1. 電子書籍TOP
  2. リイド社創立40周年記念時代劇コミックフェア
このエントリーをはてなブックマークに追加
リイド社創立40周年
本年創立40周年を迎えたリイド社。さいとう・たかを氏の実兄・リイド社斉藤發司社長へのインタビュー!
リイド社40年の歴史年表
年表をみる
リイド社創立40周年記念インタビュー 斉藤發司社長
本年創立40周年を迎えるリイド社。それまでの青年マンガに時代劇のジャンルを新たに開拓し、本格時代劇画「コミック乱」を創刊、電子出版のジャンルにもごく初期から着目し取り組んできた斉藤發司社長にリイド社創業のきっかけとこれからを伺いました。
若気の至りで起業!? リイド社今昔物語
━━まず最初に出版社を興そうと思ったきっかけについて教えてください。
 ひとことでいえば若気の至りやな。いまやったらリスキーすぎますわ。(起業するまで)もともと4年間、サラリーマンやっとったんや。結婚したあくる年に弟(さいとう・たかを氏)が来て「兄貴、出版やってくれんか」っちゅうてね。

 うちのかあちゃん(奥様)は、(サラリーマンの方が)収入も安定しとるし反対やったと思うけど、わし自身がサラリーマン生活にちょっと疑問符を持っとったわけ。つまり、このまま一生サラリーマンで終わるんかな? という。
三日三月三年って言葉があるわけやけど、会社に入社して退職を考える時期の目安やな。それでいえば、4年間サラリーマン生活を送ってみてやっぱりクエスチョンマークの方が大きかったんやな。弟の言葉はきっかけではあったけれども、最初から書店さんを相手にした出版をやっとたら大失敗しとったやろね。
━━それはどういうことでしょうか?
 つまり何事もステップバイステップやな。弟から最初に出版の話があったのが昭和34年前後。このころは貸本屋がようけあったわけ。コミック単行本やコミック短篇集『影』『街』『摩天楼』などの出版物で、貸本屋が隆盛を極めとった。大阪でもワンブロックに1軒くらいあって、東京でいえば町の蕎麦屋くらいの頻度で増えている時期。白土三平さんの『忍者武芸帳』が一番人気で刷り部数が8000部。8000部の刷り部数っちゅうのは、当時でいえば貸本屋1軒あたり2〜3冊入ってる計算で、ざっと読者が80万人くらい。1冊あたり100人ぐらい読んでくれてたんや。

 というのも当時は貸本も一部市場、二部市場、三部市場まであって、最初都会で買ったやつを、だんだん地方へ回していくわけやね。それで8000部だと80万人ぐらいの読者を掴んどるっちゅうわけや。 次いでわが弟が当時6000部くらい。普通、ええとこ3000部〜4000部くらいのところで6000部やからな、だいぶ大きいよ。売れないものは1600部っちゅうこともあったからね。それで6000部刷って、返品がええとこ50〜60冊。1%あるかないかや。
 しかも当時は貸本屋の買い切りでしたから、ド素人でもできたわけ。昭和35年の春に東京に出てきて、昭和36年の秋から出版をやりはじめた。
━━出版の経験がないなかはじめるにあたってノウハウはどのように身に付けられたのでしょうか?
 こう言っちゃ失礼やけれども、当時の貸本屋向けの出版社は親方一人、社員一人で2〜3人でやっとったんや。社員は編集はもちろん営業も制作進行もやらないかん。一人で三役くらいやっとんねん。弟のところに原稿を取りに出入りしとった人物に「紙はどこで買うてますの?」「印刷はどこでやりますねん?」ちゅう話をして教えてもろてね。1年半くらいいろいろ聞いて「よっしゃ、これやったら出版社できるかいな」と思うてな。
「若気の至り」ってなもんやけれども、それで出版をやりはじめたんや。あとで思えばあっちぶつかり、こっちぶつかりで、ほんまのところは10分の1もわかっとらんかったんや。でも仕事をはじめると、こっちがド素人やいうことが相手にはわかっとるだけに印刷所がやってない仕事まで請求書にのせて回してきたり一事が万事いろいろあったよ。
━━リイド社はもともとさいとう・プロダクションの出版部を分離、独立させるかたちで出発しています。
 そう最初は、さいとう・プロダクションの出版事業部としてスタートしたんや。ところが出版関係の人間と原稿描く人間とはタイムラグがものすごい。つまり描いている人間は徹夜、徹夜で、あのころは徹夜が多かった。徹夜して描く側のスタッフが帰る時間に、出版部のスタッフが出勤してくる。スタッフ同士の勤務時間帯が違うと、社内のコミュニケーションもスムーズにいかんわけ。それやったら分社化しよう、と。 さいとう・プロダクションの出版事業部を閉鎖して出版社を作った。それがいまから、40年前やね。

 仕事場もそれまでさいとう・プロダクションは中野にあったんやけれども、出版関係の人間を目白の方に移して。 最初からわしとさいとう・たかをとは、はっきり分業していた。さいとう・たかをはコミック作家で、わしは出版社の経営をやると。わしはさいとう・たかをの作品に関しては一切口出ししないし、その代わりさいとう・たかをも、わしの経営については一切口出ししない。お互いに、それぞれの領域に口を挟まない不可侵でスタートしたから、まあまあそこそこスムーズにやってこれたんちゃうかな。
━━やがて貸本が冬の時代を迎えます。
 昭和39年のオリンピックを契機に、一般の人もテレビが買えるくらい多少安くなってきた。それが貸本が落ち目になっていく原因にもなったわけやけどな。要するに娯楽が貸本からテレビにシフトしていったわけやな。ちょうどそのころ、さいとう・たかをには「少年サンデー」や「少年マガジン」など貸本ではない一般誌からの原稿依頼も多くて、そっち方面への進出を促しているときやった。
昭和39年ごろはさいとう・たかを以外の作家の作品を貸本では展開していたけど、いっても1500部〜1600部で、そのうちの半分くらいは返本されてきた。もう、こりゃ落ち目の三度笠やな。もう貸本は売れへんねん。昭和40年〜41年の2年間くらいは出版の方は開店休業みたいな状態やったね。

 昭和42年〜43年になって、さいとう・たかをが「少年サンデー」「少年マガジン」に連載した作品を単行本として今度は一般の書店に取次を介して配本していくわけやけど、これはもう一気に2〜3万部刷れた。リスクはだいぶ高いけれども、おかげさんでさいとう・たかをの作品はそこそこ売れたからなんとかやっていけた。

 でも、この冬の時代を含めた昭和36年から5〜6年の貸本を扱っていたときは、ええ勉強になったね。大手の取次を介した書店流通に比べればスケールはだいぶ小さいけれども、出版社としてのごく基礎的な経験を積めたわけやからな。一般の書店さん相手に2万、3万刷るようになってからも、制作、進行、コスト計算等は貸本時代に経験したことと同じことを行うわけやから。あれなかったら、ほんまに路頭にひっくり返とったと思うで。
いま明かされる 兄の目から見たさいとう・たかを秘話
━━斉藤社長がこれまで読まれたマンガのなかで印象に残っている作品はありますか?
 そうやな、印象に残ってるって言うたら、さいとう・たかをの一番弟子やった川崎のぼるの『巨人の星』やな。梶原一騎さんの原作でな。あれはおもろかった。原作もしっかりしとったし、次どうなるかいな、という今後への期待感。『巨人の星』はそれをうまいこと持たしとったよ。週刊連載の場合、それが重要やしな。

でも、ほんならお前描いてみい、言われたらわしゃよう描かれへんよ。わしは漫画を描くわけやないから、どこがええ、どこが悪いっちゅうのはわからんしな。まあ早い話、おもろいかおもろないかということだけやな。
━━経営者として会社をみられる反面、こんなマンガを描いてほしい、というのはありませんか?
 いやいや、そういうのにわしは一切タッチしないの。編集者の感性に任しとるわけ。もちろんダメな場合はダメよ。それはしゃあないやん。それをこちらも信用して任したんやから、わしの責任になるわけや、な。編集者の感性がヒット作を生むんじゃないですかね。わからんけれども。
━━ちなみにさいとう先生の作品でお気に入りのものはありますか?
 『ゴルゴ13』をはじめとしていろいろあるけれども、わしが一番好きなのはやっぱり『鬼平犯科帳』やな。人情の機微にも触れとるしな、あの作品は。
 池波正太郎さんはやっぱり大したもんやと思うし。一読者として楽しみにしてますわな。
━━さいとう先生とのエピソードで忘れられないことはありますか?
 そうやね。『ゴルゴ13』の時やったかな。ともかく、わが弟ながら感心したことがあんねん。何かいうとね、もうその時も徹夜、徹夜で、ほんまにいま引き受けとる作品を描くのが精一杯やったんや。そんなときにね、原稿依頼に来られた編集者の話を聞いとった弟が「ほんなら、それやろう」と言いだしたんや。

 わしはそのとき弟のマネージャーとして横で話聞いとっただけやったんやけど、編集者が帰ったあとに「お前、こうやって毎日徹夜、徹夜でやっとんのにな、そんなもんやれるんか?」ってはっきりたしなめたわけや。「やれるんか?」と。こっちは「やれるわけないやろう」って思ってたからな。そしたら「兄貴な、一升瓶にはな、一升しか水が入れへんけどな、こういう仕事はな、無理したらやれんねや」って言うて。 「そうか、お前がそう思うんやったらやれや」言うたら、実際やりよったんや。そのことだけはな、わが弟ながら感心しましたね。

 それからもう一つ、こういうの。ある編集者が原稿頼みに来よったんや。どういう頼み方したか言うたら、「先生なんか描いておくんなはれ」ってこうきたわけや。「なんか描いておくんなはれ」ってそんなもんないよな。  これはうちの編集者にもよう言う話やねんけど、「なんか描いてください」じゃあビジョンがないわけやな。同じ創作的な仕事をやっとるわけやから、作家に興味を持たすっちゅうか、編集者は作家をその作品で「一丁やったろか」という気にさせる精神的なモチベーションを高めないかんと思うわけやな。それがないと作家も乗ってこられませんわな。わしは編集者やったことないからわからんけれども。

 それでそういう「なんか描いてください」で依頼を受けたさいとう・たかをは、結局描けへんかったけどな。その編集者が帰ったあとで「おう、なんか描いてくれって言われたから、ちょうどいま『無用ノ介』描いとるさかい『有用ノ介』っちゅうの描こうか」とわしに言って、はははって笑っとった(笑)。
━━『まんが家さんの修羅場めし』では、斉藤社長がさいとう先生にボルシチをよくふるまわれていたエピソードがありますが……。
 そのころはもう徹夜、徹夜で仕事あがったら、出版社が原稿取りに来る。原稿渡したら、バッタンキューでその場で寝とった。当時は畳の上に机置いとったから、毛布をみんなに掛けて回っとったんや。昼飯は近所の食堂へ食いに行くけど、晩飯は、わしが作っとったんや。
 冬場は石油ストーブでスタッフが6〜7人いて、肉はもも肉を塊で買ってくるねん。安いからね。もも肉を人数分に切って、ニンニクを2株、タマネギを6〜7個、みじん切りにしてフライパンで炒めて。栄養満点やな。それでみな太ってきよったな。
 さいとう・たかをなんか100kg〜110kgくらいあったんちゃうかな。病気させてもいかんしね。ありかわ栄一(園田光慶の旧ペンネーム)さんや永島慎二さんが、どこで聞きつけたのかご飯食べに来ていてな。
━━「さいとう・プロにいけばご飯にありつける」という噂があったんですかね?
 せやけども、わしんとこは働かざる者食うべからずでな。「お前ら、よその出版社でもええから仕事をせえ」と。「仕事せえへんかったら、お前らもう飯食うな」と、わし怒ったんやね。ほんだら、自分たちのマンガのなかで、わしの似顔絵出して、「仕事さらせ」って描いてあんねん(笑)。
━━すごく和気藹々としたエピソードですね。
 アパートの中庭でみんなと相撲とったりしてな。高校のときは相撲部やったから、負けへんかった。みんなと勝負しとったで。
電子出版への思いと 今後の展望
━━御社はごく初期から電子出版にも取り組まれています。
 平成4年〜5年くらいかな。わしの友人が野村証券でオフィスコンピュータを担当していて、その後コンサルタント会社を設立したのがきっかけですな。その同級生が今後は「オフコンの時代やない。パソコンの時代やで」って言うてきたわけや。こっちは何もわからんけれども、そんなものかな、と。それで一応、社員に教えたってくれ、というのがはじまり。一人一台パソコンのある環境にしたのは早かったと思うな。

 紙の出版は先にやっとったので、今後は電子配信、電子出版も成長するんやないかな、と思うて、たいそうなことはできへんけれども、準備したほうがええやろうちゅうことでデジタルの分野もはじめました。
━━現在の電子出版に関してはどのような印象をお持ちでしょうか?
 米国では電子出版の方が発展しとるし、今の電子化の流れは世界的な傾向やと思うよ。ボーダレスの時代になってきとるわけやしね。
 そういう意味では、平成26年にデジタル出版権が法制化されたこと、これが大きいですね。実施されるのは平成27年1月1日からやけど、以前よりは海賊版の取締も行いやすくなっていると思う。そういう意味では、電子出版は今後伸びることはあっても減ることはないと思うわ。
━━電子の場合、紙・印刷費や倉庫費用がかかりませんしね。
 それは大きいですね。やっぱり紙の場合、全国にある程度配本しようと思えば、最低でも3000部は刷らないといけないしね。100万円単位のプライムコストがかかるわけや。電子の場合、極論すれば原稿料と電子化の費用だけでしまいや。
 もちろん、サーバーの運営費や配信コストはかかるわけやけれども、返品がないわけです。在庫費用を負わなくて済むと考えると、マーケットリサーチをする側にとっても、電子書籍はローコストで行えるので利便性は高いわな。
━━最後に本年創立40周年を迎えますが、今後の御社の展望はいかがでしょうか?
 改めて40年を振り返ると光陰矢の如しやね。いまの社屋に越してきてから、はや23年。ほんまにあっちゅう間や。やっぱりこれからは電子出版をどううまく展開していくかやと思うね。
 ペーパーパブリッシングとデジタルパブリッシングの、いわゆるコラボレーションちゅうか、相乗効果を図っていくっちゅうか。これが今後の出版社の命運を握ってるんちゃうやろうかと思うとる。まあ先々のことはわからんけれども、わしはそう思ってる。
斉藤發司(さいとう・はつじ)
昭和6年12月14日、東京都浅草生まれ、大阪育ち。神戸大学を経て、4年のサラリーマン生活の後、さいとう・プロダクションの経営に参画。昭和49年出版部門を分離、独立させるかたちでリイド社を設立。以後、経営の第一線で辣腕を振るう。さいとう・たかを氏の実兄にあたる。

本ページの内容は公開時点のものです。書籍の情報(販売の有無、価格、消費税込みか別かなど)について、予告なく変更される場合がありますので、購入内容確認画面においてご確認の上で、ご購入をお願いします。
新規購入者限定!ポイントバックキャンペーン
>>新規購入者限定!ポイントバックキャンペーンはこちらから
お得!割引・セール一覧
>>毎日更新!まんがをまとめ・大人買いする大チャンス!
おすすめまんが・電子書籍まとめ!
>>おすすめの新刊・名作・無料まんがを探そう!
最強無料まんが
>> 最強無料まんがはこちらから
Yahoo! JAPAN ID連携でこんなにお得!
>> Yahoo! JAPAN ID連携でこんなにお得!
このエントリーをはてなブックマークに追加
男性マンガ女性マンガマンガ雑誌ライトノベルキッズ文芸ビジネス・実用雑誌・写真集
電子書籍はeBookJapan