書籍の詳細

1930年代から50年代にかけてのアメリカの時代を、職人芸といってもよい精緻な筆致で描きあげた短編集。ニューヨークがパリが、ブルックリンが生きた人間の町として浮かび上がる。表題作のほか「八〇ヤード独走」「ニューヨークヘようこそ」「カンザス・シティに帰る」「愁いを含んで、ほのかに甘く」など10編を収録。

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夏服を着た女たちのレビュー一覧

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  •  大学を卒業して週刊誌編集者の仕事を始めて数年たった頃、仕事とは直接の関係はなかったのですが、アーウィン・ショーの短編小説やピート・ハミル、ボブ・グリーンなどのコラムの虜になったことがあります。雑誌「ニューヨーカー」や「エスクワイア」などに発表されたアメリカ、とりわけニューヨークで暮らす人々の息遣いをそのまま伝えるような、洗練された文章――主に後に『遠いアメリカ』(講談社文庫、品切れ)で直木賞を受賞する常盤新平さんの翻訳によって味わうのですが――がなんとも魅力的でした。一時期、日本でも多くの読者を得ていたのですが、最近では紙の書籍は在庫切れとなっているケースが多く、また電子書籍化もあまり進んでいないようです。日本への紹介者としてこの分野を先導した常盤新平さんの直木賞受賞作もそうですが、紙は在庫切れ、電子の用意はまだないということで、読みたくても入手が難しくなっているのが最近の実情です。そんな閉塞状況を打ち破るように、アーウィン・ショー著、常盤新平訳の『夏服を着た女たち』がリリースされました。原題は、”The Girls in Their Summer Dresses”。アーウィン・ショーの代表作を電子化してリリースしたのは、講談社出身の大出健氏が主催するグーテンベルク21。同社は、シェークスピア、アガサ・クリスティ、フィッツジェラルド、ヘミングウェーなどの著作権が切れた書籍を中心に電子化して広く提供していこうという考えに基づいて活動していますが、今回紹介する『夏服を着た女たち』もその一環で、紙書籍が手に入りにくくなっている現状を考えると、ファンにとってはうれしいかぎりです。もっともアーウィン・ショーにしても翻訳者の常盤新平さんにしても、亡くなったのは1984年、2013年で著作権が切れているわけではありません。一般に翻訳書の場合、著作権の処理が難しいことを考えると、同社のこうした活動が今後、読者の選択肢を広げていってくれることを期待できるのではないかと思います。さて、『夏服を着た女たち』には表題作を始め、「八〇ヤード独走」「ストロベリー・アイスクリーム・ソーダ」「ニューヨークへようこそ」「カンザス・シティに帰る」「フランス風に」など10本の短編が収録されています。作品の舞台となるのはニューヨークとパリ。ニューヨークのブルックリン生まれのショーは、1942年に徴兵で陸軍に入隊、北アフリカとヨーロッパに行きました。第二次大戦後、パリに残り、そこで創作活動を始めます。その時代に感じたことをありのままに書いたのがこの短編集で、ニューヨークについていうなら、ショーは1930年代から1950年代にかけて黄金時代にあったニューヨーク、まさにもっともよき時代のニューヨークを描きました。それが、半世紀を超えてなお、色褪せることなく、単なるノスタルジーではなく、私たちの心を揺さぶり、何ともいえない感動を与えてくれるのです。「スローなブギにしてくれ」「モンロー・ウォーク」で知られるミュージシャン南佳孝は、1982年ニューヨーク録音のアルバム「Seventh Avenue South」をリリースしましたが、その中にはアーウィン・ショーへのオマージュをこめた「夏服を着た女たち」が含まれていました。世代を超え、地域を超えた共感を育んできた小品、『夏服を着た女たち』はこう始まります。〈五番街に陽がさしているころ、二人はブレヴールを出て、ワシントン・スクェアのほうへ歩いていった。十一月でも、陽ざしは暖かく、いかにも日曜日の朝らしかった──行きかうバスも、連れだってのんびりと歩く盛装した人たちも、ウィンドウをとざしてひっそりとした建物も。マイクルはフランセスの腕をしっかりとかかえながら、陽光を浴びて、南のほうへ歩いていった。足どりは軽く、微笑がこぼれてきそうだった。おそくまで寝て、おいしい朝食をとり、おまけに日曜日だったからだ。マイクルはコートのボタンをはずし、微風にコートの前をひらひらさせた。二人は、若い楽しそうな人たちにまじって、無言で歩いた。どういうわけか、ニューヨーク市のこのあたりに住むのはほとんどそんな人たちらしい。「よそ見しちゃだめよ」八丁目を横切るときに、フランセスが言った。「首の骨を折ってしまうわ」マイクルが笑いだすと、フランセスもいっしょに笑った。
    「とにかく、彼女、そんなに綺麗じゃないわ」とフランセスは言った。「あなたが見とれて首の骨を折りかねないほど綺麗じゃなくてよ」マイクルはもう一度笑いだした。こんどはさっきより大きな笑い声だったけれども、心からのものではなかった。「醜女(ぶす)じゃなかったよ。肌が綺麗だった。見てたってことがどうしてわかったんだ?」フランセスは小首をかしげて、帽子の反ったひさしの下から夫に微笑みかけた。「マイクったら……」マイクルは笑ったが、こんどはちょっと笑っただけである。「オーケイ」と言った。「図星だね。ごめんよ。肌の色だったんだ。ニューヨークであまりお目にかからないような顔色なんでね。悪かった」〉最初の一行目にでてくる「ブレヴール」は、1854年開店。五番街にできた最初のホテルで、五番街と八丁目の北東の角にありました。ニューヨークを訪れるイギリスの上流階級の人たちが愛用したという。いまは建て直されて高級アパートになっていますが、ヴィレッジの名物でもあった老舗ホテルで一夜を過ごしたあとの日曜日の朝。暖かい日差しの中をワシントン広場から五番街に向かって散歩に出かけた夫婦。夫はすれ違う女たちに必ず目を向ける。女たちが気になってしょうがないのだ。妻に言わせれば、その様は「首が折れるほど」だ。〈「……あなたはどんな女とすれちがっても、かならず見るわ」「それは大げさだ」「どんな女でもいいんだわ」フランセスはマイクルの腕から手を引いた。「綺麗な女性じゃないと、あなたはたちまち眼をそらしてしまうの。十人並みの女性なら、七歩ぐらいじっと見るわね……」「よせよ、フランセス!」「美人なら、あなたはほんとうに首の骨を折るでしょう……」(中略)「ねえ、いいかい、きみ」とマイクルは言い、言葉を選ぶのに注意した。「今日は素晴しい日だし、僕たち二人とも気分がいいんだから、それをぶちこわすという手はないよ。楽しい日曜日にしよう」「あなたがまるで五番街の女性(スカート)を必死に追いまわしたそうな顔をしなければ、私には素敵な日曜日になるんだけれど」「一杯飲もう」「飲みたくないわ」「何をしたいのかね、喧嘩かな?」「いやよ」とフランセスがあまりにもかなしそうに言ったので、マイクルは悪いことをしたとひどく後悔した。「喧嘩はいやね。なぜ私はこんなことをはじめたのかしら。いいわ、よしましょう。楽しく過しましょう」〉倦怠期にさしかかって困惑する二人は意識的に手を組んで、ワシントン広場の乳母車や日曜日の服装をしたイタリア人の老人たちやスコッチ・テリアを連れた若い女たちのあいだを無言で歩いていき、八丁目の酒場に入る。小柄な日本人の給仕がプレッツェルをおくと、うれしそうに笑いかけた、と続くのですが、微妙な感じの二人の間で、この日本人給仕が緩衝材のような役割を演じます。日曜の昼前、酒場に入った倦怠期只中の二人。妻の怒りをなだめて、何とか窮地を脱したい夫は「朝食の後で注文するなら何にする?」と訊き、妻は「ブランディにしようかしら」とつぶやく。夫は即座に日本人給仕に「ならクールヴォアジェを二つ」と伝えます……。他愛のない夫婦の会話に見えますが、すれ違う心と通じあう気持ちの微妙なバランスがいい。よき時代のニューヨーカーの日常の機微が描かれて秀逸です。訳者の常盤新平さんはあとがきにこう記しています。〈夏のニューヨークでは、サマー・ドレスの女たちがじつに美しい。「夏服を着た女たち」の主人公は、街でふりかえって見る女たちについてあれこれ説明を加えているのに、夏服を着た女たちにかぎって、ただ「夏服を着た女たち」であり、しかも、それが小説の題名にもなっている。その理由が、私は一九八三年のその六月にわかったような気がした。こういう簡単な事実を知るまでに、「夏服を着た女たち」を偶然に読んで、胸がふるえたときから、じつに三十年もかかったことになる。〉(2014/8/1)
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    投稿日:2014年08月01日