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2012/5/11NEW

南條範夫

『暁の群像』

幕末期から明治維新、近代国家への道を歩む日本にあって、土佐の下級武士の出身ながら、日本最大の財閥、三菱グループの礎を築き上げた創始者、岩崎弥太郎を描いた作品は少なくありません。司馬遼太郎(『龍馬がゆく』)、村上元三(『岩崎弥太郎』)、本宮ひろ志(『猛き黄金の国』)などですが、経済学者でもあった直木賞作家・南條範夫による『暁の群像 豪商 岩崎弥太郎の生涯』(上・下)は、岩崎弥太郎を激動期に現れた英傑の一人としてではなく、煌めく元勲や政府要人との接点を徹底的に利用して商機を巧みにつかんでいったこと、そしてその商才がどう研ぎすまされていったのかを描いている点に大きな特徴があります。若き岩崎弥太郎の商売人としての才覚を最初に見抜いたのは、奉行を批判する落書きを咎められて牢にたたき込まれていた弥太郎と同房となった瀬左衛門という商人。禁制の品を売った咎で入牢してきた瀬左衛門が取り調べもないにもかかわらず、平然として焦慮の色もないのを不思議に思って「獄から出たくはないのか」と声をかけた弥太郎は、商人の思いもよらぬ答えに少し呆れると同時に少し感心します。これが商売人としての弥太郎の原点となる出会いです。少し長くなりますが、引用します。〈「ご禁制などと言うものは、事実そのままに守られましたならば、とても我々商いをやってゆけるものではありません。袖の下を使えば、いくらでもおめこぼしがあればこそ、商売も成り立つのでございます」(中略)「岩崎さまのことはだいたい、存じています。お若いこと故、無理もありませぬが、短気は損気でございます」「しかし、私は正しいことをしているのだ」「正しいことをしているお積りでも、こうして牢に入れられて、いつご赦免になるのか分からぬ有様では仕方がありますまい」「その通りだ」「外におられる方々に連絡して、お役人衆に、袖の下でも何でも使って、早く出していただくようになさいませ」「そんな曲がったことは出来ん」「世の中は、曲がったこと、間違ったこと、馬鹿げたことばかりでございます。あなたさまが、それをご自分で、叩き潰すだけの大きな力をお持ちでない限り、それに逆らうのはむだでございます。少なくともご損でございます。私ども商人は、良い悪いよりも、損か得かで、物事を判断して参ります。それより他に方法がございません。お武家さまとて、結局、おなじことなのではございませんか」〉こいつのいう通りだと思ったものの、それを口に出して是認するのは忌々しい。「壁に向かって何を考えているのか」弥太郎が聞くと、瀬左衛門は「算用の稽古をしている」と答えて、「一から百まで足すといくつになるか」と弥太郎に答えを求めます。暗算を試みたものの頭がこんぐらがるばかりで一向に答えが出てこない。〈瀬左衛門が微笑して、「五千五十でございます」「お前は、はじめから、その答えを知っているのだろう」「その通りでございます。しかし私が申し上げるようにお考えになれば、あなた様にも、一呼吸の間に計算できます」「どうするのだ」「一から百までを足すとしますと、一と九十九で百、二と九十八で百、三と九十七で百、こう考えてゆけば、四十九と五十一で百まで、四十九の百ができます。これで四千九百となりましょう。後に残ったのが、最後の百と、真ん中の五十、これを足しますと、五千五十となります」〉弥太郎は続けて問われた一から千までを足すといくつになるかを難なく暗算して見せます。算用問答だけではありません。牢中生活で瀬左衛門は「自分が正しいと言う信念だけでは世の中を渡ってゆけないこと、権力と言うものはむやみに抗(あらが)うよりはこれを利用する方が遥かに得策であること」などなど、実例を以て諄々と諭します。後年、瀬左衛門は弥太郎を引き立て商人への道を歩むきっかけをつくることになります。岩崎弥太郎は、明治維新後に廃藩置県、藩札廃止、西南戦争に際して巨額の利益を手にし、また饗応の手練手管を駆使して明治政府を牛耳っていた大久保利通、大隈重信に取り入り、結局日本の海運を制覇することに成功します。これが大三菱の基礎となっていくわけですが、その始まりが若き日に牢内で学んだ「商売人の心得」だったというのですから、人の人生、何がどこで幸いするかわかりません。(2012/5/11)

2012/5/4

池田 清彦

『虫の目で人の世を見る 構造主義生物学外伝』

池田清彦著『虫の目で人の世を見る 構造主義生物学外伝』は、奇書である。小学4年の頃に蝶の標本づくりを始め、高校生物部をへて、大学院の頃にカミキリムシにはまり、以来、日本国内のみならず、遠くオーストラリア、ベトナムなどアジア各地にまで「虫」を求めて通い続ける歴戦の「虫屋」である生物学者が、日々の「虫」との付き合い、それに関わる「人」との交流(何でも「虫友」というらしい)を徒然(つれづれ)に綴った新書版の本をそのまま電子化したものですが、ここに書かれている「虫と人の世界」が、面白い。凄まじく面白い。そもそも「虫屋」とは? 著者によれば、〈魚屋は魚を売って商売する人であり、肉屋は肉を売って商売する人であるが、虫屋は虫を売って商売する人ではない。生きた虫を売る人を何と呼ぶかはよく知らないが、虫の標本を売る人は昆虫標本商と言い、虫屋とは言わない。虫で商売をしている人は他にもいて、たとえば、研究と称するほとんど何の役にもたたないことをしてお金を儲けている人は、昆虫学者と呼ばれる。(中略)虫屋というのは虫を商売にしている人ではなく、趣味で虫を集めている人のことだと理解してくれればそれでよい。虫屋の中でも蝶を専門に集めている人は蝶屋と言い、カミキリムシを専門に集めている人をカミキリ屋と言う。〉養老孟司さんも著者と一緒にベトナムまで虫採りに出かける「虫屋」で、「虫友」だそうです。趣味に生きる人たちとしては「鉄ちゃん(テッチャン)」が有名ですが、その純度、熱烈さにおいて「虫屋」は鉄ちゃんの上をいっているかもしれません。たとえば、こんな具合です。ハノイの南西100キロのクックホンという森の中でのこと。〈フタオチョウを採るにはトラップをかけるのである。腐ったカニが一番とのことだが、これはすさまじく臭い。次善の策は水たまりに小便をかけておくことである。これも西村君(引用者注:案内役でクックホンの蝶の大家)に教わったのである。ナガサキアゲハやミカドアゲハ、スソビキアゲハ、無数のシジミチョウやシロチョウが群がる水たまりを見つけ、しめしめと思って放尿をする。待つこと数分、弾丸のようにフタオチョウが次々飛んできた。そっと網をかぶせて採る。中には網をかぶせようとする刹那に逃げる奴もいる。いきおい、こちらも網を振り回すことになる。網は水たまりをかすり、飛沫が顔にかかる。少し臭いような気もするが、自分のだと思えば気にもならない。そこへ西村君がやってくる。「フタオ、採れたでしょう。さっき細工しときましたから」「細工ってまさか。小便したの」と恐る恐る聞く私。にっこりほほえむ西村君。〉虫屋への道をまっしぐらに進み、様々な虫との出会いをしてきた著者が生涯忘れることのできない特別な日。山梨大学に赴任した著者が甲府の西にある明野村の正楽寺にオオクワガタを採りに行きます。〈黒々とした森の中に入っていく。昼間はオオムラサキやスズメバチやカナブンたちでさんざめいていた森は、魔物のすみかのように生きものの気配だけがして、老婆の手のようなクヌギの大枝からは妖気が立ち上がっていた。目が闇に慣れてくると、それらの枝の所々、多くはコブ状になって樹液がにじみ出ているような場所に、巨大なオオムカデが音もなく歩いているのが見えた。さらに目をこらすと、オオムカデの向こうに漆黒の戦車のような影がうごめくのが見え、これが目ざすオオクワガタなのであった。手のひらに載せると脚を全部縮めて死んだふりをする。見慣れている同行の瀬田さんはともかく、生きたオオクワを初めて採った私は、こうなるともうオオクワをもっと採ることしか考えられなくなる。森にすむ魔物も、恐ろしげな妖気も、下草にひそむマムシも、こわいものは何もなくなる。この日は、オスのオオクワガタを十匹以上も採り、生涯忘れられない日となった。〉他にも、ゴキブリを素手で捕らえ、ゴミ箱に捨てるまで0.8秒という、飛んでいるハエを箸でつかんだという宮本武蔵並みの技など、紹介したい話がまだまだありますが、最後に巻末に「カッパの系統と進化」と題する研究論文が収録されていることに触れておきます。報告者は「国立河童研究所特別研究員 井桁希世」。本書著者・池田清彦の別名であることは察しのいい読者の皆さまにはすでにお分かりかと思います。騙されたと思ってお読みください。(2012/5/4)