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2012/2/3NEW

角田光代

『三面記事小説』

新聞の社会面にはさまざまな事件を報じるベタ記事と呼ばれる小さな記事が載っています。――区画整理による発覚を恐れて26年前に小学校女性教員を殺害して自宅床下に埋めたと自首した68歳の男、不倫相手の妻の殺害を闇サイトで依頼したとして逮捕された女性、16歳の男子高校生を自宅に誘い、みだらな行為を繰り返していたとして逮捕された38歳の女性、担任教師の給食に薬物を混ぜた女子中学生、介護疲れから86歳の母親を殺害した容疑で逮捕された54歳の長男・・・・・・10行ほどで語られる「事件」が起きるまでにはなにがあったのか。どんな人間関係が背後にあったのか。新聞が伝えない事件の隠された事実を掘り起こし、被害者、関係者の証言を集めることによって「事件」を再構築したノンフィクション作品は少なくありません。しかし、『対岸の彼女』で直木賞を受賞した作家・角田光代は事実を積み重ねることによってではなく、「事件」を幻視することによって、「事件の真相」に光をあてようと試みました。ストレートなタイトルをつけられた短篇集『三面記事小説』の6篇はすべて、ベタ記事として新聞報道された実話を出発点に紡ぎ出されたフィクションです。なにが人を殺人に向かわせ、踏み切らせるのか。数行で語られた三面記事の先に、角田光代は人間の業を、現代のリアルを描き出していきます。なかでも『赤い筆箱』は、ホラー短篇の色彩を帯びて出色です。端緒となった記事の見出しは「中一女子殺される/自室で勉強中/男が押し入り」というもの。そして記事本文がこう続きます。「五日午前六時五十分ごろ、県職員A方に若い男が押し入り、期末テストの勉強をしていた二女(市立中一年)に襲いかかり、包丁ようのもので胸など二カ所を刺した。男はそのまま逃走、警察が殺人事件として捜査している。隣の部屋にいた長女(私立高一年)が二女の悲鳴に驚いて駆けつけると、二女が倒れていたという」この三面記事を拾い上げた角田光代は、『赤い筆箱』をこう書き始めます。〈美智(みち)は赤、奈緒(なお)は青。それはもう生まれたときから決まっている。ピンクやオレンジは美智、グリーンや黄は奈緒。スカートは美智、パンツは奈緒。リカちゃん人形は共有だけれど、美智が独り占めすると奈緒にはあたらしい何かが与えられる。野球グローブとか、サッカーボールとか。その奈緒が、赤いパジャマを着ているのを美智は不思議な思いで眺める。パジャマを染めているのがほとばしる鮮血のようには美智にはどうしても思えない。てらてらと赤黒く光る特別な染料で染められた布地にしか見えない。〉赤を与えられた長女と青を与えられた次女。スカートの長女、パンツの次女。名門の私立高校に通う長女と明るく育ってきた次女――対照的な二人の姉妹の間になにが隠されてきたのか。なにが起きていたのか。話題作『八日目の蝉』で「正しい常識」の枠を超えた「母性」に生きた女の生き方をつきつけた作家の研ぎすまされた感性、ヒトを見据える想像力が描き出す、現代のリアルの怖さ。事実を超えるフィクション故の迫力に一気読みしてしまいました。(2012/2/3)

2012/1/27

澁澤龍彦

『東西不思議物語』

『悪徳の栄え』に代表されるマルキ・ド・サドの文学を日本に紹介したことでよく知られる澁澤龍彦は、西欧の文化や芸術、宗教に通じた作家として多くの小説やエッセイを残しています。今回紹介する『東西不思議物語』は、「鬼神を使う魔法博士のこと」「肉体から抜け出る魂のこと」「空中浮遊のこと」「女神のいる仙境のこと」などなど古今東西の不思議物語を思いつくまま、気ままに書き綴った新聞連載をまとめたエッセイ集です。著者自身、「もっぱら驚いたり、楽しんだりするために五十篇近い物語を集めた」と前口上に書いているとおり、どのページを開いても「おや、まー、へぇー」と新鮮な驚きがあり、「なるほど、そうだったのか」と感心したり・・・・・・とにかく本を読むことの楽しさを改めて教えてくれると言っても、決して過言ではありません。たとえば、「15 天女の接吻のこと」――。大田南畝の随筆『半日閑話』の「天女降りて男に戯るる事」という項から、何ともユーモラスな奇談を紹介しています。〈松平陸奥守忠宗の家来であった番味孫右衛門という者が、自分の家で昼寝をしていると、天女が空からさっと舞いおりてきて、自分の口を吸ったような気がした。つまり接吻したわけである。目をさまして周囲を見まわしたが、もちろんだれもいない。ずいぶん妙な夢をみたものだな、と孫右衛門は思ったが、武士の身ではあるし、何となく小っぱずかしいので、だれにもいわずにだまっていた。ところが、それからというものは、孫右衛門が何かしゃべるたびに、口からぷーんと良い香りが発するので、みんな不思議に思うようになった。孫右衛門自身も不思議で仕方がない。親しい同僚のなかには、こんなことを言う者もあった。「あなたはじつに身だしなみのよい方ですな。いつでもお口が良い香りです。まるで匂いの玉をふくんでいるかのようだ。まことに奇特なことでござる」〉周囲から好奇と不審の眼差しで見られた孫右衛門、「天女に接吻された夢の顛末」を汗をかきかき告白します。しかし、思いがけない告白を聞かされた同僚たちはまるで狐につままれたような顔をした。というのも、孫右衛門という男、べつに水際立った美男というわけでもなく、どこといって天女に好かれそうなところのない、ごく平凡な男にすぎなかったからなのですが、結局、孫右衛門の口中の香りは一生涯消えることはなかったという話で、澁澤龍彦は、男であるならば、孫右衛門のような経験をしてみたいとだれしも思うだろうと軽くしめたうえで、江戸時代のエピソードからヨーロッパの「キリストやマリアの接吻をうけたという話」へと連想し、彼我の差異を発見します。日本ではこの種の話に宗教的な色彩はまったくないが、ヨーロッパに目を転じると、そこでは必ず宗教的な恍惚感の体験が結びついているというわけです。〈性的オルガスムスと見分けがつかないような、強烈な恍惚感である。〉ジュール・ボワ著『悪魔礼拝と魔術』(1896年刊)によれば、キリストの接吻をうけた娘が恍惚となって口中から甘いシロップやボンボンを吐き出す様が目撃されているという。19世紀末の革表紙の古本を書棚から引っ張り出した澁澤龍彦は東西文化の興味深い差異――西欧の不思議物語では単なる心理や生理の錯覚ではなく、シロップやボンボンのような物質が現れてくる――を発見して「とても科学では説明できない奇怪な話」と締めくくっているのです。49の不思議な物語を紡ぐ澁澤龍彦の豊かな発想力が魅力です。(2012/1/27)