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自著を語る【10】 杉山隆男『兵士に聞け 最終章』

【PROFILE】
杉山 隆男(すぎやま・たかお)
1952(昭和27)年、東京生れ。一橋大学社会学部卒業後、読売新聞記者を経て執筆活動に入る。1986年に新聞社の舞台裏を克明に描いた『メディアの興亡』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。1996年『兵士に聞け』で新潮学芸賞受賞、以後『兵士を見よ』『兵士を追え』とつづく「兵士シリーズ」は七作目の『兵士に聞け 最終章』で完結した。ノンフイクションからスタートし、最近ではエッセイから小説まで精力的に執筆。『汐留川』『昭和の特別な一日』『私と、妻と、妻の犬』など著書多数。
兵士に聞け 最終章
兵士に聞け 最終章
頻発する中国の領空侵犯にスクランブル発進を繰り返し、常態化する領海侵犯に24時間体制で哨戒活動を行なう。そして国内の災害派遣では最も過酷な現場に向かう。激しさを増す任務の中で隊員達は何を思うのか。取材開始から24年、最前線の声を拾い続けることで自衛隊の実像に迫り、その評価を一変させたルポルタージュの傑作。
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取材を始めて24年。
自衛隊はどんどん、軍隊になっていった。

 1995年刊行。のちの“兵士シリーズ”第1作となる『兵士に聞け』を、著者・杉山隆男氏は、自衛隊内のあちこちに配された〈鏡〉の話で始めている。

〈自衛隊の建物には一つの特徴がある。
 鏡が多いことである。それもふつうのオフィスではまず目にしない廊下や玄関や階段といった人目のつく場所に全身を映しだす大きな姿見がある。〉
〈その意外さを自衛隊の人に言うと、十人のうち九人までが、なるほど言われてみればそうですね、といまはじめてそのことに思いあたったような顔をする。〉
〈しかしここ三年近く、自衛隊のさまざまな基地を訪ね歩き、護衛艦に乗り、救難ヘリからワイヤーで吊るされ、レンジャー訓練に同行し、陸海空それぞれの兵士と語り合っていくうちに、自衛隊と鏡という取りあわせが決してミスマッチでないことに気づくようになった。それどころか、自衛隊ほど常日頃から自分たちの姿に気をつかい、人の目に自分たちがどう映っているか、どう見られているかを気にする集団もないように思えてきたのである〉――。

 ちなみに、第1章「鏡の軍隊」の冒頭を飾るこの文章の見出しは、「日陰者」。それは防衛大学校第1回卒業式(1957年2月)で、自衛隊の生みの親ともいえる吉田茂首相(当時)が、いみじくも口にした〈忌詞〉の引用でもあった。
〈「……自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは外国から攻撃されて国家存亡のときとか、災害派遣のときとか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉をかえれば、君たちが〈日陰者〉であるときの方が、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい」〉

 吉田がそう自衛官の心得を説いてから、早60年。いまだに現場の自衛官の中ではその言葉が生き続け、「鏡の中の自分」を常に律し続けていたと、このほど『兵士に聞け 最終章』を上梓した杉山氏は言う。
 93年の連載開始(『週刊ポスト』 のち『新潮45』や『SAPIO』)から24年。同シリーズは98年『兵士を見よ』、05年『兵士を追え』、06年『兵士に告ぐ』、そして07年の『「兵士」になれなかった三島由紀夫』や、東日本大震災における災害救出活動に密着した『兵士は起つ 自衛隊史上最大の作戦』(13年)へと巻を重ね、『兵士に聞け 最終章』でとうとうピリオドを打つこととなった。
 その間、自衛隊員という匿名ではなく〈実名で登場するひとりの日本人としての彼ら〉に密着し、生身の「顔」や「細部」こそを描いてきた杉山氏は、なぜ今、その筆を置こうとするのか――。憲法改正や集団的自衛権、さらには北朝鮮問題まで、内外の情勢が緊迫する今だからこそ、著者に訊きたい。
中学3年の時、〈日陰者〉だった自衛隊を発表テーマに防衛庁を取材に行った
――この『最終章』では、第1章「オキナワの空」で沖縄の空を守る航空自衛隊第二〇四飛行隊を。第2章「センカクの海」では東シナ海の監視飛行やスクランブル出動に日々追われる海上自衛隊の哨戒機P−3Cの乗組員や整備員たちを。第3章「オンタケの頂き」では14年9月の御嶽山噴火の救出活動に派遣された長野県・松本の陸上自衛隊第一三普通科連隊を取材されていますが、どれも従来作にも増して緊迫感や臨戦態勢を感じさせる、まさに「現場」です。
 それこそ吉田の言う「日本が幸せではない事態」が今まさに眼前に迫り、安倍首相が自衛隊を「合憲的存在」とするべく9条改正を明言する中、この一連の動きを杉山さんはどうご覧になっているかを、まずはお訊きしたい。
杉山 まあ僕は『兵士に聞け』のあとがきにも書いたように、学生時代は友人から「右翼」とからかわれたくらい、当時からの改憲論者でしたからね。
 ただし僕の場合は保守派の論客や、もちろん安倍首相ともスタンスが違って、なぜ憲法を改正すべきだと思うかというと、まず近代国家の要件には1に通貨、2に外交、3に軍隊を持つことがある。この軍隊の所有を、日本は昭和20年の敗戦で放棄したわけですけど、今の日本国憲法が編まれ、憲法9条が条文化される際には、当然ながらGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の意向が少なからず関わっていたはずです。
 先ほどの近代国家の3条件からすれば、軍隊を持ち「自分の国は自分で守る」というのが国が独立しているという証なわけです。とすると日米安保条約の下に外国の軍隊が駐留し、日本を守っているとされる今の状況はやはりいびつで異常な風景ですし、それをあたり前のように思いこんでいる日本人は、昭和20年から続く共同幻想の中にいるとしか思えない。今一度、何が国を国たらしめるのかという「原点」に立ち返る上でも、やはり憲法9条を見直し、自衛隊についても見つめ直すことが必要不可欠だろうと、そういう改憲論者なんです。
 自衛隊の成立経緯にしても、日本を守るために必要だから作ったんじゃなく、朝鮮戦争の後、反共の砦たる日本で革命主義を打ち出す左翼勢力に対抗したいアメリカの事情だった。だから自衛隊の前身・警察予備隊にしても作られたわけで、一国の安全保障という文脈から生まれたわけでは全くないんです。
 つまり日本では安全保障に関する論議にしろ、今の集団的自衛権の話にしろ、全て後付けであって、例えば『兵士に聞け』に書いたカンボジアのPKO派遣の時のエピソードなんて、その最たるものでしょう?
――第五部「帰還」にある、陸上自衛隊の施設課部隊がPKO(国連平和維持活動)第二次派遣部隊としてカンボジアに送りこまれた時の話ですね。
 93年5月、カンボジアでは21年ぶりに総選挙が行われ、カンボジア南部・タケオにキャンプを張る自衛隊PKO施設大隊は、州内に設置された各投票所で、ポル・ポト派の妨害から選挙監視員の身を守るパトロールに従事した。
杉山 ええ。それも急遽です。投票所をパトロールして選挙監視員を守るという、当初予定にはなかった任務が現場で新たに追加され、じゃあどうやって守ればいいのかというと、法的根拠が何もないんですよ。
 PKOの問題は当時も国会でさんざん議論されましたけど、結局は自己防衛、自衛手段として守るんだということでお茶を濁され、じゃあ外国人の監視員を守っていいのかとか、どの時点で発砲していいのかとか、それは誰の命令でやるのかとか、責任の所在すら曖昧なまま、現場に丸投げされた。
 現場はもう大変ですよ。じゃあ責任は指揮官が負うのか、それとも撃った隊員に負わせるのか、その隊員は法廷に何年も引っ張り出された上に、苦しみは生涯続くんだぞっていう議論を、タケオのキャンプでも延々やって、そこに市ヶ谷の陸幕から将校がやってきて、こう言うんです。〈「要するに、おまえは文章に書かれていないことはやらないんだな」〉って。「その条文と条文の行間に書かれていることを、お前たちはやらなくちゃいけないんだから、とにかくやれ」って。
 ある若手幕僚は、現場と市ヶ谷の、絶望的な温度差を思い知らされたと言っていましたが、今の集団的自衛権の問題でも、曖昧で無責任な議論が現場の隊員を追いつめているのは事実なんです。だったら専守防衛の大前提を崩し、先制攻撃を許すのかという議論にしても、自衛とは何か、国を守るとは何かということを、誰も原点に立ち戻って突き詰めないまま、強行採決でやられちゃうでしょう?
 現実問題として今の与野党が一国の防衛を根本的に議論できるとは思えませんし、どっちも感情論を出ない。それで結局は事態の方が先に進むたびに後付けの理屈をこじつけていくという、それで全部、終わりにされちゃうんです。
――そうした国会や市ヶ谷の温度、あるいは思想信条的な賛否論にばかり終始するメディアや、国民レベルの無知ゆえの好き嫌いの、全てから取り残された形で、自衛隊の、特に現場の隊員たちは、日々、厳しい訓練に取り組んでいる。そこにこそ目を向けなければという杉山さんの姿勢は、やはりジャーナリストとして現場や細部にこだわりたいという思いから始まっているのですか?
杉山 まあ最初の感覚としては、なぜこんなに自衛隊って毛嫌いされているんだろうっていうかな。特に中学生くらいの時はそんな感じでしたね。
――中学生?
杉山 ええ。僕は中学3年の時に、当時の防衛庁に初めて行ってるんですよ。
 僕の中学は神保町にある一橋中学で、先生が少々変わった人たちだったんですね。まあ日比谷高校もわりとそうだけど、発表授業といって、生徒がテーマを見つけて自由研究をし、その成果をもとに討論して、理解を深めるみたいな。
 それで僕は中学3年の時に自衛隊をテーマにしたんだけど、資料作りのために防衛庁の広報に行ったら、ビックリされましてね。中学生が調べに来たっていうんで、広報の人がもう喜々として、僕を記者クラブに連れ回したりして。
 その後、僕は高校で新聞部に入って、自衛隊の観閲式を取材するんですけど、その時も海外要人の隣の特等席を用意してくれて、すぐ目の前を三島由紀夫が通ったりね。その時のことは『兵士に聞け』のあとがきに書きましたけど、まさか中高生が自衛隊に興味を持つなんてっていう、そういう時代だったんです。
 要するに自衛隊なんて語るに足る存在ではないと。あんなものは憲法違反で、アンタッチャブルな存在なんだというのが、当時のメディアも含めた空気でしたから。それこそ僕が読売新聞静岡支局の新人だった頃、伊豆半島沖地震があったんですね。昭和53年1月です。その現場に先輩の後釜で派遣されて、ネタもそろそろ尽きてきたし、寒い中で頑張っている自衛隊のことを書きたいと僕が言ったら、先輩は「彼らは違憲の存在なんだから、取り上げる必要はない」ってバッサリです。その先輩はスクープも連発するような有名な記者だったんですけど、そういう人ですらその程度の認識しか持てない時代だったんでしょう。
――やはり当時は、左翼がファッションだった?
杉山 いや、右も左も関係なく、自衛隊はとりあえず置いとけ、みたいなね。
 実は『週刊ポスト』で連載を始めた時も、元々は別のテーマをやろうとしていたんですよ。ところが当時の岡成憲道編集長たちと飲んだ時に「習志野の第一空挺団に体験入隊したい」みたいなことを以前僕がこぼしたのを編集長が憶えていたらしく、「杉山君、習志野なら行ってきてもいいよ」という話からまさに瓢箪から駒で、このシリーズが始まったんです。
 そしたら当時の防衛庁の広報課長が、のちに利益供与問題で逮捕される守屋武昌・元事務次官で、その頃からデキる広報課長として有名だった。彼はとにかく面白いことをやりたがっていて、そこに僕がこの企画を持って行ったもんだから、すぐに飛びついて、よしこれをやろうと、むしろ向こうが面白がってくれたんです。もちろん取材制限はなし、どこでも見てくれということで、陸・海・空の各広報担当をすぐさま呼んできて、こいつの面倒は全部見てやれ、プロポーズもできる限りOKしろって。あとはもう、どこへ行っても取材許可が出たし、当時は1か月に3か所か4か所、日本中の基地を取材に飛び回っていました。
――まさに出会い、ですね。まさかあの“兵士シリーズ”がそんな形で始まっていたとは……。驚きです。
杉山 でね。現場に行けば行くほど、面白くてしょうがないんですよ。それまで自分がイメージしていた自衛隊と、なんだ、全然違うじゃんって。
 現場の隊員も「こんなところを取材してくれたのは初めてです」と面白がって話をしてくれたし、当時は防衛庁や現場の広報も一切取材には立ち会いませんでしたからね。隊員たちはここぞとばかりに今までの不満とか、メディアが報じない部分とか、自分の中にたまっていたものを吐き出すように話すわけです。
 例えば護衛艦に乗った時はね、あんまり揺れると僕はダメなんです、船酔いがひどくて(苦笑)。でも太平洋航海を終え、横須賀をめざす頃にはだいぶ揺れも収まるから、編集者に士官食堂でお偉方の相手をしてもらって、そのスキに僕は24年間ずっと相棒を務めてくれた三島正カメラマンと階下の隊員食堂をウロウロし、任務の話から愚痴から、家族や恋人の話まで、一緒にメシを食いつつ話しこむ、みたいなね。そういう自由で密度の濃い取材ができたんです、昔は!!
 もちろん防衛庁の記者クラブにもこの半世紀以上何百人という記者がいたわけだけど、誰1人として現場に入って隊員と話そうとはしなかったし、そんなことが、自衛隊ができて以来、ずっと続いてきたなんて異常でしょ? よくそれで9条論議ができるよなって思うし、誰も現場の隊員や防大生の話を聞かないまま、のちのノーベル賞作家が防大生を評して言った「同世代の恥辱」という言葉だけが独り歩きしている。
 そんなことがよくも通用したなって、僕なら思いますけどね。
「自衛隊は政治的道具」偉い人たちと「災害派遣」に燃える現場隊員の落差
 ちなみにこの24年間で出会った自衛官の全人数を問うと、「もう数えるのがめんどくさくなってきて、途中でやめました」と、杉山氏は笑う。
 しかし『最終章』だけでもおそらく100人を軽く超す隊員に取材していると思われ、話題も任務の詳細から妻と交わす朝の〈儀式〉まで、多岐にわたる。
 例えば戦闘機乗りの〈ライト・スタッフ〉、つまり〈機が制御不能に陥る寸前まで限界に挑戦しながら、なお己を信じて必ず生きて帰還する〉能力を実に3年近くをかけてテストされ、見事難関をクリアした、二〇四飛行隊のF15パイロットたちの〈曰く言いがたく、それだけ奥が深い独特の資質〉の話。
 あるいは2012年9月11日の日本政府の〈尖閣国有化宣言〉以来、激増する領海侵犯船や〈国籍不明機〉に対し、日に何度となくスクランブル発進を余儀なくされる那覇基地の、非常ベルがけたたましく鳴り響く「非日常的日常」。
 また、特に米軍との共同演習等が増えて以降、機密事項が何かと増えるなか、市販の軍事雑誌『世界の艦船』をポケットマネーで共同購入し、外国艦船の姿形やデータを頭に叩き込むしかない、那覇・五二飛行隊のレーダーマンたち。
 そんな中、〈何時に帰ってくる?〉と言って夫を送り出す妻の何気ない言葉に、無事帰ってきてほしいという思いを感じ取る、あるパイロットの朝の光景……。
〈秘密は、それに触れる人の手も縛る〉と、杉山氏は書く。しかし、怪しい船を見かけると〈「ん?」ってなるんです〉と語る彼らの経験と訓練に裏打ちされた〈刑事的勘〉や、家族との絆だけは、おそらく何者にも奪いえないはずだ。
――この『最終章』で印象的なのは、これまで比較的自由な取材を許されてきた杉山さんですら、近年は広報等々の厳しい監視下に置かれ、現場の隊員たちと「人と人として」話すことができにくくなったことへの、憤りです。
杉山 最近はもう、ひどいもんです。従来の記者クラブ的な接し方を、ある種、打ち破ったのが“兵士”だったはずなのに、もうそんな取材は要らないってことなんでしょう。それこそ守屋氏以来の「何でも見てくれ」という空気は一掃され、9条も改正されそうだし、自衛隊は合憲的存在として今後、軍隊に近づいていくんだから、作家に見てもらわなくてもオレたちはやっていけるんだって空気が、特に陸幕や空幕や海幕の若いエリートたちからはプンプン匂ってくるんです。
――本書にも、3.11の「トモダチ作戦」に参加した米軍側との調整会議に臨席した杉山さんを見るなり、陸幕の将校が露骨に嫌な顔をし、広報担当を詰問したとあります。確かにそこ、仙台の陸海空統合派遣司令部は部外者立ち入り禁止ではあったのですが、〈何と言っても米軍がかかわっているセクションなのだ〉と。特に近年は〈これはアメリカとのこともあるので〉と言って口を閉ざされることも多く、こと米軍に関しては過剰なほど神経を尖らせていると。
 でもそれは上層部や〈地上の変化〉であって、現場は今も変わっていない?
杉山 ええ。現場の隊員には政治的な思惑や計算なんか、一切ありませんから。彼らはいかに日々の任務をこなし、いかに120%の訓練をして、自分のスキルを高めていくかを、今なお唯一最大の目標としている。
 でも市ヶ谷や偉い人たちは違います。特に外務官僚にとっては自衛隊という存在をいかに使って、日本の外交的地位を高めていくかという、政治的な道具でしかないと僕は思う。例のPKO派遣の時も、外務省の高官が現場の指揮官のところに来て言うんですよ。「ありがとう、これで日本は国連の常任理事国の仲間入りができる。君たちのおかげだ」って。そこで初めて自衛官たちは、自分たちがなぜカンボジアに派遣されたのか、本当の目的や事情を知るわけですね。
 先日の南スーダン派遣にしても、たぶんあれは集団的自衛権を認めさせるための方便で、要は「こんな前例がありました」という実績作りを、彼らは24年前も今もせっせとやっている。そうした地上の思惑に振り回される当の自衛官はというと、自分たちの地位が高くなるどころか「自衛隊は目立たない存在の方がいいんです」と、自衛隊を「日陰者」と呼んだ吉田茂の言葉なんか知らないはずの30代の下士官ですら同じようなことを言うんですから。
――それに関連して、特に東日本大震災以降は〈災害派遣をやりたい〉と言って入隊する若者も多く、〈災害派遣になると、部隊が燃えるんです〉という言葉を、杉山さんはそれこそシリーズ開始当初から、何度も現場の隊員から聞いている。『最終章』に登場する当時18歳の士長もその一人で、高校を卒業して松本連隊に入隊するなり御巣鷹山に派遣され、火山灰の降り積もった斜面をほぼ同じ歩幅で、黙々と登ったとあります。目立たない存在であるが故に、災害派遣に燃える……。
杉山 この言葉ほど自衛隊が置かれてきた立場や、隊員たちの口に出せない苦渋を物語る言葉はないと僕は思うんだけど、たぶんその30代の下士官にしろ誰にしろ、吉田の発言とは関係なしに、自分たちの経験や体の中から、目立たない存在という言葉が自然に出てくるんだと思う。
――切ないですね。他にも「無意味の中にこそ意味がある」「訓練のための訓練」等々、彼らが何とかして自分を納得させようとする言葉が痛切に響きます。
杉山 自衛隊というのはいろんな意味で、自己完結の世界なんですよ。
 要するに誰の助けがなくても生き抜くことが部隊の大原則で、糧食も自分たちで作るし、ボタン付けやアイロンかけも奥さんより上手かったりする。この「自分で何でも出来る」傾向が精神面でもあって、誰に褒められずとも精神的に自己完結できてしまうところは、他国の軍隊とは最も違う点かもしれません。
 これは関川夏央さんが『兵士に聞け』の文庫解説に書かれていたことですが、自衛隊というのは自分にとって〈悲しみ〉を誘う存在だったと。その悲しみが、僕は戦後という時代の物悲しさにも思えてならないんですね。
 いわゆる左翼知識人たちは、戦後民主主義がいかに素晴らしく、日本が負けて憲法9条ができたことがいかに無上の財産であるか、いっそこれを世界に宣伝すれば、それが一番の防衛力になる、なんてことを盛んに言いますけど、僕はその文脈こそがズレていると思うんですよ。
 つまり国とは何か、国旗とは何か、その旗の下に守られるべき国民とは何かということを、原点に立ち返って考え抜く知力や能力、そして胆力や心の部分を、日本はあの時アメリカに、根こそぎ奪われたんだろうなって。
 戦後、日本では国というと、たちまち右翼だとかナショナリストだと言われてしまうけど、実際は右翼や左翼なんて文脈とは全く違う次元に、国とは何かという問題は今も存在する。例えば亡くなった江藤淳さんは「占領」というテーマを掲げ、それが後期の作品の背骨になっていきますが、それに似た違和感を、僕は自衛隊をずっと取材してきて、なおさら今は強く感じる部分があるんです。
“障害ある隊員”を仲間として見守ってきた連隊は今……
――それこそ学生時代は右翼扱いされたともいう杉山さんはしかし、このシリーズではいかなるイデオロギーからも距離を置き、「人間としての兵士」に聞く姿勢を貫かれた印象があります。元々そういうニュートラルな人だから兵士に聞いたのか、兵士に聞いたからそうなったのか、どちらが先なんでしょう?
杉山 まあ昔から右翼にも左翼にも、どちらにも違和感がありましたからね。
 僕は1952年生まれで、いわゆる団塊の世代の少し下ですが、あの時代の空気は物凄く吸っているわけですよ。1968年に日比谷高校に入って、卒業したのが71年ですから、高校の3年間というのは神保町界隈が日本のカルチェラタンと呼ばれて、デモ隊と機動隊が毎週のように投石騒ぎをやったり、発煙筒のガスがもうもうと立ち込める、物々しい空気の中で過ごしたわけです。
 そんな中で、ほぼ一人で新聞をつくり、校内にもいた全共闘のシンパとは全く違う論説を掲げて、彼らに追いかけられたり部室を襲撃されたりね。だからって典型的な右翼ではなかったし、彼らが左に対して言うことや左が右に言うこと、またはメディアの書き方にしても、どれに対しても生理的な嫌悪感があった。
 そして65になった今もその違和感は続いていて、最近はいよいよ、自分が時代の空気とズレてきたんじゃないかと思っていて、正直この『最終章』も従来に比べると反響が少なくて(苦笑)。やはり世の中が急激に変わり過ぎているし、脅威が現実的になりつつあるからこそ、誰も今さら現場の名もなき隊員の話を読もうなんて思わなくなっちゃったのかなって。
――本来は、逆ですよね?
杉山 だと思うんですけどね。でもネット上を飛び交う情報を見ても、北朝鮮のミサイルはいつ飛んでくるのかとか、飛んできたらどこに逃げればいいかとか、とても地に足のついた議論とは思えない。本当はこういう時こそ、自衛隊とどう向き合うべきだったのかとか、ようやく本格的な議論ができるはずなのに、平和ボケから一転して、パニック映画みたいな話になっちゃってるんですね。
 そういう世の中にしたのが戦後という時代でね、たぶんそれがGHQの真の目的だったと僕は思う。つまり国や防衛について考える足元さえ崩せば、2度と戦争もできないし、軍隊も持てないだろうと。軍隊や制服に対するアレルギーが強すぎて。そうしたアレルギー体質が、戦後70年の間に日本人の間では血肉化されていき、何が血肉化したかといえば、僕は憲法9条でも戦後民主主義でもなく、日本人の精神の牙こそを抜こうとしたアメリカの戦略だと思うんです。
 実は僕はこのシリーズの前に、ベルリンの壁崩壊直後の東欧を取材していて(90年『きのうの祖国』等)、東ヨーロッパの古い諺に「鉄の拳の上に絹の手袋をする」というのがあるんです。つまり外交では優しい握手をするが、その下では常に鉄の拳を握っているんだと。それがポーランドやハンガリーやチェコスロバキアで、ドイツとロシアに挟まれ、支配もされたけれど、祖国への愛とアイデンティティと、自分の国は自分で守るという精神だけは持ち続けるというね。その精神の牙こそをアメリカは抜こうとし、そして見事成し遂げたんです。
――そうしたアレルギー体質も手伝って、「見えない存在」にされてきた自衛隊員、1人1人の顔を、しかし杉山さんは「見える存在」にされてきました。
杉山 いや。顔が多少見えたってどうなるもんでもないし、戦後という長い長い時代は、もはや変えようにも変えられないってことなんでしょうね。
 たぶんその空気は、憲法の条文を変えたくらいで変わるものでもないと思う。政治とか法律をはるかに超えたところにある空気に、70年の歴史という時間が加わって、そこに住む日本人の奥底に沈着し、地下水脈として国民性や精神性を形作っていくわけですけどね。それは条文を変えようが、選挙に誰が勝とうが、びくともしない、根深さと重みを持っているんです。
――例えば『兵士に聞け』を杉山さんが鏡の話で始められたのは、自衛隊がその時々の日本や国民の姿をありのままに映しだす「鏡」でもあるからでした。
 戦後という時代が自衛隊を日陰者として放置し、その70年間のツケが日本の今を形作っている以上、その責任は私たち国民にもある。自衛隊という「鏡」に映り込む自分たちの姿すら、日本人は見ようとしてこなかったわけですから。
杉山 今の北朝鮮問題にしても、安倍政権や市ヶ谷や外務省はこれで日米同盟の必要性が立証されたと言っているし、産経なんかもたぶんそうでしょう。
 でも僕は逆にね、現場の自衛官たちは、日本とアメリカの究極の利益の違いを今、まさに突き付けられていると思うんですよ。
 つまりアメリカにとっては、北朝鮮のミサイルが太平洋を越えて、本土に飛んで来ないようにすることが究極の利益であって、日本はあくまでも自国防衛のための橋頭保に過ぎない。その日米の違い、微妙な温度のズレのようなものを、最も痛感しているのが、現場の自衛官たちじゃないかなって。
 例えばトランプ大統領が北朝鮮に対して先制攻撃に出るんじゃないかという憶測が流れた時に、安倍首相が「もしやるなら、事前に言ってほしい」と言ったとかいう話が、一時報道されたでしょ。でも日米同盟が本当に強固で、米軍とも共同歩調がとれているんだったら、そんなこと、一々確認しませんよね?
 つまり自衛隊としては、もちろん北朝鮮にもミサイルを撃たせたくないけど、同時にアメリカにも撃ってもらっちゃ困る。そうした日米の齟齬やズレが、脅威がリアルになればなるほど、具体的な局面として現われてくると思うんです。
 それこそ1975年のベトナム戦争のサイゴン陥落の際、現地のアメリカ大使館を飛び立つ最後のヘリにすがりつくベトナム人職員が無理やり振り落とされた写真が全世界に打電されて話題になりましたけど、ああいうことが今後は日本とアメリカにも十分起こりうる。確かに余裕のある時は助けてくれるでしょう。でも最後の最後はアメリカ側も日本人より自国民の利益を優先するだろうし、朝鮮有事が脅威どころか現実となった局面では、国民とは何か、国旗の下に守られるべきは誰なのかが、より一層切実に突き付けられるはずです。
――いわば日本人がこの70年、ずっと先送りにしてきた「本当に問われるべき問題」が、今後は現実問題として、国民レベルでも突き付けられることになる。その最前線の中の最前線にある自衛隊という「鏡」に、本当は今こそ目を向けるべきなのに、杉山さんは筆を置かれるんですね?
杉山 ええ。昭和20年から70年間、日陰者として放置されてきた自衛隊は、いつしか肥大化し、巨大化し、いよいよ「軍隊」へと姿を変えつつある。
 でも僕はストイックなまでに自分を律する一方で、1人の日本人として普通に泣き、笑い、組織としても少々ユル過ぎると思うような彼らの一面も見てるんですよ。規律に厳しい階級社会の中で、例えば今で言うアスペというか、集団行動に多少困難のある隊員もかつてはいて、その青年が訓練中に姿を消すと、状況を一旦停止して、みんなで探すんですね。幸い彼は森にうずくまっているところを発見されるんですが、中隊長は「しょうがないなあ」くらいの感じで訓練を再開し、彼をいじめるでも仲間外れにするでもなく丸ごと受け入れていた。彼は彼で、「ここはとてもいいところです」って。こんな組織、滅多にないでしょう?
 つまり戦後民主主義によって否定され続けた自衛隊は、実は戦後民主主義を最も守り、最も体現してきた組織だった。後に自衛隊がスリム化されることになって、この連隊もなくなりましたが、それまではずっと実弾射撃もまかすわけにはいかない隊員を守ってきたのです。しかしその姿は常に目の届かない場所に置かれ、「同世代の恥辱」とすらされるなんて、こんな差別はないと僕は思うんですよ。よく左翼の人たちは差別という言葉をことさらに使いたがるけれど、相手が言い返せないのをいいことに一方的に無視したり言葉で攻撃するなんて、これ以上のイジメはないでしょ。これこそが戦後最大の差別と言ってよく、そんなことが、彼ら知識人が手放しに絶賛する戦後民主主義の中では平気で行われ、無意識だけにタチが悪い。その無意識に僕は何とか訴えかけようとしてきたけれど、これまでのやり方ではもう、今の日本人には何も届かないのかなって。
――でも、例えば3.11の救助活動に密着しながら、具体的な事実だけを坦々と追う『兵士は起つ』の抑えた筆致は、そうした形でしか再現しえない現場の緊迫感や、隊員たちも含めた悲しみの深さをかえって感じさせ、胸に迫りました。
杉山 いや。今はもっとドラマチックだったり、映像的だったり、展開がスピーディなものしか、特に若い人は受けつけませんから。あるいは好き嫌い、クロシロをハッキリ書いて、物事をレッテル化していくとかね。
 僕の“兵士シリーズ”は展開が遅いとか地味とかネットに書かれて、一部のミリオタしか手に取ってくれないのかもしれない(苦笑)。
 でもこれは僕が最も印象に残っている話で、千歳のある若いパイロットがね、金曜の夜に酒を飲みながら「ああ、今日飲んでも明日死ぬことはない」と思ったって言うんですよ。翌日は訓練がないから。そんなことを、例えば一時期盛んに国会前で「戦争法」反対を叫んでデモをやっていた若者は、想像したことがあるのかなって。彼は当時25、26で、同世代でしょ。なのに、同じ日本に「明日死ぬことはない」と思いながら酒を飲み、週が明ければ再び空の上で任務に励む同世代がいることを想像もできない、仮に想像できても「それは彼らが好きでやってるんでしょ?」とか、その程度の捉え方しかできないのも、戦後民主主義のなせる業ですからね。
 するとますます現場の彼らと国民の溝は広がり、また安倍さんたちの目指す軍隊化によっても、「災害救助をやりたい」「人の役に立ちたい」と言って入隊した若者の純粋な思いなんかは、どんどん蚊帳の外に追いやられて行く……。
 それが今、僕が北朝鮮情勢より何より、最も危惧することなんです。
■インタビュー・構成/橋本紀子 

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