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2015/7/3更新
第5回 山下清の放浪日記
 もうこの本を買ってから20年もたつのか。山下清の貼り絵も大好きだが、やっぱりなんといっても文章が最高だ。
 今でも文庫本で手に入る「ニッポンぶらりぶらり」と「ヨーロッパぶらりぶらり」(ちくま文庫)も最高でもちろん墓場本だが、池内紀さんが、山下清の『放浪日記』(式場隆三郎・渡邊實編・現代社・昭和33年刊)を元に新たに編集した『山下清の放浪日記』はいい話が揃っていて面白い。
 山下清の日記には、ほとんど句読点が無く(しゃべり言葉に点や丸が無いから、という清流理屈らしい)、改行や段落も無い。そのため、たいてい単行本では編集者が読みやすいように句読点や段落をつけて、さらに文章を切っている。それは確かに読みやすいのだが、どうしても山下清の「ノリ」は失われてしまう。池内さんはそこのところがわかっているからか、本当に面白いのだ。
 このノリは音楽にも通じるもので、リズムが正確であることと、ノリがいいのはまったく違う。この辺は言葉や理屈ではまったく説明できないのだが。
 たとえばこんな文章はどうだ。清は健康だと兵隊にとられるから、わざとからだを壊して弱いからだになろうとする。長い引用になるけれど、山下文章だからしかたない。
『そこで、御飯を食べる時、よく噛まないでのみこんで、飯を食べようと思っているけれども、まるっきり噛まないでのみこんでしまうと人に見つかって、「山下は御飯をのみこんで食べてるが、少し変だ」と思われるから、少し噛んで後のみこんでしまって、寝る時も腹を出して、腹を冷やして、腹こわしになって、下痢をして、やせてしまって、兵隊のがれをやろうと思って、二十二歳になれば検査はやらないから、二十二歳になればもとのとおり丈夫な体になって、二十一歳は兵隊検査があるから二十一歳はやせてしまって弱い体で居たいと思っても、なかなか腹はこわさないので、じゃ一日絶食をしてやせてしまいたいと思って、僕は今、腹はなんともないのに、朝起きる時おかみさんが「清」と呼ばれて、僕は、「腹が痛くて起きられない」と嘘を云って、朝と昼を食べないで、夕食のときうどんを持ってきてくれました。』
 文章を写していても笑ってしまう、このリズム感。ジョン・コルトレーンの長いサックス・ソロのアドリブのように、止めどなく繰り出される言葉の嵐。「腹を出して、腹をこわして、腹こわしになって、下痢をして」とたたみかける、シーツ・オブ・サウンド。そして突如、うどんの登場とともに文章は終わる。志ん生の落語が「…えー、この先は長くなりますのでこの辺で」と唐突に終わるような、唖然とさせられるエンディング。でも読者は拍手喝采だ。オチに継ぐオチの理詰めの文章の退屈なこと。
 放浪の途中『駅でふざけ方が悪かったので巡査に見つかって、警察に連れて行かれて』の話も最高だ。取り調べで巡査が言う。
『「どして其んなふざけ方をするんだ、きんたまを出してお客さんに見せる奴があるか。おとなになるとどしてきんたまにたくさん毛が生えるか其の訳を聞きたいと云って居ただろう」』  警官の言葉の「どして」という書き方からもうたのしい。別の本だが、便意を催すことを「たれっこちになってきた」という表現も忘れられない。この一件では、警察でとうとう手錠をかけられて、精神病院に入れられてしまう。そしてなんと4カ月も牢屋のような精神病院にいて、何とか脱走しようと考えるところも、読んでいてハラハラして読む目が離せない。トイレを壊して逃げようとしたり、鍵穴に靴ひもを入れてほじったり、爪で格子を外そうとするがダメで、一生懸命考えた末、入浴時に脱走することを思いつく。
『もし人にみつかって、つかまってひどい目に会っても、男は度胸だから、思い切って度胸を出して逃げていこうと思うので、早く風呂があればいいなと思うのです』
 この面白さをかいつまんで書くことはとてもできない。原文の、ダラダラしているのに緊張感あふれる文体につきる。決行の日、入浴時にたまたま電話が鳴った。
『おばさんがあっちへ行ってしまったので、もう誰も見てないから、今の中早く逃げて行こうと思って、大急ぎで風呂から出て、体をふいたり、上衣を着たり、ズボンをはいたりすると、その中人が来てあやしく思われるかと思って、体をふかないで、上衣とズボンを持って、裸で、左へ曲がって、かけ足で逃げて行ったので、精神病院から逃げた日は、十二月二日の日です。』
 どうですこの手に汗握る緊迫感。なのに「裸で、左へ曲がって」というおおらかな細かい描写。たまりません。こういう文章が書きたいなあ、と本気で思う。
 ボクは、歳をとるほど「立派な文章」「立派な絵」「立派な音楽」というのが、大人の考えた嘘に思えてしかたがない。「立派」って、何のためになるのだ。そんなものがなんなんだ。見栄か。権威か。ただ面白いだけの表現の方が、はるかに今を生きていく力を与えてくれる。墓場に入っても読みたいのは、そういう本だ。
 山下清の文章を読んでいると、どんな人でも、今を一生懸命生きることは、滑稽なんだとわかる。そしてボクには滑稽な人生の方が、立派な人生より、ずっと呑気で、清々しいと思える。
 精神病院にいた今村さんという人が、ある日死んでしまう。その死因もかなり疑惑のある死に方なんだが、それは置いておいて。
『どして死んだんだろうと思って考えると、今村さんの年は五十六だから、今村さんは年をとって死んだんだろうと思いました』
 水木しげるさんにも通じるこのクールでニヒルな死生観。ボクは今ちょうど56歳なので、苦笑いもひと塩だ。今村さんは、何枚毛布を与えてもみなボロボロに破いてしまう、病人の中で一番うるさい人だった。今村さんの死体は、大きな箱に、ボロボロに破かれた毛布とともに入れられ担ぎ出されて行く。なぜ自分で破いた毛布と一緒に詰められて運ばれなきゃならないんだ。死んでもなお、人生は滑稽なのだ。それでいいじゃないか。今回読み返して、ますます山下清の本は墓場本だと思いましたね。
 山下清は、花火が好きだった。花火の貼り絵はどれも素晴らしい。きれいな風景が好きだった。どの風景画も素晴らしい構成と色彩感だ。放浪ばかりしたが、だからといって歩くことが好きだったわけでもないようで、よく歩き疲れて辛そうにしていた。富士山を登ることも途中で苦しくてあきらめた。
 そしてきれいな風景を見ると、きれいで面白い、とか、必ず「面白い」という表現で締めた。そこもボクは好きだ。
『川の流れる音がするので、よく見ると山から流れる川だからきれいな川で、すきとおってて、浅い川で、大きな石が川へ沢山落ちてる。去年ははじめて此処の道を通ったので、その時ははじめて見たものだから珍しくて面白いので、去年一回見たところを二回見ても景色はそんなに面白かない。同じものを二度見ると、少し面白いだけです。』
 正直が静かに躍動している。もうやられてしまいますね。ボクもこういう正直な気持ちで旅をしなければダメだと思った。
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