書籍の詳細

進歩に魅入られ、とめどない加速性の文明を構築した現代、人類にとってかけがえのない一つの環境、もはや無限大ではない、この地球に生れあわせて――。自然界を世界をトータルに把握しようとする著者が、悲観的、だが地球との共存の可能性を探る「この地球に生れあわせて」「考え方を変えること」等、最新の文明論、加えて生きがい論、様々な旅の回想等、偉大な一科学者の思想と心の遍歴を綴る。

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この地球に生れあわせてのレビュー一覧

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  • 第2次世界大戦が日本の無条件降伏によって終戦となって4年――1949年に日本人として初めてのノーベル賞を受賞、戦争中は原爆の研究にあたっていたが、晩年には平和運動に熱心に取り組んだ・・・・・・物理学者・湯川秀樹博士を知識としては知ってはいましたが、その著書を読んだのは、本書『この地球に生まれあわせて』が初めてです。1975年に初版が講談社から出版されてから36年たって電子書籍で読んだわけですが、しかしその内容は決して色褪せてはいません。1970年から1974年にかけて行った講演や寄稿したエッセイを集めた第一部――「生きがい論」をテーマとする5篇――と外国への旅や海外生活で感じたことを綴った第二部(12篇)の2部構成で、そのいずれもがこの碩学の示唆に富んだ思索に触れることができるものとなっています。一つだけ紹介しておきましょう。ノーベル賞受賞の前年、湯川博士はアメリカの名門大学・プリンストン大学で研究生活を送っていましたが、その時一緒だったアインシュタイン博士について語っているところです。会えばいつも右手をあげてほほえんだというアインシュタイン博士を、湯川秀樹は20世紀の傑出した物理学者の中でも特に好きだったそうです。それも20代、30代で相対性理論という大きな体系をほとんど一人で完成させた、20世紀で最も偉い物理学者であることは疑問の余地がないからという理由からではありません。若くバリバリでやっていたアインシュタイン博士よりも、その後の40年のアインシュタインにより一層の親しみを感じていたと語っているのです。20代、30代に大きな達成を成し遂げた後も、アインシュタインはその延長線上の統一場の理論――湯川博士ら後の世代から見れば明らかに時代遅れで成功はない理論――に30年以上も凝り続け、死ぬまで執着し続けました。湯川博士はそういう人生こそ価値ある人生と言い、自らも実践しています。自らの内側にわざわざ達成できない理想を温存している生き方こそ大事だというわけです。理想と現実の矛盾を生きる糧とする生き方です。本書では湯川博士がこのような人生哲学を持つに至った軌跡の一端としてアメリカの大学での研究生活の印象記も収録されています(第二部)。時代的には第2次世界大戦が終わって間もない頃のことです。場所はニューヨークの隣、ニュージャージー州にあるプリンストン大学。その頃に生をうけた村上春樹が半世紀後のプリンストンで客員教授として暮らし、エッセイ(『やがて哀しき外国語』講談社)を残していますが、本書は時代も感性も異なる気鋭作家の滞在記と重なり合う部分もあって興味はつきません。(2011/6/24)
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    投稿日:2011年06月24日