書籍の詳細

死んだあなたに「とりつくしま係」が問いかける。この世に未練はありませんか。あるなら、なにかモノになって戻ることができますよ、と。そうして母は息子のロージンバッグに、娘は母の補聴器に、夫は妻の日記になった……。すでに失われた人生がフラッシュバックのように現れる珠玉の短篇小説集。

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とりつくしまのレビュー一覧

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  •  2011年の文庫刊行から5年たった昨年夏、突然売れ出した本がある。ちくま文庫の『とりつくしま』、著者は歌人・作家の東直子さんです。日経新聞(1月4日付け朝刊)によれば、昨年8月までの5年間で約1万部だったのが、11月には累計11万部を突破。3か月で10万部増刷は異例ですが、突如売れ始めたのには理由がありました。9月に付け替えた新しいオビが起爆剤となったのだ。
     オビにいったい何が書かれているのでしょうか。
     最初に目につくのは、オビの右半分のスペースを占めるピンクがかった赤い円のなかにある「大好きな人に今すぐ会いたくなる本 NO.1!」のコピー。活字ではなく、ごく普通の手書き文字です。その下に「読後、最初に思い浮かんだ顔があなたの一番大切な人です」とあります。なんだか胸に刺さって気になる殺し文句だ。そして裏表紙側には再び手作り感のある手書き文字で「やさしさに包まれながら号泣していました」と大きくあります。「とりつくしま」というタイトルだけでは本の内容がなかなか読者に伝わらなかったのですが、それを明確に伝えるコピーの入った白地のオビが同じ白色地に妖精が飛ぶカバーデザインにマッチして、派手な色合いが多い平台の中にあってシンプルな色使いでかえって目立っていました。
     わたしも、このオビに引き込まれて本書をその場で購入した一人です。”オビ買い”した本ですが、持ち帰って中を開いたら、もうとまりません。一晩、一気読みでした。

    「とりつくしま」って、なんだろう? 辞書には「取(と)り付(つ)く島」と書き、その意味は「頼りとしてすがるところ。取り付き所。多く、あとに打消しの表現を伴って用いる」とあり、使い方の例として「つっけんどんで―もない」があげられています。以上は、「ジャパンナレッジ」収載の「デジタル大辞泉」(小学館)から引きましたが、補説として〈文化庁が発表した平成24年度「国語に関する世論調査」では、本来の言い方とされる「取り付く島がない」を使う人が47.8パーセント、本来の言い方ではない「取り付く暇(ひま)がない」を使う人が41.6パーセントという結果が出ている〉とありますから、「とりつくしま」は現代では日常的に使う人がどんどん減ってきている「絶滅危惧語」になっているのかもしれません。その言葉をあえて書名として用いた東直子さんは、その意味するところをこんな風に描きます。〈ざわざわしている。まわりがよく見えない。でも、まわりにたくさん、いる。なにかいる。とても、いる。ざわざわしている。〉という書き出しで始まる巻頭収録の「ロージン」から引用します。

    〈私は、身体のなくなった「自分」を、空気にそよがせて、ざわざわから遠く離れようとした。
     とたん、なにかにつかまった。
     「ちょっと待ってください」
     「とりしまり」の文字が見えた。しまった、とりしまられたの、私。
     まあいいや。もう、こわいものはなにもないはず。
     「私は、なにをとりしまられるんでしょうか」挑むように訊いた。
     「とりしまるって、あなた、これをよく読んでくださいよ」
     白いてのひらが、ひらひらと文字の前で揺れた。文字をよく読むと、こう書いてあった。
     『とりつくしま係』。
     「あら。とりしまり係じゃなかったの。でも、とりつくしま係?」
     「そうです、私はとりつくしま係」
     とりつくしま係は、のっぺりとした白い顔に黒い穴を薄く開きながら、そう答えた。
     「私は、とりつくしまの希望を聞いてあげているのです。あなた、とりつくしまを探しているでしょう?」
     「とりつくしま?」
     「そう、とりつくしま。私は“係”ですから、一目で、とりつくしまを探している人が分かります。あなたは、とりつくものを探している気配をおおいに出しています。あなたが、その気配を出しているうちは、この世にあるなにかのモノにとりつくことができるのです」
     「この世のモノ?」
     「そう、なんでもいいんですよ。思いついたモノを言ってごらんなさい。モノになって、もう一度、この世を体験することができるのです。あなたは、それを望んでいるはずです。ただし、生きているモノはダメですよ。生きているモノには魂の先住民がいますからね。まあ、無理にとは言いませんが」
     とりつくしま係は、話し終えると、穴を閉じた。〉

     治らない病気で40代で人生を終えた母親は〈もし、「とりつくしま」があるなら・・・・・・陽一のそばに、もう少しだけいてやりたい。見守ってあげたい。まだ、十四歳なんだから〉と思って、野球の投手が使うロージンを「とりつくしま」に選びます。ロージンバッグの中の白い粉。消耗品です。中身が半分以上飛び散ったら、「とりつくしま」ではなくなってしまいます。その瞬間、この世から完全に消えてしまうのだ。二度と何かにとりつくことはできない。ほんの少しだけ、そう中学校最後の軟式野球の公式戦を見届けられるくらいに、一緒にいられれば――14歳の一人息子を残して逝った母の想いが胸に響きます。

    「陽一 ロージン 軟式野球 公式戦」の文字が光に透けて見える半透明の契約書にゆっくり息を吹きかけながら、小さくなっていくのを感じていた「私」。気がついたら炎天下の土の上にいた。指が迫ってきた。
    〈あっ、と思った次の瞬間、陽一のてのひらの上にいた。陽一が、もう一つのてのひらを重ねてきた。
     ぽんぽん。
     私は、空気に少し飛び散った。〉

     こうして始まった「私」と息子の夏の一日。リードして迎えた最終回、ツーアウト満塁。打たれたらサヨナラ負けの場面で強打者を迎えて「私」を手にとった息子が、気持ちを集中するように目を閉じて、勢いよく「私」をてのひらに打ちつけた、その瞬間、「私」は思いきり空中にはじけて、夏の一日は突然終わるのです。

    〈夏空の光の向こうに、ゆくね。〉

     ゆっくりと心に染み入ってくるようなラストの一行。著者は文庫版あとがきに〈ほとんどの話を、ラストシーンの一言を思いついてから書きはじめました。最後の言葉は、書く、というより最初に自分の胸に、響いた、のです。〉と綴っています。
     東直子さんがラストシーンの一言を思いついて紡がれた11の物語の、11の「とりつくしま」。「ピッチャーの息子を見守るため、ロージンバッグの中の白い粉になった母」に続く10の「とりつくしま」は以下のとおりです。
    ・夫のお気に入り、トリケラトプスのイラスト入りのマグカップになった妻
    ・いつも遊んでいた大好きな、青いジャングルジムになった男の子
    ・高校生の時に始めて出会って以来、敬愛する書道の先生の白檀の扇子になった女性
    ・ひそかに見ていた図書館司書の名札になった老人
    ・殺したいほど憎いと思ったときもあった。でも、愛してた。だから母の補聴器になった娘
    ・濃い青いインクで妻が綴る日記になった夫
    ・最後の大きな買い物だったマッサージ器になった父親
    ・憧れの先輩とつき合っている先輩女生徒のリップクリームになった少女
    ・孫にねだられた中古のカメラになった祖母
    ・髪の毛を一本、裏庭のびわの樹の下に埋めて欲しいという一人娘

     水彩画のような、透明感の漂うラストの一行で終わる11の美しい物語。一瞬の情景に永遠の想いを詠むのが短歌だとすれば、東直子さんが紡いだ11編の物語もまた、人の永遠の想いを詠んだ”歌”なのだ。
     文庫版が刊行されたのは3.11(東日本大震災)から2か月たった2011年5月。電子書籍版の配信が始まったのが2013年5月10日。昨年9月にオビの新装がなって俄に動きだし、増刷を重ねるロングセラーとなりました。オビ買いした私は一晩で一気読みしたと書きましたが、じつはすごくもったいない読み方をしてしまったとの後悔の気持ちが残りました。年末から正月休みを通して、今度は電子書籍版を――一夜一話、11人の想いに寄り添うようにして、ゆっくり再読しました。そして人知れず家族や近しい人に思いを馳せました。大切な人に再会した死者たちの気持――どんなことを呼びかけたいと願うのかを歌人作家が一人称で描いた短編集。せつなく、いま最も胸に響く11の物語です。(2017/1/13)
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    投稿日:2017年01月13日