書籍の詳細

詩人・金子光晴が最晩年に語った極彩色のザンゲ詩人金子光晴最晩年の性の実相を表現した、桜井滋人の聞き書きによる物語。エロチックな夢と現実のはざまを行き来する妄想を忠実に文章化、何度も結婚と離婚をくりかえした森三千代の目からかくれ、多くの女と逢瀬を楽しんでいる。虚と実の境目が融け、夢物語のように見えるが、社会に対する詩人の視線は衰えず、鋭い。

まだユーザーレビューはありません。最初のレビューを書いてみませんか?

金子光晴 金花黒薔薇艸紙のレビュー一覧

絞込み条件
  • レビュアー絞込み
表示形式
  • 表示件数
  • 表示順
  • 私の手元に40年近く前に金子光晴さんからいただいた色紙があります。「すっぽんが 人を喰う 夜の 宴かな」 味のある筆文字に囲まれるように、3匹のすっぽんが描かれています。ここでご覧に入れられないのが残念ですが、見ようによっては女性の秘部のようでもある、金子光晴の遊び心をうかがわせる絵です。色紙の右上部には、「光晴戯筆」の文字。「週刊ポスト」の編集の仕事を始めて2年ほどたった1974年頃、金子光晴の連載に関わることがあり、そのときに書いてもらったものです。その連載――「金花黒薔薇艸紙」は1975年6月、金子光晴の死によって終了となって、後に集英社から単行本として刊行されました。そして、10年ほど前に小学館によって文庫化され、このほど電子化されて2月22日にリリースされたのが、本書『金子光晴 金花黒薔薇艸紙』です。連載中に金子さんが亡くなったわけですから、その頃ご家族は別として最も身近にいた桜井滋人さんによる聞き書きでしたが、文字通り最晩年のエッセイでした。桜井さん共々、葬儀の手伝いに駆けつけたことも、今となっては懐かしい想い出のひとつとなっています。それにしても40年も前の週刊誌連載が電子書籍になって蘇り、しかも順調な滑り出しのようです。この電子書籍によって若い世代の新しい読者が「金子光晴」を体験してくれるとすれば、40年前の元担当者としてこれ以上の喜びはありません。昭和初期を妻とともにアジアからヨーロッパを放浪して歩いた詩人・金子光晴。明治・大正・昭和を時代に迎合することなく生きた金子光晴は、身近な弟子を相手に、なさけない自分もありのままに、欲望も、すけべ心も、実感に忠実に、あけすけに、そしていい意味であまり考えることなく語ることに努めたようです。「昭和」という時代を生身で生きる金子光晴――その魅力、可笑しさに、あらためて脱帽です。暁星中学時代の下宿屋でクラスメートとのぞきをして見つかってしまった大騒動の話から、後年ののぞきにまつわる話に及んだ「尻の下の女」の章から引用します。〈白山や富士見町あたりの安待合でも、ちゃんと料金とって、特別なじみの客だけにはのぞかせたりね。これは正岡容(いずる)から聞いた話だから、真偽のほどは保証しかねるが、正岡がある日、白山の某待合へ寄ったら、今日はめったに見られない凄い見世物があるから、見ておいで、なんて女将がいうもんだから、何だろうと、これは隣の部屋からだが、襖の隙間からのぞいてみると、隣室で素っ裸んなって奮闘しておったのは、何と、今はなき永井荷風先生だったとかね、のぞきの世界にはいろんな伝説があるんですよ、うん、この話はあとで谷崎さん(潤一郎)に話したら、谷崎さんも荷風ならやりかねないなんていってましたからね。正岡はあるいは本当に見たのかもしれねぇ。・・・・・・〉文中の正岡容は金子光晴とは同世代の作家、落語・寄席研究家で、親しく付き合った人物。本書でも「演芸・演劇の世界じゃあちょいと名の通った男なんですよ。うん、いつか小沢昭一てえ人が、正岡容は師匠すじにあたるとかいってましたよ」と説明しているくらいですから、白山の待合で素っ裸の永井荷風をのぞいたという話、事実かもしれません。とまれ、金子光晴は「不立」「不立」といいつつも、女との逢瀬を求め、愉しみ、愉しませることに懸命だった。その最晩年エッセイのタイトルの意味というか由来を最後に引用しておきます。〈「あたしのものに、くらべたら、こんなもの、おならみたいなもんじゃないか」って、ド鳴って、ぱっと、トモさんの手から、その春画を、ひったくって、自分のしな物の前に置くとだ、「さあ、ごらん! どっちがバツグンか、よおくみくらべてごらん! 坊っちゃんもみてちょうだい!」てえから、ぼくもつい、そこ、見ちゃったんだけど、もう、たまげたの何のって、それはもうたしかに、おしずさんの威張るだけのことはあって、これはもう狂い咲きの牡丹のよう。色は薔薇色てえと、ちょいとわかりにくいんだけど、何てったらいいか、薔薇色に黒をまぶしてだナ、これに濃い紫をまぜ合わせて、メチャクチャに掻きまわしちまったみたいな色の、大小何十枚てえほどの花びらがだナ、あそこの部分に、ワッとひしめき集まって、ぱっくり開いちゃったみたいで・・・・・〉時代は大正、暁星中学時代の金子光晴が夏の材木座で目の当たりにした仰天の「黒薔薇」体験が、後年の週刊誌連載、そしてエッセイのタイトルになったのです。(2013/3/1)
    • 参考になった 2
    投稿日:2013年03月01日