書籍の詳細

M農地開発公社嘱託として満州に赴いた木川正介。喘息と神経痛をかかえ、戦争末期の酷寒の中で、友情と酒を味方に人生の闘いをはじめる。庶民生活の中の「小さくて大きな真実」。“日本の親爺”木山捷平が、暖かく、飄逸味溢れる絶妙の語りくちで、満洲での体験を私小説世界に結晶させた。芸術選奨受賞作。

まだユーザーレビューはありません。最初のレビューを書いてみませんか?

大陸の細道のレビュー一覧

絞込み条件
  • レビュアー絞込み
表示形式
  • 表示件数
  • 表示順
  • 「奥の細道」ならぬ「大陸の細道」。何とも人を食ったタイトルです。しかし、田山花袋、志賀直哉らの系譜に連なる私小説家・木山捷平は、自身の「戦争体験」を主人公・木川正介を通して見事に書ききったのではないでしょうか。夫人の木山みさをさんは本書あとがきに〈私は彼が生きて帰国出来たうれしさもあって、新京(筆者注=旧満州国首都)の生活が知りたかったので、折にふれてきくと、「難民生活の一年は百年を生きた苦しみに相当する」としかいわなかった〉と述懐しています。敗色濃厚な昭和19年の満州に農地開発公社の広報係として渡った文筆業の中年男のもとに白い召集令状が届けられたのは8月12日。すでにソ連軍は国境を越えて満州に攻め込んでおり、その夜のうちにも新京に届くという状況下です。「赤紙」といわれた召集令状が白かったのは紙が不足していたからとかで、とにかく物資の不足ぶりは限界まできていた様子。〈(召集令状には)必携持参品として「米三合、ビール瓶、凶器」と書いてあった〉主人公の木川正介は、凶器として子供への土産に買っておいた鉛筆削りのナイフをもって入営するのですが、急遽召集されたのは四十を過ぎた老兵ばかりで、彼らに課せられた任務は迫るソ連軍戦車に爆薬を詰め込んだビール瓶を抱いて突っ込む自爆作戦です。実話なのか創作なのか判然としませんが、当時の状況を正確に映していることは間違いありません。自爆テロで世界中を震撼させるイスラム原理主義者は、半世紀前の、わが日本軍の戦車飛込特攻隊に学んだのかもしれません。数時間後に迫る戦争を前に行われた訓練は、まさにパロディです。〈乳母車の発車係の軍服兵は(中略)乳母車をすうッと緩やかに発車させた。乳母車はころころと無心に二本の白線の間をころんだ。と、その時入り口の方から一人の別の軍服兵がまっしぐらにかけて来て、野球のランナーが塁にとび込む時の要領で、バタリと床の上にぶっ倒れた。と思うと、腕に抱えていたフットボールを乳母車めがけて投げつけた。その勢いに乳母車がガタンとひっくり返った。「よーし、成功」と軍曹が叫んだ。それから軍曹は新兵の方に向き直り、「今やったあの要領でやる。(中略)訓練開始――」四十過ぎの老兵たちはしかし、そうそううまくはやれません。訓練の場を離脱しようとした正介を見とがめた士官による制裁をうけながら、正介は何を思うのか。私的状況のディテールにこだわり続けることで「戦争」という大状況を撃つ傑作です。1962年(昭和37年)芸術選奨文部大臣賞受賞。(2011/5/20)
    • 参考になった 2
    投稿日:2011年05月20日