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2015/02/20更新
物語の「脇役」に向けられた優しさ
ブギーポップは笑わない
著者:上遠野浩平 イラスト:緒方剛志
 上遠野浩平の『ブギーポップ』シリーズが、ついに電子書籍化された。
 1998年に第4回電撃ゲーム小説大賞(現・電撃大賞)を受賞して刊行され、しばしば「ライトノベルを変えた作品」とも評価される作品だ。

ロードス島戦記』や『スレイヤーズ!』といった異世界ファンタジーの全盛期に、当時、後発のマイナーレーベルでしかなかった電撃文庫から刊行された本作。その大ヒットは、ライトノベルの光景を塗り替え、電撃文庫をライトノベルを牽引するトップレーベルの座に押し上げる原動力ともなった。もし、この作品がなければ、現在までのライトノベルの歴史は、大きく違ったものになっていたはずである。

 いや、しかし、そんな歴史など、実はどうでもいい。
 ――どうでもよくないが、本作の歴史的な位置づけやら何やらについては拙著『セカイ系とは何か』で論じたので是非、そっちで読んでいただきたい(ステマ)。
 とにかく、おまえの一番好きなライトノベルは何かと聞かれたら、評者は――、いや、今回に限っては、この一人称でいこう――僕は、迷わずこのシリーズを挙げる。ライトノベルなんて限定せずとも、世界で一番、好きな小説は、第一作目の『ブギーポップは笑わない』である。結局、ライトノベル・ライターなんてやっているのも、ひとりでも多くの方に本作を読んでほしいからだと言って過言ではない。

 そんなわけで、本コーナーでは、この歴史的名作の電子書籍化を記念し、勝手に『ブギーポップ』大特集を行いたい。具体的には、今週から、とりわけ傑作揃いの初期5タイトル6冊を連続レビューしていく。それでは早速、はじめよう。

ブギーポップは笑わない』(上遠野浩平 イラスト:緒方剛志/電撃文庫)

 記念すべき第一作にして、作家・上遠野浩平のデビュー作だ。
 だが、「ライトノベルの歴史を変えた作品」なんて言われるわりには、作中で起こったこと自体は、とても簡単な物語だ。学園に潜む人喰いの化物を、正義のヒーロー(ヒロイン?)のブギーポップが倒すという、実に単純な、よくあるテンプレ学園異能にすぎない。
 けれど本作のキモは、この物語を「ひょんなことから異能ヒロインと一緒に戦うことになった平凡な高校生」なんて主人公を用意するのではなく、ふとした偶然から日常の裏側で行われる戦いを垣間見た、「脇役」たちの視点から構成したところにある。
 たとえば、第一章の語り手は、高校三年生の竹田啓司。進学校にもかかわらず、デザイン事務所への就職を決めたことで、受験ムードのクラスから微妙に孤立しつつある。
 そんな彼の恋人、高校二年の宮下藤花が、突然、変なコスプレで、自分は世界の敵と戦う自動的な存在、ブギーポップだ――なんて言い出すところから、この物語は始まるのである。
 当然、竹田君には、(今風に言えば)彼女が突然、厨二病に罹患したようにしか見えない。

 この第一章は、独立した短篇として読んでも傑作だ。
 自立の道を選んだ年上の恋人の生き方に焦りをおぼえたひとりの少女が、「自分は世界の敵と戦っている」などと言い出す奇妙な心の病に罹患してしまう。けれど、周囲から孤立していた先輩にとって、彼女の別人格である「変身ヒーロー」は、学校で唯一、心を許せる相手となる……。少女の心の病が、ふたりの恋人が溝を埋めていく、風変わりな恋愛小説として、爽やかな余韻を残すものとなっている。

 ところが続くページを捲る読者は、彼女の妄想と思われた「世界の敵」「人を喰う者」が、現実に学園に潜んでいたことを知ることになる。
 けれど、「世界の敵」の実在を最後まで知らない竹田君のように、本作の視点人物に与えられるのは、あくまで物語の断片だけだ。だから「恋人がある日、突然いなくなってしまう」という形でしか、事件とは関われない――事件が起きていたことさえ気づけなかった人物もいる。

 もちろん、こうした複数の視点から語られる物語――群像劇という構成は、けして珍しいものではない。ライトノベルでも成田良悟の『バッカーノ!』『デュラララ!!』が人気だし、ゲームでも『街 〜運命の交差点〜』『428〜封鎖された渋谷で〜』などのサウンドノベルが有名だ。
 けれども、そのなかで本書が特異なのは、こうした断片的な構成が、バラバラのピースが組み合うパズル的な面白さを生み出す為ではなく、むしろ、思春期の少年少女達の切実な不安と焦燥感を描き出す為にこそ、用いられているところにある。


 ……起こったこと自体は、きっと簡単な物語なのだろう。傍目にはひどく混乱していて、筋道がないように見えても、実際は実に単純な、よくある話にすぎないのだろう。
 でも、私たち一人ひとりの立場からその全貌が見えることはない。物語の登場人物は、自分の役割の外側をしることはできないのだ。



 正義は必ず最後に勝つのかも知れないが、普通の人間のわたしたちは別に最後までいきていられるわけではないのだ。その前に殺人鬼の気まぐれで殺されてしまうかも知れないのだ。


 本書の登場人物たちは、随所でこうしたモノローグを繰り返す。
 こうした不安はライトノベルの読者にとってはも他人事ではないはずだ。
「自分はもしかしたら特別な人間でもなんでもないのかもしれない」
「自分の人生は、平凡な脇役Aで終わってしまうのかもしれない」
 そんな恐怖を抱かない十代など、いやしないだろう。
 少なくとも僕はそうだった。この意味のわからない世界で、いつ何時、直下型地震に巻き込まれるか、カルト教団の毒ガステロに合うかして、何者にもなれないまま終わってしまうかも知れない……そんな恐怖を抱いていた僕にとって、この作品の登場人物たちは、自分の中の得体の知れない不安を、自分にかわって言葉に口に出してくれるような、そんな身近な存在に思えた。そういった存在に出会えたのは、ライトノベルを読んでいてはじめてのことだった。

 それにしても本書がスゴいのは、群像劇でありながら――つまり複数の視点を横断する特権的な立場に読者を置きながら、最後まで視点人物たちと同じ目線で、つまり世界の中心から置き去りにされた脇役の立場として、小説を読ませきるところにある。
 どうしてそれが可能になっているかと言えば、複数の断片を組み合わせた一冊の物語もまた、断片に過ぎないという構造による。
 どういうことか。
 僕たち読み手は、竹田君と違い、学園に現に「世界の敵」が存在し、「人を喰」っていたことを知ることができる。けれどこの一冊の本を通じて読み手が得られる情報の総体は、物語に最も深く立ち入った視点人物が得られるものと、そう大差ないのである。
 確かに化物がいて、そいつが事件の元凶で、そいつはブギーポップなる存在に倒された。
 けれども、その化物は一体、どこから来たのか、そしてそれと戦っていたブギーポップたちは一体、何者なのか? そうした世界観や設定は(少なくともこの第一巻においては)ほとんど、何も語られない。
 だから、本書で事件に巻き込まれた登場人物たちが、様々な謎を抱えたまま、それでも日常へと帰還し、不条理な出来事をなんとか自分なりに納得させて、みずからの人生を生き続けなければならないように、読者もまた、自分なりにおぼろげな世界観を想像しながら、本を閉じて現実に帰還するしかないのである。

 けれども本書がもたらす読後感は、しょせんおまえらは物語の全貌も世界の真実もわからないんだから、凡人は凡人らしく受験勉強でもしてレールの上を歩け。確率的に明日通り魔に会うかも知れないが諦めて死ね――的な、虚無的でシニカルなものではない。
 まったく逆だ。
 本書の登場人物は、自分たちが「何と戦っていたのか」「何に巻き込まれていたのか」を知ることはない脇役だ。けれど、本書のラストで読み手に示されるのは、そんな普通の脇役のひとりが、世界の真実も物語の全貌も知らないままに、ほんの小さな優しさによって知らぬ間に世界を救っていたのかもしれない、という可能性である。

 僕たちの大半は、確かに選ばれた人間でもないし、特別な人間でもない。
 そして世界はそんな脇役のことなどかまいもせずに、今日も動いていく。
 けれども、この世界を救うのは、実は選ばれた人間でも特別な人間でもない。ひとりひとりの脇役こそが、日常の中のほんの小さな優しさによって、自分でもそれと知らないまま、今日も世界を救っている。たとえ、特別な人間ではなくても――いや、選ばれた人間でないからこそ、世界は救える。
 ――これは、そういう物語だと思う。


 君のような人がいるから、世界はかろうじてマシなレベルを保っている。世界に代わって感謝するよ。


 物語の最後にブギーポップがひとりの普通の少女に向けて言ったセリフだ。
 中学生の僕は、いつかブギーポップが目の前に現れたとき、そう言ってもらえるような人間になりたいと思った。32歳の今も思っている。

 なんだか本連載中、屈指の青臭い文章になってしまった。
 これのどこが書評だ。
 ただの自分語りではないか。
 まったく、申し訳ない。
 ――ただ、こう、言い訳させていただくと、人間誰しも、この物語について語ることは、そのまま自分自身を語ることに繋がってしまうというような――そういう本が一冊ぐらいはあるはずである。僕にとっては、それがこの作品だ。すまない。次巻以降については、もう少し、冷静に語れると思う。

 では、次巻――「VSイマジネーター」にて。
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2015/02/27更新
変身ヒーロー「ブギーポップ」の格好よさ
ブギーポップ・リターンズ VSイマジネーター
著者:上遠野浩平 イラスト:緒方剛志
ブギーポップ』勝手に電子化記念特集。
 2回目となる今回は『ブギーポップ・リターンズ VSイマジネーター』を取り上げたい。

ブギーポップ・リターンズ VSイマジネーター』(上遠野浩平 イラスト:緒方剛志/電撃文庫)

 本作は『ブギーポップは笑わない』(以下、『笑わない』)に続いて、『PART I』『PART II』の前後編2冊が98年8月に刊行された。ちなみに、ここから9作目の『ブギーポップ・ウィキッド エンブリオ炎生』までは短ければ2ヶ月、長くても4ヶ月という間隔で次々と続刊が刊行されており、当時としてはかなりハイペースだった。

 さてデビュー作であった『笑わない』に対して、本作『VSイマジネーター』は、シリーズとしての『ブギーポップ』の始まりを告げた作品だと言える。前作『笑わない』ではほとんど説明されなかった世界観が、おぼろげな形ではあるが、この巻で明かされるからだ。

 ――この世界には統和機構と呼ばれる巨大なシステムが存在する。合成人間と呼ばれる人間型兵器を開発するなど、進んだ技術力を持つ彼らは、人類社会の影に潜み、異能の力を持った人類を発見すべく、実験と監視を続けている。彼らはMPLSと呼ばれるそうした人々を、人類進化の先駆けとして警戒しているらしい――
 
 ちなみに上遠野浩平作品は、そのすべてが実は世界観を共有しており、例えば遙かな遠未来を舞台にした『虚空牙』シリーズの2冊目『わたしは虚夢を月に聴く』には「VSイマジネーター PART IV」という副題が付けられている。だから本作『VSイマジネーター』は『ブギーポップ』シリーズのみならず、上遠野浩平サーガの始まりと言っていいかもしれない。

 さて、本作もまた、前作同様、複数の視点からなる群像劇を採用しており、物語は、大きく分けて以下の3つのプロットからなる。

・謎めいた少女・織機綺と出会ったことで、ブギーポップの恰好をして街で自警行動をはじめることになる少年・谷口正樹(前作で活躍した「炎の魔女」霧間凪の弟だ)。夜な夜な、偽ブギーポップとして街の不良などを退治するという奇妙な「デート」を繰り返しつつ、お人好しな少年は、自傷的で危うげな少女との無器用なラブストーリーを紡いでいく。

・人の心が花の形で見えるという異能の力を持つ予備校講師・飛鳥井仁。そのせいで、人はどんなに努力しても成功を果たしても、生まれ持った心の欠落だけは埋められないと知った彼は、世界と人間に対してシニカルな絶望を抱いている。そんな彼が、かつてブギーポップに世界の敵と認識され殺害された少女「イマジネーター」の亡霊(?)と出会うことで、人類を「突破」させる為の計画が始まる。

・巨大システム・統和機構のエージェントとして、謎の実験を続ける合成人間・スプーキーE。目的の為なら手段を選ぶことのない、その傲慢さによって、街では、多くの人間が人知れず、人格と人生を奪われようとしていた……。

 ひとつひとつでも十分、一冊の小説が書けそうだが、これらが複雑に絡み合っていくのが本書の醍醐味だ。前作『笑わない』がひとつの事件を複数の視点から眺めることで真相を明らかにしていく手法だったのに対し、今作では、一見無関係に思える人物たちの行動が、クライマックスに向けて収束するカタルシスが読みどころとなっている。

 物語の全体像を掴めないまま巨大な流れに翻弄される思春期の登場人物たちの描写は前作同様、冴え渡っているが、再読して感じたのは、行間に漂う濃厚な90年代の空気感だ。
「悪役」の飛鳥井仁からして企むのは世界征服だの全人類の抹殺だのではなく、どことなく人類補完計画ライクな「欠けた心の補完」だし、ヒロインの織機綺の造形も「私が死んでも代わりはいるもの」系の綾波型ヒロインに援交少女属性を重ねるとこんな感じになるかなという感じ(我ながらヒドい説明だ)。
 とにかくこう、阪神大震災と地下鉄サリン事件という未曾有の大事件の後の不安な世相の中、アダルトチルドレンだなんて言葉が流行語になるほどの俗流心理学ブームのまっただ中(もちろんそれは「明日食えなくなるかも」でなく「本当の自分は何処?」なんてことで悩んでいられた牧歌的な時代だったとも言えるのだけど)。
「援助交際」が女子高生の代名詞で、17歳や14歳の男子は「キレる少年たち」と呼ばれて一緒くたに殺人者予備軍扱いされ、カラーギャングが抗争し、庵野秀明と宮崎駿と富野由悠季が「みんな死んでしまえばいいのに」「生きろ。」「頼まれなくたって生きてやる」と何故かキャッチコピーでケンカしていた時代。
 この作品の都市の描写には、そうした時代の空気感が、的確に写し取られている。

 正直、上遠野浩平という作家は、そういった同時代性にはむしろ乏しい作家だと思っていた(第一作、『笑わない』は刊行当時から既に往年のジュヴナイルSFを思わせる、どこかクラシカルな匂いをまとった小説だった)から、これは少し驚きだった。
 なんというか上遠野が90年代を意識したというより、90年代後半のある時期、上遠野浩平の世界認識が90年代の空気感とピッタリ一致する奇跡的な瞬間があり、だからこそ、この『ブギーポップ』シリーズという、ジャンルさえもよくわからない奇妙な小説はベストセラーになったのではないかと思わされた。

 いや、若い読者には知ったこっちゃねえよ、と言われるかも知れない。確かにその通りだ。申し訳ない。話を元に戻そう。
 本作の真の読みどころは、なんと言ってもブギーポップさん(本書以降は、恐ろしくてとても呼び捨てにはできない)の格好良さにある。前作『笑わない』では、意外と地味な活躍しかしなかったブギーポップさん。その本領が遂に発揮されるのが本作なのである。

 その存在はまさに神出鬼没。作中のありとあらゆる場所に、しかも常にベストなタイミングで口笛と共に現れる。体はただの女子高生なのに、並み居る人外ども異能者どもに常に圧勝し、あるいは鋭い警句で迷える登場人物たちに道を示し、そして混乱した物語に筋道を付けて幕を下ろし――とにかく何時だっておいしいところを全力で持っていく自動的な存在。まさに「デウス・エクス・マキナ」と呼ぶに相応しい、ブギーポップさんの凄まじさがはじめて読者の前に示されたのが本作だ。

 とりわけ本書の最終決戦、前述した3つのプロットがついに合流する廃テーマパークで、テーマソングである「ニュルンベルグのマイスタージンガー」を轟かせて現れる様は、シリーズ通じても屈指の名シーンであり、これはもう鳥肌必至である。



 なんといっても変身ヒーローだ。
 ああいうものはテレビの中にしかいないから面白いのであって、現実の側にいられると混乱の元にしかならない。

『ブギーポップは笑わない』



 第一作において竹田君はブギーポップさんのことを、こんな風に形容している。
 そう。ブギーポップさんは、世界の敵と戦う無敵の戦士であり、迷える少年少女たちの導き手であり、つまり、まさに変身ヒーローだ。

 これがいかに困難な達成か、ご想像いただけるだろうか。
 だが90年代後半というのは、ヘタをすれば今以上に、変身ヒーローというのは形骸化し、正義の味方(笑)とか悪の組織(笑)とか半笑いの形でしか語られない存在だった。
 何せ本書が刊行された98年といえば、仮面ライダー/変身ヒーローのお約束を一度、完全に否定した上で――何しろ変身中に怪人が殴りかかってくるヒーローものだ!――21世紀に相応しい変身ヒーロー像を再提示した"A New Hero. A New Legend"、00年の『仮面ライダークウガ』はまだ放送されていなかったのである。
『機動刑事ギャバン』から続くメタルヒーロー・シリーズも、本作刊行時に放送されていた『テツワン探偵ロボタック』で、長い歴史に幕を下ろそうとしていた。現在にいたるもカルト的な人気を誇る作品に96年『超光戦士シャンゼリオン』があるが、これはまさに「悪と戦わないし平気で一般人を見捨てるまったく正義でない主人公」「知事選に立候補して当選さえする悪役」等々、ヒーローものをパロディにすることで辛うじて成立した変身ヒーローものと言え、当時、正義のヒーローを描くことが、どれだけ困難だったかの証左のように思える。

 そんな時代に、問答無用で格好いい変身ヒーローを、しかも多感な十代の受け皿たりえる切実さを内包し、さらに前述したように90年代という時代を映し出すリアリティを維持したまま描き出すことに成功したのが『ブギーポップ』シリーズ――とりわけ本作『VSイマジネーター』だった。この達成は、奇跡と呼んでも差し支えないと思う。

 私にとって、ブギーポップさんは、90年代で最も格好いい変身ヒーローであり、平成仮面ライダーに先駆けた"A New Hero. A New Legend"だった。
 是非、本作で、その格好よさにシビレて頂きたい。


 以下は余談。
 おそらく「変身ヒーローもの」としての『ブギーポップ』の成功の要因は、「正義の味方」と「正義」を分離してしまったことにある。

 正義の敵はまた別の正義なのではないか、正義とは一種の暴力ではないのか。この問いは常に変身ヒーローとともにあった(「正義」ではなく「人間の自由のために戦う」と宣言していた初代『仮面ライダー』からすでに内在していたものだ)。前述した『仮面ライダークウガ』もまた怪人との戦いも暴力の一種では、という問いに悩み、平成仮面ライダーシリーズ3作目の『龍騎』では、ついに「正義」ではなく「己が望みを叶えるため」に仮面ライダー同士が戦うバトルロワイヤルが勃発してしまう。

 しかしブギーポップさんは「正義とは何か」なんて問いには悩まない。何故なら、彼は世界の敵の存在を感知した時、自動的に浮かびあがる「システム」だからだ。
 正義の在処に悩んだり傷ついたりするのはあくまで霧間凪や本作の谷口正樹のような、人間の身で正義を為そうとする「正義の味方」達だけである。
 夜な夜な路地裏で戦う偽ブギーポップ、人類を「突破」させようとする飛鳥井仁やイマジネーター、あるいは進化から現在の人類を守ろうとする統和機構――そんなそれぞれの大義を掲げた「正義の味方」たちが、己が正義を掲げてぶつかり合う中、自動的な存在であるブギーポップさんだけはそんな混乱など一顧だにせず、機械的に「世界の敵」を始末する。
 本シリーズの構造とブギーポップさんの格好良さを支えているのもまさに、この「悩む人間としての正義の味方」と「悩まないシステムとしてのヒーロー」の峻別である。
 この構図は、変身ヒーローものにおける大変重要で有用な発明だと思うのだが、残念ながら他のヒーローものでは(評者の不勉強のせいもあるだろうが)あまりお目にかかった記憶がないように思う。同様な構造を採用した作品があれば、『ブギーポップ』との比較論などを書いてみたいと思うので、どうかご教授願いたい。
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シリーズ屈指の泣ける青春小説
ブギーポップ・イン・ザ・ミラー 「パンドラ」
著者:上遠野浩平 イラスト:緒方剛志
 とある女性が禁断の箱を開いたせいで、そこに詰められていたあらゆる災厄が世界にばらまかれた。だが箱の底にはたったひとつ「希望」だけが残されていた……という有名な神話、パンドラの箱。
 シリーズ第三作『ブギーポップ・イン・ザ・ミラー 「パンドラ」』(以下、『「パンドラ」』)は第一作目からここまで皆勤の「博士」こと末真和子が語る、この神話の異説から始まる。

 末真によれば、あらゆる災いが詰まった箱に「希望」などというものが入っていたというのは矛盾である。そうではなく、箱に残ったのは予知という災いなのだ、という。未来に何が起こるかわかってしまえば、人はやがて来る終わりに怯えて生きなければいけない。かろうじて、この災いだけが箱から飛び出さずに済んだため、人々は自分の将来に何が待っているかを知らず、だからこそ未来に「希望」を抱けるのである……。
 そんな皮肉な説話から幕を開ける物語は、「パンドラの箱」に残されたはずの災い――未来予知の能力に目覚めてしまった少年少女の物語だ。

ブギーポップ・イン・ザ・ミラー「パンドラ」』(上遠野浩平 イラスト:緒方剛志/電撃文庫)


 本作の主人公は六人の予知能力者。とは言っても、その能力は未来の匂いだけがわかる〈アロマ〉とか、未来の音を口で再現できる〈ウィスパリング〉とか、きわめて限定的なもので、それ単体ではほとんど役に立たない。だからこそ彼らは六人集まり、それぞれの曖昧な予知を重ね合わせることで未来を知り、時には大事故を未然に防いだり、あるいは大金を手に入れたりしてきた。
 そんな彼らが、今度は、周辺で怪しげな密会が行われることを予知。これが反社会組織による麻薬取引の現場と判断した彼らは、正義感からこれを阻止しようと試みる。
 だが実際には、そこで取引に及んでいた者たちは暴力団や犯罪結社などではなく――世界の裏側に蠢く巨大システムと関わる人間たちであった。
 結果、彼らは、連中が従えていたひとりの幼い少女・キトを保護することになるのだが、彼女には世界を滅ぼしかねない、恐るべき秘密が隠されていた……。
 縁もゆかりもない少女の命を――そして世界を守るため、予知能力があるという以外は平凡な少年少女でしかない彼らは、凶悪な敵と戦っていくことになる。

 本作は、おそらく『ブギーポップ』シリーズの中でも、もっともシンプルな物語のひとつだ。
 多視点からの群像劇というフォーマットは今回も維持されているが、語り手はほぼ同一行動を取るため、ひとつの出来事を多角的に見せたり、あるいは複数のプロットが絡み合うといった難解さはなく、六人が順番に語り手を務めるという形に近く、その分だけ、スリルあるサスペンスストレートな感動が生まれている。本作を『ブギーポップ』シリーズの最高傑作と評価する人が多いのもまさにこの点からだろう。なので、第一作『ブギーポップは笑わない』が肌に合わなかったという方も、シリーズから離れる前に、最後に一冊だけ、この本を読んでみてほしい。

 予知能力を接点として集まった六人だが、実はその関係は(無用なトラブルを避けるためもあって)ドライなものだ。互いが互いの名前ぐらいしか知らず、あくまで未来予知という能力を利用し合うだけの関係として、必要以上に踏み込まないよう、気を遣っていた。いや、それどころか、六人のなかには、彼らを監視すべく潜り込んだ「裏切り者」さえ存在している。
 ところが、少女キトとの出会いをきっかけに、恐るべき危機と巨大すぎる使命が彼らに降りかかった時、六人の予知能力者たちは、自分たちが、自分の考えているより遙かに仲間を信頼し、この奇妙な集まりを大切に思っていたことを――自分たちが実は親友同士であったことに、はじめて気づくのだ。
 絶望的な敵を前にして、ようやくかけがえのない存在だと気づいた仲間の為に体を張る姿、そして、そんなひとりの想いにあの死に神が応えるシーンなんて、もう防水加工してない端末の人はちょっと注意が必要なレベルで号泣必至だし、そして切なくも爽やかな余韻を残した結末にはきっと胸を打たれるはずだ。
 本作は、そんなシリーズ屈指の泣ける青春小説である。



 ……なので、例によって以下余談。
 本作は、シリーズ屈指の泣ける青春小説である。で、あるのは確かなのだが――いや、だからこそ――実は僕はこの作品があまり好きではなかった。いやレビューで好きじゃないとか書くなよ、と言われそうだが、このシリーズにだけは嘘はつけないのだ、許してほしい。我こそはと思う人は僕の代わりに本書の真の書評を書いてほしい。

 第一作『ブギーポップは笑わない』について、僕はこれを脇役視点の物語だと論じた。
 物語から疎外された、選ばれなかった者たちの物語である、と。
 それと比べると、この『「パンドラ」』の物語はあまりに物語的に過ぎ、主人公たちはあまりに主人公的に過ぎる。
 異能力をキッカケにして集まった「選ばれた少年少女」が、無垢な少女と世界を守るという非の打ち所のない使命を与えられ、試練に立ち向かう。そうして、ある者は物語によって裏付けられて死に、ある者は一連の物語を通過儀礼として日常に帰還する。
 それのどこが悪いのかって? 別に悪くはない。
 その結果として生まれた本書『「パンドラ」』は、確かに直球で泣ける。
 だが、である。だが、しかし、そうしたストレートな物語から距離を置いた、絶妙な距離感――あるいは疎外感こそ、『ブギーポップ』というシリーズの特徴ではなかったか?
 前二作『ブギーポップは笑わない』『ブギーポップ・リターンズ イマジネーター』の登場人物にかつてないほど親近感を抱いていただけに、かえって『「パンドラ」』の六人は、高校生の僕にはどこか遠く感じられてしまった。

 しかし、である。そんな高校生時代も遠くなった今、読み返してみれば、やはりこれもまた『ブギーポップ』シリーズの一冊なのだと思えた。
 あれから少しは社会経験なるものを積んでの平凡な実感なのだが、もちろん人間というのは、たいていの場合、物語の脇役でしかありえない。けれどまったくの理由なく物語から疎外されるのと同じように、まったくの理由なく本来自分に関係のない物語に巻き込まれ、用が済んだらさっさと放り出されるということも、実は普通によくあることなのである……(わかりにくい言い方で申し訳ない)。

 六人の予知能力者にはキトを救う理由も世界を救う理由も、本当はなかった。たまたま彼らが、そういう資質を持っていたから、という理由だけで、彼らはこの『「パンドラ」』という物語の登場人物となり、傷つき、あるいは倒れることとなる。
 もちろんそれは、彼ら自身の勇気と優しさに満ちた決断の結果ではあるのだが、その彼らの意思さえも、あらかじめ予定されていたものだったとしたらどうか。「世界」だか何だかしらないが、何かの巨大な意思によって、配置されていたのだとしたらどうか――。

 物語に選ばれないということは確かに不条理で不合理なことだが、選ばれるということもまた、不条理で不合理なことである――そしてまた物語に選ばれないという不合理同様、選ばれたという不合理もまた受け入れねばならない――これはそういうことを描いた小説であり、そういう意味で前二作とも補完関係にある小説なのではないかと、今さらながら思った次第である。

 本作を読み返したのは、それこそ十数年ぶりになる。他のシリーズはもう少し頻繁に読み返していたけれど、本作についてはどこかニガテ意識があり、今日まで避けていたのだ。
 この作品を、こんな風に読めるようになるだなんて、かつての僕には想像できなかった。
 本は変わらない
 だからこそ読み手たる自分がどう変わったかを教えてくれる。
 再読というのは面白いものだな、と改めて思った。

(……なんか無理矢理いい話にしようとしてんじゃねーの?)
(まあいいじゃん)

Boogiepop Review Part III “Ichido Kono Ochi wo Yaritakatta.” closed.
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 勝手に『ブギーポップ』特集も後半戦突入。
 今回は四作目『ブギーポップ・オーバードライブ 歪曲王』だ。

上遠野浩平『ブギーポップ・オーバードライブ 歪曲王

 上遠野浩平によれば、当初は『ブギーポップ』シリーズの完結編となる可能性も想定して書かれていたという本作(次の第五作『夜明けのブギーポップ』が、ブギーポップの誕生秘話を描くエピソード0にあたる話なので、ひとまず今回の勝手に特集を初期五作六冊で句切りとしたのは、この理由による)。
 前作『ブギーポップ・イン・ザ・ミラー「パンドラ」』が泣ける青春アクション小説だったのとはうって変わって、本作は、一言ではとても説明できない……上遠野っぽいとしか言いようがない小説である。上遠野っぽいって何だよ、と言われると説明に困るのだが……ひとまず、あらすじの方から見ていこう。

 夭折した天才経営者が生前に建造したムーンテンプル。ところが、その設計が前衛的過ぎて活用できる用途が見あたらず、せめて解体前に見物客から入場料でも取って費用の足しにしようと一般公開される。
 しかし公開当日、突如現れた「歪曲王」と名乗る存在によってムーンテンプルは閉鎖されてしまう。「すべてを黄金に変える」などという謎めいた目的を語る彼によって、大入りの観客たちは内部に閉じ込められるのだが、彼は別に、それで何かを要求したり、あるいは人質を脅迫したりといったことは一切しない。じゃ、何をするか……と言えば、閉じ込められた人間たちが、後悔を残したまま会えなくなってしまった相手の姿をとって、それぞれの前に現れるのだ。
 たとえば、ある人物の前には、かつて亡くした親友として。そして第一作『笑わない』の登場人物であった新刻敬の前には、あの人喰いの協力者となっていたひとりの男子生徒として……。
「悪役」の再登場が指し示すように、本書は第一作『笑わない』の直接の続編と呼んでいい作品になっている。だ――とは言っても倒したはずのアイツがさらに強くなってリベンジマッチ……的な展開になるわけでもなく、始まるのは、一作目の事件に遭遇した登場人物に向けた歪曲王さんによるカウンセリングというかディスカッションというか……あの事件は彼女に何を残したのか、彼女にとって何だったのか……というお話である。
 ……なんだそりゃと言われそうだが、本当にそういうお話なのだから仕方ない。

 いや、もちろんムーンテンプルには僕らのヒーロー、最強デウスエクスマキナことブギーポップさんがちゃんと潜入していて、原作史上最強候補との呼び名も高い大怪獣ゾーラギさんとの大バトルなんてハデなシーンもあるのだけど、そこがこの小説のメインか……? と言われると、ちょっと困る。
 むしろ、印象的なのは、第一作における世界の敵とは、実は人喰いの化け物のことではなかった、というブギーポップさん衝撃の告白から始まる、では「世界の敵であるとはどういうことなのか?」というスリリングな議論の方であろう。

 本書の与えてくれる不思議な読書体験は、霧間誠一というキャラクターを思い出させる。
「炎の魔女」霧間凪の父親であり、第一作開始時点で既に死亡しているのだが、評論家であった彼の残した警句は、しばしば登場人物に引用され、作中の重要キーワードになったりもする。
 例えばこんなのだ。



人間の可能性は善にも悪にも開かれている。ニ流の社会生活に押さえられつけた可能性が独立して存在を主張するのが多重人格だと私は考えている。それがどんなに病的で本人や周囲に対して破壊性のあるものでも、可能性に善悪の区別はない

「ブギーポップは笑わない」


……確かに何かがいる。人に『かくあらねばならない』と思い込ませている何者かが。それは人々の間に入り込み、いつのまにか世界を軋ませている
……人間の生涯に、何らかの価値があるとするならば、それはその何者かと戦うところにしかない。自分の代わりにものごとを考えてくれるイマジネーターと対決するVSイマジネータ―――それこそが人々がまず最初に立たねばならない位置だろう。

「ブギーポップ・リターンズ VSイマジネーター Part I」


 さて、この霧間誠一氏、本当は小説家志望だったらしい。
 ところが創作の方はさっぱり上手くいかず、結局、著名な評論家としてその生を終えた。
 その、さっぱり売れなかったという彼の小説が、一体、どんな内容だったのか、私たちがうかがい知ることはほとんどできないのだが……多分、上遠野浩平が一番「上遠野っぽい」時みたいな――つまりこの『歪曲王』みたいな小説を書いていたんじゃないかと思う。

 上遠野浩平の小説は、哲学っぽいというか、なんというか、ひとりの思想家が論文ではなく小説という形でもってみずからの問いを展開していき、その思考の過程が物語として出力されているようなところがある。「生きるとは」「死ぬとは」、そして「人の心の中にある歪みは癒せるのか、癒すとはどういうことなのか?」「世界の敵である、とはどういうことなのか?」みたいな思想を小説の形式で深めていった果てに一冊の物語ができあがる……というか。
「上遠野っぽい」という言葉で僕が言おうとしていたのは、多分、そんな感じのことだ。

 もし霧間誠一の小説がそんな内容の小説だが思想書だかよくわからないような内容だったとしたら、さっぱり売れなかったのも理解できるような気がする。しかし霧間誠一の小説は売れなかったが、上遠野浩平の小説は、ものすごく「上遠野っぽい」小説も含めて売れた。ライトノベルの歴史を変えるぐらい売れた。それが何故だか、僕には未だにわからない。
 ただ一つ言えるのは「小説の面白さ」というのは、実は読み手が思っているのより、ずっと多様であって、到底ジャンル分けなどもできないし、読んでいてどこが面白いか、自分でもまったくわからないのだが、とにかくハマってしまうような小説というものが存在するのだ。僕にそれを最初に教えてくれたのは上遠野浩平だったのかもしれない。

 もちろんそんな思弁性ばかりが本書『歪曲王』のすべてだと言うわけではない。
 そうしたシリーズの根幹に関わる巨大なテーマが描かれる一方で、この作品は実は「失恋した少女が、その恋を終わらせる話」であり、あるいは「女の子を振ってしまった痛みを抱えた少年の話」であるという、青春小説の側面も持ち合わせている。そんなまったく異なる次元の話をひとつの作品にまとめる上遠野の手腕は、やっぱり本当にスゴイ。
 もしかしたら、霧間誠一の小説が売れなかったのは、思弁性はあっても、こうした手腕に欠けていたからなのでは……とも思うのだが、これ以上は完璧に妄想の話になってしまうので、ここいらにしておこう。

 既に幾度か述べたとおり、上遠野浩平のデビューと『ブギーポップ』シリーズのヒットは、ライトノベルのメインストリームがファンタジーから現代ものへと移行する、ひとつのきっかけとなった。

 上遠野浩平のような小説、『ブギーポップ』のような小説……つまり現代が舞台で、学園ラブコメもあり、いろいろ能力者が出てきて戦って……といった作風は、様々な紆余曲折を経たのち、高橋弥七郎『灼眼のシャナ』(02年)等の大ヒット作により、「現代学園異能」というジャンルへと形式化されることになる。
「男子生徒が異能ヒロインとの出会い、学園ラブコメな日常と、異能バトルな非日常を交互に繰り返していく」というプロットは、00年代におけるライトノベルの基本フォーマットのひとつになり、例えば『とある魔術の禁書目録』等、多くのヒット作を生み出した。最近ではファンタジー人気の再興が顕著なライトノベルだが、未だ定番ジャンルのひとつである。

 しかし「ブギーポップっぽい小説」が「現代学園異能」としてジャンル化される中で、そこから抜け落ちてしまったものもやはり存在する。多少大げさかもしれないが、それは「別の形でもありえたライトノベルの可能性」だとも思う。
 だから、もしライトノベル作家志望の十代二十代がこの連載を読んでくれていたら、是非とも『ブギーポップ』シリーズを――とりわけ、本作『歪曲王』を読んで頂きたいと思う。
 未来の可能性というのは、現在が受け継がなかった過去にこそ、眠っているのではないかと思うからである。そして何より、新たな世代の視点から見た上遠野浩平作品の姿を、僕自身に見せて頂きたいからである。

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2015/03/20更新
ブギーポップが始めて現れた事件が描かれる
夜明けのブギーポップ
著者:上遠野浩平 イラスト:緒方剛志
 さて全五回でお送りしてきた『ブギーポップ』勝手に電子化記念特集もいよいよ最後。今回は第五作『夜明けのブギーポップ』を取り上げたい。

上遠野浩平『夜明けのブギーポップ』

 本作は、『ブギーポップは笑わない』の前日譚……いわゆるエピソード・ゼロに相当する作品で、ブギーポップが始めて現れた事件として第一作で少しだけ言及された、連続猟奇殺人事件の顛末が描かれる。ちなみに高校生の頃の僕は一作目『笑わない』から読み始めて本作『夜明け』まできたらまた『笑わない』に戻ってと……ほんと無限ループのように、この六冊を読み返していたものだ。
 さて、複数の視点からひとつ事件を描くという点で第一作『ブギーポップは笑わない』とも類似する本書だが、さらに今回は連作短篇集という体裁を取っており、収録された七章のほとんどが独立した短篇としても読める内容になっている。語り手を務める人間たちそれぞれの「流儀」を鮮やかに切り取った各々の短篇はいずれも印象深く、さらにそれが連続猟奇殺人事件を描き出し、そしてまたブギーポップの誕生と霧間凪との出会いというシリーズ全体のプロローグにもなる。
 群像劇の名手としての上遠野浩平の構成力が、存分に発揮された一冊と言える。

 しかし、始まりの物語とあると同時に……、実は、本作は終わりの物語でもある。
 女子高生たちの間で語られる都市伝説の中で、「その人が最も美しい時に、それ以上醜くなる寸前に殺す」死神とも噂されるブギーポップ。本書はそんなブギーポップの死神としての側面が最も強く示された一冊になっている。というのも本作、登場人物の死亡率という点においてもシリーズ屈指の作品なのだ。
 もちろん、エピソード・ゼロという性質上、凪の父親・霧間誠一や「自殺してしまった連続殺人事件の犯人」など本篇開始時点ですでに死亡が名言されている人物が語り手を務めているからでもあるのだが……それ以上に、死者は世界に何を遺すのか、というのがこの『夜明け』におけるテーマだと思う。
 第一作『笑わない』の書評で、僕はすでに、物語の全貌も知らないまま、小さな優しさによって世界を救った死者について触れた。本書でもまた、既に亡き者が、それとは知られぬままに生者に働きかけ、今の世界を動かしていく様が描かれる。

 たとえば、ある少女は、自分があるひとりの人間の犠牲によって生き長らえたことを知らない。けれども彼が少女に遺した一言は、確実に彼女の中で息づき、その生き方に決定的な影響を与える。一方、彼女の父親を殺害した男は、まさにそのこと自体を縁として、彼女とともに猟奇殺人事件を謎を追うことになる……。
 ひとつの死が、まるでビリヤードのようにあっちこっちでぶつかりあって――まるで生者ではなく、死者こそが物語をつくる者であるかのように――世界を変えていく。
 だから、非常に高い死亡率にもかかわらず、不思議と湿った印象はない。これは、死者がいかに生き続けるか……を描いた物語なのだ、きっと。

 実際、作中で、「結局、うまくいかないんだわ。どうせ途中で終わってしまうのよ」と語る後の「世界の敵」に、「社会の敵」こと霧間誠一はこんなふうに答える。


 しかし、その意思だけは残る。たとえそれがどんなに悪いことにしか見えなくても、何かしようとしたこと、それに向かおうとした真剣な気持ち、そういうものだけは必ず他の者たちの中に残る。その者たちだって結局は途中かも知れない。だがそのときは、さらにその次に伝わる。そして――誰にわかる? その中の誰かは本当に世界の中心にたどりつくかも知れない……


 このセリフは、本書についての実に正確なレビューであって、レビュアーとしては他に付け加えることなどないようにさえ思う(困ったものだ)
 人生には満足な終わりなどなく、結局すべての人間は途中で倒れるほかない。そんな中途半端な終わりしか人間には許されていないけど、それを肯定することでしか人は生きることができない。それが上遠野浩平という作家の死生観なのだろう。
 だから、上遠野の描く登場人物というのは、ものすごく情熱的で、気高い理想や、激しい怒りや執着に突き動かされながら困難にぶつかっていこうとする抗う者としての部分と、どこか投げやりで、時に至れば自分の命を平然と投げ出してしまう部分という、いささか矛盾した両面性を抱えているように見えるのだけど、それもきっと結局、「人は途中で終わる存在なのだ」という眼差しから生まれているのだろう。

 そう言えば、霧間誠一はこんなことも言っていた。


 終わりなど人間一人一人が勝手に決めてしまえばいいのだ。そうでなければ、いつまで経っても何も始めることが出来ない。
『VSイマジネーター』



 そんなわけで、『夜明けのブギーポップ』という物語は、「終わり」を勝手に決めてしまった一人一人の死者たちの物語で、そしてまさに、その終わりによって『ブギーポップ』というシリーズは、始まることができたのだろう。

 本作はそんな上遠野浩平にとっての人の生き様――あるいは「美学」とでも言うものが、もっとも端的な形で提示された小説だろう。考え抜かれた構成と相まっての、端正な美しさに是非、触れていただきたい。

 ……さて、今回の上遠野浩平連続レビューは、ひとまずここで終わる。
 流石に刊行されたのが15年以上前ということもあり、いろいろ昔語りの多いレビューとなってしまった。けれども、もちろん、『ブギーポップ』シリーズは、ライトノベルを変えた歴史的名作であると同時に、現在も未だ新作が刊行中の現役人気シリーズである。その全貌を、その魅力の全てを、五作六冊取り上げただけでは、とても網羅できたとは言い難い。
 さらに言えば、やはり上遠野浩平の魅力には、世界観を共有する著作が織り成す壮大なサーガとしての側面があり、その意味で言えば、『ブギーポップ』シリーズだけを論じて上遠野浩平について何か語ったつもりになるというのは、やはり片手オチである。

(なので、とり急ぎ、ここで通称『ナイトウォッチ』三部作と呼ばれる三作……『ぼくらは虚空に夜を視る』『わたしは虚夢を月に聴く』『あなたは虚人と星に舞う』の三冊を紹介しておきたい。2000年〜02年にかけて徳間デュアル文庫から刊行された作品で、現在は星海社文庫から復刊されている……が電子書籍版はない模様。なんってこった。とにかく本シリーズはブギーポップから遙か未来、人類が謎の敵の襲来により地球を捨てて逃亡することを余儀なくされた時代の物語なのだが……ある意味で『ブギーポップは笑わない』の直接の続編とも言える作品だ。『ブギーポップ』の次の上遠野作品として是非おすすめしたい)

 それは非常に申し訳ないと思うのだが、しかしながら……ひとりの人間の視点から語れる世界の在り方などしょせん限定的なものにしか過ぎず、そしてまたすべての人間は途中で終わるしかない……というのもまた、上遠野作品の中で繰り返し語られてきたことである。

 なので、僕としてはひとまず身勝手に、今回の「勝手に特集」をここで終わりとさせて頂く(もしかしたらまたシレっと第二弾が始まるかも知れないけれど)。
 けれど、「おまえは何も『ブギーポップ』/上遠野浩平は理解してくれない」と思った別の誰かが、今回の連載を下敷きに、新たな『ブギーポップ』/上遠野浩平論を語ってくれたり、あるいは、僕が語れなかった第六作『ブギーポップ・ミッシング ペパーミントの魔術師』以降のレビューを、別のどこかで書き継いでくれる方が現れてくれたりすれば――今回のレビューが何らかの始まりとなってくれれば、これ以上の幸いはない。
 それを心待ちにしつつ、筆を擱きたいと思う。

 次回からは、また通常の連載形式に戻る予定です。どうぞよろしくお願いいたします。
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