略)多くの人が「自動車は富の象徴。いいもの」と考えていたときに、この問題に切り込んだのは、まさに学者としての良心でした〉それ以降、宇沢教授は様々な社会的問題に対し精力的に取り組んでいくわけですが、本書はいわば「人間のための経済学」を追究してきた宇沢教授の集大成ともいうべきものです。その意味で、本書で紹介されている昭和天皇とヨハネ・パウロ二世とのエピソードはたいへん興味深いものとなっています。少し長くなりますが、以下に引用します。1983年11月、宇沢弘文教授は文化功労者に選ばれ、昭和天皇に初めて会うことになります。天皇制に批判的な考え方を持っていて、そのことをよく口にしていたため、宮中に招かれたことに違和感をもっていたと正直に語る宇沢教授が、昭和天皇に自らについて語る順番が回ってきた時のことです。〈私の順番が回ってきたとき、私は完全にあがってしまっていた。(中略)私は夢中になって、新古典派経済学がどうとか、ケインズの考え方がおかしいとか、社会的共通資本がどうのとか、一生懸命になってしゃべった。支離滅裂だということは自分でも気が付いていた。そのとき、昭和天皇は私の言葉をさえぎられて、つぎのように言われたのである。「君! 君は、経済、経済というけど、人間の心が大事だと言いたいのだね」昭和天皇のこのお言葉は、私にとってまさに青天霹靂の驚きであった。私はそれまで、経済学の考え方になんとかして、人間の心を持ち込むことに苦労していた。しかし、経済学の基本的な考え方はもともと、経済を人間の心から切り離して、経済現象の間に存在する経済の鉄則、その運動法則を求めるものであった。経済学に人間の心を持ち込むことはいわば、タブーとされていた。私はその点について多少欺瞞的なかたちで曖昧にしていた。社会的共通資本の考え方についても、その点、不完全なままになってしまっていたのである。この、私がいちばん心を悩ましていた問題に対して、「経済、経済というけど、人間の心が大事だと言いたいのだね」という昭和天皇のお言葉は、私にとってコペルニクス的転回ともいうべき一つの大きな転機を意味していた。(中略)昭和天皇のお言葉に勇気づけられて、私はそれから二十年近くにわたって、社会的共通資本の考え方を中心として、人間の心を大事にする経済学の形成に力をつくした。この研究活動を評価していただいて、一九九七年、私は文化勲章を受章するという栄誉を受けた。そのとき、私は、先の光景をなつかしく思い起こし、昭和天皇が、国民の象徴として、日本を「天皇を中心としている神の国」から「民主主義的ルールを重んずる国」に変えられるためにお心を使われてこられたことをあらためて心に刻み込んだのである〉パウロ二世との出会いにも宇沢教授らしい時代に対する洞察力が背景にあります。〈一九九〇年八月、私はローマ法王ヨハネ・パウロ二世から一通のお手紙をいただいた。一九九一年が回勅「レールム・ノヴァルム」が出されてから百周年に当たるので、新しい「レールム・ノヴァルム」を出すことになった。その作業に協力してほしいという内容であった〉回勅とは、ローマ法王がそのときどき、世界が直面する最も重要なことがらについて、ローマ教会の正式の考え方を全世界の司教に通達する文書のことで、1891年5月、ときの法王レオ十三世が出した前回の回勅の基本テーマは「資本主義の弊害と社会主義の幻想」というサブタイトルに端的に示されていたという。〈ヨハネ・パウロ二世からのお手紙に対して、私は躊躇(ちゅうちょ)することなく、「社会主義の弊害と資本主義の幻想」(Abuses of Socialism and Illusions of Capitalism)こそ、新しい「レールム・ノヴァルム」の主題にふさわしいというお返事を差し上げた。そして二十一世紀への展望を考えるとき、制度主義の考え方こそ人類が直面する問題を解決するための重要な概念で、それは、資本主義とか社会主義という、経済学のこれまでの考え方ではけっして解決できない。地球環境、医療、教育を中心とする社会的共通資本の問題をもっと大切に考えて、一人ひとりの人間が人間的尊厳を守り、魂の自立をはかり、市民的自由を最大限に発揮できるような安定的な社会を求めて、私たちは協力しなければならないことを強調した。ヨハネ・パウロ二世は、私の提案をたいへんよろこばれ、直接お目にかかって、ご進講する機会をもつこともできた〉「倫理の専門家としてもっと積極的に発言を」と強調する宇沢教授に対して、パウロ二世はニコニコしながら「この部屋で、私に説教したのは、お前が最初だ」と返したそうです。そして、1991年5月、パウロ二世によって出された「レールム・ノヴァルム」は「社会主義の弊害と資本主義の幻想」を主旋律とした感動的な文書でした――。本書には環境問題はいうに及ばず、改憲問題、原発、格差の拡大、中韓との対立(安倍首相は第一大戦前夜に似ているとまで発言しました)といった、いま私たちが直面する様々な問題を考えるうえでのヒントが詰まっています。いまこそ、碩学の集大成の書を改めてお読みいただきたい。(2014/1/31)
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    投稿日:2014年01月31日