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トキワ荘特集



芸術の神様は粋なはからいをするものである。いつの時代にも理想に燃える若いアーティストたちをある場所に一同に会させて、そこから新しい潮流を生み出させてきた。それは、アーティストたちの青春であるとともに、アートそのものの青春でもあった。

  パリのモンパルナス。ニューヨークのソーホー。日本文学にとっての鎌倉もそうだった。そして、マンガにもやはり若いアーティストたちが集った場所があった。

  大阪から東京に進出したさいとう・たかをら貸本劇画の描き手たちが住み、東京の劇画家たちもたむろするようになった国分寺。萩尾望都竹宮惠子が共同生活をはじめ、やがて少女マンガ家たちが集うようになった大泉サロン。大阪にも、水島新司や影丸譲也らが暮らした阿倍野区の日の出荘があった。

  そして、日本の戦後マンガ史を語る上で忘れることができないのが、東京都豊島区椎名町(現在の南長崎)にあったトキワ荘である。


  トキワ荘は1952年の暮れに完成した木造2階建ての小さなアパートだ。翌53年のはじめに、宝塚から上京間もない手塚治虫が入居したのをきっかけに、寺田ヒロオ、藤子不二雄(当時)、鈴木伸一、森安なおや、石森章太郎(当時)、赤塚不二夫らが次々に入居。東京在住のつのだじろうや長谷邦夫なども通ってきたことから、「マンガ・アパート」と呼ばれるようになった。


  入居当時の年齢は、手塚が24歳。寺田が22歳。藤子不二雄のふたりはともに20歳。石森章太郎は18歳である。すでに売れっ子だった手塚は、藤子たちと入れ替わりで引っ越したが、藤子たちが入居してからのトキワ荘はまさに青春のるつぼとなった。

  よく、トキワ荘の面々を「デビューを目指すマンガ家のタマゴだった」と勘違いする人がいて、「新トキワ荘」にマンガ家予備軍の若者を住まわせてデビューを競わせる内容のテレビ番組がつくられたりもしたが、これは大きな間違い。トキワ荘に集まったのは、東京の雑誌でデビューして本格的にマンガを描くために上京した若者たちだった。仕事仲間でありライバルだったからこそ、既存のマンガ表現を打ち破って、新時代のマンガを作り出すことができたのだ。そのさまざまなエピソードは、石森の『マンガ家入門』や藤子不二雄Aの『まんが道』や『愛…しりそめし頃に…』などに描かれて、マンガファンにはお馴染みになっている。

  再来年には誕生60年の還暦を迎えるトキワ荘のこと、そしてその功績を、後世にしっかり残そうとする地道な努力も続いている。

  中でも熱心に活動しているのが、トキワ荘の紅一点だった水野英子だ。58年、水野は石森章太郎、赤塚不二夫との合作ユニット「U・マイア」としての仕事をするために、講談社『少女クラブ』の編集員・丸山昭の紹介でトキワ荘に入居。約7ヶ月に亘って仲間たちと生活をしている。当時は、花の18歳だった。

  2009年10月に、水野は『トキワ荘日記』を自費出版。10年に日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞する大きな原動力となった。また、10年秋にはトキワ荘在住者による少女マンガを集めたアンソロジー『トキワ荘パワー!』(祥伝社)が刊行され、水野は丸山昭とともに監修を担当している。

  のちに少年誌や青年誌で活躍するトキワ荘のマンガ家たちが少女マンガ、というのは意外な気もするが、当時の新人の活躍の場は少女雑誌が中心。石森も赤塚も少女マンガを描いていた。そこで培われたセンスや技法が、のちの巨匠たちのベースになっているのだ。そして、「少女マンガ」というこれまで世界でも類を見なかったエンタテインメントを育てる土壌にもなったのだ。


 今日、世界中で日本のマンガが読まれるようになったきっかけのひとつが少女マンガの存在だと言われている。これまで知らなかった、そして読みたかったエンタテインメントに出会うことで、世界中の少女たちは日本のマンガに夢中になったのだ。

  水野がトキワ荘について記録し語ろうとするのは、世界に広がった日本のマンガの原点を見つめ直す必要を、現役の描き手のひとりとしてひしひしと感じているからだろう。

  マンガの市場は拡大し、世界にも読者が増えた。しかし、マンガ家の作品を生み出すエネルギーは、かつてのトキワ荘の時代のほうがずっと大きかったのではないか。クリエーターのエネルギーが弱くなれば、やがて市場は収縮する。これはコンテンツ産業の宿命でもある。

  読者である私たちも、あの時代の熱気にもう一度触れて、何かを感じ、同じような熱気を現代の描き手たちにも求めていくべきではないのか。水野英子によるトキワ荘関係の2冊からは、そんなメッセージを強く感じたのである。

■中野晴行 「まんがのしくみ」(ebookjapan隔週水曜発行メールマガジン)より


1954年生まれ。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。近著『まんが王国の興亡 ―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。



  この時代、まんがは一言で言って「悪書」でした。まんがは子供たちの頭を悪くさせるもので、「何年生になったんだからもう読むのは止めなさい!」とほとんどの子供たちが言われていたのです。まんがは夜店で叩き売られるゾッキ本で下の下の物でしたからそんな仕事をしているなんて口にもできませんでした。

  私もまんがのことを話せる友だちなど一人もいず、黙って一人で描き、黙って一人で上京してきたのです。でもトキワ荘では24時間まんがの話ができる仲間がいました。24時間まんがの真っただ中にいることができました。ここにしかそんな場所はなかったのです。トキワ荘は若いまんが家たちの天国でした。

  皆楽しそうにはつらつとしていました。お金はなかったけどそれより大切な仲間がいました。全員二十歳前後。自分のしたいことがいつかは叶うかもしれないと信じられる年齢でした。

水野英子公式サイトはこちら