書籍の詳細

一九四六年、戦後間もない東京で野球の力を信じた男がいた。復興への期待を胸に、「日本リーグ」を立ち上げようと走り出す日系2世の元ピッチャー矢尾。戦時中、カリフォルニアの収容所で絶望の日々を送る彼を支えたのは、ニグロリーグのスター選手ギブソンとの友情だった。構想10年、渾身の感動作!(講談社文庫)

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八月からの手紙のレビュー一覧

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  •  春の訪れとともに、今年も野球が始まります。アメリカはテキサスのチームに活躍の場を移したダルビッシュに話題が集中していますが、スポットライトの当たる表舞台に立つ選手だけが野球の歴史をつくってきたわけではありません。
     本書は、最高の舞台に立つことはなかったが、野球が好きで、野球に生き、そして何より野球によって救われた二人の男――広島からの移民の息子としてアメリカで生まれた日系二世と、まだ黒人がメジャーリーグで白人と一緒にプレーすることを許されなかった時代に黒人リーグで目覚ましい活躍をして世界最高のバッターと讃えられた選手――の物語です。
     カリフォルニア生まれの日系二世、矢尾健太郎は父親の勧めもあって戦前の日本で高等教育を受けた後、職業野球の投手として一時脚光を浴びたものの肩を故障してロサンジェルスに戻ります。父親の経営する自動車修理工場で働く日々を送っているとき、黒人リーグのチーム、ピッツバーグ・サンズの強打者・ギブソンと運命的な出会いをします。
     時は1939年。アマチュア・デーの催しで、矢尾はマウンドに立ち、バッターボックスのギブソンに勝負を挑みます。ギブソンはそれまでにアマチュアの投手相手に4連続ホームラン。

    〈これは本物だ、とすぐに分かった。マウンドでの立ち姿を見ただけで分かる。何度も修羅場(しゅらば)を潜り抜けてきた男。普通のシャツにオイルの染みただぶだぶのズボンという格好で、足下は裸足(はだし)だ。下手な靴を履くより裸足の方がという判断も正しい。さて、どんなボールを投げてくるのだろう。(中略)
     矢尾は異様な胸の高鳴りを感じた。満員の後楽園でも経験したことのない、激しい動悸のような感覚。落ち着けよ、と自分に言い聞かせる。精神一到、何事か成らざらん。広島時代の監督、福島が呪文のように唱えていた台詞を思い出した途端、すっと気持が落ち着いた。何ということはない。観客だって、後楽園に比べれば何十分の一だ。緊張するのではなく、今まで見た中で最高のバッターと対戦する喜びだけを味わえばいい。〉
     
     日本で投げていた時ほとんど打たれた記憶のなかった最も得意なカーブから入った矢尾とギブソンの息詰まる勝負――11球投げてファウルが8、3球を見送り――は12球目で決着がつく。
     速球と読んだギブソンに対し、矢尾はスローカーブを投じ、タイミングを狂わされたギブソンはかろうじてボールの軌道にバットを合わせたものの完全に打ち損じる。

    〈鈍い音と同時に、ボールが高々と舞い上がる。ピッチャーは、両手を頭上にかざしながら、二、三歩マウンドを降りた。どこまでも高く舞い上がる打球。カリフォルニアの空に吸いこまれ、永遠に落ちてこなければいいんだ、とギブソンは本気で思った――悔しさのあまり。〉

     そして日米開戦。1944年、父親とともに住居地を追われて収容所生活を強いられていた矢尾をギブソンが訪ねます。収容所を運営する戦時転住局(WRA)の大尉はギブソンに「面会を許すわけにはいかない。500フィート以内への接近を禁止する。500フィート離れていれば、何をやっても文句は言わない」と告げます。
     矢尾へ気持ちを伝えるにはどうすればいいか――管理する側からの思いがけないヒントでした。500フィート離れた地点で僚友のピッチャーが渾身のボールを投げ、ギブソンは収容所に向かって「ホームラン」を打ち込もうと、何度も何度もバットを振り続けます。そして、収容所を囲む鉄条網の中では、矢尾がグラブを手にギブソンの気持を乗せたホームランを待ち受ける。
     物語は、第二次大戦後、日本の新しい野球リーグのチームの監督に誘われた矢尾がアメリカに戻ってギブソンに会いに行ったところで終わります。「野球の国」に生きた二人の男たちの見果てぬ夢。二人の最後の会話が心にしみ入ります。(2012/3/9)
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    投稿日:2012年03月09日