鈴木 正則
顧問【鈴木 正則】さん
鈴木 正則さんのお気に入りレビュアー
鈴木 正則さんをお気に入り登録しているレビュアー
90人
参考になった総数
1174

【鈴木 正則】さんのレビュー一覧

表示形式
  • 表示件数
  • 表示順

1~25件/528件 を表示

  •  原リョウが帰ってきた。14年ぶりの新作『それまでの明日』が2018年3月初め、紙書籍、電子書籍同時に刊行され、ミステリーファン、ハードボイルド派の間では、「原リョウ復活」の話題でもちきりだという。
     1988年(昭和63年)4月、『そして夜は甦る』(早川書房、2013年3月15日配信)で鮮烈な作家デビューを果たした原リョウは、1年半後の1989年(平成元年)10月に第2作『私が殺した少女』(早川書房、2013年3月15日配信)を発表。第102回直木賞(1989年下期)に輝き、ハードボイルド作家としての位置を確かなものとした。以後、1995年(平成7年)『さらば長き眠り』(早川書房、2013年3月15日配信)、2004年(平成16年)『愚か者死すべし』(早川書房、2013年3月15日配信)と書きつなぎ、第4作の『愚か者死すべし』から14年かけて刊行されたのが、今回取り上げる第5作『それまでの明日』です。これら長編5作品のほかに、1990年(平成2年)刊行の短編集『天使たちの探偵』(早川書房、2013年3月15日配信)がありますが、デビューから30年で6作品──自他ともに認める寡作作家です。それだけに14年ぶりの最新作に関心が集まっているのだろう。
     直木賞選考委員の藤沢周平は選評で「魅力ある文章と魅力ある一人の私立探偵を造型」と評しましたが、上記6作品はすべて、東京西新宿に事務所を構える私立探偵、沢崎が登場する〈沢崎シリーズ〉と呼ぶべきものです。
     原リョウは、船戸与一との対談で、〈私立探偵・沢崎〉についてこう語っています。エッセイ集『ハードボイルド』(早川書房、2016年2月29日配信)より引用します。

    〈沢崎というのは僕にとってはつくった人間だし、ある意味ではマーロウをモデルにしてます。小説の主人公を自分の感覚から単純に出しても主人公たりえないような気がするんで、沢崎なんかはそれこそひとつの台詞に三日も四日もかかったり、どこからかつくりだしてこないとだめなんですよ。〉

     マーロウは言うまでもありませんが、『長いお別れ』(早川書房、2012年8月31日配信。2016年1月29日、原題そのままの『ロング・グッドバイ』を書名とする村上春樹の新訳も配信)で知られるレイモンド・チャンドラーが生み出した私立探偵フィリップ・マーロウのこと。チャンドラーに心酔し、「とにかく真似られるだけ真似ようとしました」と語る原リョウです。チャンドラー・ハードボイルドの中核であるマーロウをモデルに〈私立探偵・沢崎〉を造形した。下の名前も考えてはいたが、一作目を書き終えた時、下の名はどこにもなく、結局そのまま姓だけになったと、船戸与一との対談で明かしています。

     さて、14年ぶりに戻ってきた〈私立探偵・沢崎〉の物語──『それまでの明日』は、西新宿のはずれのうらぶれた通りにある〈渡辺探偵事務所〉を、とうに絶滅していたはずの紳士が来訪して始まります。
     日増しに寒くなる11月初旬の夕方──沢崎があしたの夜の張り込みに備えて、ロッカーからコートを取り出そうとしていると、ドアにノックの音がした。「どうぞ」と答えると、五十代半ばの男がドアを開けて、事務所に入ってきた。かすかに左足を引きずるような歩き方には、ものなれた動きと落ち着きがそなわっていた。椅子に腰をおろして、まっすぐ沢崎に注がれた眼には、ここを訪れる依頼人のほとんどが見せる不安げな様子はなかった。

    〈“彼は依頼人ではないな”というのが、私の第一印象だった。私より年長であり、私より収入も多く、世の中のあらゆることに私より優れた能力を発揮できそうだった。探偵の仕事なら私のほうが上だと思うが、探偵に解決してもらわなければならないような問題が生じたとしても、たいていのことは自分で解決できる人間に見えた。
     時候の挨拶などお定まりの会話をひとしきり交わしたあとで、来訪者はようやく用件を切り出した。私の推量はみごとにはずれていた。
    「うちの社ですでに融資が内定している、赤坂(あかさか)の料亭の女将(おかみ)の私生活を調査していただきたい」
     望月皓一(もちづきこういち)はよく知られている金融会社の新宿支店長だった。金融業にたずさわる人間が紳士に見えるようでは、私の観察眼もあまり当てにはならないようだった。だが、金銭を扱う人間は紳士ではないと決めつけるのは公平な態度とは言えなかった。〉

     望月皓一は15分ほどで、赤坂の料亭〈業平(なりひら)〉の女将の平岡静子(ひらおかしずこ)という女性の身辺調査に必要な事項を話し終えると、「今日のところは30万円をお預けしておきます」と言って、会社の名前入りの封筒をデスク越しに差し出した。一週間分の探偵料金と経費の一部にはなるだろうということらしかった。そして、外部には明かせない会社の事情がある故、電話連絡は避けて欲しい、一週間後の土曜日に電話するか出向いて調査結果を聞きたいと念を押したうえで、沢崎の事務所をあとにした。

     調査を始めた沢崎は、料亭〈業平〉の場所を確かめに寄った交番の巡査から平岡静子が夏の初めに亡くなっていたことを知らされます。依頼者が平岡静子の死を知らなくて、すでに調査の必要はないのかもしれなかった。あるいは姉の後を継いで女将となった、静子によく似ているという嘉納淑子の身辺調査をする必要があるのかもしれなかった。融資しようという相手の名前を間違えることはないはずだが、料亭の名義変更がすんでいないための混乱がないとは限らなかった。名刺にあった番号に電話を入れたが、外出中でつながらない。名刺の裏に手書きされた自宅の番号にもかけてみたが、長い呼び出し音の後で電話に出た男は「留守です。あんた、どなたです?」と関西方面のなまりがあった。
     沢崎は答えずに、電話を切った。オフィスも自宅も空振り。自分が携帯電話を使わない沢崎は、携帯の番号は聞いていない。気にもとめていなかったが、今となっては後の祭りだった・・・・・・となれば、望月皓一(支店長)が戻るという閉店時間にミレニアム・ファイナンス新宿支店を訪ねるしか、依頼主に予想外の事態を知らせる方法はなかった。
     新宿2丁目のテナント・ビルの3階にあるミレニアム・ファイナンス新宿支店のベンチに腰を下ろし、パンフレットを見るふりをしながら店内の様子を観察する姿勢をとった沢崎。その時、事件は起きた。二人組のニットの眼出し帽の男たちが支店のなかに飛びこんできたのだ。

    〈「誰もその場を動くな」先頭にいた大柄の黒ずくめの男が、右手に持っている大型の自動拳銃を振りかざして怒鳴った。
     店内の女性たちがいっせいに悲鳴に近い声をあげた。
    「騒ぐな!」と、黒ずくめの男が一喝した。「こちらの言う通りにすれば、誰にも危害は加えない。警報装置やパソコンには一切触るんじゃないぞ」
     あとから来た濃緑色のフィールド・ジャケットを着た男は中背で、左脇に銃身の長いライフル銃か猟銃のようなものを抱えているのがわかった。彼は右手で運んできたポリタンクを接客用のカウンターの上に置くと、左脇の銃を持ち直して、いつでもポリタンクが撃てるように構えた。ふたを開けっぱなしにしたポリタンクから発するガソリンの匂いが店内に漂った。
     女性たちの何人かが小さな悲鳴をあげたが、そのほかの者はむしろ恐怖で声が出ない状態になっているように見えた。
    「いまこの瞬間から、おまえたちは、おれたちがある目的を果たすための人質になった。おれたちの指示に従わなければ、このガソリンをぶちまけて火を点けることになる。わかったか」〉

     二人組の狙いは、言うまでもなく金庫の中身を頂戴することだが、それは厳重なセキュリティシステムに守られており、支店長のキーと本店警備室のキーが連動して解錠しなければ、開かない仕組みだ。支店長は閉店時間を過ぎても戻ってこない。二人組のうち黒ずくめの男は、解錠のしようがないことがわかると、濃緑色のフィールド・ジャケットを着た男を残して立ち去り、強盗は未遂に終わる。銃には空包が一発入っているだけだったし、ポリタンクの中身はほとんどが水だった。

     主犯格の黒づくめの男は緊急手配されたが、誰が何を目的に強盗未遂事件を起こしたのか? そして、何より問題は、支店長の望月皓一の行方だった。通報を受けてやってきたのは、警視庁新宿署の錦織警部。沢崎とは旧知の捜査課長だ。錦織は探偵が強盗未遂事件の現場に何故いたのかに強い関心を抱く。
     錦織に呼び込まれた支店長室。沢崎は机の上の写真立てに入っている家族写真をじっくり時間をかけて見た。夫と妻、それに姉妹の4人。マンションのベランダで撮った家族団欒の写真で、背景に写っていた大きな白い建物に見覚えがあった。
     本店から駆けつけた総務部長らの手によって金庫が開けられ、想定外の現金が入ったジュラルミンのケースが二つ出てきた。ざっと4億か5億に近い。事情を知るはずの支店長の望月皓一は行方不明のままだった。

    〈「ここで見聞きしたことはすべて“部外秘”だ。いいな。あした、午後いちばんに新宿署に出頭してくれ」
    「なかなか面白かったよ」
     私は支店長室を出ると、店内にはすでに警察の人間だけしか残っていないことを確認して、〈ミレニアム・ファイナンス〉をあとにした。
     支店長の望月皓一はいったいどこへ行ったのだ。〉

     ミレニアム・ファイナンスの支店長室・金庫室に出所不明の大金が隠されていた。沢崎に料亭の女将の調査を依頼してきた望月皓一──いまでは珍しい“紳士”の依頼はどう関わるのか?
     そして──沢崎が家族写真の撮られたマンションを突きとめ、錦織の部下の田島警部補とともにその部屋に入ると、浴室のバスタブに男が浮かんでいた。望月ではない。

     いったい、何が起きているのか。沢崎とは因縁のある暴力団〈清和会〉幹部の橋爪も登場。いっそう複雑な様相を呈し、深まる謎に私立探偵・沢崎が切り込んでいきます。張り詰めた、スピード感のある文章は、一気に予想もしない真相に向かいます。
     強い地震が東日本を襲った。強盗未遂事件の現場で居合わせ、謎の解明に協力してきた海津一樹は仙台の漁師町の近くにいて、西新宿の沢崎と電話で話をしていた。

    〈「わかった。東京に帰ってきたら、また会おう」
    「こんなにさっぱりした明るい気持で父親に会えるのは、あなたに──」〉

     電話がプツンと切れて、物語は終わります。書名『それまでの明日』の深い意味を初めて知った。(2018/3/30)
    • 参考になった 4
    投稿日:2018年03月30日
  •  大人気のNHK「ブラタモリ」の先駆けと言っていいだろう。1893年(明治26年)生まれの獅子文六(岩田豊雄)が、都電に乗ってみようと思い立ち、品川界隈から銀座、京橋、日本橋を経て上野、浅草まで都電を利用して、ブラブラ歩きをした。1966年(昭和41年)、73歳となる年だった。
     のんびりと、失われつつある風景を求めて時代をさかのぼるような文士の“時間旅行”は、「週刊朝日」に連載され、のちに一冊の本にまとめられた。『ちんちん電車』である。朝日新聞社から単行本が刊行されたのが1966年。40年後の2006年(平成18年)に河出文庫として刊行され、2017年10月20日発行の新装版初版を底本に電子化、11月17日に配信されました。
     なぜ、都電──「ちんちん電車」だったのか。1974年(昭和49年)に荒川線(三ノ輪橋-早稲田の27系統、荒川車庫-早稲田の28系統を統合)以外の路線がすべて姿を消しましたが、獅子文六がこのエッセイを書いた1966年当時は、全盛期を過ぎたとはいえ、〈東京の無数の坂を登り下って下町と山手を結びつけ、また東京の無数の川や堀割を渡って旧市街と江東一帯を連絡した。電車は東京の血液を運ぶ頼もしい血管〉(巻末収録の関川夏央〈老文士の「のんびり時間旅行」〉より)として、まだ都電が「ちんちん」と音を鳴らしながら変わりゆく東京の町々を縦横に走り回っていた。

     獅子文六は、「ちんちん電車」についてこんなふうに書いています。
    〈私は、東京の乗物の中で、都電が一番好きである。いつ頃から、そんなことになったか、ハッキリ覚えていない。それ以前に、都電なんて、バカバカしくて、乗れないと思った時代があったことは、確かである。それが、いつか、逆になったのである。いつかといっても、戦後の東京の交通機関が、大体、整備してからのことだろう。つまり、乗物の選択がたいへん自由になって、こっちの都合や、懐ろ工合で、どんな乗物にも好きなように乗れることになったら、俄然、都電がよくなったのである。別な見方をするなら、如上(じょじょう)の交通機関が発達して、路上電車というものは、何かマヌケなものになり、気の早い連中が、撤廃論を持出すようになってから、かえって、都電に愛着が出てきたのである。それは、必ずしも、アマノジャクではない。他の乗物の乗り心地が、よくないから、都電を思い出したのであって、いわば、古女房の再認識と軌を一にしてる。〉

     最も乗り心地の悪いのはバスで、なによりあの揺れ方がいけない。ついで不愉快な乗物であるタキシはいまさら論じる必要もないと片づける、国電についてはその混雑と車内の汚さが欠点だと嘆き、地下鉄でヤミの中を走るのは気持がよくないという老文士。都電への愛着をさらにこう綴ります。

    〈そこへいくと、都電である。
     都電ぐらい、乗り心地のいいものはない。大人物でなくても、いい気持に居眠りができる。乗り心地のよさは、いろいろの点からくるが、まず軌道の上を走ることが、魅力である。電車が軌道の外を走らないということは、今の東京の交通混乱の中にあって、まったく見上げた態度である。時として、脱線することがあるとしても、人間の行蔵に比べれば、ものの数ではない。都電がいかに行儀のいい車であるかは、絶対に“割り込み”をしないということでもわかる。(中略)
     軌道の上を走る点では、国電も、地下鉄も同様であるが、なぜ、都電だけが、乗り心地がいいかというと、スピードを出さないからである。
     都電の低速力ということは、今の時点で、非常な魅力となってるのを、気づかない人が多い。軌道を走るのに、あまり高速力を出すと、不快な動揺を起すことは、国鉄新幹線へ乗って見ればわかる。地下鉄のうるさい轟音も、スピードを出すからである。軌道の上を快く走行するには、速力の限度があり、都電はそれを超そうとしない。青山一丁目─渋谷あたりの軌道床工事のよくできた路線を、七五〇〇型の新式電車で、低速(というよりも、あれが尋常の速力)で走る時の乗り心地は、コタエラレンというほどのものである。〉

     ノロノロ都電とあなどってはいけない。駅の階段の昇降、通路のアリの歩みによる時間の空費を考えれば、都電は思ったよりも早く目的地に運んでくれた、見かけによらず速いのである──と讃える。
    〈朝の六時ごろに、池袋から数寄屋橋まで、都電に乗ると、十七分で行ける。これは、地下鉄より速いのである。勿論、街路が混雑してくると、そんな芸当はむつかしいが、それでも時速十二キロぐらいは出すのである。人間が歩くのが、四キロだから、大分速いことになる。〉

     池袋から数寄屋橋まで都電が走り17分で行けたとか、青山一丁目から渋谷まで、つまり国道246をちんちん電車が走っていたなど若い読者には想像もできないでしょうが、獅子文六の「都電愛」に、もう少しお付き合いください。

     裕福な台湾華僑の一家を描いた『バナナ』(筑摩書房、2017年11月10日配信)という作品があります。獅子文六は本書でこの作品に触れて、自身の創作のある秘密の愉しみを明かしています。

    〈(『バナナ』の)主人公の呉天童という台湾人が、東京の赤坂に住み、富裕な生活をして、外車の自家用車を買うぐらい、朝飯前の身分なのに、都電にばかり乗ってることを書いた。
     彼は、大陸的な、ノンビリした性格なのだが、自動車とバナナが嫌いで、あらゆる美食と共に、路面電車が好物だった。なぜ、電車が好きかというと、レールの上を走る安定感と、巨大な車体の安全性を愛するからなのだが、東京都電の車内のムードが性分に合うのである。
     私は、その男のそういう性癖を書くのが、愉しみだった。実をいうと、そこのところだけは──都電愛好という点だけは、私自身を登場させたからである。そこだけは、私小説だったからである。新聞小説というやつも、書く方の身になると、相当、退屈なものであって、それくらいの道楽は、やってみたくなる。もっとも、読者も、新聞社の方も、私が道楽やってるなぞ、気がつかないから、文句をいわれる心配はない。〉

     新聞小説の中に都電愛好の道楽を入れて秘かに愉しんでいたというのです。人間の歩く速度より少し速い程度の、ゆったり感が普通にあった時代だったということでしょうか。都電の窓から町の景色を眺め、気が向けば降りて往時を思い出しながらゆっくり散策する老文士の息づかいが聞こえてくるようです。

    〈久振りに、品川終点へきてみると、どうも、様子がちがう。いつの間にか、終点が、品川国鉄駅前になってる。昔の終点は、八ツ山といって、もう一つ先の陸橋の近くだった。そこで、車掌さんがエンヤラと、ポールの綱をひいて、方向を変えたものである。今はポールはなく、パンタグラフ(ほんとは、ビューゲルというのだそうだ)になったから、そんな世話はない。
     しかし、終点が八ツ山だったことは、大いに意識を持ったのである。夜の乗客で、八ツ山で降りる人の三割は、品川遊廓が目的だったろう。陸橋を渡れば、すぐ品川宿で、街道の両側に、古風な娼屋が軒を列べた。吉原のような大廈(か)高楼がない代りに、気の置けない遊びができたらしく、女郎衆の気風も寛達で、落語の“品川心中”なぞ、他の場所では不似合いだろう。
     私なぞは品行がよかったから、この宿へくるのは“三徳”という夜明かしの小料理屋を愛用したためだった。今は、どこも、夜明かし流行だが、以前の東京は堅気だったから、終夜営業の夜は遊廓内に限ったもので、従って、市内で飲み足らぬ場合は、“三徳”に足を運ぶのが常だった。そんな店が何軒もある中に、“三徳”のカニやアナゴは優秀であり、客扱いもサッパリしてた。座敷から、すぐ海が見え、潮風が吹込んだ。
     ある夏の夜、私は友人とここで飲んでいたら、夜が明けてしまった。房総の山から、日の出が見えた。さすがに、その時刻には、入れ混み座敷の客も少なかったが、ふと、近くの席で、一人の品のいい老人が、食事をしてるのが、目に入った。白いヒゲを生やし、大変姿勢正しく、カタビラのようなものを着て、しかも、ハカマをはいてる。そして、“三徳”の客としては珍しく、酒を註文しないで、飯を食ってる。それだけでも珍現象だが、もっと驚くべきことは、女中がその前に畏って、お給仕してるのである。“三徳”の女中なんて、料理をドスンと置いてくだけで、ロクにお酌もしてくれず、そこが、かえって気安く飲める所以でもあったが、それにしても、これは、大変な差別待遇である。第一、“三徳”の女中が、キチンと坐ることを、知ってるのかと、おかしくなった。
     その客は、飯を食べ終ると、直ちに勘定を命じ、その時に、よほどチップをはずんだと見えて、女中がペコペコした。差別待遇の理由は、この辺にあるかと、私も合点したが、この時刻に、こんな料理屋で、朝飯を食う老人の正体が、サッパリ腑に落ちなかった。〉

    「あのジイさんは、何者だい?」若き獅子文六、女中を問い詰めて、ハカマの老人の正体を聞き出したことを回想しているのですが、ここではその結末までは書きません。

     とまれ、獅子文六のちんちん電車歴は長い。のちに都電となる市街電車が東京を走り始めたのは1903年(明治36年)。その頃、三田の慶応幼稚舎の寄宿舎にいた獅子文六は、横浜の実家へ帰る時には品川駅までこの電車に乗るのを常とした。開業以来の客ということになります。
     その老文士がちんちん電車で行く町歩きをして描いた、かつての東京の風景。
    〈京橋へ入ると、私はとたんにウナギの匂いをかぐ。事実は、匂いなんかしないのだが橋を渡ってじきの横丁に、小満津という家があるのを、思い出すからだろう。そのウナギは、ほんとにうまい。今の東京で、一番うまいかも知れない。そして小體(こてい)に、ジミに商売してるところもいい。銀座では、あんな営業法はできないだろう。〉
     残念ながら獅子文六が懐かしんだウナギの老舗、小満津(こまつ)はその地にはなく、のちに店主の孫によって東高円寺に再建されました。

     上野で一番好きな場所は池の端だという獅子文六。ソバは、蓮玉庵か、団子坂の“藪”か思案することもあるけれど、鳥となれば迷うことはないと、こう記しています。
    〈鳥を食うとなれば、何の躊躇もなく、”鳥栄“のノレンを潜るだろう。
     この店は、池の端の誇りであるのみならず、東京のあらゆる料亭のうちでも、亀鑑みたいなものである。小さな、見かけの悪い家だが、鳥がウマい以上に、商売の心意気を持ってる。つまり、気に入った材料が入らなければ、本日休業をやるのである。昔はそんな店も東京にあったが、今は跡を絶ったようだ。〉

     春の一日、本書を手にブラブラ歩きをしてみてはどうでしょうか。その際、紙書籍に収録されているスケッチ画が、電書には載っていないのが少し残念ですが。(2018/3/23)
    • 参考になった 2
    投稿日:2018年03月23日
  •  北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)はもしかしたら、ホワイトハウス内部のリアルな生き様を描写した、この本──『炎と怒り トランプ政権の内幕』を読んだのではないか。そんな思いが頭をよぎった。2018年1月、トランプ大統領が「出版差し止め」に動き、繰り上げ発売されるや、売り切れ店続出。アマゾン、ニューヨークタイムズのベストセラーランキング1位、全米170万部突破の世界騒然の書だ。約1か月後の2月下旬、邦訳が書店に山積みされ、電子版の配信も始まった。

     2018年3月9日──ピョンチャン・オリンピックの前までは、「Little Rocket Man(チビのロケットマン)」「老いぼれの狂人」と一国の最高権力者が発する言葉としては世界をあきれさせるに十分な表現で罵倒し合っていたトランプ米大統領と金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が5月までに会談するという衝撃的ニュースが飛び込んできた。朝鮮半島を南北に分ける板門店で金正恩から「親書」と「特別な伝言」を預かった韓国特使をホワイトハウスに迎えたトランプは「首脳会談の要請」を聞いたその場で、「よし、会おう」と即答したというのです。

     いったい、何があったのか。実現すれば、歴史的な会談となる「米朝首脳会談」をめぐるニュースを追っていた時、上掲の『炎と怒り』のある一節が脳裡に浮かんだ。

    〈トランプの一日は予定された会議のほかは、大半が電話に費やされている。外から何度電話したとしても、トランプへの影響力は維持できない。これは微妙ではあるが重大な問題をはらんでいる。トランプはしばしば最後に話した人物から大きな影響を受けるが、実際には他人の言うことなど聞いていない。つまり、トランプを動かすのに個々の議論や陳情が果たす役割は小さい。トランプにとって大事なのはむしろ、とにかく誰かがそこにいることだ。トランプは妄想好きだが、その頭のなかでは固定された見解は存在しない。だからこそ、トランプの頭のなかで起きていることと、目の前にいる人間の思考を結びつけることが大事なのである。その誰かが誰であろうとどんな考えを持っていようとかまわない。〉

     気になるくだりは、もうひとつ、あった。

    〈かつて海軍士官だったスティーヴ・バノンは、わずか数週間で気づいていた。ホワイトハウスがじつは軍事基地であることに。そこは大豪邸の外観を備えた軍事オフィスであり、わずかばかりの式典室を頂点に戴(いただ〉くその施設の下には、軍隊的指揮にもとづいた強固な「基地」が広がっている。ホワイトハウスの背後にある軍隊的な秩序やヒエラルキーと、その表側で仮住まいの民間人たちが繰り広げる混沌。それはじつに鮮やかな対比だった。
     トランプ率いる組織ほど、軍隊式の規律から遠い存在はそうはあるまい。そこには事実上、上下の指揮系統など存在しなかった。あるのは、一人のトップと彼の注意を引こうと奔走するその他全員、という図式のみだ。各人の任務が明確でなく、場当たり的な対処しか行なわれない。ボスが注目したものに、全員が目を向ける。それがトランプ・タワーでのやり方であり、いまではトランプ率いるホワイトハウスのやり方となっていた。〉

     トランプはホワイトハウスの“わんぱくな子ども”であり、ご機嫌とりをしたり気を引いたりする人なら誰でもお気に入りになれる。しかし、そのひらめきは瞬間のなかにしかない。だから、今はホワイトハウスを去ったとはいえ、一時は“陰の大統領”の呼び名もあったスティーヴ・バノン(元大統領首席戦略官)は毎晩トランプのディナーに同席しようとしたし、長女のイヴァンカ(大統領補佐官)とその夫、ジャレッド・クシュナー(大統領上級顧問)は、とにかく大統領の近くにいることによってたんに家族であること以上の影響力を手に入れようと腐心した。大事なのはとにかく、その瞬間に居合わせるということ──そのチャンスをつかめば、トランプ大統領との直接取引(ディール)の可能性が拡がっていく。首脳会談の要請をうけたトランプは「金正恩は北朝鮮で意思決定できる唯一の人物。だから彼と直接会うのは合理的だ」と説明したといわれますが、トランプ自身もホワイトハウスで意思決定できる唯一の存在とみなされているのです。金正恩がこの本を読んでいれば、よし、“わんぱくな子ども”の懐に飛び込んでやろう。そう計算したとしても不思議はない。

     この本の原題は、〈Fire and Fury :Inside the Trump White House〉。2017年8月8日、トランプ好みのシャンデリアやゴルフのトロフィー、ネームプレートで飾られたベッドミンスターのクラブハウスで行なわれた昼食会の後で、集まった記者団を前に、
    「北朝鮮は、これ以上アメリカを威嚇するのをやめたほうがいい。さもなければ、世界がこれまで見たことがないような炎と怒りを目の当たりにするだろう。彼が行なってきた脅しは常軌を逸している。だからいま言ったように、世界がこれまでに見たことのない炎と怒り、むき出しの力に直面することになる。ありがとう」
     と語ったトランプの北朝鮮に対する警告メッセージからとられています。もともとは『旧約聖書』の中の「イザヤ書」にある“神の怒り”を象徴する表現だと池上彰氏の解説にあります。いかにブラフの掛け合いの中でのこととはいえ、核先制攻撃を示唆しているともとれる威嚇の言葉を発したのが、何をするかわからないトランプ大統領だけに、世界は十分に戦慄したし、金正恩の内部にも疑心暗鬼が渦巻いたであろうことは想像に難くない。

     さて、『炎と怒り』に描写されたトランプのホワイトハウスの内幕である。
     本当に望んだかどうかは別として、1年前にホワイトハウスの住人となってしまった“わんぱくな子ども”と“ご機嫌とりをしたり気を引いたりする人たち”のリアルな生き様は驚くほかないが、何より覗いてみたいのはトランプの頭の中だ。トランプをよく知る人たち、周囲の人たちが一致しているのは、「バカ」だという辛辣な評価だ。そのあたりの状況は次の一文からもうかがえる。
    〈トランプの知的能力を嘲笑するのはもちろんタブーだったが、政権内でそのタブーを犯していない者などいない。〉

     たとえばティラーソン国務長官(3月13日、突然トランプが「解任」をツイート)──大統領を「能なし」と呼んだことが暴露された。
     たとえばゲイリー・コーン経済担当大統領補佐官兼国家経済会議委員長(3月6日辞任を表明)──「はっきりいって馬鹿」と言った。
     たとえばH・R・マクマスター国家安全保障問題担当大統領補佐官(フリンの後任)──「うすのろ」と言った。
     たとえばスティーヴ・バノン大統領首席戦略官兼上級顧問(のちに辞任)──〈トランプを、ごく単純な構造の機械にたとえた。スイッチがオンのときはお世辞だらけ、オフのときは中傷だらけ。卑屈で歯の浮くようなお世辞があふれるように口から出てくる──何々は最高だった、驚くべきことだ、文句のつけようがない、歴史に残る、等々。一方の中傷は怒りと不満と恨みに満ち、拒絶や疎外を感じさせる〉

     勝つはずではなかったトランプが、そして驚くほど政策を何一つ知らないトランプが、まさかの大統領になってしまったのだ。そして一人のジャーナリストがなぜかトランプ流に塗り替えられたホワイトハウスの内側を自由に動き回ることを許された。本書著者のマイケル・ウォルフです。ウォルフが描写するトランプのホワイトハウスの生々しい有り様は「やっぱり本当なのか」「まさか」の連続です。「誤報」がゼロとは思いませんが、普通の取材方法では入手できない内部証言に基づく衝撃の書であることはまちがいありません。内部の人間しか知り得ない秘密の暴露が随所に見られることが、この本の価値を保証しています。
     たとえばトランプの寝室をめぐる秘密──。

    〈トランプは入居初日に、すでに部屋に備えられていた一台に加えて、さらに二台のテレビを注文した。ドアに鍵を付けさせ、緊急時に部屋に入れないと困ると言い張るシークレットサービスと小競り合いを起こしたりもした。床に落ちていたシャツを片づけようとしたハウスキーパーに対しては、「シャツが床にあるのは、私がシャツを床に置いておきたいからだ」と言って叱責したという。やがて彼はいくつかの新しいルールを定めた。私の持ち物には誰も手を触れてはならない、特に歯ブラシに触れることは厳禁だ(トランプは昔から毒殺されることを恐れていた。マクドナルドのハンバーガーを好んで食べるのもそのためだ。マクドナルドなら誰も彼が店に姿を現すとは思っていないし、ハンバーガー自体もあらかじめ調理済みで安全だからである)。また、シーツを換えてほしいときはハウスキーパーに伝えるが、ベッドから外すのは自分でやると言いだした。〉

     ちなみにメラニア夫人の部屋は別にあり、大統領夫妻が別々の部屋で暮らすのはケネディ大統領以来のことだそうです。いずれにしても寝室に一人でこもりマクドナルドを食べながら三台のテレビを見るのが秘密のライフスタイルというわけですが、もう一つ“トランプの秘密”が暴露されています。しかも長女のイヴァンカによってです。

    〈イヴァンカはよく、あのヘアスタイルの構造を友人に話して聞かせたものだ。スカルプ・リダクション手術(髪の毛のない部分の皮膚を除去し、髪の生えている皮膚を寄せて縫い合わせる手術)を受けたあとのつるつるの頭頂部を、フワフワとした毛が取り巻いている。その毛を中央でまとめるように梳(と)かし上げ、さらに後ろになでつけて、ハードスプレーで固定しているのだ。さらに・・・・・・〉

     イヴァンカによる秘密の暴露は男性専用のヘアカラーの商品名にもおよび、あのオレンジがかったブロンドのヘアスタイルが出来上がるまでをおもしろおかしく語っているのですが、いずれにしても、トランプは何事も“自分ファースト”を貫く“わんぱくな子ども”なのだ。1年前の大統領就任式を終えたトランプが「観衆は過去最大。150万人くらいに見えた」と、オバマ前大統領の就任式と比較した写真や映像を「嘘」と非難したことは記憶に新しい。事実にもとづいていないと容易に証明される「笑い話」でしかないトランプの主張がどうしてでてくるのか。本書が解き明かしています。

    〈「君が信用しているのは誰だ? ジャレッドか? 君が何かしようとする前に、誰か相談に乗ってくれる相手はいないのか?」興奮気味に電話してきたジョー・スカボロー(引用者注:元下院議員。MSNBC(米国のニュース専門放送局)の『モーニング・ジョー』の共同司会者)は、トランプにそう尋ねた。
    「うむ」と大統領は言った。「君は気に入らないだろうがね、答えは私だ。この私さ。私は自分に相談するんだ」
     そんなわけで、就任式から二四時間と経たないうちに、大統領はこの世に存在しない人間を一〇〇万人ほど創出することになった。新任のホワイトハウス報道官、ショーン・スパイサー(すぐに「そんなでたらめやでっち上げはまずいですよ」が彼の口癖になった)に命じ、就任式の観衆の人数に関して自分の見解を発表させたのである。この一件により、それまで実直に政治畑を歩んできたスパイサーは一瞬にして国民的な笑いものになり、今後もその汚名はすすがれる気配がない。おまけに大統領は、一〇〇万人の観衆が本当に存在したかのように伝えることができなかったといって、スパイサーを責め立てた。
     これは、トランプが大統領になって最初の暴挙だった。〉

     ホワイトハウス報道官および広報部長として、大統領就任式に立ち会ったスパイサーは、7月に辞任してホワイトハウスを去ることになりますが、「相談するのは誰でもない、自分だ。自分しかいない」というトランプ流は薄まるどころか、より顕著に、いっそう激しくなってきていることは、米朝会談に動き出した矢先のティラーソン国務長官解任からも明らかだろう。
    “わんぱくな子ども”を大統領に選んだアメリカは、トランプ大統領に対する初めての評価となる中間選挙に動き始めた。再びの「まさか」が起きるのか。それとも──まさに“神の怒り”が炸裂するのか。『炎と怒り』──トランプを知り、先行きを見定めるために必読の書だ。(2018/3/16)
    • 参考になった 5
    投稿日:2018年03月16日
  •  イーブックジャパンのオフィスから歩いて5分ほど、駿河台の明治大学「阿久悠記念館」に、稀代の作詞家の直筆原稿を見に行った。
     阿久悠が遺した歌詞[うた]は、昭和の記憶とともにある。都はるみ「北の宿から」、沢田研二「勝手にしやがれ」、ピンク・レディー「UFO」、ペドロ&カプリシャス「ジョニィへの伝言」、尾崎紀世彦「また逢う日まで」、八代亜紀「雨の慕情」などが即座に思い浮かぶ。阿久悠は5000曲を越える歌詞を特製の400字詰め原稿用紙に愛用する黒のぺんてるサインペンを使って手書きした。少し右肩上がりの男っぽい文字だ。
     阿久悠生誕80年、没後10年だった2017年11月末に『昭和と歌謡曲と日本人』が出版され、先頃配信が始まった。紙書籍の帯には、「時代を見つめ、人を愛し、言葉を慈しんだ歌謡界の巨星、最後のメッセージ!」とある。2001年から2007年にかけて、東京新聞、スポーツニッポンに連載したコラムを集めたもので、阿久悠の最新作であり、おそらく最後の著作となるエッセイ集だ。

     こんな一節があります。「第三章 愛しい人間の愛しいいとなみ」の「昭和の詩」から引用します。

    〈昭和が見直されている。ブームといってもいい。そして、一口にレトロという感覚で片付けられないものが、このひそやかな復活には含まれている。何かというと、人間がいて物があり、人間が生きるためにシステムがあったという、人間主役の時代が、まさしく、昭和であったからである。(中略)
     昭和といっても戦前ではない。やはり昭和三十年代、ぼく流にいうと最後の楽園の時代のことである。飢餓からの脱出に希望が持て始め、生きることにいくらかの向上心をプラスするようになっていた時である。
     いい生活を夢みているが、それは金満とはほど遠いものであって、身の丈に合った幸福サイズをささやかに描き始めた、愛しい人間の愛しいいとなみが満ちた昭和である。東京でいえば、オリンピックが開かれた昭和三十九年以前のこと、地下鉄はまだ二本だけ、その代わり都内を網の目のように都電が走り、渋滞という言葉は日常ではまだなかった。〉

     東京オリンピックの1964年(昭和39年)以前の時代は、1955年(昭和30年)に大学生となって東京に出た阿久悠が、明治大学を卒業して広告代理店・宣弘社に就職。テレビCMの仕事のかたわら、同僚であり、生涯の友となる上村一夫(後に漫画家、イラストレーターとして活躍)と組んで雑誌に劇画の連載を始め、放送作家として脚本を書き始めた時期にほぼ重なります。ザ・モップス(リードボーカル・鈴木ヒロミツ)「朝まで待てない」を書いて作詞家本格デビューしたのは1967年(昭和42年)です。それは〈豊かな日本〉が幕開けした時代で、風俗や文化が花開き、主張し、女性たちは過去の因襲と決別するかのように大胆なミニスカートで闊歩し、そして、テケテケテケとエレキギターが時代の風のように鳴っていた、と阿久悠は綴る。
     そんな〈豊かな日本〉を作詞家として駆け抜けた阿久悠。〈昭和の貧から富への懸け橋の時代〉を「昭和の詩」のタイトルで描いた。

     昭和の詩
     町には暗がりがあった
     だから家の灯が見えた
     人は港を探す船のように
     迷い迷い家へ帰った
     妻がいて 子らがいて
     いたわり示す言葉が迎えた
     昭和 そんな 人の時代

     人間は健気で、慎ましやかで、品性を大切にし、しかも、自分のことをよく知り、社会の中で上手に存在したいと、懸命に常識を守っていた。いい生活を夢みているが、それは金満とはほど遠いものであって、身の丈に合った幸福サイズをささやかに描き始めた、愛しい人間の愛しいいとなみが満ちた昭和の町には暗がりがあった。だから家の灯が見えたと、阿久悠は書くのだ。

     いま、私たち──日本人に〈家の灯〉は見えているのだろうか。
     時代に吹く風を独特の感性で読みとって言葉を紡いだ阿久悠が遺した次の一文が、胸に刺さります。

    〈さて、ぼくらは一体何をどこで忘れて来たか。それをずっと考えている。ぼくらという書き方をしているが、ぼくの周辺の人たちの意味ではなく、日本人のことである。
     ここ何年間かの社会の不条理に満ちた空気を感じる度に、これはもの凄く大切なものを、実にいいかげんな気持ちで忘れて来てしまったせいだと思っている。
     つまり、日本人が日本人をどこかに忘れて来たということだ。
     今の世、人が人らしくない。心ない人があまりに多過ぎる。かつても悪人がおり、犯罪も数多く起こったが、それらにも痛みを感じた。今はそれがない。おぞましさと不可解さだけを感じる。それはきっと、あるべき姿の共通イメージを失ったことによる。
     かつて貧しく、ささやかで、つつましやかであった時には、やさしさや美しさがあった。転べば手を貸すし、よろめけば抱きかかえもし、順番も譲るし、道もあけるし、そんなことは日常の光景として見られた。
     貧しさがいいと思ったわけではない。豊かになりたいとは思ったが、それは自分の歩幅に合ったスピードでの一歩一歩の前進だった。そこには健気(けなげ)な姿があった。
     ぼくら日本人が忘れたものは、普通の人間の健気さであるかもしれない。一途な思いであるかもしれない。
     健気とか一途とかが普通の人間のエネルギーであることを、何かの催眠術によって忘れさせられたのかもしれない。催眠作用だから、こんなに豊かになっても不機嫌で、エネルギーがないのである。
     いつ、どこで忘れたか。日本人が愛おしく思えてならない時代はどこか。〉

     稀代の作詞家の私たち日本人への最後のメッセージに、向き合っていただきたい。そうして、健気で、一途だった時代を私たちの共通の記憶として思い出してみたいと思う。

     最後に、阿久悠と高校野球の関わりに触れておきます。2018年のプロ野球の注目点のひとつに「怪物松坂大輔投手の復活」があります。米メジャーリーグから日本へ復帰、肩の手術、勝利はおろか登板さえままならない3年間を経て、今シーズン中日に移り、復活できるかどうかに注目が集まっています。阿久悠は1979年から2006年まで夏の高校野球大会の全試合を観戦し、一日一試合を詩に詠んだ。そのすべてをまとめた労作『甲子園の詩 敗れざる君たちへ』(幻戯書房)がイーブックジャパンで2015年10月30日より配信されています。1998年(平成10年)8月22日──決勝のマウンドには、横浜高校・松坂大輔投手がいた。京都成章を相手にノーヒット・ノーランをやってのけた。この日、阿久悠は「怪物の夏」と題して、若者たちを讃えた(一部抜粋)。

     あくまでもやさしい顔をし
     しなやかな体をし
     平凡をよそおいながら
     しかし
     圧倒的な非凡であった
     力もあった 技もあった
     タフネスもあった
     もちろん闘志もあった
     それなのに
     ギラギラと誇示しないのが
     新しい怪物の凄さであった
     横浜高校 松坂大輔投手
     この夏は彼とともにあった
     それは同時に
     彼を信じ彼とともに戦った
     仲間たちとともにあったことであり
     彼を標的にし彼にぶつかった
     対戦相手とともにあったことでもある
     決勝戦は静かだった
     五万五千の大観衆がいながら
     どよめきが固っていた
     そして あろうことか彼は
     ノーヒット・ノーランで幕を閉めた
     怪物の夏であった

     風流をやせがまんの別の呼び方と考えた作詞家は、『昭和と歌謡曲と日本人』に〈わが家の冷房装置を全廃し、タラリと汗をかきながら、高校野球の日々の詩を書いている〉と記しています。「怪物の夏」もそんな中から生まれたのかもしれません。
     とまれ、四季があることの意味を受けとめて、健気に、一途に生きる。そんな生き方を、日本人が取り戻すための、阿久悠からの最後の贈り物だ。(2018/3/9)
    • 参考になった 2
    投稿日:2018年03月09日
  •  第44回(1998年)江戸川乱歩賞を受賞した池井戸潤の作家デビュー作品である。受賞に際して池井戸潤は、
    「私がかつて勤めていた銀行で本当にあった倒産とそれに関する様々な出来事をモチーフにした金融ミステリーです。実際に事件とかかわった身としては、書きたくて書いたというより、どうしても書かなければならなかったと言ったほうがしっくりくる、因縁の作品。本当は忘れてしまいたいような出来事なのに、忘れられない。心の中でしこっていたものをなんとか整理するために書いた小説」
     と、この作品の意味合いを語った。

     そして、「銀行を退職して三年になりますが、いまようやく自分の選択が正しかったと心から思えるようになりました。作家になるのは私の夢(Vision)です。今回の受賞で、私はその夢を実現させるための挑戦権を得たに過ぎません」と続けた池井戸潤は、その後の10年あまりの間に、吉川英治文学賞新人賞受賞作『鉄の骨』(講談社、2014年3月14日配信)、直木賞候補作『空飛ぶタイヤ』(講談社、上・下、2014年3月14日配信)、主人公の決めぜりふ「倍返しだ!」が流行語となって話題沸騰のTVドラマ原作「半沢直樹」シリーズなどを続々と発表。2011年に『下町ロケット』(小学館、2015年8月14日配信)でついに直木賞を射止め、いまや時代を代表する人気作家となった。

     そのデビュー作『果つる底なき』に、こんな一節があります。

    〈そして悲しみは怒りに変わる。しっかりとした方向性を持った怒りだ。
     私は閉じた瞼(まぶた)の裏側で、……に対峙する。
     形もなく、概念もないもの。あるのはただ、醜い思念のみ。まさに暗渠だ。魂の深淵、果つる底なき暗澹(あんたん)たるもの。それは単に価値観などという尺度で説明しうる範囲を超越している。始まりも終わりもなく、きっかけすらつかめない狂気。これ以上、こいつを生かしてはおけない。〉

    「果つる底なき暗澹たるもの」。書名はここから来ているわけですが、この狂気に対する怒りこそ、池井戸作品に通底する根なのではないか。その意味で、デビュー作品『果つる底なき』は、「金融ミステリー」から出発して企業社会のさまざまなテーマに幅を広げてきた池井戸潤の作家としての原点だ。「果つる底なき暗澹たるもの」に対する怒りこそは、池井戸作品に共通する“根”なのだ。

     物語は、二都(にと)銀行渋谷支店の中堅行員が急死して始まります。死因は蜂に刺されたことによるアレルギーの過剰反応──アナフィラキシー・ショックだった。
     その日の朝、渋谷支店融資担当課長代理の伊木遥(いぎ・はるか)は、業務用車両駐車場に向かう途中、同期入行で債権回収担当課長代理の坂本健司と偶然一緒になり短い会話を交わした。

    〈「回収か」
    「ああ。でかいぞ」
     いったん立ち止まり、また歩き出す。横顔に緊張感が見て取れ、普段なら飛び出してくる冗談のひとつもない。
    「今日はどこ?」
     坂本は答えの替わりに、にやりと笑った。
    「なあ、伊木──」
     歩きながら私の肩に腕をまわし、急に悪戯(いたずら)っぽい目でこちらを覗(のぞ)き込む。
    「これは貸しだからな」
     妙なことを言った。
    「貸し?」
    「いまにわかる」〉

     その後、坂本は代々木公園脇に停めた車の中でぐったりしているところを発見され、救急車で病院に運ばれたが、既に意識不明で午後1時過ぎに息を引き取る。
     死の数時間前に坂本が残した「これは貸しだからな」との言葉の意味するところは、いったい何なのか?「いまにわかる」と言い残した坂本だったが、翌日──事務部が坂本のオペレーティング記録をチェックしていてとんでもないことが判明する。坂本が顧客口座から3000万円を他行の坂本健司名義の口座に送金していたらしいのだ。一か月ほど前のことだった。

     坂本と言葉を交わした最後の人間となった伊木は、坂本の妻曜子と結婚前に付き合っていたこともあって、所轄署の刑事から疑惑の目を向けられ、夜帰宅したところで二人の刑事の訪問を受けます。坂本のアレルギー体質を知っていたのではないか、そして朝、坂本と言葉を交わしてからどこに行ったのかアリバイ確認が目的のようだったが、最後に3000万円が振り込まれた坂本名義の口座から現金を引き出した男の映る監視カメラ映像を見せられた。知らない男だったが、坂本の死は単なる事故ではなく、事件性があるのか。

     坂本にいったい何があったのか。坂本の業務を引き継いだ伊木は、そういうことをする男ではないとの直観を胸に、担当企業のクレジットファイルや使用していたPCを調べ始めます。
     そんな伊木の周囲で連続して“事件”が発生します。一人目の被害者は、伊木の直属上司である課長の古河。仕事を終えて伊木と二人で新宿に出て、「事件」そして「銀行」のことを語らいながら飲んだ。夜が更けて歌舞伎町の外れの淋しい通りを千鳥足でゆく古河。

    〈「坂本のこと、残念だったなあ」
     古河はふらついた足取りで私の横を歩いている。雨は止んでいた。疲れ、そして酔いも手伝って、油断していた。私はどこからか近づいてきた足音にまったく注意を払わなかった。空を見上げた。星はないな、そんなことを思った。どんよりした鈍色(にびいろ)の雲が都会のネオンの反射を受け止めているだけだ。じっとりと湿気を含んだ空気が肌にはりつく。
     足音が、すぐ背中で聞こえた。古河が振り返った。
    「おい!」
     古河が鋭い声をあげた。振り返ろうとした私に古河が体をぶつける。左腕からアスファルトに倒れ込む。痛みが走った。上体を起こし見上げた視界の中で古河と黒い塊が一つになっていた。一瞬の間だった。黒い塊が身を離す。遠い街灯の弱い輝きがかすかにその横顔を照らした。サングラス。そして、疾走する狂気を湛(たた)えた目。満たされたように唇がめくれあがり、喉仏が動いた。
     あの男だ。
     男がさっと体を反転させ、駆け出す。その手の中で何かが揺れた。ナイフだ。きらりと不気味な光を放った。
    「課長──!」〉

     刑事が持ってきた防犯テープに映っていた男だった。
     腹部を刺された古河は緊急手術で一命を取り留めた。
     前夜、伊木のマンションの郵便受けのなかで、アシナガバチが尻から毒針を出したまま、翅(はね)を毟(むし)られた無惨な姿で這い回っていた。昨夜は警告。そして今夜は、仕掛けてきた。古河は、身を挺して私を守ろうとし、伊木の身代わりになったのだ。伊木の鞄がなくなっていた。
     二人目は、副支店長の北川睦夫。
     ベッドサイドで執拗に鳴り続ける音。連日の疲れから深い眠りについていた伊木が電話の子機をつかむ。
    〈闇のなか、デジタル時計は午前五時。
    「──はい」
    「伊木君か」
     声の主を特定するのに時間がかかった。相手がわかったとき、向こうが告げた。
    「高畠だ」驚いて、私は体を起こした。
    「支店長。どうしたんです、こんな時間に」
    「──北川君が事故で亡くなった」〉

     晴海埠頭(はるみふとう)で車ごと海に転落しているのが見つかったという。
     北川副支店長と課長代理の伊木は、もともとそりが合わない。伊木が担当していた企業が不渡りを出した時、債権確保のためには深夜零時過ぎでも平気で社長宅に押しかけたのが北川副支店長だ。午後5時以降の督促は違法。サラ金が禁じられていることを、銀行がやっていいわけがない。非常識な行為だった。
     その企業──東京シリコンは結局、倒産に追い込まれ、社長は相模湖畔に停めたメルセデスのなかで命を絶った。坂本は倒産した東京シリコンを伊木から引き継いで、債権回収に動いていたが、なにか掴んでいたらしい。その痕跡をたどる伊木が深夜、支店の地下2階の書庫である振込依頼書を探し始めて1時間ほど経過した時──。

    〈「何をしている」
     そのとき、突如、太い声が室内に響きわたり、私ははじかれるように顔を上げた。
     北川が立っていた。入り口で仁王立ちになり、猜疑心(さいぎしん)に満ちた目で私を凝視している。
    「調べものです」
     私は綴りを箱の中へ戻した。
    「書庫の管理者は君じゃないだろう」
     北川は私のところまで来ると、足元に転がっていた鍵に目をとめ、咎(とが)めた。
    「調べものがあったので、宮下代理に借りたのですが」
    「管理者を任命するのは私だ、伊木」
     北川は私の足元にある振込依頼書の箱を見下ろした。「何を調べていた」
    「取引先から振り込みの確認を受けたものですから。でも、もう終わりました」
     適当にいい繕(つくろ)って立ち上がった。北川は動かなかった。そのため、通路の出口を塞いだような格好になっている。
    「前場所(ぜんばしょ)からの申し送り通りだな、伊木。お前、まだ企画部での失敗に懲りてないのか。勝手なことばかりすると次も期待できない。そう覚悟しておいたほうがいい」
     北川は下卑(げび)た笑いを唇の端に浮かべて、踵(きびす)を返した。その姿が入り口の向こう側に見えなくなってから、私はもう一度振込依頼書の綴りを手にとった。
     綴りは、端を揃えてドリルで穴を開け、プラスチック製の芯で留められている。支店に備えつけられた機械で簡易的に処理されたものだ。
     仔細に調べると、芯になっているプラスチック部分に小さな紙片が挟まっているのを見つけた。それが何を意味しているか考えるまでもなかった。
     誰かが持ち去ったのだ。〉

     不審なことはそれだけではなかった。伊木の机の上に置かれた資料が席を離れていた僅かな時間になくなっていた。また、坂本のパソコンの中のデータが坂本の通夜の夜に更新されていた。いったい、行内のだれが?
     休日の夕刻。支店内を常時映している防犯ビデオ入手に動いた伊木の自宅マンションを、北川副支店長が訪れた。思いもかけない訪問に伊木の頭の中で警報が鳴る。

    〈「何を調べている」
    北川はくってかかるように言った。
    「なんのことかわかりませんが」
    「とぼけるな。お前が防犯カメラのテープを持ってることぐらいお見通しだ」
    「さあ、なんのことですかね。そんなことを聞くためにわざわざ休日にいらっしゃったわけですか」
     組んでいた指を拳にし、右の膝の上を叩いた。
    「ふざけるのもいい加減にしろ。これは支店にとって重大な問題なんだ!」
    「支店にとって、ではなく、あなたにとってじゃないんですか」
    「きっ、さまぁ!」
     北川は立ち上がり、私の胸ぐらを掴んだ。Tシャツが伸び、北川の拳に巻きついている。「出せっ! どこだっ、出せっ!」
    「なにをそんなに怯えているんです」
    「うるさいっ!」(中略)
    「ひとつだけ忠告してやる。いい気になってちょっかい出してるといまに吠(ほ)え面(づら)さらすぞ、伊木。この件から手を引け。いつまでも突っ張って生きていられると思ったら大間違いだ」〉

     北川副支店長の顔面から血の気が失せていた。いままで浮かべていた怒りの表情と絶望が混在し、奇妙な具合に表情が歪んでいた──それでも精一杯の捨て台詞を残して伊木の部屋を出て行って数時間後、北川副支店長は晴海埠頭で転落死した。伊木には、事故だとはとうてい思えなかった。まして、自殺のはずはない──。

     いったい銀行の暗闇でなにが行われているのか。伊木が後を託した東京シリコンのために奔走していた坂本は、なぜ死ななければならなかったのか。〈これは貸しだからな〉の意味を求めて銀行の内部腐敗に挑む伊木の孤独な闘い──果つる底なき暗澹たるものに対する池井戸潤の挑戦は、ここから始まります。(2018/3/2)
    • 参考になった 2
    投稿日:2018年03月02日
  • 「明治維新150年」が称揚されています。明治維新よって日本は近代化に舵を切り豊かな国となったとして明治以降の150年を日本が誇るべき時代だとする一方で、それ以前の近世──江戸時代は遅れた封建制の社会であり、鎖国によって世界から取り残されていったと負の側面をことさら強調する。
     そんな歴史観に一石を投じた歴史小説があります。浅田次郎『黒書院の六兵衛(上・下)』(日本経済新聞出版社、2014年12月19日配信)です。
     江戸最晩年、慶応年間の江戸城明け渡しに際して、城中に座り続けながら、黙して語ることのない謎の武士を巡る悲喜こもごもの物語。書名にある「黒書院」とは、将軍が常日ごろ政(まつりごと)を行う御座敷のことで、総檜造りの御殿の中では唯一、赤松の材が用いられており、黒書院の名は、しっとりと沈んだその色合いにちなむという。
     殿中に座り続け、最後には黒書院──御殿の奥深い高貴な座敷に端座したのが、的矢六兵衛(まとや・ろくべい)という名の御書院番士。戦時には主君の御馬廻りに近侍する騎士であり、平時においては御身辺の警護をするのが役割だ。
     この時期──旗本中の旗本である御書院番士といえば、ある者は鳥羽伏見の戦で討死し、ある者は脱走して奥州の戦に奔り、またある者は上野の彰義隊に加わった。10組500人の番士は今やちりぢりで、すでに軍隊の体容はない。そもそも、いないはずの勤番士が殿中にいる、ということそれ自体がどう見ても奇怪──。
     鼻梁の通った浅黒い顔には何の感情も窺えません。的矢六兵衛は、なぜそこにいるのか? なぜ、石仏に化身して座り続けるのか?

     時代変わりの真っ只中、先の見えない不安が江戸の町に重くのしかかっている。ミステリーめいた物語は、こう始まります。

    〈その日の江戸は鼠色(ねずみいろ)の糠雨(ぬかあめ)にまみれていた。
     濠端柳の若葉も土手に萌え立つ草も春の緑とは見えず、空は涯(はて)もない鈍色(にびいろ)である。風は生温(ぬる)く腐っている。
     生まれ育った江戸の景色が、なぜかきょうばかりは見知らぬ町に思えて、加倉井隼人(かくらいはやと)はしばしば馬を止めた。
     隊長が止まれば隊列が止まる。しかし三十人のどの顔にもさほど不審のいろはない。やはりおのれひとりの思い過ごしかと思うて、隼人はふたたび駒を進めた。めざすは外桜田の御門である。
     夢か現(うつつ)かと思えるほど急な話であった。まだ暗いうちに宿直(とのい)の御小姓が門長屋にやってきて、隼人を叩き起こした。表御殿の御用人部屋に急ぎ参れという。〉

     加倉井隼人は、御三家筆頭、尾張徳川家江戸定府の御徒組頭(おかちぐみがしら)にすぎません。藩主はじめ家来のあらかたは国元に帰っていましたが、いかに手不足とはいえ留守居の御用人から、直に急用を申し付けられるはずはない・・・・・・そんな疑問を感じながら向かった市ヶ谷の尾張徳川家上屋敷。御用人部屋で待ち受けていたのは、西洋軍服を着た見も知らぬ侍たちだった

    〈官軍の先鋒が尾張屋敷に入ったという噂は耳にしていたが、置行灯(あんどん)ひとつの薄暗い小座敷で取り囲まれれば、何か思わぬ濡れ衣でも着せられたか、さもなくば狐狸妖怪の仕業かと疑うた。
     官軍の軍監と称する土佐の侍は、一揃いの西洋軍服と羅紗(らしゃ)地の陣羽織を隼人に勧め、さらには赤熊(しゃぐま)の冠り物まで押しつけた。
     曰(いわ)くところはこうである。
     東海道と中山道を下った官軍はすでに品川と板橋に宿陣し、来たる三月十五日の江戸総攻めを待つばかりであったが、このたび勝安房守殿の談判により不戦開城と決した。ついては、まもなく勅使御差遣のうえ江戸城明け渡しの運びとなるところ、まずは御三家筆頭たる御尊家に物見(ものみ)の先手(さきて)を務めていただきたい。聞けばそこもとは父子代々江戸定府(じょうふ)との由、知己も多く勝手もわかっておろうゆえ、この大役は余人をもって代えがたい──。
     要するに加倉井隼人は、江戸城明け渡しに先んずる官軍の、俄(にわ)か隊長を命ぜられたのである。〉

     官軍が入城するに先立っての露払いというわけで、まず命などいくつあっても足るまい、と肚を括った加倉井隼人は、すわ何ごとぞと青ざめる女房を宥(なだ)め、赤児もろとも抱きしめて金輪際の別れみたような真似もして、あわただしく出発した。付き従う配下の徒士たちは、やにわに軍服を着せられ鉄砲を持たされて俄か官兵となったのですから、まるで夢見ごこちの様子。日頃の勤めといえば市ヶ谷屋敷と戸山御殿の門番で、得物は六尺棒と限っているのだ。
     命をはかなむごとく糠雨のそぼ降る朝。とまどいながらも、相手が誰であろうと、けっして頭は下げるな謙(へりくだ)るなと思い定めた加倉井隼人率いる一隊を、外桜田門で黒い蝙蝠(こうもり)傘をさした一団の武士が待っていた。西の丸目付と使番(つかいばん)。どちらも千石取りの大身です。

     すこし横道にそれますが、浅田次郎は外桜田門について、こんなふうに書いています。
    〈江戸城の総構えのうち、どこが最も美しいかと問えば、多くの人は「三宅坂から望む外桜田門」と答えるであろう。
     しかし八年前の申(さる)の年に御大老暗殺という大騒動が起きて以来、その風景は紗を掛けたように翳(かげ)って見える。美しいがゆえになおさらである。〉
     そして、その外桜田門で〈黒い蝙蝠傘をさした一団の武士〉がにわか官軍の先遣隊を待っていたとし、
    〈旧幕臣の間には、この黒木綿の西洋傘が流行している。権威を奪われた侍たちが、雨降りにも日盛りにも、黒羽織に蝙蝠傘をさして歩む姿は暗鬱(あんうつ)きわまりなかった。そのうえ彼らは、おしなべて寡黙である。〉
     と続けるのです。旧幕臣の間で黒木綿の西洋傘が流行していたというのも耳新しいエピソードで、それをさりげなく小道具にもってくるところがうまい。8年前に大老暗殺があって今もなお翳って見える外桜田門にて糠雨の中、にわか官軍の一隊を待つ黒い蝙蝠傘の武士の姿──何が起きているのか、どんな時代状況なのか、絵的ですっと入ってくる浅田次郎らしい文章表現に引き込まれていきます。

     話を元に戻します。江戸城内に入った加倉井隼人、西の丸留守居役、内藤筑前(ないとう・ちくぜん)守に案内されたのは、勝安房守の部屋。西郷隆盛と江戸城不戦開城の談判をした勝海舟です。〈ちと、話がある〉と切り出した勝安房守。やっかいな相談事を持ちかけてきます。

    〈「・・・・・・実はこの西の丸御殿の中に、どうしても了簡できぬ侍がひとりだけおる」
     背筋にひやりと悪寒を覚えた。いくつもの門を潜り、畳廊下をいくたびも折れてたどってきたこの広い御殿のどこかしらに、勝安房守の説得に応じぬひとりの侍がある。想像のしようがないだけに、その「ひとり」が人間ではない何ものかに思えたのだった。
     江戸を戦場にせぬという談判の成果は、そもそも御城内にある侍たちの悲願であったにちがいない。だからこそみながみな、整斉と勝安房守の差配に服(まつろ)うているのである。しかし、応じぬ者がひとりだけいる。
    「のう、加倉井さん。そうと聞いては帰るわけにもいかぬだろう。どうだね、会うてみるか」
     はたして御城が引き渡しの勅使を迎えられるかどうか、つまるところ命がけのおのれの使命はそれに尽きるのである。よもやこれをなおざりにして帰れるはずはあるまい。
     饒舌な勝安房守は、茶を喫しおえる間、なぜか一言もしゃべらなかった。
    「では、参ろうか」
     ほの暗い畳廊下に出た。〉

     勝安房守と西郷隆盛との間で成立した「不戦開城」の合意にどうしても従わない侍が江戸城内にひとりだけいる。そのままでは城引き渡しの勅使を迎えることはできません。それこそが官軍の俄(にわ)か隊長にされた加倉井隼人の使命というわけです。隼人を男が端座する御書院番の宿直(とのい)部屋に伴い、〈西郷さんとの約束だ。力ずくではのうて、何とか説得しなければならぬ〉と託す勝安房守の横顔は悲しげだった・・・・・・物語は、御禄百五十俵の御徒組頭、加倉井隼人を視点人物に進みます。

     江戸城総攻めを待つばかりとなっていた春、3月に始まり、明治天皇を江戸城に迎えるまでの10か月もの間、江戸城内に座り続ける謎の旗本、的矢六兵衛とその六兵衛を立ち去らせることにのみ腐心した官軍俄か隊長、加倉井隼人。六兵衛とはいったい何者なのか。なぜ、城内に留まり続けるのか。その思いはどこにあるのか。黒書院を繞(めぐ)って立ちすくみ、あるいはひれ伏す人々の間を這いずり回った加倉井隼人がついに悟るものは何か。

     時代が大きく変わってゆく幕末の時の移ろいを、浅田次郎は多様な「雨」を使い分けて描いています。加倉井隼人が初めて江戸城に入る日──〈江戸は鼠色(ねずみいろ)の糠雨(ぬかあめ)にまみれていた〉と書き出しにあり、ここから物語が始まることは先述の通りです。
     下谷稲荷町に広大な屋敷を構える的矢家に “異変”が起きた日のことを、人相のよからぬ奴(やっこ)が〈おととしの秋、慶応二年寅の歳の秋でござんす。ちょうどきょうみてえに、長雨がしとしとと降る日のことでござんした〉と語ります。長雨が続くなか、両替屋の看板を隠れ蓑にあこぎな商売をする高利貸しが屋敷に乗り込んできた目的とは何だったのか。
     東征大総督有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王が到着し、官軍の本営となった江戸城に、尾張の徳川慶勝公が乗り込み、的屋六兵衛と対面した日は、〈慶応四年五月。江戸は欝々(うつうつ)たる霖雨(りんう)にくるまれて〉いた。
    「お頭はどこじゃ! お出会いめされよ、六兵衛が六兵衛が!」の声。〈折しも御中庭には時を怪しむ黒雲がかかって、稲光が閃いた。沛然(はいぜん)たる雨が降り始め〉るなかを「腹を切ってはならぬぞ、六兵衛!」と急いだ加倉井隼人。稲光に照らされる六兵衛の膝前には硯箱(すずりばこ)と一葉の半紙──「自反而縮雖千万人吾往矣──。」(みずからかえりみてなおくんばせんまんにんといえどもわれゆかん)みごとな筆跡に目を瞠(みは)った。
     明治天皇が江戸城に入り、旧幕臣が城を去る日。幼き天皇が六兵衛に会うため黒書院に出向くとむずかる一大事の報。「六兵衛に対面なされるは叡慮(えいりょ)。誰がお諫めできましょうや」と隼人──〈非常を告ぐる御太鼓が叩き出された。すると、にわかに雲が湧いて秋空をかき消し、時ならぬ雷鳴とともに驟雨(しゅうう)が白沙を叩き始めた〉

     日本語には、「雨」のさまざまな姿を表す美しい言葉が数多くあります。雨づくしの1200語を集めた『雨のことば辞典』(講談社学術文庫、2014年9月26日配信)の説明を借ります。
    ・糠雨(ぬかあめ):ごく細かい雨。霧雨。「糠雨(ぬかさめ)」「糠雨(こうう)」とも。糠のように細かい。しっとりと降り、情緒がある。
    ・霖雨(りんう):何日も降りつづく長雨のことをいう。「霖霪(りんいん)」「雨霖」とも。春の長雨が「春霖雨」、秋の長雨が「秋霖雨」。霖は、三日以上降りつづく雨。
    ・驟雨(しゅうう):夏のにわか雨。『日本大歳時記』は、夕立とほぼ同じだが、「最近、夕立とは別に驟雨として詠まれることも多くなった。木々の青葉をたたき、大地にしぶきを上げて急にふってくる驟雨は、いさぎよく、また涼を呼んで、いかにも夏の感じがある」(森澄雄)といっている。夕立と類義だが、夕立が庶民的なのに対して、驟雨には文芸的な語感がある。暑い昼下がりざあっと降ってあとに涼を残していくので、人々に喜ばれる。

     西の丸下の広場に佇(たたず)み、主人を待ちわびる奥方とご隠居夫婦と二人の男子、そのうしろに控える若党、中間奴(ちゅうげんやっこ)。馬が引かれ、槍が立てられ、最後の旗本が江戸城を去ってゆく感動のラスト。〈その日の江戸は鼠色の糠雨にまみれていた〉の書き出しで始まった物語は、徳川三百年の終焉と重なるような江戸の夕景を描く一文で終わります。

    〈秋空ははや墨色に染まり、名残の茜(あかね)はしめやかに退いていた。昏(く)れなずむほどに大名小路の甍(いらか)と白壁が際立った。
     供連れは翳(かげ)りの中をしずしずと去ってゆく。漆黒と純白のみを彩(あや)と信ずる江戸の夕景は、そのうしろかげにこそふさわしい。〉

     江戸から明治へと時代が移っていくなかで失われていくものへの想いを見つめる浅田次郎の時代長編。もの言わぬ武士の秘めた希(のぞ)み、そして移ろいゆく時代の情景を陰翳(いんえい)深く美しいことばで描く。名手の繊細なことばづかいを堪能してください。(2018/2/23)
    • 参考になった 3
    投稿日:2018年02月23日
  •  猪瀬直樹さんがノンフィクション作家としての地位を確立したのは、大宅壮一ノンフィクション賞受賞(1987年)の本書『ミカドの肖像』によってです。
     秀作『天皇の影法師』(中公文庫、2013年7月5日配信)を発表、若手ライターとして一部で注目を集めていた猪瀬さんが「世界史の中で天皇制を考える」という大テーマに挑戦した週刊ポストの長期連載『ミカドの肖像』が単行本になったのが、1986年(昭和61年)の12月。奥付日付は12月20日。当時、週刊ポスト編集部に在籍していて担当編集者だった私にとっては、とにかく12月中に出版しないとその年の大宅賞の対象に入らなくなってしまうという追い込まれた状況でのぎりぎりの編集作業でした。
     翌87年4月、第18回大宅賞受賞の知らせを受けて猪瀬さんの仕事場に駆けつけ、近くのレストランで痛飲した夜のことはいまでもよく覚えていますが、その本が四半世紀を経て電子書籍としてリリースされたのが2012年3月です。週刊誌連載、紙書籍ともに使われ読者の楽しみのひとつとなった石丸千里さんのイラストを収録した固定型でしたが、その後2014年10月にリフロー版(イラストは収録されていません)が配信されました(ともに小学館)。

     とまれ、猪瀬直樹さんの天皇制を問い直す旅は、皇居を見下ろす丸の内の一角に建設が計画された、ある高層ビルをめぐる物語から始まります。
     東京丸の内の一角に東京海上火災保険(現在の東京海上日動火災保険)による東京海上ビルが完成したのは1974年(昭和49年)3月ですが、建築確認申請が東京都に提出されたのは、それよりもずっと早い時期、1966年(昭和41年)10月でした。確認申請から竣工に至るまでに8年もの年月を費やしたわけですが、異常事は時間の経過だけではありませんでした。

    〈当初計画は高さ百二十八メートル、地上三十階建て(地下五階)だった。約三十メートルも高さが削られたこと、さらに、計画から完成までに費やされた不必要な時間の長さのなかに、東京海上ビル建設担当者と設計者の苦悶が堆積されている。
     彼らの忘れられた冒険をいま掘り起こそうというのである。冒険とあえて表現したのは、禁忌(タブー)に挑んだがためだった。計画が難航したのも、ビルの高さが当初の計画より低く押さえられたのも、すべて“空虚な中心”から発する奇怪な電波によって引き起こされた結果であった。そこで、電波の発生源を探し求めて歩くことになるのだが、追い詰めるとその都度、発生源は雲散霧消してしまうという不思議な現象にぶち当たった。
     僕は、それを天皇をめぐる不可視の禁忌と呼ぶことにする。
     当時の東京海上社長山本源左衛門は、ビル建設計画推進の責任者も兼ねていた。その証言は、不可視の禁忌という奇怪な現象を、あますところなく表現してはいまいか。〉

     高さ197.6メートルの新丸ビル、179.2メートルの丸ビルが林立する現在の丸の内からは想像できないかもしれませんが、当時の丸ビル、新丸ビルはどちらもピタリ百尺(約30メートル)でした。その一角に皇居を見下ろすことになる100メートルを超えるビルを建設しようというわけです。不可視の禁忌を巡る著者の冒険──山本社長インタビューの一部を引用します。

    〈いろいろといきさつがあったようですが・・・・・・。
    「ヘリコプターを飛ばしたんですよ。ヘリコプターってのは、そんなに低く飛べませんからね、三百メートルくらいの高さになります。そこから見えるかどうかとね。いろいろな角度から実験してみたんです」
     どちらを?
    「あそこですよ。あ、そ、こ。三百メートルもの高さだって見えやしませんよ。見えたって、御文庫の玄関と車寄せのところがせいぜいですよ。覗こうたって覗けるもんじゃありません。そういう実験をしたんだから、大丈夫という自信があった」
     見えないのなら、あちらの方面が反対する根拠はありませんね。
    「そう、そうなんですよ。それで、当時の宮内庁長官の宇佐美(毅(たけし)、昭和28年~53年まで長官)さんのところに出掛けた。そして、こういうビルをつくるけれど、いっさい見えないから安心してください、と報告しました。するとそういう話は宮内庁では問題にしてません、と言ったんです」
     じゃあ、誰が問題にするんでしょうかねえ。
    「右翼、ということも考えられますから、つてをたどって児玉誉士夫(こだまよしお)さんのところに挨拶に行ったほうがいいんじゃないかと、まあ、そういうことになりまして。児玉さんはこう言ったですよ。“そんなバカなことをね、この時代に言うのが右翼だと短絡するのが困るんだ。天皇さまが、あそこのお庭を歩いているのが見えたりするのも、皇后さまが三越でショッピングできるようになったりするのも、あっていいんだ。そうして国民に親しむのがこれからの皇室のありかたなんですよ”」〉

     自信をもって宮内庁長官に説明をしにいきますが、「そんなことは問題にしない」というばかりで事態は進捗しない。伝手をたよって右翼の児玉誉士夫にも挨拶にいくが、やはりここでも「問題」はない。どこにも「問題」はないのだが、それでも新たな問題が次から次へと発生して、結局8年がかり、高さを30メートル削って、ようやく竣工の日を迎えることができたというわけです。
     東京海上ビル問題への小さな疑問から昭和ニッポンの禁忌(タブー)の存在に行きついた猪瀬さんは、「ミカド」という記号を軸に近代日本の足跡をたどり直したノンフィクションの不朽の名作を世に送り出しました。
     本書に続くシリーズ第2弾『土地の神話』(小学館、2013年4月12日配信)、第3弾(完結編)『欲望のメディア』(小学館、2013年5月3日配信)も併せてお読みください。
    (2018/2/16)
    • 参考になった 3
    投稿日:2018年02月16日
  • 「会津に処女なし」という言葉があるという。
     いまから150年前、明治維新の時代──会津戦争の現場で、会津の女性がことごとく長州奇兵隊を中心とする土佐を含む薩長軍のならず者に強姦されたということをいっている。私は、この史実を原田伊織著『明治維新という過ち』(講談社文庫、2017年10月13日配信)で知りました。
     会津歴史研究会の井上昌威氏の検証結果を参考に、原田氏は会津戦争の実態を次のように記します。

    〈山縣有朋が連れ込んできた奇兵隊や人足たちのならず者集団は、山縣が新発田(しばた)へ去っていたこともあって全く統制がとれておらず、余計にやりたい放題を繰り返す無秩序集団となっていた。女と金品を求めて村々を荒らし回ったのである。彼らは、徒党を組んで「山狩り」と称して村人や藩士の家族が避難している山々を巡り、強盗、婦女暴行を繰り返した。集団で女性を強姦、つまり輪姦して、時にはなぶり殺す。家族のみている前で娘を輪姦するということも平然と行い、家族が抵抗すると撃ち殺す。中には、八歳、十歳の女の子が凌辱されたという例が存在するという。
     高齢の女性も犠牲となり、事が済むと裸にして池に投げ捨てられたこともあった。要するに、奇兵隊の連中にとっては女性なら誰でも、何歳でもよかったのである。
     坂下(ばんげ)、新鶴、高田、塩川周辺では、戦後、犯された約百人に及ぶ娘・子供の殆どが妊娠していた。医者は可能な限り堕胎をしたが、それによって死亡した娘もいたという。月が満ちて生まれてきた赤子は、奇兵隊の誰の子かも分からない。村人たちは赤子を寺の脇に穴を掘って埋め、小さな塚を作って小石を載せて目印にしたのである。
     村人は、これを「小梅塚」とか「子塚」と呼んだ。乳が張ってきた娘は、自分の「小梅塚」に乳を絞り与えて涙を流していたという。〉

     著者は、〈「人道に対する犯罪」といわずして何というか〉と厳しく断罪しています。まったく同感です。
     この蛮行は、たかだか150年前、「明治維新」を成し遂げたとされる「官軍」──長州第一軍の主力となった奇兵隊によって引き起こされたことなのです。
     女性に対する性犯罪だけではありません。薩長軍の兵は戦死した会津藩士の衣服を剥ぎ取り、男根を切り取ってそれを死体の口に咥えさせて興じたと同書にあります。総力戦の末に敗れた会津の鶴ヶ城開城は、明治元年(1868年)9月。「明治」が始まっていました。

     そもそも「明治維新」とは何か。ペリー率いる黒船来航によって、徳川幕府260年の太平から目覚めた日本が、長州・薩摩の下級武士を中心とする勤皇の志士と幕府・佐幕派の苛烈な抗争、第十五代将軍・徳川慶喜による「大政奉還」、「王政復古」の大号令、明治改元、そして新政府軍と旧幕府軍の内戦を経て明治天皇による親政が確立されたというのが、大方の日本人のなかに定着している明治維新についての常識であろう。1853年(嘉永6年)の黒船あたりから箱館戦争終結(1869年=明治2年)までの時期を指すといわれていますが、西南戦争──西郷隆盛の反乱(1877年=明治10年)までとみる考え方もあります。いずれにしても、明治新政府の成立以降、鎖国によって遅れていた日本の近代化、強く豊かな国への歩みが始まったというのが一般的な理解となっているといっていいでしょう。

     1月4日の年頭所感で安倍晋三首相は、
    「百五十年前、明治日本の新たな国創りは、植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタートしました。
    国難とも呼ぶべき危機を克服するため、近代化を一気に推し進める。その原動力となったのは、一人ひとりの日本人です。これまでの身分制を廃し、すべての日本人を従来の制度や慣習から解き放つ。あらゆる日本人の力を結集することで、日本は独立を守り抜きました。」
     と述べ、「明治維新150年」を礼賛しました。
     しかし、「明治維新」が私たち日本人にもたらしたものは何だったのか。「明治維新」に始まる日本の近代化の実相とはどんなものだったのか。
    『明治維新という過ち』で原田伊織氏は、日本人の間で常識化した「明治維新の歴史」に根源的な疑問を突きつける。それは、あくまでも勝者の、つまり薩長の論理で書かれた「歴史」であり、明治以降今日に至るまでそれが公教育の場で一貫して教えられてきた。同書にこうあります。

    〈この百五十年近く、誰もが明治維新こそが日本を近代に導き、明治維新がなければ日本は植民地化されたはずだと信じ込まされてきた。公教育がそのように教え込んできたのである。つまり、明治維新こそは歴史上、無条件に「正義」であり続けたのだ。果たして、そうなのか。明治維新の実相を知った上で、そのように確信したのか。
     日本人は、幕末動乱のドラマが好きである。ところが、幕末動乱期ほどいい加減な“お話”が「歴史」としてまかり通っている時代はなく、虚実入り乱れて薩長土肥(薩摩・長州・土佐・肥前)の下級武士は永年ヒーローであった。中でも、中心は薩摩と長州であった。(中略)
     しかし、「御一新」、つまり「大政奉還」「廃藩置県」の後は、長州・薩摩の世になったということを忘れてはならない。つまり、明治以降とは、長州・薩摩の世であり、このことは根っこのところで大正、昭和を経て平成の今も引き継がれているということなのだ。即ち、私たちが子供の頃から教えられ、学んできた幕末維新に関わる歴史とは、「長州・薩摩の書いた歴史」であるということだ。どのような幕末資料を読むにしても、まずこのことが大前提となるのである。〉
    「長州・薩摩の書いた歴史」であることを前提に幕末・明治史を見直そうと企図する著者は、さらにこう続けます。

    〈大切なことは、そういう歴史がこの百五十年近く綿々と教えられてきたという事実であり、そういう「長州・薩摩の書いた歴史」を先ずは知るということであろう。それを知った上で、「長州・薩摩が書かなかった」ことの実相を整理した方が、歴史というものの正体、恐ろしさを知ることができるというものである。〉

     冒頭に記したような「官軍」による蛮行は、「長州・薩摩が書かなかった」ことのひとつです。これまでこうした負の部分に目が向けられることはありませんでした。原田氏は「長州・薩摩が書かなかった」ことを検証し、御一新の史実とどういう、あるいはどれほどのギャップをもっているかを整理していきます。それは、〈世にいう明治維新を一度「総括」しようという試み〉であり、その集大成である本書を読み進めていくと、目からうろこの史実が次から次へと出てきてとまらない。ここでは一例だけ挙げておきます。
     突然の黒船来航によって、日本が開国に動き出したというのは私たちが慣れ親しんだストーリーです。しかし、嘉永6年(1853年)のペリー来航の半世紀以上前の寛政9年(1797年)以降、長崎出島へアメリカの交易船が来航した回数は少なくとも13回確認されているのです。つまり幕府には経験を積み世界を知る人材が育っており、ペリーの来航によって日本人が初めてアメリカ人と接触したかのような歴史教育は歴史事実とは異なっているというのが著者の指摘です。とすれば明治維新を機に日本の近代化が始まったという「維新史」は、そもそものスタートから、重要な史実、言い換えれば“不都合な真実”を隠していたことになるのです。

     とまれ、「長州・薩摩の書いた歴史」──明治維新は私たちに何をもたらしたのか。著者は、維新の英傑を輩出したとして崇められている吉田松陰を巡る史実を検証した上で端的にこう記します。

    〈・・・松陰を師であると崇め出したのは、御一新が成立してしばらく経ってからのことである。師として拾い上げたのは、長州閥の元凶にして日本軍閥の祖、山縣有朋である。(中略)
     ・・・松陰の外交思想というものは余り語られないが、実に稚拙なものであった。北海道を開拓し、カムチャッカからオホーツク一帯を占拠し、琉球を日本領とし、朝鮮を属国とし、満州、台湾、フィリピンを領有するべきだというのである。これを実行するのが、彼のいう「大和魂」なのである。一体、松陰はどういう国学を、どういう兵学を勉強したのか。
     恐ろしいことは、長州・薩摩の世になったその後の日本が、長州閥の支配する帝国陸軍を中核勢力として、松陰の主張した通り朝鮮半島から満州を侵略し、カムチャッカから南方に至る広大なエリアに軍事進出して国家を滅ぼしたという、紛れもない事実を私たち日本人が体験したことである。〉

     長州(山口県)出身の安倍首相が年頭所感において、植民地主義の波が押し寄せるなかで独立を守り通したと、明治日本の国創りを礼賛したことは先述しました。しかし、明治以降の日本は独立を守ったとはいっても、吉田松陰の教えのままに朝鮮半島、満州、中国、アジアから南方の島々まで軍事進出したあげく、対米戦争に敗れ国を滅ぼすに至ったのです。

     明治の国創りの負の側面に安倍首相がふれることはありません。長州人の末裔としてその先達の偉業を語るのみです。
     明治維新150年を言い出したのは、戦後70年の2015年8月、山口県に里帰りした時だったと、毎日新聞編集委員の伊藤智永記者の記事にありました(2018年1月6日付朝刊「時の在りか」)。記事によれば、〈50年は長州軍閥を代表する寺内正毅、100年は叔父の佐藤栄作が首相だったと紹介し、「私は県出身8人目の首相。頑張って平成30年までいけば、明治維新150年も山口県の安倍晋三が首相ということになる」と語った。〉という。
     平成30年(2018年)となり、安倍首相の下で明治の精神が称揚されています。しかし、どうせ目を向けるなら、大正の精神のほうがよくはないか。今年は米騒動から100年。富山の女性から始まった米価高騰に抗議する民衆の運動が全国に拡大し、寺内正毅内閣を総辞職に追い込んだ。長州軍閥内閣を倒した民衆の運動が大正デモクラシーにつながっていった。明治維新50年の時の首相として安倍首相が誇らしげに挙げたのが、この寺内正毅なのですから、モリ・カケ・スパ批判にさらされる安倍首相にとってはなんとも皮肉な巡り合わせではないか。

     安倍一強の下、憲法改正が日程に乗せられ、経済も首相は強弁するが、いっこうによくなったという実感はない。破綻寸前のアベノミクスの頼みの綱ともいうべき株価もNY市場のあおりを受けて暴落した。
     平成もあと一年。日本が大きな岐路に立つ今こそ、ぜひ手に取って欲しい歴史書だ。(2018/2/9)
    • 参考になった 3
    投稿日:2018年02月09日
  •  酒に合うか合わぬか──犬森祥子がランチの店を選ぶ基準です。
     バツイチ、アラサーのひとり暮らし。職業「見守り屋」。お年寄り、子ども、場合によってはペットまで、夜通し、寝ずに見守り、話し相手や聞き役になるのが仕事で、営業時間は夜から朝まで。愛する娘は別れた夫、祖父母のもとに引き取られ、月に一度会えることになってはいるが、確かではない。
     待つ人のいない部屋に帰る前に立ち寄る街で居心地のいい店を探りあて、おいしい料理とうまい酒に癒やされる──夜勤明けのランチ酒がもたらす至福の瞬間。食・酒に対するヒロインのひたすらな思いが行間に漂う異色のグルメ小説の誕生だ。
     タワーマンションが建ち並ぶ町にあるセレブなレストランは出てきません。社用接待や会社経費で行く高級店も出てきません。夜通し働いて解放された昼間にひとりで飲む酒に似合う街──は、武蔵小山(肉丼)であり、十条(肉骨茶=バクテー)、新丸子(サイコロステーキ)だ。中目黒(ラムチーズバーガー)、不動前(うな重)、中野坂上(オムライス)、大阪からは阿倍野(刺身定食)が、千葉の房総半島(海鮮丼)も登場。どこも気取ったレストランとは対極にある、うれしいランチが綴られている。ホントに旨そうで、名前こそ出てはいませんが、実在するという店を探して行きたくなる。たとえばこんな具合だ。「第一章」ならぬ、〈第一酒 武蔵小山 肉丼〉から引用します。

    〈「いらっしゃい」
     正午前、開店そうそうの店は、祥子が一番乗りだった。
     カウンターにはマスター、その奥さんらしい中年女性と若い女性の三人。カウンター席に案内される。一番端の、よい場所に陣取った。
     壁のメニューを見る。
     肉系メニューが充実している店だが、鯖(さば)焼きなどの定食もちゃんとある。
    「あの、この肉丼のお肉は」
    「牛肉です。うちの看板メニューです」
     中年女性が明るく答えてくれた。
    「じゃあ、それ。ご飯少な目にしてください」
     とりあえず食べ物だけ頼んで、様子を見ることにした。
     カウンター席が多いが、小さなテーブル席も二つある。
     どことなく、バーやスナック風の造り。以前はそういう店だったのかもしれない。
     カウンターの上に、プラスチックの小型のメニューを見つける。伊佐美(いさみ)、しきね、黒伊佐錦(くろいさにしき)……芋焼酎(いもじょうちゅう)の名前がずらりと並んでいた。
     よっしっ。祥子は思わず、カウンターの下で小さくガッツポーズをした。
     牛肉の丼ならビールも合うだろうが、そして、ビールも大好きだが、ここはがっつり肉に芋焼酎を合わせたい。
     伊佐美、しきねなどもいい。でも、せっかくなので冒険して、初めての味を試そうか。
    「すみません。この蕃薯考(ばんしょこう)というの、ロックでいただけますか」
     蕃薯考の下には「江戸時代の文献を元に再現」と説明書きがあった。なんと、心惹(ひ)かれるコピーか。
    「あ、ええ」
     ちょっと意外そうな顔をしながら、でも、すぐにうなずいて、用意してくれた。〉

     夜の仕事をしている犬森祥子にとって、ランチは一日の最後の食事となる。朝食はほとんど食べず、仕事前に少しつまんで、仕事後にランチをがっつりとる、一日二食が基本だ。ならば酒を飲んで、リラックスしてから家に帰り、眠りにつきたい。
     そんな時に「えー、お酒飲まれるんですかあ」なんて、聞き返されたくない。大人なんだから、平日の昼間に酒を飲むこともある。そいうことがわかっている店かどうか、もランチ酒の店を選ぶ大事なポイントだ。

    〈「あら、ちょっと入れすぎちゃった」
     つぶやくママと目が合って、自然、微笑(ほほえ)み合う。
     ことん、とカウンターの上にガラスのグラスが置かれた。小ぶりのグラスに「入れすぎちゃった」たっぷりの焼酎。透明感のある、角のとれた氷が使われていて、窓から射す光にきらきら輝いている。
     ああ。
     口に含んで、祥子は思わずため息をついた。
     芋の香りが強い、骨太の焼酎である。どのあたりに江戸を感じさせるのかはわからなかったが、素朴と言えば素朴と言えるかもしれない。〉

     製造元のホームページによれば、度数25度。薩摩(鹿児島)のとっておきの芋焼酎が目の前にあるような気分になってきます。そして、オーダーした肉丼です。

    〈「今、丼(どんぶり)、できますからね」
     先に、味噌(みそ)汁と小皿が運ばれてきた。皿には、ぽっちりの香の物、のりの佃煮(つくだに)、小さな冷や奴(やっこ)が盛られている。
    ──これは、つまみにありがたい。
     薄味の佃煮をなめながら飲んでいるところに、肉丼がやってきた。
    ──はわわわわ。
     声を出さないように、必死で抑えた。
     花開いている。薄切りの牛肉が丼の上に隙間(すきま)なく敷き詰められて、薔薇(ばら)のように花開いている。その上に、がりりと黒コショウがたっぷり。
     美しい。こんな美しい丼は初めて見た。
    「ご飯、少な目にしておきましたからね」
     これなら、白米と一緒に食べるだけでなく、酒のつまみにも十分なりそうだ。そのぐらい、肉が多い。
     牛肉といっても、ピンク色のローストビーフ丼的なものではない。薔薇色のタタキだった。
     まずは真ん中の黒コショウのたっぷりかかった一切れを口に入れ、芋焼酎を飲む。
    「ああ」
     今度はたまらず、声をもらしてしまった。
    ──褒めてやりたい。ここに決めた十数分前の自分を、力いっぱい抱きしめたい。〉

     しっかりと噛みごたえのあるタタキは、肉のうまさをダイレクトに感じさせる。そして、それがまた、焼酎によく合う。ビールでもいいけど、軽い酒だと受け止められなかったかもしれないなあ──と感じつつ祥子が再び丼に向かいます。おいしいものをさらにおいしく食べる方法、そしてそれがもたらすささやかな幸福感がこまやかに描かれていきます。

    〈祥子は次に、端の肉を注意深くよけた。肉の下にはキャベツの千切りが薄く敷いてある。それとご飯を箸でつまんで肉でくるんだ。
    ──肉の味が薄い分、たれに味がついているんだ。
     その甘めのたれも肉とご飯に合っていい。
     もう一口、肉でご飯をくるんで口に入れると、今度は焼酎を飲む。
    ──これもまたよし。〉

     店のママの声のかけ方が絶妙で、つい「今度は伊佐美をやはりロックで」と注文した祥子。サラリーマンが次々にやってきては肉丼を食べていくランチタイムにランチ酒を味わいながらもずっと気になっていたのは、昨夜から朝まで一緒だった横井華絵(よこい・はなえ)ちゃんのこと。

    〈しょうちゃんでよかった。
     昨夜、急に連絡が来て、新宿(しんじゅく)の託児所に迎えに行くと、三歳の横井華絵ちゃんは眠そうにそう言った。
     二十四時間営業の託児所の保育士たちも、もう祥子とは顔見知りで「よかったねえ。華ちゃん、祥ちゃん迎えに来てくれたよ」と抱いている彼女に声をかけた。
    「少し熱っっぽくて、夕飯を戻しちゃったの。子供用の風邪シロップだけ飲ませてあります」
     抱きとめた華絵ちゃんは熱くて軽くて、そして、責任は重かった。〉

     華絵ちゃんの母親は託児所の近くのキャバクラに勤めている。シングルマザーだが、その事情を聞いたことはない。ただ、熱があったり、ぐずったり、どうしても託児所に預けられなくて、他の誰にも頼めない時だけ、祥子の同級生の亀山太一(かめやま・たいち)が経営する「中野(なかの)お助け本舗」に連絡が来る。
     亀山の指示を受けた祥子は、新宿から華絵を抱いてタクシーに乗り、少し離れたところにある高層マンションまで連れて帰るのだ。場所は目黒区と品川区の境目あたり。何度か横井家に行ったことがあって、そこにはほとんど食べ物が置かれていないことを知っている祥子は、途中、コンビニの前でタクシーを止めてもらい、華絵を抱いて入った。スポーツ飲料とみかんゼリー、バニラアイス、レトルトのおかゆを買った。

    〈高層マンションの上層階の部屋に行き、預かっている鍵を使ってドアを開けた。子供部屋の小さなベッドに運んで横にさせると、寝かしつけるまでもなく華絵は眠ってしまった。祥子はその部屋の片隅に、壁を背にして座った。
     椅子はない。読書用の持ち運びできる電灯を持ってきていた。どんな場所でも待っている間、本を読めるように。〉

     本もいい、スマホもいい。しかし、絶対に寝るな。一晩中、起きていろ。社長の亀山から繰り返し、繰り返し言われていることだ。それが、祥子の仕事──深夜の見守り屋だ。

    〈「しょうちゃん?」
     暗闇から、小さな声が聞こえてきた。
    「華ちゃん?」
    「しょうちゃん、いる?」
    「ここにいるよ」
     すぐに華絵のベッドの横にひざまずいた。彼女はつぶらな瞳をこちらに向けている。
    「よかった」
    「なんか食べる? 飲む?」
     華絵は首を横に振ったが、祥子は彼女の身体を少し抱き起して、スポーツ飲料を飲ませてやった。
    「これでよくなるよ。ちゃんと飲んだら汗をかいて、朝になっておしっこしたら、熱が下がる」
     華絵ちゃんは少し笑った。
    「しょうちゃんはいいね」
    「どうして」
     肩まで毛布を掛けてやりながら聞いた。
    「いつも起きてるから。はなちゃんのママは寝ているよ。はなちゃんとたくじちょから帰ってからずっと」
    「ママはお仕事で疲れているからね」
     安心したように、すぐに寝入ってしまった華絵の顔を見ながら、亀山がにやりと笑った顔が見えた気がして、祥子は首を振る。〉

    「少しでも環境のいいところに住まわせたくて」と、仕事場に近い新宿区内ではなく、今の高層マンションに引っ越したという華絵ちゃんの母親。ちぐはぐだけど、必死の愛情をいつも感じた。だから、時にぶっきらぼうな態度を取られても、祥子は華絵の母親が好きだった。いつもより少し早めに帰ってきた母親と交代して、華絵ちゃんが起きるのを待たずに家を出たのだ。

     深夜、都会の片隅で繰り広げられる人間ドラマ。バツイチ、アラサー。愛する娘と離れてひとり暮らしの見守り屋が、行く先々でワケありの人と出会い、心を通わせていく。そして、夜勤明けにひとり浸るランチ酒の至福。かけがえのない時が刻まれていく短編集──連作短編として話が少し前後することもありますが、気に入った街、気になるランチメニューから読んでいくのも面白いかもしれません。(2018/2/2)
    • 参考になった 2
    投稿日:2018年02月02日
  •  太陽の光を燦々とうける山手の家々。華やかな元町の商店街。港の見える丘公園。日ノ出町駅界隈の路地裏。「労働者の街」と呼ばれ周囲から断絶されたドヤ街。野毛の動物園。ランドマークタワー。コスモワールドの大観覧車。ヨットの帆のような可愛らしい形状のホテル。そして、桜の花びらが雪のように舞う山手の丘の春の匂い。
     横浜に生まれ、横浜の名門高校野球部で甲子園を目指し、後に小説を書くようになった若い作家が横浜の景色のなかに描き込んだ少女の“穢れなき日々”――早見和真『イノセント・デイズ』が発する熱量に圧倒された。忘れられない作品になった。2008年『ひゃくはち』(集英社文庫、2014年8月22日配信)で作家デビュー。2014年発表の本作で2015年、第68回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞。1977年生まれ、40歳の実力派だ。

     3月30日午前1時頃、JR横浜線中山駅近くの木造アパートで火の手が上がり、焼け跡から三人の焼死体が発見された。2階の角部屋から無残な姿で運び出されたのは井上美香さん(26歳)と、彩音ちゃん、蓮音ちゃんの一歳の双子の姉妹。美香さんのお腹には8か月になる胎児もいた。一家の主・敬介さん(27歳)は勤め先の介護付き老人ホームに夜勤で出ていて難を逃れたが、2年前に別れた元恋人・田中幸乃(24歳)が逮捕され、放火殺人の罪に問われた裁判員裁判で死刑判決を受けた。そして確定死刑囚として東京拘置所で6年間を生きてきた彼女に訪れた“特別な朝” ──。
     物語冒頭、書き出しが秀逸だ。

    〈その朝、季節が動いたことを実感した。
     東京拘置所、南舎房の単独室。巡視廊(じゅんしろう)越しの磨(す)りガラスに穏やかな青が透けて見える。ルーバーからかすかに差し込む陽はすっかり和らぎ、セミの鳴き声もいつからか地を這(は)う虫のものに変わっていた。
     田中幸乃は畳の上に正座し、小さく息を吐き出した。
     テーブルの上にスケッチブックを広げ、外の景色を想像する。しかし、なぜかいつものように集中できず、うまく思い浮かべることができない。(中略)
     書棚の下段に封筒が一つ倒れていた。担当の弁護士を通じ、支援者からもらった手紙はこれまで三百通を下らない。すべてに目を通してきたが、心が揺れることはなかったし、ましてや決意は揺らがなかった。
     ただ、その中に一人だけ、心に変化をもたらす者がいた。まるで定規で線を引いたかのような几帳面(きちょうめん)な文字に、無機質な茶封筒。「絶対に」という言葉が頻出する彼からの手紙は、必ず幸乃の心を揺さぶった。
     倒れていたのは、春先に送られて来た彼からの手紙だ。横浜・山手(やまて)は桜が満開だということを伝える文面に抗(あらが)いようのない懐(なつ)かしさを感じ、同時にひどく動揺したことを覚えている。
     そのときに最初で最後の返信を綴(つづ)った。うららかな春の陽が磨りガラス越しに差し込んでいた日のことを思い出しながら、幸乃は唇を噛(か)みしめた。
     廊下から折り重なるような足音が聞こえてきたのは、そのときだ。〈9時7分〉というデジタル時計の表示が目に入る。足音の中に聞き覚えのないものが混ざっていると悟ったとき、全身の筋肉が硬直した。
     足音は部屋の前で止(や)んだ。
    「1204番、出房しなさい」
     女性刑務官は毅然(きぜん)と言いながらも、目を赤く潤(うる)ませている。話をする機会のあった唯一(ゆいいつ)の刑務官だ。そう年齢の変わらない彼女に申し訳ないという思いが真っ先に湧(わ)いて、幸乃は逃げるように視線を逸(そ)らした。卓上のカレンダーを視界に捉(とら)えた。
     九月十五日、木曜日──。その日付に運命など感じない。長かった、あまりにも長すぎた生涯にようやく幕を下ろせるのだ。六年間、ずっと待ち望んでいた日だ。
     読んでいた便せんを封筒に戻そうとした。中から桃色の紙片が舞い落ちた。拾い上げ、目の高さに掲げてみる。紙切れと思ったものは、蝋(ろう)でうすくコーティングされた桜の花びらだった。
     春の香りが鼻先をくすぐった。錯覚という意識はなかった。それは拘置所に入ってからの六年間、どれだけ思いを巡らせてもついに感じることのできなかった外の匂いだ。
     再び向き合った磨りガラスの向こうに、今度は鮮やかな景色を思い描けた。季節も、場所もずっと遠い。わずか十メートルほど先の隔てられた外の世界に、菜の花に囲まれた満開の桜の大木が揺れている。
     いつの間にか乱れていた呼吸を、幸乃は懸命に整えようとした。
     お願いだから静かに逝(い)かせて──。〉

     死刑宣告から6年間、ずっと待ち望んでいた朝──田中幸乃は〈お願いだから静かに逝かせて〉と見えない誰かに懇願する。
     彼女はなぜ、死を願うのか。そもそも、なぜ、死刑囚となったのか──。

     続く〈プロローグ 「主文、被告人を──」〉は、裁判傍聴マニアで就活中の女子学生の視点で綴られます。
     私生児として出生した過去や、その母が17歳のホステスであったこと。養父から受けていた虐待に、中学時代に足を踏み入れた不良グループ、強盗致傷事件を起こして児童自立支援施設に入所していたという事実。そして出所後に更生し、真っ当な道を歩み始めたかに見えたものの、最愛の人との別れを機に再びモンスターと化していった経緯が書きたてられ、事件を伝えるマスメディアは「身勝手な理由で母子三人を焼き殺した整形シンデレラ」とセンセーショナルな断罪一色だった。しかし女子学生は判決を聞き終えた幸乃が見せた表情、行動に報道や世の中の反応との違和感を感じ取ります。

    〈「主文、被告人を──」
     それまでよりも一段高い声が法廷内に轟(とどろ)いた。
    「死刑に処する!」
    一寸の間もなく、今度は二十名近い記者が一斉に立ち上がった。椅子の音が鳴り響く。彼らの出ていった扉の向こうで「死刑、死刑、死刑!」「バカヤロー、違うよ」「整形シンデレラ、死刑だって!」という叫び声が飛び交っている。
     裁判長が存在を知らしめるように咳払(せきばら)いした。
    「願わくは、被告人が心の平穏を得んことを……」
     最後にそう締めくくろうとしたとき、法廷内の空気がかすかに緩んだ。何人かの傍聴人はすぐに席を立とうとしたが、私は身動きが取れなかった。いつものような高揚感を抱けず、普段の自分が何をおもしろがっていたのかも思い出せない。
     このとき胸にあったのは違和感だった。これまで見てきた法廷とは決定的に何かが違った。でも、その正体がつかめない。
     一瞬の静寂を縫うようにして、弱々しい声が耳を打った。
    「も、も、申し訳ありませんでした」
     声に気づいた数人がゆっくりと振り返る。
    「う、生まれてきて、す、す、すみませんでした」
     そう続けた幸乃から、裁判長は視線を逸らした。目頭を拭(ぬぐ)う裁判員が何人かいた。検事の一人は肩を揉(も)みほぐし、弁護人たちは力なくうなずき合った。裁判は幕を閉じようとしていた。
     さらなる異変があったのは、そのときだ。再び手に捕縄をかけられた幸乃が、引き寄せられるように傍聴席を振り向いた。
     私はあわてて幸乃が見つめる相手を探した。大きなマスクをした若い男がうつむいている。その横にはテレビで目撃証言を語っていた老婆と金髪の少年が、後方では被害者の写真を持った遺族らしき女性が大きく目を見開いている。
     幸乃が誰を見たのかはわからない。ただすべての事象を疑うような瞳の奥に、ふっと人間味が宿ったのは間違いない。それを証明するように、幸乃は直後に笑みを浮かべた。(中略)
     ・・・・・・幸乃は静かに法廷を去っていく。その背中に、私は懸命に問いかけた。ねぇ、あなたはどうしてそこにいるの──? その理由が裁判で解き明かされたとは思えなかった。〉

     大学卒業後、刑務官になる〈私〉の胸にあった違和感の正体──それは幸乃が自分の人生をいっさい弁解していないこと、何ひとつ抗おうとしていないことだった。
     自ら死を求めるかのような少女。田中幸乃のこれまでの人生に、そしてこれから始まる日々に思いを馳せずにはいられません。物語序盤でいきなり心をわしづかみにされ、ページをめくるスピードが高まっていく。

     プロローグの後、裁判官が読み上げる判決理由の骨子をそのまま章立てとする構成で物語が進んでいきます。
     第一章「覚悟のない十七歳の母のもと──」
     第二章「養父からの激しい暴力にさらされて──」
     第三章「中学時代には強盗致傷事件を──」
     第四章「罪なき過去の交際相手を──」
     第五章「その計画性と深い殺意を考えれば──」
     第六章「反省の様子はほとんど見られず──」
     第七章「証拠の信頼性は極めて高く──」
     エピローグ「死刑に処する──」

     そして、流布されていた「稀代の悪女」説に違和感を感じ、疑問を抱く人が少なからずいることが丁寧に綴られ、別の視点から見えてくる事件の輪郭が形づくられていく。たとえば日ノ出町の路地裏にある丹下産婦人科医院の院長・丹下建生は死刑判決のニュースに接した時、20年以上前の記憶が呼び覚まされ、彼の前で〈私がこの子を絶対に守る。だから先生、診ていただけますね〉と言った17歳の少女ヒカルの覚悟に思いを馳せる。幸乃を生んだのはけっして、〈覚悟のない十七歳の母〉ではなかった。

     章が進むにつれ、〈彼女はなぜ、死刑囚となったのか〉との思いはさらに強くなっていきます。これは冤罪なのではないか。死刑執行まで残された時間は少ないかもしれないが、きっと回避されるにちがいない、救いたい。そんな思いがどんどん強くなってきた終盤。思いもよらないクライマックスが待っています。
     推理作家協会賞選考委員の間で「あまりにも救いがない」という評もあったそうですが、田中幸乃に寄り添う作者の一途さが胸を打つ。著者はあるインタビューで、大学時代に好きな金城一紀の直木賞受賞作『GO』(角川文庫、2013年4月12日配信)やノーベル文学賞受賞作家ガルシア・マルケスの『百年の孤独』を手描きで書き写したと語っていますが、早見和真のこの集中力は野球部時代に鍛えられたものなのでしょうか。作品に漲る熱量が読むものを圧倒する。いま最も注目される作家のひとりが到達した新境地をじっくり味わっていただきたい。(2018/1/26)
    • 参考になった 2
    投稿日:2018年01月26日
  •  どこからどう見ても茶番劇である。
     安倍晋三首相の「腹心の友」が掴み取った獣医学部新設。昨2017年7月の衆議院閉会中審査で、「腹心の友」加計孝太郎理事長との関係を問われた安倍首相は「今治市の獣医学部が加計学園だと知ったのは2017年1月20日」と答弁しました。
     首相肝いりの国家戦略特区での認可がヤマ場を迎えた2016年1年間だけでも安倍首相と加計孝太郎理事長は7回も食事もしくはゴルフを共にしていたという厳然たる事実(詳細は後述)があります。それにもかかわらず二人の間で獣医学部新設問題が話題に上ったことは一度もなかったと安倍首相は言い張ったのです!
     1年の間に7回も会食やゴルフを繰り返しながら加計理事長が13年以上にわたって取り組んできた宿願の獣医学部新設が話題にすらならなかったというのは、どう考えても不自然だ。誰が聞いても嘘とわかること──作り話ではなかったか。
     国会で追及された安倍首相は食事代、ゴルフ代を自分が持つこともあれば、加計理事長が払うこともあったと認めてしまった。もしその場で獣医学部の件を話し合っていたとしたら「供応」になってしまいます。安倍首相には国家戦略特区に関する決定権限があるのだ。そのため獣医学部の問題が話題になっていたとは口が裂けても認めるわけにはいかず、苦し紛れの弁明でごまかそうとしたのです。もはや国会の場で演じられた茶番劇と言うほかない。

     日本の最高権力者と腹心の友を深い闇が包み込んでいる。その闇に分け入り、徹底取材によって加計疑惑の核心に迫る森功の新著『悪だくみ』(文藝春秋、2017年12月15日配信)が、面白い。悪巧みの中心にいるのは言うまでもなく、安倍首相と加計理事長の二人です。リラックスしてソファーにもたれ、ワイングラスを手に持ち、ポーズを決めている二人が写るブックカバーのカラー写真からは「悪巧み」が匂い立ってくるようです。この写真、もともとは安倍昭恵夫人がフェイスブックになぜか、「男たちの悪巧み」と題してアップしていた2015年クリスマスイブパーティのときのもの。
     昨年7月末に逮捕された森友学園の籠池夫妻は、保釈が許されずに勾留されたまま2018年を迎えました。その森友とセットで「モリ・カケ疑惑」と呼ばれる加計学園問題は、表面化したのが森友の後だったことからマスメディアは「第二の森友」と騒ぎ立てたが、実は加計の方が安倍首相との関係は長く、深い。むしろ、森友を「第二の加計」と呼ぶべきなのだと、著者の森功は指摘する。第一章「第二の加計学園」から引用します。

    〈昭恵の(瑞穂の國記念小學院)名誉校長就任には、前段がある。昭恵を名誉校長として迎え入れようという発想は、籠池独自の発案ではない。日頃から各種団体の講演やゲストに招かれ、どこへでも出向く昭恵は、森友以外にも学校法人の名誉職を引き受けてきた。その一つが、兵庫県神戸市に開園した加計学園グループ「御影インターナショナルこども園」である。
    「小学校を開設されるなら、すごくよい教育をしている学校があるから、見学に行ってみてはどうですか」
     瑞穂の國記念小學院の名誉校長を引き受けるにあたり、昭恵は森友学園理事長の籠池をそう誘った。自らが名誉園長としてさまざまな行事に参加してきた加計学園の御影インターナショナルこども園を手本にするよう、籠池に示唆したといえる。
     そしてこの年の十月十四日、籠池は夫人の諄子(じゅんこ)や長女の町浪(ちなみ)を引き連れ、御影こども園を視察に訪れた。
    「お金儲けばかり考えている雰囲気やった」
     驚いたことに、視察後、籠池の妻諄子が、そう昭恵にメールを送っていたことまでのちに明らかになる。馴れ馴れしく鼻っ柱の強い詢子らしい逸話でもある。(中略)
     加計学園の獣医学部開設が問題になったとき、マスメディアは「第二の森友」と騒ぎ立てた。繰り返すまでもなくその理由は、森友学園の瑞穂の國記念小學院と同じく、昭恵が加計学園の御影こども園の名誉園長になっていたからにほかならない。しかし順序から言えば、それは逆である。森友学園の籠池は、加計学園を真似て、昭恵を新設小学校の名誉校長に据えようとしたに過ぎない。
     またそれだけではない。籠池夫妻が御影こども園の視察をした翌一六年二月十三日のことだ。
    「英数学館小学校も見に行かれたらいいですよ」
     安倍昭恵は籠池に電話し、広島県福山市の「広島加計学園英数学館小学校」を見学するよう薦めた。実際、籠池ファミリーは電話から二日後の十五日、広島まで出向いて小学校を視察している。
     加計学園の存在は、巷でいわれてきたような「第二の森友」というより、むしろ森友を「第二の加計」と呼ぶほうがふさわしい。安倍政権を追いつめた二つの疑惑には、あまりに共通点が多い。〉

     共通点も多いが、決定的な違いがある。安倍昭恵夫人の薦めなどがあって加計学園の後を追いかけた森友の籠池夫妻は塀の中に勾留され、真似をされた加計理事長は4月獣医学部開校のカウントダウンに入った。安倍首相と一面識もなかった籠池泰典元理事長とヤマ場の年に7回も酒食などを共にする加計孝太郎理事長の運命の分かれ道──二人の“接触”の記録を本書に沿ってなぞってみよう。第二次安倍政権が発足した明くる2013年以降、二人の名前が出てくる全国紙の首相動静を拾い上げたものです。
    [2013年]
    (1)11月18日午後6時33分、東京赤坂の日本料理店「佐藤」にて加計孝太郎学校法人加計学園理事長らと食事。
    [2014年]
    (1)6月17日午後6時30分、東京・芝公園のフランス料理店「クレッセント」にて三井住友銀行の高橋精一郎副頭取、学校法人加計学園の加計孝太郎理事長らと食事。
    (2)12月18日午後7時4分、東京・銀座の中国料理店「飛雁閣」にて高橋精一郎三井住友銀行副頭取、加計学園の加計孝太郎理事長と食事。
    (3)12月21日午後6時55分、東京・赤坂の日本料理店「燻」にて昭恵夫人、加計孝太郎学校法人加計学園理事長らと食事。
    [2015年]
    (1)8月15日午後5時40分、山梨県鳴沢村の別荘にて高橋精一郎三井住友銀行副頭取、加計孝太郎学校法人加計学園理事長、本田悦朗内閣官房参与らと食事。
    (2)8月16日午前7時、山梨県富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」にて高橋精一郎三井住友銀行副頭取、加計孝太郎学校法人加計学園理事長、本田悦朗内閣官房参与とゴルフ。
    (3)9月21日午前7時57分、山梨県鳴沢村の「鳴沢ゴルフ倶楽部」にて加計学園の加計孝太郎理事長、友人、秘書官とゴルフ。
    [2016年]
    (1)3月18日午後6時36分、東京・赤坂の日本料理店「佐藤」にて高橋精一郎三井住友銀行副頭取、加計孝太郎学校法人加計学園理事長と食事。
    (2)7月21日午後6時25分、山梨県富士河口湖町の焼き肉店「鉄庵」にて渋谷耕一リッキービジネスソリューション社長、加計孝太郎学校法人加計学園理事長と食事。
    (3)7月22日午前7時19分、山梨県山中湖村の「富士ゴルフコース」にて渋谷耕一リッキービジネスソリューション社長、加計孝太郎学校法人加計学園理事長らとゴルフ。
    (4)8月10日午後6時21分、山梨県富士河口湖町の居酒屋「漁」にて加計孝太郎学校法人加計学園理事長、秘書官らと食事。
    (5)8月11日午前6時42分、山梨県山中湖村のゴルフ場「富士ゴルフコース」にて高橋精一郎三井住友銀行副頭取、加計孝太郎学校法人加計学園理事長らとゴルフ。
    (6)10月2日午後6時、東京・宇田川町の焼き肉店「ゆうじ」にて高橋精一郎三井住友銀行副頭取、増岡聡一郎鉄鋼ビルディング専務、加計孝太郎学校法人加計学園理事長らと食事。同席昭恵夫人。
    (7)12月24日午後6時2分、東京・丸の内の鉄鋼ビルディング南館内のエグゼクティブラウンジにて高橋精一郎三井住友銀行副頭取、加計孝太郎学校法人加計学園理事長、昭恵夫人らと食事。(いずれも肩書は当時のもの)

     著者の森功は〈全国紙の首相動静で確認できただけでも、二人は今治市の国家戦略特区構想が大詰めを迎えた一六年一年間に七回も膝を交え、語り合っている〉とまとめているのですが、2014年3回、2015年3回だったのが、認可問題がヤマ場を迎えた2016年になると7回に倍増しているのです。申請の話はしていないと言い張る安倍首相の言葉を信じろというのは無理があると思うのが普通だろう。

     疑惑が発覚して以降、一切の説明を拒んで沈黙を続けてきた加計理事長は2017年11月10日、文科省の答申を受けて「本日、13年以上にわたって構想実現に取り組み、愛媛県、今治市とともに構造改革特区で15回、国家戦略特区で1回の計16回に及ぶ申請の結果、ようやく岡山理科大学獣医学部に係る答申が文部科学省より発表されました。(中略)獣医学部設置を発想してから、紆余(うよ)曲折を経て、今回の答申にようやくたどり着きました」とコメントしました。
     確かに長い道のりでした。加計学園にとって獣医学部は計16回の申請を重ねた今治以前の前史があったと本書は明かしています。2001(平成13)年秋に加計学園の東京進出の橋頭堡となる千葉科学大学構想(千葉県銚子市)が動き始めますが、構想には当初獣医水産学部が含まれていました。結果的には薬学部、危機管理学部の2学部でスタートするのですが、獣医学部新設はこの時から加計理事長が抱き続けてきた野望でした。そして加計孝太郎による学校法人経営の歩みに寄り添うかのように、安倍晋三の足跡が、くっきりと刻まれている──筆者はそう指摘しています。

     なぜ、獣医学部なのか。〈第五章 政治とビジネス「商魂」〉より引用します。

    〈岡山理大のオープンキャンパスで配られていた獣医学部のチラシを見ると、そこには初年度の入学金や授業料が掲載されていた。獣医学科の入学金が二十二万円、年間授業料が百五十万円、そこに実験実習費の二十八万円と施設整備費の五十万円が加わり、合計二百五十万円となっている。定員百六十名(引用者注:最終申請では定員を140名に縮小)としているので、初年度に限っても四億円が大学の収入となる。二年目からは入学金がかからないが、授業料などで一人当たり二百四十三万六千円となっている。仮に六年生まで学生が埋まれば、年間十九億四千八百八十万円、トータルでざっと二十三億円が大学に転がり込む計算になる。
     また、獣医学科のほか定員六十人の獣医保健看護学科も併設されるので、こちらの初年度の授業料などが百五十三万円。同じように計算すると、加計学園には初年度九千百八十万円、四年生まで埋まると年間三億五千六百四十万円の収入となる。二つの学科を合わせると、年間収入は実に二十七億円に上るのである。〉

    “正規の学費”だけで年間27億円が見込まれるというわけですが、実は入ってくるのはそれだけではないという。筆者は、日本獣医師会顧問の北村直人(元自民党代議士)の解説によって大学ビジネスの実情に迫ります。

    〈「受験生はまず既存の十六大学を目指すでしょう。そこで引っかからなかったら、加計へ行く。仮に定員が計画どおりの百六十人だとすれば、法律上半分の八十人を推薦枠で入学させることができます。その場合、入学希望者に寄付金を持ちかけるのではないでしょうか。獣医学部に行かせるような家庭は裕福でしょうから、一人三千万円くらいの寄付を集めるのも、それほど難しくはない。寄付する側は、そのほとんどが税控除の対象になるので、節税効果もあります。で、三千万円を八十人から集めると、それだけで二十四億円。補欠合格という形で、あとから寄付金を募る手もありますので、かなりの金額が加計さんのポケットに入ることになるでしょうね」
     おまけにそこへ国からの私学助成も加わる。加計学園でなくとも、私学にとって獣医学部が垂涎の的になるはずだ。〉

     4月の開校を待つ今治市の獣医学部キャンパス。192億円という巨大な資金が投じられ、その半分が血税で賄われています。
    〈加計学園問題の本質は、忖度政治ではない。教育の自由化や特区という新たな行政システムを利用した権力の私物化、安倍をとりまく人間たちの政治とカネにまつわる疑惑である。〉
     著者の森功は『悪だくみ』をこう締めくくっています。
     加計学園からパーティ券代という名の裏献金を受け取っていた元文科大臣の下村博文代議士とその妻、落選中は千葉科学大学客員教授を務め、後に首相補佐官として国家戦略特区の獣医学部新設を強力に押し進めた萩生田光一代議士、そして安倍昭恵夫人。安倍首相と加計孝太郎理事長を取り巻く人間たちがはたした役割とはなんだったのか。

     1月22日に通常国会が始まります。しかし政府与党からは森友のモも、加計のカも出てきません。野党が真っ先に奮闘すべきは、「アベ友」への利益誘導を図る権力の私物化の徹底解明である。「モリ・カケ疑惑」を忘れさせようとする、いかなる策略も許してはならない──強い思いに貫かれた調査報道の好著をいまこそお読みいただきたい。(2018/1/19)
    • 参考になった 2
    投稿日:2018年01月19日
  • 〈雪なんか降らなくても完璧な、三十二年間で最高のクリスマスだった。〉

     クリスマスの夜に読み始めた有川浩『キャロリング』のラスト一文を読み終えたのは、2017年最後の夜でした。
     ともに32歳の二人の主人公――大和俊介(やまと・しゅんすけ)と折原柊子(おりはら・とうこ)に訪れた「奇跡のクリスマス」で物語が終わります。読む前から結末がわかってしまう「ネタバレ」、読む楽しみが減ると文句を言われそうですが、あえてラスト一文からこの原稿を書き始めました。この一文に「有川浩らしさ」が凝縮されていて、それを知りわかったうえで読んでこそ、この物語の味わいは一層深まると思うからです。文芸評論から出発して時事・政治・社会まで多彩な才を発揮している評論家の斎藤美奈子氏は『名作うしろ読み』(中公文庫)で「お尻がわかったくらいで興味が半減する本など、最初からたいした価値はないのである」と喝破しています。

    〈こちらを向いた銃口にはまるで現実感がなかった。〉
     と始まる物語の書き出しは、ラスト一文とはまるで違い、ハードボイルドの世界です。何が始まるのか──思わず息を呑むプロローグ。こう続きます。

    〈自分の人生に銃を向けられるようなことが発生するわけがない。──これまで積み重ねてきた彼の常識がその状況を夢の中の景色のように補整した。
     思わず手を動かして向けられた銃を脇へ押しのけようとしたのは、あまりに非常識な状況を、とっさに飲み込むことができなかったのかもしれない。よせよと悪い冗談でもたしなめるように、手は無造作に、無意識に動こうとした。
     銃口と一緒にこちらを睨(にら)む荒(すさ)んだ目が針のように細くなった。
     言葉はなかった。
     銃を向ける男は一度狙(ねら)いをよそに外して、黙って引き金を引いた。消音器がついているのか音は籠(こ)もった。だが、説得力のある破裂音が現実感を一気に追い着かせた。
    「不用意なことをするなよ」
     男は平坦な声で咎(とが)めた。引き金を引いたことによる何の動揺も興奮もなかった。男にとって、それは日常ありふれた動作の一つに過ぎないのだ。〉

     銃口を向けられているのは大和俊介。銃口は、いつ火を噴くのか。引き金はそれを引くことが何ら非日常でない者の指にかかっています。それでも、男の恫喝にハイ分かりましたと従いたくなかった大和──。

    〈「その子はうちで預かった子だ。俺はその子を守る義務がある」
     は! と男が声を上げて笑った。高く弾(はじ)けた笑い声には、響きと裏腹な感情が獰猛(どうもう)に渦巻いている。
    「キレイな御託をありがとう──よ!」
     暴力は突然爆発した。男は彼に向かって一歩踏み込み、銃把(じゅうは)で彼の横っ面を強(したた)かに殴りつけた。よろめいたところに真上からまた殴打が重ねられる。たまらず地べたに潰(つぶ)れた。
    「さぞやいいお育ちなんだろうな! たとえ銃を突きつけられても、曲がったことはできませんってか!? 脅しに屈するくらいなら死を選びますってか!?」
     言葉に一つ息を入れるごとに男が靴先を蹴り込む。蹴り込まれるたびに息が止まる。
    「やめてよ死んじゃうよ!」
     少年が涙声で叫ぶ。
    「逆らわないでよ大和(やまと)! 謝って!」
     ……うっせぇ、と口の中で吐き捨てる。ガキのくせに大人を、
    「呼び捨てすんなって言っただろ! しばくぞ!」
    「しばかれてンのはお前だよッ……!」
     靴先が鳩尾(みぞおち)に入った。体が勝手にくの字に折れ曲がる。
     彼の頭の真横に男が膝を突いた、と思うや男は彼の髪を掴(つか)んで上体を引き起こした。
    「こんな状況でキレイな意地を張れるくらい恵まれた育ち方してきたんだろ? そこのガキも」
     男がぐるりと頭を巡らせて少年を見る。少年が眼差しに射られたように竦(すく)んだ。(中略)
     男の荒んだ目は、言葉を重ねながらますます荒んだ。この目には覚えがある。──遠い昔、鏡を見ると毎日この目が見返してきた。
     ああ、そうか。──この男は俺だ。
     あの目のままで大きくなった俺だ。
     かわいそうにな、と口からこぼれ落ちていた。
     聞き咎めた男の顔色が変わる。
    「今、何て言った」〉

     涙声で叫ぶ少年は、東京月島の集合ビルに事務所を構える小規模子供服メーカー「エンジェル・メーカー」が3年前に始めた「スクール」事業──学童保育に通う田所航平(たどころ・こうへい)、小学校6年生。
     航平の眼前で荒んだ目の男の爆発する暴力に晒されている大和俊介は「エンジェル・メーカー」の営業担当社員です。
     わずか5名の会社ですが、廉価でセミオーダー服のシリーズを取り揃えるなど、小規模ならではの小回りで厳しい業界を生き抜いてきました。しかし、主要取引先である大型量販店の閉店で経営に打撃を受けて、その回復が叶わないまま年越しを待たずに倒産することになった。12月の朝礼で社長の西山英代(にしやま・ひでよ)が、〈今月の締め日を以て廃業〉することを明かしてぺこりと頭を下げた。毎月の締め日は25日。クリスマス倒産というわけですが、倒産で大和は職を失い、航平の学童保育も終わります。

    〈「かわいそうにな、と言った」
     どうやら引っ込みがつかなくなったうえにうっかり口を滑らせて死ぬルートだ。
    「お前には不幸の比べっこしても仕方ないでしょって言ってくれる人がいなかったんだな」
    「……分かった」
     男の表情が削(そ)げ落ちた。
    「お前は今死ね」
     大和俊介(しゅんすけ)、享年三十二──墓碑銘どうする?
     男は思いつくまで待つつもりはないようだった。〉

     事の発端は、航平です。航平の両親は別居中。日本橋に本社を置くステラ化粧品でバリバリ働くキャリアママは年明けにはハワイへの転勤が決まっています。同じ会社でうだつが上がらなかった父親は横浜の実家に戻り、会社も辞めます。
     学童保育の時、航平がノートを広げて黙々と何か書いている──自身を主人公に描く家族の物語だ。

    〈町の中の小さなおうちに、三人家族が住んでいました。
     働き者のお母さんと、のんびりやのお父さんと、一人息子のわたるです。
    三人家族は笑ったりけんかしたりしながら、毎日仲良くくらしていました。
     そんなある日の夜、お父さんとお母さんがひどいけんかになりました。
     でも、朝になったらきっと仲直りしているだろうと思って、わたるは先に眠ってしまいました。今までも家族でちょっとしたけんかになるのはよくあることだったからです。
     ですが、わたるが朝起きると、お父さんがいなくなっていました。
     夕べのけんかの後、お父さんは家を出て行ってしまったのです。
     ……〉

     青天の霹靂(へきれき)だった。両親には離婚などせずにやり直して欲しい。お父さんに会いに行こうと決心する航平。その航平に懇願されて父親のいる横浜の整骨院に連れて行くことになったのが、同僚で大和の元恋人の折原柊子です。
     母親の承諾を得ないまま、会社には英会話教室の付き添いと偽った。月島で地下鉄に乗り、JRを乗り継いで桜木町へ。紅葉坂を歩いて整骨院に着いた二人は思いがけない場面に遭遇します。

    〈「ふざけんな!」
     身の竦(すく)むような胴間声が鼓膜を打った。
     柊子がびっくりするほどすばやく前に出て、航平を抱え込むように背中に庇(かば)った。
    「死んだじいさんの借金なんだよ! 孫のお前が返すのが筋ってもんだろうが!」
     受付で怒鳴っているのは、品のないスーツを着崩した輪郭の四角い男だ。一見して堅気でないと分かる風貌(ふうぼう)だった。
    「おいおい」
     止めに入ったのは、着崩してはいないがやはり普通のサラリーマンが選ばない色柄のスーツを着た男である。鋭角なデザインの眼鏡フレームが、情の薄そうな顔立ちを際立たせていた。
    「そんな下品な声を張り上げるもんじゃない。お客がびっくりしてるじゃないか」〉

     女性院長の祖父に金を貸したという二人組が取り立てに来て、受付前で暴れているところに飛び込んでしまったのです。年明けのハワイへの引っ越し前に両親に仲直りして欲しい航平の横浜行きに柊子だけでなく大和も加わりますが、暴力的な借金取りを装う二人組と出会ったことから、彼らはまったく思いもしなかった事件に巻き込まれていきます。

     後20日。後14日。後7日・・・・・・
     会社のホワイトボードに手書きされたエンジェル・メーカー終焉の日までのカウントダウンが進んでいく。
    〈俺たちは恵まれてないんだから恵まれてる奴からちょっとくらい横取りしてもいいはずだ〉
     荒んだ目は、言葉を重ねながらますます荒んでいく。
     それに対し〈不幸の比べっこをしても仕方ない〉と知って自分だけが割を食っていると荒んだ目を過去のものとした大和が航平、航平の父とともに絶体絶命の危機に直面させられている。そして別室に捕らわれている柊子も。

    〈赤木さんがわたしのために手を汚したら苦しい〉
     の一文が胸に刺さります。
     大事な人を思うまっすぐな気持、そしてそれを伝える言葉が氷のように固く閉ざされた心を溶かしていく奇跡──有川浩が描く感動の物語をじっくり味わってください。
    (2018/1/12)
    • 参考になった 2
    投稿日:2018年01月12日
  • 〈「裁判傍聴業」を自認していた作家・佐木隆三さんはもういません。第2弾はいつか。待っています。〉
     第1弾の『母さんごめん、もう無理だ きょうも傍聴席にいます』(幻冬舎、2016年3月9日配信)を紹介するレビューの最終行に期待を込めて書き留めて(2016年5月13日公開)1年半。待望の第2弾『きょうも傍聴席にいます』(幻冬舎新書)が2017年11月末にリリースされました。朝日新聞デジタルの連載「きょうも傍聴席にいます」2016年2月~2017年7月掲載分28作が収録された。執筆は「朝日新聞社会部」とありますが、大半は入社10年未満の若手記者です。。
     三橋麻子・社会部次長は、
    〈いわゆる「駆け出し」だ。私は全作の記事の監修をしたが、若手だからこそより新鮮で自由な感覚で表現し、それがまたこの連載の魅力になっている〉
     “駆け出し記者”だからこその魅力を本書「あとがき」で強調しています。

     巻頭収録の「絶対君主が支配する虐待の家」は、〈今回掲載した傍聴記のうち、特に多くのアクセスを集めたものの一つ〉だと、三橋次長の「あとがき」にあります。
     光黒祥吾記者の傍聴記は、以下のリード文で始まります。

    〈「絶対君主」。自らそう名乗る祖母と、付き従う母。二人の10年以上続く壮絶な虐待に、女子高生は殺害を決意した。計画を打ち明けられた姉がとった行動は──。〉

     2016年2月23日、札幌地裁806号法廷。
     母と祖母を殺した三女(18)を、睡眠導入剤や手袋を用意して手助けしたという殺人幇助の罪で起訴された長女(24)が証言台に立った――。

     事件現場は、札幌市中心部から東に約25キロ、北海道南幌町の閑静な住宅街。
     姉妹は祖母と母との4人暮らしだった。両親は10年ほど前に離婚。次女は父と暮らしていた。祖母と母は幼いころから三女を虐待し続けてきた。長女は祖母に従順という理由で、虐待を受けることはほとんどなかった。そんななかで、孫(娘)が祖母(母)を殺すという凄惨な事件は起きた。
     2014年10月1日午前0時半。当時高校2年生だった三女は自宅で就寝中の母(47)と祖母(71)を台所にあった包丁で刺して殺害した。二人の遺体には多数の刺し傷があった。三女は殺害後、家を荒らし、強盗による犯行に見せかけていた。

     裁判員の前で弁護人の被告人質問に答えた長女の証言――。
    〈弁護人「(三女は)祖母と母が嫌いだったのですか」
     長女「はい。祖母に暴力を振るわれ、母はそれをただ見ているだけでした」
     弁護人「どんなことをすると祖母は暴力を振るうのですか」
     長女「家の中を歩いていたら、突然たたかれていました」
     弁護人「祖母は三女を嫌いだったのですか」
     長女「『子どもは一人でいい』と言われていました。『犬猫みたいで嫌だ』とも」
     弁護人「暴力を振るわれて、(三女が)泣いたりすると祖母はどうしましたか」
     長女「うるさいと言って、声が出ないようにガムテープを口に巻きました。涙でテープがぐちゃぐちゃになってとれそうになると、口から頭にも巻き付けていました。鼻が少し出るか出ないかくらいの状態でした」〉

     三女は小学校に上がる前の2004年2月、児童相談所に一時保護されたことがあります。祖母に足を引っかけられ、頭に重傷を負い、児童相談所が「虐待の疑いがある」と判断したのですが、しかし、解決に至らなかったばかりか、三女に対する虐待がエスカレートする。

    〈弁護人「方法が変わったのですか」
     長女「床下の収納部分に閉じ込められたり、冬でも裸で外に出されたりして水をかけられていました」

     2月24日、裁判官からも虐待の内容を問われた。

    裁判官「今まで見た妹の虐待で一番ひどいのは」
     長女「食事が一番印象に残っています」
     裁判官「どのような」
     長女「小麦粉を焼いて、マヨネーズをかけて、生ゴミを載せられていました。はき出しても、無理やり口に入れられて、食べさせられていました」
     裁判官「生ゴミというのは、台所の三角コーナーにあるようなものですか」
     長女「台所の排水のところにあるものです。柿やリンゴの皮やへた、お茶の葉が多かったです」〉

     そして、交際する男性と札幌で暮らしたいと考えるようになった長女が、「家を出る」ことを三女に伝え、ひとり祖母と母の元に残される三女にとってはそれが直接的な動機となった。
     検察官によって読み上げられた供述調書に、三女の胸中がうかがえます。どうすれば一緒に住めるか思いつかず、長い沈黙が続いた後で長女がこぼした愚痴――「「おばあちゃん、いなくなればいいのに」。
    〈二人は、祖母と母がこの世からいなくなるという妄想に会話を弾ませた。車のタイヤをいじれば事故死に見せかけられる。強盗に入られて、二人だけやられればいいのに。殺し屋を雇ってみようか──。
     長女はストレスを発散するように冗談半分で話していた。だが、三女は違った。「これまでも殺すことを考えたことはあったが、一人で全部やるのは無理だと思っていた。でも、姉も同じ気持ちだと知った」(中略)
     長女は「いざとなったら殺害することなんてできない。高校生ができるわけない」と思っていたが、三女は心を決めていた。「姉は『本気なの?』と聞いてきたが、計画は完全にできていた。殺すとき、殺した後のことを何度も想像した」〉

     三女は逮捕され、今は医療少年院にいる。懲役3年執行猶予5年の判決が確定した長女は、交際相手との間に子どもができ、〈妹が戻ってきたら、今まで感じられなかった家族というものを感じられるよう一緒に生活したい〉と、その日を待っているという。

     この「絶対君主が支配する虐待の家」のほか、記者たちが傍聴を続けた裁判は様々な人生を映しだし、人びとの胸に秘めた思いに光をあてていきます。
     両親が3歳の我が子をウサギ用のケージに閉じ込めて死なせた事件「ラビットケージに消えた悲鳴」
     認知症の母を介護していた父と娘の心中(未遂)事件「親子3人が入水した絶望の川」
     突然のがん宣告から9か月、妻に先立たれた男と二人の娘が選んだ悲劇の結末「妻失い、娘と出した結論は……」
     法廷で罪に問われたのは母親ではない当時18歳の少女「渋谷の闇で息絶えた赤ちゃん」

     ・・・・・・どの裁判も、そしてそこで裁かれる「被告人」の誰も、特殊なものではありません。皆、私たちが暮らしている社会と地続きなのだ。
     第二次安倍政権誕生5年の節目に実体なき「アベノミクスの成果」とやらが喧伝される一方で、親による虐待殺人が頻発するなかで迎えた2018年――国民の多くが疲れきっている。(2018/1/5)
    • 参考になった 2
    投稿日:2018年01月05日
  •  私たちの社会についての、驚くべき数字がある。
     日本では今、少なくとも、1日に1万件以上の“ワリキリ”(フリーの売春活動)が成立し、月に1度以上の頻度でワリキリを行う女性が、少なくとも10万人前後は存在していると考えられる、というのだ。
     100人超のワリキリを行う女性たちの証言を集めて記録した『彼女たちの売春(ワリキリ)』著者の荻上(おぎうえ)チキが、出会い系サイトでやりとりされているメールの件数から確認した数値です。「少なくとも」とことわっていることに示されているように、一時期はワリキリを行っていたものの、「卒業」した女性の数は、その何倍にものぼるだろうし、出会い系サイトを使わず出会い喫茶(デカフェ)を利用している女性を含めれば、その数はさらに膨らむだろう。
     それでも、〈風俗、裏風俗、たちんぼ、援デリ、裏デリ、愛人契約など、形態や濃淡がさまざまな売春〉があり、ワリキリは売春市場全体の、ある一角を占めるものでしかありません。ニュースサイト「シノドス」編集長であり、気鋭の評論家として注目される著者はなぜ、売春市場の一角であるワリキリにこだわり、出会い喫茶、出会い系サイトの利用者へのインタビューを重ねたのか。「特殊な職業」を選んだ(選ばざるを得なかった)彼女たち。百人百様の、それぞれの事情から浮かび上がってきたのは、けっして個人には還元できない現代日本社会の「貧困」問題である。
     著者はタイトルの『彼女たちの売春』の「売春」に「ワリキリ」とルビをつけ、副題を「社会からの斥力、出会い系の引力」としました。彼女たちを社会からはじき出す圧力が働く一方で、行き場をなくした彼女たちを引き込んでいく出会い系メディアの存在が、ワリキリの背景にあるという問題意識を示しているように思えます。

     あず、25歳。高卒。風俗経験なし。離婚準備中――著者が地方都市の出会い喫茶で出会った女性だ。彼女がワリキリを始めたきっかけは、出会い喫茶店員の一言だった。プロローグから引用します。

    〈彼女は子どもの頃から、親からの理不尽な罵倒と暴力を浴びせ続けられて育った。高校を卒業してすぐに家出をし、放浪中に出会ったひとりの男と結婚をしたが、夫となったその男もまた、激しい暴力を振るうようになった。そんな生活にも耐えられなくなった彼女は、再び家を飛び出すことになる。わずかなお金をもとに漫画喫茶(マンキツ)で暮らし、街をさまようなかで見つけたのが、出会い喫茶(デカフェ)だった。
     出会い喫茶の店員から、彼女は「ワリキリ」という言葉を教わる。お金だけで割り切った、大人の関係。カジュアルな言い回しを装ってはいるが、ようは売春行為(ウリ)のことだ。
     セックスをすれば、まとまった額のお金になる。お金に困った女の子で、ワリキリに手を出す子は多い。君なら、そこそこ稼げるようになるはずだ――。そう聞かされた彼女は、その日からワリキリを始めることにした。
     緊張と不安感を押し殺し、喫茶で相手方となる男性をつかまえ、ただ淡々とセックスをし、お金をもらう。彼女にとってそれは、とても簡単で、とても不快な「作業」だった。初めてのワリキリを終えた彼女は、大きくため息をつき、手にしたお金をそそくさと財布の中にねじ込んだ。そして漫画喫茶に帰るのではなく、その足でまた、出会い喫茶へと戻っていった。すぐにでも次の客をつかまえるために。〉

     住むところさえない貧困の中で出会った「君なら、そこそこ稼げるようになるはずだ」の一言。“ワリキリ”への一線を越えた彼女はそれから4か月間、漫画喫茶と出会い喫茶を往復する日々を続けたという。

    〈彼女の売春価格は、セックス一回1万円。この価格は、地域相場と比べても、格段に安い部類に入る。彼女は決して見た目が一般の女性よりも劣るというわけでもなく、どちらかといえばコケティッシュなほうだと思う。だが、彼女はそもそも、「相場」を知る機会がなかった。彼女が利用していた出会い喫茶が、極端に利用者が少ない店舗だったため、女性同士が交流する機会がなかった・・・〉

     著者は、あずの話は現代では実にありふれた話のひとつだ、と続けています。冒頭で触れた“1日1万件以上のワリキリ”の推計からわかるように、日本には今、「ワリキリ」と呼ばれる、フリーの売春活動を行っている女性が山ほどいる。あずはそのなかのひとりで、けっして特別な人生を歩み特殊な職業に辿り着いたわけではありません。

     彼女たちがワリキリを選んだ理由とは? 多くの肉声が記録されていますが、ここでは二人だけ紹介します。

    ・まい 22歳
    〈非風俗の男性向けエステ店の面接に行ったところ、「君にはこっちのほうが向いているのでは」と、系列店の出会い喫茶を勧められた。しばらくは茶飯だけで稼いでいたが、次第に本番も行うようになった。〉
    ・チカ 32歳
    〈この年だし、病気だし、働く場所なんてないし。でも東京に来て、私でもこれなら人にご奉仕できますよっていうのが、これ(ワリキリ)で。(中略)自信をなくしている男の人とかもいるから、奉仕活動みたいな感じ。自分に向いている仕事、みたいな。ただ、自分が服脱いだりしなきゃ、最高なんですけど〉

     まい、チカの二人はもともと昼職で働いていたが、精神を患って以降、昼職で働くことが困難になったという共通項があるという。長時間の労働は困難だが、お金は必要だ。高収入を得られて、短い時間ですむという、「ワリがいい、キリがいい」の両方が揃った条件の仕事は、ほかにはそうそうない。そこに出会い系メディアの引力が発生するわけですが、これを社会問題として捉えることを回避して、個人の問題として切り捨てようとする考え方が根強く残っています。かつての貧しかった時代ならともかく、豊かな先進国である今の日本で「売春をしている者」は、「道徳」や「気持」に問題のある例外的な存在だとの主張だ。
     実際、どうなのか? この疑問から出発した著者の荻上チキは、風俗店には所属せずにフリーランスで働く女性たちの肉声を集めました。出会い喫茶や出会い系サイトで実際にアポを取り、100人を超えるワリキリ女性にインタビューし、アンケートを行った。その取材・調査活動は、東京や大阪といった大都市だけでなく、北海道から沖縄まで全国規模に拡がった。
     そうして集められたワリキリ女性個々の事情を徹底的に掘り下げ、検証したミクロ情報(肉声)と、地域ごとの価格差や売春形態の差異、学歴構成などを統計分析したマクロデータによって、本書は単なるワリキリ女性のルポではなく、私たちの社会についての優れたフィールド調査の報告となりました。巻末に収録された「ワリキリ白書」は、著者の独自調査と戦後に行われた売春調査から主要なものをピックアップして比較した資料性の高いものとなっています。なお、このフィールド調査は、もともと雑誌『週刊SPA!』(扶桑社)の連載として始まりました。連載の共著者である経済学者の飯田泰之(明治大学准教授)が、経済学的・統計的アプローチでまとめた『夜の経済学』(扶桑社、2014年1月10日配信)も注目です。著者は〈この二つの本は双子の関係にある〉としています。

     異色のフィールド調査に多くの時間を費やしてきた著者の、次の言葉でこの稿を閉じようと思う。
    〈ワリキリという売春形態は、現代の日本社会がいかなる状態にあるのかをあぶり出す。売春の内実は多様であり、ひとくくりにできるものではないけれど、ある傾向が見いだせることもまた事実だ。つまり、いくつかのリスク要因が、彼女たちの行動に大きな影響を与えている、ということだ。
     この社会はとても脆弱なもので、いかにも頼りない。だからこそ彼女たちは、生き延びるための手段として、ワリキリを選択した。彼女たちの人生には、とても複雑な物語がある。ただ、物語は一人ひとり異なるけれど、その展開などは似通っている部分も非常に多い。
     彼女たちがなぜワリキリを続けるのか。その理由に耳を傾けることは、すなわちこの社会がどのような状態にあるのかを明らかにする作業でもある。彼女たちの営みは、あなたが生活しているこの世界のすべてと地続きにある。〉
    (2017/12/29)
    • 参考になった 3
    投稿日:2017年12月29日
  •  No Man’s Land――相対峙する軍隊の間のどちらの支配下にもならない中間地帯、緩衝地帯(小学館『ランダムハウス英和大辞典』より)。
     誉田哲也はなぜ、累計400万部突破の「姫川玲子シリーズ」の最新作(9作目)のタイトルに、戦争によって生じた空白地帯を意味する「ノーマンズランド」という言葉をもってきたのだろうか。
     波が打ち寄せる海岸に一人立つ女性の後ろ姿のイラストに白抜きのタイトル文字。最初にブックカバーを見た時、「なぜ、ノーマンズランド?」の疑問が湧き、その疑問は次第に大きな興味に変わっていった。
     ノーマンズランド――ボスニア戦争を描いてカンヌ国際映画祭(脚本賞)、アカデミー外国語映画賞などに輝いたフランスの反戦映画(2001年公開)がよく知られていますが、誉田哲也はこのタイトルで何を描こうとしたのか。ちなみに電子書籍本文を全文検索しても、「ノーマンズランド」は出てきません。本文中では使われていない言葉です。

    「警視庁捜査一課の死に神」の異名を持つ姫川玲子を主人公とする警察小説シリーズ最新長編。物語はこう始まります。

    〈初海(はつみ)が一体、何をしたというのだ──。
     俺はそればかり、何年も問い続けている。
     俺が、最初に彼女のことを知ったのはいつだったか。正確なことは覚えていない。でも、中学二年か三年のときにはもう、知っていたように思う。〉

     同じ中学のバレー部の女子たちが「南中の庄野さんは、ほんと凄い」と言っているのを聞いていた俺――江川利嗣(えがわ・としつぐ)は、バレーボールの強豪校として知られる埼玉県立朝霞東高校でその庄野初海と一緒になる。二人は徒歩通学組で家も近かったことからぎこちない会話を交わすようになり、早朝に待ち合わせて陸上自衛隊朝霞基地の周りを一周するのが日課になった。
     ともに期待の選手としてインターハイ出場を目指していた高校2年の冬休み。初海が練習中に足首の靱帯断裂の大怪我を負い、選手を続けることを諦めて男子バレー部のマネージャに。3年になって江川利嗣はスポーツ推薦で大学に入れそうだったが、初海は同じ大学を目指して猛勉強に取り組む日々――日課の早朝ジョギングは続いていたし、二人には高校生らしい“青春”があった。

     初海の入院中、江川は一日おきに見舞いに行った。病室での会話――。
    〈「いや、だから……好きだから」
     初海は真顔で、黙って聞いている。
     俺が、続けるしかなかった。
    「その……誘ってきたのは、初海、だったかも、しんないけど……好き、だったから……初海のこと、好きだったから、一緒に、走れて……嬉(うれ)しかったっていうか……まあ、そういう気持ち……です」
     すると、今度は口を尖(とが)らせ、初海はちょっと斜め上を見上げた。俺の方ではなく、反対の窓の方だ。
    「それなら、まあ、いいけど……私も、江川くんのこと、好きだったし……もう、バレーは、選手としては、無理だから……少なくとも、三年の引退までに、今までみたいな、今までと同じスパイクを打てるようには、戻せないと思うし……」
     初海の目に涙が浮かんでくる。でも同じように、たぶん俺の目にも、浮かんできていた。〉

     部活引退後の二人――。
    〈「私も一応、長谷田(はせだ)受けるよ。そしたら、一緒に通えるし」
    「ああ。そしたらさ、また初海も、バレー始めりゃいいじゃん」
     そんなこともサラッといえるくらい、あの怪我からは時間が経(た)っていた。初海の足も回復していた。
    「えー、もう無理だよ。全然、体が追いついていかない」
    「そんなことないって。初海ならできるって」
    「えー……私それより、大学入ったら、なんか楽器やってみたい。フルートとか、オーボエとか」
     初海が楽器をやるなんて、考えてみたこともなかった。でも、悪くない気はした。
    「フルートはともかく、なんでオーボエなんだよ。っつか、オーボエってどんなんだっけ」「こういうの。縦笛の、なんかもっと複雑なやつ」
    「ほんとはよく知らないんだろ」
    「知ってるよ。っていうか、普通みんな知ってるから」
     あの頃の俺たちは、バレーボールというそれまでの共通言語を抜きにした、新しい関係を模索していたのだと思う。新宿に映画を観にいったり、渋谷に美味(おい)しいものを食べにいったり、原宿に服を買いにいったりした。同じ年頃のカップルと比べたら、少し幼稚だったかもしれないが、でもそれで充分、俺たちは楽しかった。幸せだった。時間はいくらでもある。ゆっくりと今を楽しみたい。そんな気分だった。〉

     大学生活への夢を語り合い、若者として“青春の日々”を普通に生きていた二人――。
    〈それなのに──。
     ある日突然、初海は俺の前から、姿を消した。〉

     江川利嗣は大学2年の夏で大学を辞め、陸上自衛隊に入隊する。
    〈初海は……北朝鮮の工作員に、拉致された可能性がある〉
     埼玉県警の警察官である初海の父からもたらされた情報が頭から離れることはなかった。

    〈俺は大学に通い始めたものの、勉強にもバレーボールの部活にも、まるで身が入らなかった。先輩や同級生と話していても、頭の中はいつも初海のことで一杯だった。
     今こうしている間も、初海はあの、貧しい北の荒野で泣いているに違いない。何をされ、何をさせられ、どんな思いをしているのかなど、想像したくもなかった。ただ、泣いていると思った。
     ずっとずっと、初海は海の向こうで泣いていた。
     いつもいつも、初海は俺の中で泣いていた。
     泣きながら、俺に訴えてきた。
     江川くん、助けて。早く、助けにきて、江川くん──。
     こんなことをしている場合ではないと思った。大学もバレーボールも、もうどうでもよかった。初海を助ける、拉致被害者を救出する、そのことばかりを考え続けた。〉

     自衛隊唯一の空挺部隊であり、当時、最も特殊部隊に近い性質を持つといわれた第一空挺団を目指した。そのために極限状況下で90日間続くレンジャー課程の訓練に耐え抜いた。

    〈初海をこの手で救出する。日本に連れ帰る。必ず連れ戻す。(中略)
     今も初海は俺を待っている。俺が助けにいくのを、泣きながら待ち続けている。こんなところで諦めて堪るか。倒れて堪るか。死んで堪るか。俺は、たとえ一人でも初海を助けにいく。背負ってでも、そのまま海を泳いで渡ってでも、初海をこの日本に連れて帰る。〉

    「初海を日本に連れ帰る。必ず連れ戻す」特別な思いを胸に秘めた江川利嗣の闘い。それと並行するように、警視庁葛飾署に設置された「青戸三丁目マンション内女性殺人事件」特別捜査本部に入った姫川玲子班の捜査が動き始めます。
     被害者は、長井祐子、21歳。協立大学文学部、英米文学科4年で、1DKの自宅マンションのベッドに、仰向けの状態で死亡していた。顔面、胸部、腹部に複数、殴打されたような生活反応のある打撲痕があるものの、骨折等はなかった。死因は、頸部に扼痕があることから、扼頸による脳循環不全及び窒息と考えられる。つまり、殴られた挙句に首を絞められて殺された、ということだ。
     採取された現場指紋に「当たり」が出ます。大村敏彦、32歳。21歳のときに、傷害で前科一犯、3年の執行猶予となった男。写真はどう見ても元ヤン丸出しの顔で、大村の住まいは被害者のマンションとは500メートルと離れていない。
     幸先いいスタートだったが、すぐに意外な壁に突き当たります。大村がまったく別の殺人事件の容疑で逮捕され、警視庁本所署に留置されていることが判明。被害者が「サクマケンジ」という50がらみの男性だということ以外、情報はなにもありません。姫川はコンビを組む湯田康平(元姫川班、亀有署)と本所署に出向く。しかし、応対に出た刑事課長はけんもほろろの対応で、単なる縄張り争いではなく、裏になにかあると直感する姫川。何を隠しているのだ?

     姫川と湯田が本所署を訪ねた後、警視庁捜査一課殺人犯捜査第八係の勝俣健作に電話が入り、こんなやりとりがあった。勝俣警部補は、公安上がりの衆院議員、鴨志田勝自民党広報本部長につながる曰く付きの刑事だ。
    〈『死神がこっちにきましたよ。大村に会わせろって』
     死神? 姫川玲子が、本所署にいったのか。
    「なんだそりゃ」
    『勝俣さんが入れ知恵したんでしょう』
    「知らねえよ。なんの話だ」
    『姫川は今、葛飾の特捜で女子大生殺しを調べてます。そっちでも大村の名前が出たようです。今、下手な横槍(よこやり)入れられたくないんですよ。しっかり処理しといてください』
     フザケんなよ、こら。
    「おい、人にものを頼む態度か、それが」
    『よろしくお願いしますよ、勝俣先輩』〉

     そんなことを知る由もない姫川玲子は、大村敏彦が被疑者となっている「佐久間健司殺害事件」の情報を求めて、東京地検公判部の武見諒太検事に接触を図ります。警察と検察の間のルールを逸脱した単独行動だ。姫川らしい動き方ですが、受ける検事も普通ではありません。ちなみに武見検事は、玲子と初めて会う場所として西麻布のバーを指定するなど、並の検事とは異なる言動が際立つイケメン。シリーズ初登場の新キャラクターです。

    〈「姫川さんは、大村について知りたいんだよね。俺は、申し訳ないけど、彼について多くを知らない。でも、ちょっとクサい事件だなと、思ってはいたんだ。刑事部に……もちろんウチのね、地検刑事部に、少し丁寧に見るようにはいっておいた。ただ、結局のところ……下手な証拠と調書を喰わされて、恥を掻くのは俺自身だからね。ある程度、自分で納得できるところまで調べてみようと思ってたんだ。俺、刑事部が長かったからさ。捜査は、決して嫌いじゃないんだ」
     武見が、ぐっと身を寄せてくる。
    「……あなたにその気があるなら、俺は、組んでもいいと思ってるんだ。どうする」
     検事が、別件を捜査している刑事と、組む?〉

     翌朝7時。武見からメールが送りつけられてきた。検視のときに撮影された、佐久間健司の遺体の顔写真が添付されていた。正面と横顔、というか、仰向けに寝かされているのを真上から撮影したものと、左側から撮影したものの二種類だった。
     姫川玲子はそれらの遺体写真から似顔絵を起こし、聞き込みに回ると同時に、繁華街で指名手配犯の顔がないか、毎日、何時間も何時間も見続けている「見当たり捜査班」の協力を仰ぐ。数百の手配犯の顔の特徴を頭にたたき込んだ職人集団だ。
     さらに武見検事から全身の遺体写真を手に入れます。20枚以上のそれを、特捜に持ち込んで密かにプリントアウトするのはさすがに難しい。要町の自宅に帰り、携帯をパソコンに接続。プリンターから1枚、1枚排出されてくる写真を床に並べていく。
     首、左右の肩、上腕、前腕、拳、胸部、脇腹、下腹部、股間、男性器、大腿部、膝、脛、足。引っ繰り返して、背部を収めた写真もある。最初に入手した頭部の写真――短髪、白髪交じり。額、眉、鼻、頬骨、耳、もみ上げ、口の周りには無精ヒゲ。

    〈待って、まさか、そんな──。
     恥ずかしながら、玲子に男性経験というものは、まったくゼロではないものの、極めてそれに近いといっていい。なので、男の体をよく知っているとは、とてもではないがいえない。
     ただし、死んだ男の体ならよく知っている。全裸で、身動き一つしない、全体に変色した男の体なら、冗談でなく腐るほど見てきた。
     その経験からいうと、これらの遺体写真には大変な違和感がある。〉

     姫川玲子は、今年の3月で東京都監察医務院を定年退職した國奥定之助(くにおく・さだのすけ)を訪ねます。お気に入りの玲子を「姫」と呼ぶ國奥に「違和感」を確かめる。はたして名監察医の判断は?

     姫川の前で「事件」はまったく異なる姿を見せ始めます。
     国家の思惑が絡み、事件の隠蔽に動く与党政治家。その指示を受けて動く刑事。
     それでも、真相に迫ることをやめない姫川玲子。
    「彼女を必ず日本に連れ帰る」と思い続け、日本海に向かった自衛官は?

     ノーマンズランドを覆う、言いようのない寂寥感が読むものの胸中に広がってくるようだ。
     永田町の深い闇に光を当てる社会派ミステリーの新たな傑作の誕生です。(2017/12/22)
    • 参考になった 4
    投稿日:2017年12月22日
  •  わが家の朝は、炊きたてのご飯と熱い味噌汁で始まります。
     食卓にパンが並ぶことはない。パンが嫌いなわけではありません。それでも朝ご飯はやっぱり米です。
     朝は米に限る・・・・・・そんな暮らしを30年以上続けていて、“米派”を自認している身としては、書店店頭で『シンマイ!』の書名、刈り取った稲を両手で頭上に掲げた若い男のイラストがなんだか楽しそうな文庫本カバーを見つけたら、どんな本か手に取って確かめてみないわけにはいきません。時は10月中旬――新米の季節だ。
     著者の浜口倫太郎は、2010年デビュー、38歳の新進作家、脚本家。電子書籍も本書(2017年11月10日配信)のほか、『神様ドライブ』(2017年2月24日配信)、『廃校先生』(2017年10月13日配信)の2冊、計3冊が講談社から配信されていまが、作品を手にしたのは『シンマイ!』が初めて。

     書店店頭でページをなんとなくめくっていて、えっ、と目が止まった。中ほどに近い十数行だ。

    〈翔太は感激の声を上げた。
    「うめえ! むちゃくちゃうめえじゃねえか。じじい」
    「うるせえ、味がわからねえだろ」
     喜一が不機嫌そうに返し、ゆっくりと箸を持ち上げた。米をつかみ、口に運ぶ。まぶたを閉じ、じっくりと咀嚼(そしゃく)する。米と対話しているような佇まいだ。
     深く、密度の濃い会話が終わる。
     喜一は目を開け、満足げな息を吐いた。
    「……今年はよくできた」
     里美は無言で箸を動かしている。感想は述べなくとも、その表情が物語っている。あまりの旨さに言葉を失っているのだ。
     食べ終えた正和がテーブルに箸を置いた。
    「……うまかった。さすが父さんの米だ」
     翔太はぎょっとした。正和が涙ぐんでいる。
    「マジかよ。いいおっさんが米食ったぐらいで泣くなよ」
    「泣いてるわけないだろ。ちょっと目にしみたんだよ」
    「たまねぎじゃねえんだぞ」
     どこの世界に米食って泣く奴がいるんだ。〉

     新潟で米作り一筋に生きてきた喜一が収穫したばかりの新米と交わす深く、密度の濃い会話。米のあまりの旨さに言葉を失う里美。そして喜一の長男の正和は「うまかった」と一言言って涙ぐむ。「たまねぎじゃねえんだぞ」思わぬ“父の涙”にぎょっとする翔太は、喜一の孫。

    『シンマイ!』は、米作りの名人、喜一の下で有機農法による米作りを目指す元女子サッカー選手の里美と喜一の孫の翔太の成長小説。米作りの道はいうまでもなく平坦ではありません。無口な喜一が若い二人に語ることは稀で、見よう見まねの二人は挫折を繰り返しながら、一歩一歩、米作りの道を進んでいく。厳粛な空気が翔太の一言で笑いモードに一気に変わる文章のテンポのよさが、この小説の魅力のひとつです。

     里美は将来有望なサッカー選手だったが、膝の怪我で現役引退。コーチをしていたが、横浜で開催された新潟長浦の米のキャンペーンで有機米おにぎりを食べて感動。そんな米を作りたいと横浜から新潟に来た。
     一方の翔太は、高校をドロップアウトして以降、建築現場の作業員として働いていた。現場監督と相性もよく正社員に昇格したが、親会社の人事刷新で状況が一変。慕っていた現場監督がクビになってしまい、新任の現場監督とはそりが合わない。後輩の些細(ささい)なミスを執拗(しつよう)に責め立てる新任監督に中学の柔道部で鍛えた背負い投げを見舞った。22歳でクビになって転職活動を始めたが、中卒の翔太は不採用通知の山を築くばかりです。
     そんな時、夜遅くにアパートで待っていた父の正和が、「新潟の喜一じいちゃんから米作りを学んできてほしい」ともちかけてきた。父は農家の出身だが、東京の医大を卒業して千住で医院を開業して長い。最近中古で買ったミニバンのローンをすべて肩代わりしてくれるという父の願ってもない申し出を受け入れて新潟にやって来たのが、翔太です。米作りに特別な思いはなかった。

     ドコモ以外のケータイは圏外、あたり一面田んぼが続く田舎。喜一の一日は、早朝5時に始まります。夜型の生活をしてきた翔太ですが、二度寝したい衝動をこらえながら青いつなぎに着替え、喜一と一緒に軽トラックに乗り込んだ。

    〈車中では会話ひとつない。少しずつ白んでくる景色を、翔太は夢うつつの状態で眺めていた。
     あぜ道のまん中で車が止まった。喜一が降りたので、翔太もそれに続いた。足裏に土の感触がする。都会では味わえないやわらかさだ。
     朝日が田んぼを照らしている。田植え前の田んぼは見栄えがいいものではない。ただの土だ。
     喜一は黙って田んぼを眺めている。身じろぎひとつしない。腕をじっくりと組み、真剣なまなざしを注いでいた。全神経を見るという行為に費やしている。そんな佇まいだ。
    「じじい、何してんだ」
    「静かにしてろ」と喜一が一喝する。「黙って見ろ」
    「なんでだよ。何もねえじゃねえか」
     喜一はまだ同じ体勢をとっている。石像のように動かない。付き合ってられるか、と翔太はしゃがみ込んだ。
     あくびを十回ほどしたところで喜一の石化が解かれた。おもむろに歩き始める。
    「おい、やっとかよ」
     立ち上がろうとしたが、足が痺れている。強引に力を入れて、前に進んだ。
     けれど喜一はとなりの田んぼに移動しただけだ。そこでまた田んぼを眺めている。それを何回も何回も繰り返した。
     結局見るだけで作業は一切しなかった。〉

     このじじい、本当に教える気があんのかよ……ミニバンのローンの肩代わりをしてもらうためだけに新潟に来た翔太の胸のうちに疑問と怒りが投入される。それらが化学変化を起こし、爆発しそうだ。祖父の喜一と翔太。水と油のように見える二人ははたしてやっていけるのか。

     もうひとり、里美と翔太の出会いのシーンは、ちょっと可笑しい、笑いのモードだ。

    〈右手のビニールハウスから誰かが出てきた。
     女だった。
     赤色の作業服に麦わら帽子、右胸には『KIKUCHI FARM』というロゴが入っていた。
     色黒で目が大きい。インドやネパール、もしくは東南アジア系の顔立ちだ。背が低く童顔だが、子供ではない。自分と同い年ぐらいだ。懐かしい。建築現場でもアジア系の仲間はたくさんいた。
     翔太は手を合わせ、丁寧に挨拶をした。「ナマステ」
     女は無反応だ。翔太は訂正するように右手を上げた。
    「わりいわりい。マガンダン ハーポン」
     フィリピンのタガログ語だ。現場での経験がこんなところで生きるとは。異国で母国語を聞けることほど嬉しいことはないはずだ。
     女がふくれっ面で返した。
    「……わたし日本人なんだけど」
    「なんだよ。日本人かよ。まぎらわしいな」
     女は露骨に顔をしかめたが、翔太は無視して尋ねた。
    「ちょっと訊きたいことあんだけどよ。土田喜一の家知らねえか?」
    「喜一さん?」と女は眉を上げ、じろじろと翔太を眺めた。
    「喜一さんになんの用なの? まさか押し売りする気じゃないでしょうね」
    「ちげえよ。なんで俺がそんなことするんだ」
     この野郎やり返しやがったな、と翔太は不快になった。女が追撃してくる。
    「そんなことしそうに見えるからよ」
    「うるせえよ。それならおまえはどこからどう見てもインドからの留学生だろうが」
     にらみ合いになったが、女はすぐに馬鹿らしくなったようだ。鼻から息を吐くと、「あっちよ。あそこの右から二軒目の家」となげやりに遠方を指さした。そしてさっさと立ち去ってしまった。〉

     喜一を“接点”に翔太と里美という米作りを目指すコンビが生まれます。祖父(喜一)の米作りにかける一徹な思いは、医師になった息子(正和)を経て、孫(翔太)に引き継がれていきます。
     翔太と里美だけではありません。東京から応援に来てくれる仲間たちがいる。役場の地域振興課に勤める若林まさるは、新潟で翔太が里美の次に出会い、一瞬で気に入った気配りの男です。まさるが開いた翔太の歓迎会で紹介された兼業農家でそば打ち名人の桐谷光太郎。“米ってのは農業で一番楽なジャンル”とうそぶいていたが、実は喜一の米作りに心密かに憧れていた光太郎も喜一に弟子入り。“応援団”の重要なメンバーになった。

     そんな仲間たちに支えられて、翔太と里美が喜一の“神米”に一歩でも近づこうと努力を重ねてようやく迎えた収穫の季節――。
     まさると光太郎が、かつてない大型の台風が直撃するという情報をもたらした。

    〈「うん。このあたりはあまり台風が来ないんだけどね。今回は直撃するみたいで、みんな大あわてだ。稲が全滅するかもしれないって」
     翔太は驚愕した。「全滅って、どういうことだよ?」
    「稲の天敵は病気、雑草──そして台風だよ」とまさるが指を三本立てる。「台風で稲が倒れでもしたら品質は格段に落ちるし、川が氾濫して水害になる可能性もある。稲が水に浸っちゃ売りものにならない。近所のおじいさんが言ってたけど、四十年前もこんな台風がきて堤防が決壊して、稲がむちゃくちゃになったんだ」
     翔太と里美は血相を変える。全滅すれば、喜一に米を届けられない。
     光太郎が提案した。
    「台風は三日後にここに来る。明日かあさってにはもう刈り入れた方がいい。周りの農家もそうするそうだ。俺も仕事休んで手伝うからよ」〉

     翔太が出した結論は――5日後に収穫。
    〈五日後がベストのタイミングなんだ。それ以上は早すぎても遅すぎてもダメだ〉
     翔太の覚悟の背後にはどんな思いがあったのか。

     台風直撃の夜――翔太と里美、まさる、光太郎、そして東京から駆けつけた仲間たちが田んぼに向かいます。稲穂が激しく揺れている。今にも倒れそうだ。彼らはそこで何をするのか。

     三浦しをんは『神去なあなあ日常』(徳間書店、2014年1月24日配信)、『神去なあなあ夜話』(徳間書店、2016年6月3日配信)で、林業に夢中になっていく都会育ちの元フリーターを描きました。『シンマイ!』で浜口倫太郎が描くのは有機米作りに取り組む二人の若者――中卒の元建築現場作業員と元女子サッカー選手。
     今第一次産業に新たな人生の可能性を発見する若い世代が増えているそうです。文字通り、大地に足をつけて歩む確かな人生が、そこにはあるのかもしれません。

     そして――“喜一の神米”に挑戦する翔太と里美の物語終盤。とつぜん目頭が熱くなり、小田急線の座席でちょっとあわてました。(2017/12/15)
    • 参考になった 2
    投稿日:2017年12月15日
  •  アベ友企業と忖度(そんたく)官僚という妖怪が日本列島を跋扈している。
     さしずめ森友学園疑惑で鉄面皮な国会答弁で安倍晋三首相と昭恵夫人を守り通した財務省の佐川宣寿(さがわ・のぶひさ)前理財局長は、その代表格だろう。佐川氏は理財局長から国税庁長官に出世し、一方の森友学園篭池泰典前理事長と諒子夫人は7月末の逮捕以来、大阪拘置所に勾留されたままだ。かつては政治信条が近く、昭恵夫人を開設予定の小学校の名誉校長に迎えていたが、一転して安倍首相から「詐欺を働く人物」と切り捨てられ、裁判官、検察官、弁護人による公判前整理手続きが始まっているにもかかわらず保釈が却下される状況が続いています。
     その佐川氏が理財局長として行った国会答弁は、11月22日に公表された会計検査院の検査結果によって根底から覆されたわけですが、元経産省官僚として佐川氏を知る立場にあった古賀茂明氏は最新著『国家の共謀』(角川新書、2017年11月10日配信)で、佐川氏の国会における振る舞いについて実に興味深い指摘をしています。少し長くなりますが、「第五章 関心事は人事ばかりの官僚たち」より引用します。

    〈この問題ですっかり有名になったのが財務省の佐川前理財局長だ。「近隣国有地の売却価格の約一割」という、近畿(きんき)財務局の国有地“激安売却”に対し、厳しく追及する野党議員に対する答弁は“秀逸”だった。「売買契約締結をもって事案終了している。当日、その日かどうかは別にしても、速やかに事案終了で廃棄をしているということだと思うので、記録は残っていない」などと巧みにはぐらかし、尻尾(しっぽ)を掴(つか)ませなかった。
     私が経産省で予算のとりまとめをしていたころ、予算獲得をめぐって財務省主計局の官僚と交渉したが、ときには彼らとつるんで東京・向島(むこうじま)あたりに遊びにいくこともあった。佐川氏は一九八二年入省で私の二年後輩になる。
     もともと彼は主計局にいたが、私とは直接のかかわりがなく仕事の場で相対したことはないが、こうしたどんちゃん騒ぎの席にいた記憶がある。人となりは何となくわかっているつもりだ。国会で答弁する姿を見ると、「訳のわからないことをよくも平気で言えるな」と思うかもしれないが、彼は非常に頭がいい人間だ。
     国会での振る舞いはすべて確信犯。わかっていてやっている。自分が言っていることが、いかにおかしいかということを全部わかってやっているのだ。「でも、こう答えるしかない」と。
     もともと財務官僚には、財務省こそが国を背負い、国を動かす屋台骨だと思い込んでいる人が多い。自分たちはその大きな組織の歯車の一つだという意識があり、その歯車であることに対する誇りがある。そして、その誇りの裏には、組織に尽くせば、最後まで絶対に守ってくれるという確信がある。〉

     “親方日の丸”とはよく言ったものです。組織――この場合は安倍政権であり、その中核である財務省です。これを守れば、その自分も最後まで守られると確信して、追及をはぐらかし、論点を巧みにずらしてしまう確信犯。公務員は失業がない前提に成り立っているので、雇用保険(失業)料を払っていないそうです。したがって失職しても、基本手当(失業手当)を受給できない。それでもいきなり路頭に迷うことはないようです。官庁によって扱いに温度差はあるようですが、「最後まで守る」のが財務省で、だから財務省からの内部告発はほとんど聞いたことがない――古賀氏はそう指摘しています。

     8億円の値引きは根拠不十分――総選挙が安倍自民の“圧勝”で終わるのを待っていたかのようなタイミングで会計検査院報告が発表され、森友学園疑惑がさらに深まった。特例的な値引きに安倍昭恵夫人の関与があったのか、なかったのか。ここが問題の核心だ。しかし――昭恵夫人の国会招致を拒絶する自民党の壁に阻まれて真相解明はいっこうに進みません。
     元安倍昭恵夫人秘書で、現在はイタリア大使館一等書記官としてローマに在住している谷査恵子氏という経産省のノンキャリア官僚がいます。森友学園が小学校を建設する予定だった国有地の定期借地契約に関し、財務省国有財産審理室長に照会した「口利きファックス」で話題となった人物です。
     室長からの回答を得た谷氏は篭池氏に宛てたファックスに「現状ではご希望に沿うことはできないが、引き続き見守ってまいりたいと思う。夫人にもすでにご報告させていただいている」と書いていたことは繰り返し報道され、国会でも取り上げられました。谷氏は疑惑について説明をすることなく、国税庁長官に出世した財務省の佐川氏同様、一等書記官としてイタリア大使館に赴任しました。ノンキャリア官僚がヨーロッパ有力国の一等書記官になるというのは異例だという。
     安倍首相は「もし私や妻が森友学園の問題に関わっているようなことがあれば、首相も国会議員も辞職する」と国会で語りました。総理になるほどの人がそこまで言うのだから、森友関与はないのだろう――と思う人もいるかもしれませんが、谷氏の「口利きファックス」が出てきた以上それでは済みません。この「口利きファックス」、霞ヶ関の官僚の目にはどう映っているのか。一時期、経産省で谷氏と上司部下の関係にあった著者の指摘は明快だ。

    〈谷氏は経産省の課長補佐で東大卒だが、いわゆるノンキャリア。私は短期間だが、彼女の上司だったことがある。当時、「なぜキャリアを目指さなかったのか」と思わず聞いたくらい仕事ができる人だ。
     ただ、いくら仕事ができると言っても、彼女はノンキャリで、しかも課長補佐級である。財務省の人間から見ると、経産省よりも財務省の方がワンランク上。しかも彼女は課長補佐級で、国有財産審理室長は管理職である。つまり、二段階以上の格の違いがある。感覚的にはスリーランクくらい違うと感じる官僚も多いだろう。ファックスや電話で何か聞いたとしても、普通なら、「何で、オレに直接聞くんだ。失礼な奴だ。もっと下の役職のヤツに問い合わせろよ」という話になり、無視されてしまうのが落ちだ。
     だから、官僚経験者がこのファックスの文書を見れば、これは谷氏のバックに相当、偉い人がいるなとすぐにわかる。そうした後ろ盾がないのに、このファックスにあるように財務省の管理職とやり取りすることは想像もできないし、送った谷氏はよほどの愚か者ということになる。官僚一〇〇人に聞いたら一〇〇人が絶対にそう思うはずだ。この案件に安倍昭恵夫人が関わっていなかったら、こうしたやり取りはできるはずもない。
     そんなことは霞が関じゅうの官僚はわかっている。「昭恵夫人の意向が働いていない」ということはあり得ないのだ。
     財務省の異常安値による国有地売却の問題は、検察が本気になれば、絶対に解明される。それほど難しい問題ではないと思う。〉

     安倍晋三首相がなりふり構わずに国会を解散して疑惑追及を封印し、総選挙後は野党の質問時間を削りに削って追及を避けようと計るのも頷けます。しかし、安倍政権、忖度官僚、そしてアベ友企業の共謀、跋扈を放っておいたら、私たちを待っているのは「衰退した街」と「窮乏した生活」だ。
     本書「まえがき」より引用します。

    〈二〇三〇年の東京・銀座(ぎんざ)。
     日曜日のある日、たくさんのアジア人のグループが高級ブランド店の紙袋を両手にいくつも抱えて、通りを闊歩(かっぽ)している──。
     今の景色とどこが違うのかと思うかもしれない。それが大いに違うのだ。彼らは爆買い目的の訪日ツアー客ではない。都心の一等地にそびえ建つタワーマンションのれっきとした居住者なのである。
     今や高級タワーマンション居住者のほとんどが中国人や東南アジア系の人々になっていた。「街が清潔で安全」「空気や水がきれい」などの理由で、東京に移住してきたのだ。日本に“爆進出”してきた中国企業などに勤める人たちも少なくない。
     高級寿司(すし)店では、短パン・サンダル履きの若者が、二万円のランチを食べると携帯をかざして支払いを済ませる。店内で聞こえる言葉は中国語と英語。そこに日本人の姿はない。いつからか、このあたりでは、日本人サラリーマンに手の届く店は消えてしまった。物価は驚くほど上がったが、日本企業はまともに給料を上げられない。その間、人手不足で倒産する企業も続出した。
     一方、近くの外資系IT企業のオフィスに出入りするTシャツ姿の若者の年収は少なくとも三〇〇〇万円。彼らの表情は明るく自信に溢(あふ)れている。そこに飛び交う言葉もやはり中国語や英語で、日本語は聞こえてこない。
    その傍らでは、道路わきに停車した弁当屋の小型バンの前に日本人サラリーマンが列を作っている。今と変わらぬ光景だが、弁当の値段だけは上がった。一〇〇〇円の弁当を入れたビニール袋を手に黙って立ち去る彼らの表情に笑顔はない。〉

     古賀茂明氏がもっとも楽観的なケースとして描く「2030年の東京・銀座」です。ことさら悲観的に描いた悪夢ではありません。
     安倍政権、忖度官僚、アベ友企業。この悪のトライアングルを許している限りは、確実にやって来る日本の未来です。(2017/12/8)
    • 参考になった 4
    投稿日:2017年12月08日
  • 「寄らば大樹の陰」か、「人間到るところに青山あり」か。
     突然の辞令一本で変転する会社員の人生。意に沿わない人事――降格や左遷に直面した時、実力のあるサラリーマンほど二つの岐路に直面して、どちらの道を選択すべきか深く悩む。前者は「同じ頼るなら、力のあるしっかりした人(勢力)を頼るべき」という考え方で、リスク回避と引き換えにどんな不遇にも耐える覚悟が必要だ。それに対して後者は「世の中のどこで死んでも、骨を埋める場所くらいはある。故郷だけが墳墓の地、青山(せいざん)ではないのだから、大望を達するためにどんどん郷里を出て活動するべきだ」という積極志向。約束された“安定”をあえて捨て去る勁(つよ)い心がなければ、未知の環境に飛び込んでは行けません。
     経済小説の第一人者、高杉良の『辞令』は、常務から唐突に言い渡された想定外の異動に揺れる中間管理職を主人公に「組織と人間」に迫る。同期中の出世頭だった男が左遷された裏には何があったのか。
     突然の「左遷」通告シーンで物語が始まります。

    〈「人事なんてわたしの柄(がら)じゃないですよ。営業ならよろこんでやらせてもらいますけど……」
     泡立(あわだ)つ気持ちを抑えながら、広岡修平(ひろおかしゅうへい)は懸命に言葉を押し出した。
     ひろいひたいと、ひかりを湛(たた)えた切れ長の眼(め)のわりに鼻が小づくりの分だけ、やわらいでいるとはいえ充分個性的な顔立ちである。身長百七十五センチに対し体重が七十キロだからバランスはとれている。ゴルフ焼けも加わって肌(はだ)は浅黒くしまっていた。
     広岡は無理に笑顔をつくった。
    「いつでしたか常務に、営業をやらせてくださいとお願いしましたが、きょう改めてお願いします。人事本部はどうかご容赦ください」
     林弘(はやしひろし)がじろっとした眼をくれて、突き放すように言った。
    「きみの都合だけでは決められんよ。会社の都合ってものもある。否(いや)も応もないんだ。社長が決裁してるんだからな。十日付で発令する」
     広岡は息を呑(の)んだ。〉

     広岡修平は、エコー・エレクトロニクス工業株式会社の宣伝部副部長で、国内営業本部の部長代理から昇格を伴う異動で現職に就いて3年、46歳になっていた。部長の前島稔(まえじま・みのる)に次ぐ宣伝部のナンバー2だ。
     エコー・エレクトロニクス工業は、ビデオ機器事業部門、テレビ事業部門、音響機器事業部門などを中心に世界的に事業を展開する多国籍企業として知られ、優れた研究開発力によって“世界のエコー”のキャッチフレーズが定着して久しい。
     常務の林は、広岡の事実上の仲人で、広岡自身、林の息のかかった社員であることを認めざるを得ないと思っていた。いわば遠慮なしにものが言える間柄のはずなのにこの日の林は、なにかしらよそよそしく、取り付く島もなかった。24年に及ぶサラリーマン生活で、これほどのショックを受けたことはなかった。
     林常務と広岡の会話は、こう続きます。

    〈「とりあえず本部付として勉強してもらう」
    「つまりラインにも入れてもらえないわけですね」
     林は返事をしなかった。煙草をすぱすぱやっているのは、なにか言おうとしているふうにもとれる。
     十秒、十五秒と待ったが、広岡はたまりかねて次の質問を発した。
    「左遷(させん)含みということになるんでしょうか」
    「そんなことはないだろう」
     ひっかかる言いかたである。
     日ごろ態度を明確に出すのが身上の林だけに、広岡は釈然としなかった。
     はっきり言って、左遷されるような覚えなどなかったのである。左遷含みか、と訊(き)いたのは、気を引いてみたまでだ。
    「あんまりナーバスにならないで、人事で一から出直すつもりで頑張(がんば)ってみろよ」
     林はどこか投げやりな口調で言って、ソファから腰を浮かしかけたが、また坐(すわ)り直した。
    「ところで亜希子(あきこ)さんは元気かね」
     唐突な質問に苦笑をにじませながら、広岡は小さくうなずいた。
    「奥さんを大事にしろよ。あんな可愛(かわい)い奥さんを泣かせるようなことをしたらゆるさんぞ」
     冗談なのか、本気なのか、わからなかった。〉

     仕事一途でおよそ世事に疎(うと)い林常務が口にしたふだん言いつけない言葉。気を回さない方がどうかしているが、広岡に思い当たることはなにもなかった。
     そもそも部長の前島から事前に匂わす程度の話すら伝わってこなかったことが、広岡には不可解だった。
     エコーでは管理職の異動については、当該部門の責任者から当人に伝達される慣習がある。本社内の異動は1週間前、エコー系列の子会社を含む国内転勤を伴う場合は3週間前、海外転勤は3か月から6か月前に知らされることになっている。

    〈しかし、それは建て前に過ぎない。本社内の異動なら少なくとも二週間ないし三週間前に、上司から内示されている。
     広岡自身、経験的にもそうしてきたし、そうされてきた。(中略)
     きょうは、昭和六十三年(一九八八年)二月三日だから、十日の発令ということは、ちょうど一週間前ではないか。
     エレベーターで十五階から十階に戻るまでに、広岡は、躰中(からだ)の血液がたぎってくるのを覚えた。〉

     さらに広岡にとってショックだったのは、年次の若い宣伝部の二人が、広岡の異動を部長から知らされていたことだ。つまり部長の前島は広岡には素知らぬ顔をしておきながら、宣伝部の中核メンバーには耳打ちしていたのだ。
     その前島と広岡がやりあうシーン――。

    〈広岡は、四時過ぎにたまりかねて、部長席の前に立った。
    「さっき林常務から内示がありました」
    「そうだってねぇ」
     前島は、応接室のほうを手で示しながら、にこやかに返してきた。
     シルバーグレーのメタルフレームの眼鏡と長い揉(も)み上(あ)げが、にやけ面(づら)に一層アクセントをつけている。眼鏡の奥の細い眼をいつも和ませているし、誰に対してもやたら愛想がよかった。
    「人事本部だと聞いたけど、羨(うらや)ましいねぇ」
     前島はぬけぬけと言った。
    「本部付でラインにも入れてもらえないそうです。つまり左遷です。それでも羨ましいとおっしゃいますか」
    「それは考え過ぎだよ。人事本部のような枢要(すうよう)な部門へ左遷で行かされるわけがないだろう。きみ勘違いしてるよ。わたしが代って行きたいくらいだ。きみは上に行ける人だし、将来ボードに入ることだって可能なんじゃないの。宣伝部なんかに長くおったらそうはいかないものな。人事本部で、人事、労政にタッチできるなんて幸せじゃないの」
    「どうしてそんな見えすいたことを言うんですか。だいたいわたしは、人事などは不向きだと思ってます。もっと言えばいちばんやりたくない仕事です」
    「しかし、宣伝の仕事もやりたくないんじゃなかったのかね」
     前島の細い眼が鈍い光を放った。
    「そんなことはありませんが、もう三年になりますから、営業に戻りたいとは考えました」
    「きみを人事本部に出すのは、林常務の親心だよ。やりたくない仕事を経験しておくことも悪くないんじゃないのかね」
    「部長と三年もコンビを組んできながら、事前に匂いも嗅(か)がせていただけなかったことは残念至極(しごく)です」
    「そう言われても困るんだよねぇ。だって、わたしが聞いたのもけさだぜ」
     前島は、大仰に抑揚をつけて言った。
     おととい、岡本と村山に話したのはどこのどいつだ、と言えたら、どんなに気持ちがすっきりするだろうかと思いながらも、それでは村山の立場がなくなるので、ここはぐっとこらえるしかない──。
    「わたしは部長から嫌(きら)われるようなことをなにかやらかしましたかねぇ。自分では気がついてないんですが、教えていただけませんか」
    「わたしのほうこそ、きみに嫌われていたんじゃないのかね」
     前島は、つくり笑いを浮かべて、意味ありげに広岡を見つめた。
    「そんなもって回った言いかたをされても頭の悪いわたしにはなんのことだかわかりません」
    「とにかく健闘を祈るよ。人事本部で頑張ってもらいたいな」
     前島はうすら笑いを浮かべながら、ソファから立ちあがった。〉

     臨場感あふれる会話劇が高杉良の企業小説の面白さの原点です。林常務と広岡、前島部長と広岡のなまなましいやりとりに、胸に秘めた記憶を重ね合わせる人も多いのではないか。サラリーマンなら一度や二度は味わったことのある“人事”を巡る苦い思い――。

     とまれ――100人に及ぶ事務系同期入社組で部長クラス(参事職)の資格をもつのはわずか5人。その一人で、昇進レースで確実にトップグループにいた広岡修平は、なぜ人事本部預かりに「左遷」されたのか。
     懇意にしてきた広告代理店・広宣社担当者の小倉弘(おぐら・ひろし)から驚くべき情報が寄せられた。広岡はオーナー会長の小林明の逆鱗に触れたために左遷されたらしいというのだ。広告代理店の社長が小林会長から「あんまりエコーの社員を甘えさせては困る。ヨーロッパに女連れの大名旅行はやり過ぎだ」と言われたが、広岡がそのエコー社員だった。宣伝部に来て間もない頃、ヨーロッパツアーに欠員が出てしまったので、夫婦で参加してくれないかと小倉に誘われ、相談した前島部長の勧めもあって参加した。その話がなぜか、“女連れの大名旅行”となって、会長の耳に入った。
     小倉も大阪に飛ばされたが、どうしてオーナー会長の知るところとなったのか? しかも“愛人連れ”に歪曲されて。広宣社から情報が漏れることは絶対にない――と断言する小倉を信じるとすれば、事情を知る人間は前島部長しかいない・・・・・・。

     広岡の後任副部長は、小林会長の次男、小林秀彦だった。社員間でジュニアと呼ばれている32歳。じつは会長夫人が宣伝部長にと画策したあげく、部長含みの副部長で落着した。会長の逆鱗に触れた広岡はいわばそのために弾(はじ)き出されたというわけだったが、自らの後任部長に広岡がなることを阻止するために動いた前島部長はジュニアにすり寄り、広岡は再生を期して人事本部で動き始め、物語は佳境へ――。

     人事を巡って交錯する思惑と保身、足の引っ張り合い、功名争い、そして経営トップと人事担当常務の緊迫の対決・・・・・・特定のモデル企業はありませんが、トップから管理職までの企業人の息遣い、リアリティは数多くの企業組織と人間を見つめてきた高杉良だから書けたと言っても過言ではありません。「人事」を切り口に「組織と人間」を描いた人事小説――ここには、サラリーマン人生の縮図がある。(2017/12/1)
    • 参考になった 5
    投稿日:2017年12月01日
  • 〈柳井社長が好きな言葉に「少数精鋭」というのがある。できるだけ少ない労働者で、店舗の運営を効率よく回し利益を上げていくことを意味している。嫌いな言葉は、「人海戦術」。多くの人件費が発生しながらも、仕事がはかどらない状態を指す。〉

     ユニクロの店舗でアルバイト・スタッフとして働いたジャーナリストによる潜入ルポルタージュ『ユニクロ潜入一年』(横田増生著、文藝春秋、2017年10月27日紙書籍刊行と同時配信)の一節です。
     文中の〈柳井社長〉は、いうまでもありませんが、持株会社ファーストリテイリング/株式会社ユニクロの代表取締役・柳井正氏――〈一介の町の洋服屋から日本の衣料品産業の六%以上のシェアを握るトップ企業に上り詰め、さらには海外への進出を果たし、ZARAやH&M、GAPなどと伍するような国際的なアパレル企業として成長しつづけてきた〉ユニクロのワンマン経営者その人をさしています。著者は、業績が計画未達に終わったことの責任を「人海戦術」に転嫁しているとして、こう続けています。

    〈二〇一五年八月期に二回の値上げのため業績が計画通りにいかなかったとき、柳井社長は「日経新聞」の「働き方改革に終わりなし」と題したインタビューで、その理由を人海戦術にあったと責任転嫁している。
    「まだ人海戦術の状況から抜け出せていないためだ。もっと少ない人数と短い時間で効率を上げないといけない。/仕事をしているフリ、商品整理をしているフリ、接客しているフリをする従業員がいる。自分が何のために売り場にいるのか、必要な仕事は何かをわかっていないとそうなる」〉

     いったいユニクロの内部はどうなっているのか。何が起きているのか。
     前著『ユニクロ帝国の光と影』(文春文庫、電子書籍未配信)で、国内・海外でサービス残業が横行するなどユニクロ(および下請け工場)の劣悪な労働実態を明らかにして問題を投げかけた著者の横田増生氏は、柳井社長の〈悪口を言っているのは僕と会ったことがない人がほとんど。会社見学をしてもらって、あるいは社員やアルバイトとしてうちの会社で働いてもらって、どういう企業なのかをぜひ体験してもらいたいですね〉という発言(「プレジデント」2015年3月2日号)に触発されてユニクロ店舗への潜入取材を思い立ちます。前著をめぐる名誉毀損訴訟でユニクロ側の訴えが最高裁で退けられて確定した後もなお取材を全面的に拒否されていた著者が長期アルバイト・スタッフとしてユニクロ内部に入り込むのは容易ではありません。
     どうしたらいいのか。著者は合法的に名前を変えました。

    〈いったん妻と離婚したあとで、妻と再婚し、妻の姓を名乗ったのである。妻の名字は日本に最もありふれた名前の一つであるため、この書籍で私の本名は〈田中〉としておこう。
     日本では馴染みが薄いが、取材対象が隠したがる事実を暴く手段としての潜入取材という手法が用いられることは、他国では珍しくない。潜入取材の本場であるイギリスでは、BBCの記者が警察やアップルの関連企業に勤務して、その模様を放送したこともある。また、上海のテレビ局が二〇一四年、日本マクドナルドの中国のサプライヤー(下請け工場)に潜入し、床に落ちたり、期限切れとなったりした鶏肉を加工している映像をニュースとして流し、その後の同社の業績に甚大なダメージを与えたことを覚えている人も少なくないだろう。〉

     ジャーナリスト・横田増生氏が改名して〈田中増生〉としてユニクロ〈イオンモール幕張新都心店〉のウェブサイトから面接を申し込んだのは、2015年10月1日の正午のこと。30分後、「応募ありがとうございました」という自動配信のメールが携帯電話に届き、さらに4時30分を過ぎた頃に見知らぬ番号から着信があった。

    〈三十代と思しき男性の声がこう言った。
    「田中増生さんですか。こちらはユニクロ、イオンモール幕張新都心店の者です。今回は、当店へのアルバイトのご応募ありがとうございます。まずはお電話で、いくつかお聞きしたいことがあります」
     と前置きしたうえで、次の二点を尋ねてきた。
     一つは、土曜日・日曜日といった週末に働くことはできるのか。もう一つは、力仕事が多い職場だが大丈夫か──という質問。
     いずれも「問題ありません」と答える。〉

     面接の日時が一週間後の午前10時30分に決まり、当日店長室で待っていた30歳の店長、29歳の副店長による面接に臨んだ。〈アルバイトの時給が千円〉〈交通費が支払われない〉〈年中無休で店舗運営をしているので、繁忙期やクリスマス、大晦日から正月にかけてはできるだけ出勤してほしい〉〈働くときの服装はユニクロの商品を着てもらいます〉といった副店長の説明を受け、正体がばれやしないかと緊張した面接が終わろうとした時、最後にひとつと割り込んできた店長が「店員の多くは田中さんよりずいぶんと若いのですが、年下の人たちから教えてもらう立場になっても大丈夫ですか。」と確かめる。50歳という年齢に関する質問は想定内であり、即座に「問題ありません」と回答して30分の面接が終わった。
     結果は10日以内に連絡するという話だったが、その日の夕刻、副店長から電話が入った。

    〈急な話で恐縮ですが、明日、店舗に来ていただくことはできますか」
     翌日、入社の手続きがあるのかと思って話を聞いていると、
    「十時に店が開くので、そのタイミングで来ていただいて、その後、午後五時ごろまで働けますか。休憩一時間をはさんで、六時間勤務となるのですが」
     と副店長は言う。
     採用と同時に、翌日の出勤要請に、思わずガッツポーズが出そうになる。〉

    〈人海戦術〉は嫌いだという柳井社長の下で、アルバイト応募者が30分の面接で採用決定されるや即出勤要請・・・・・・潜入取材への第一関門というべき「面接」で早くも現場の逼迫感がきれいに浮かび上がった。
     とまれ2015年10月9日、著者のユニクロ潜入取材が始まりました。最初の店〈イオンモール幕張新都心店〉では2016年5月までの約8か月、続いて2016年6月から8月までを〈ららぽーと豊洲店〉で、そして2016年10月から12月にかけては三つ目の店舗となる〈ビックロ新宿東口店〉で潜入取材が続けられました。
     それぞれの店舗ごとに微妙に時給が異なることなど内部(なか)に入り込んで初めて見えてくる実情、休憩室で語られていること、スタッフの悲鳴、「部長会議ニュース」に載る柳井社長「上から目線」の檄・・・・・・内部情報の漏洩を厳しく規制しているユニクロの実態が克明に描き出されていきます。そのディテールは本書をご覧いただくとして、私が特に気になったことを二つ紹介しておきます。
     一つ目は、「ユニクロ販売六大用語」にまつわる話です。
    〈同年代の女性社員に軽作業を頼まれたので、「承知しました」と私が答えた。すると、彼女は、私の顔を覗き込むようにして、「ここで長く働くの?」と訊かれ、そのつもりだと答えると、「それなら、ここでは、かしこまりました、と答えるようになっているから」と教えてもらう。
    「かしこまりました」はその後、毎日唱和するユニクロの販売六大用語の一つである。
    「いらっしゃいませ」
    「かしこまりました」
    「少々お待ちくださいませ」
    「申し訳ございません。大変お待たせいたしました」
    「ありがとうございます」
    「どうぞまたお越しくださいませ」
     これを朝礼の後と休憩が終わって店舗に出るとき、同僚と唱和する。一年以上働く間、何度、唱和したことだろう。〉

     これが日本のアパレル企業のトップランナー? まるで新興宗教「ユニクロ教」ではないか。
     二つ目は、「閉店後のユニクロ」。ユニクロでは客がいる間は店内を走ることは厳禁とされています。潜入取材3店舗目のビックロでの体験です。

    〈ビックロは、閉店時間の午後十時を回ると、それまでとは別の顔をみせはじめる。 何人もの派遣社員が入ってきて、閉店後の店舗の立て直しを手伝う。ユニクロの社員やアルバイトも午後十時から午前零時直前まで、“最終商整”(閉店前の最終の商品整理)といって売り場の立て直しに駆けずり回る。退勤時間は十一時三十分だが、作業が終わらないと、社員から「延びれる?」という声がかかる。顧客が店舗にいる間、店舗を走ることは厳禁とされているが、閉店後は走って業務をこなすことが求められる。〉

     潜入取材によってユニクロ内部の“異様な光景”が浮かび上がった。(2017/11/24)
    • 参考になった 2
    投稿日:2017年11月24日
  •  黒川博行『破門』(角川書店、2016年11月25日配信)の第151回直木賞受賞(2014年上半期)に際して、選考委員の伊集院静は「浪速(ナニワ)の読物キングにようやく春が来た」と、6度目のノミネートでついに直木賞を射止めるまで大阪で一途に書き続けてきた小説家を称賛した。
     その黒川博行の作家デビュー作『二度のお別れ』。10月25日、角川書店より新装版の文庫発刊と同時に電子書籍が配信されました。1984年(昭和59年)9月の単行本発刊から30年以上の月日が経過してなお新装版が出版されるロングセラー作品であり、実は電子書籍も創元推理文庫版(東京創元社、2012年11月24日配信)と文春文庫版(文藝春秋、2013年3月22日配信)の2冊が先行配信されています。
     黒川博行にとって『二度のお別れ』は第1回サントリーミステリー大賞佳作に選ばれて翌年出版された処女作というにとどまらず、格別な思いのある作品のようです。創元推理文庫版あとがきとして作品執筆、応募、発表に至る顛末を率直に綴る文が収録されています。そのなかで、発表後の思わぬ余波に触れた箇所が特に興味深い。

    〈本作の刊行に前後して、あの“グリコ・森永事件”が起こった。『二度のお別れ』は脅迫文の調子や身代金の受けとり方法に似た部分が多く、それが話題になって新聞やテレビにとりあげられた。わたしはそれがうっとうしくてしかたなかった。小説そのものではなく、脅迫文と受けとり方法だけをあれこれ詮索されるのである。そうしてとうとう、合同捜査本部から兵庫県警の警部補と茨木署の刑事が事情を訊きに来た。「この本を書くにあたって、アイデアとか筋書きを誰かに話した憶えはないか」と、しつこく訊く。あげくの果てに刑事は「おたくが犯人やったら簡単やのに」とまでいった。なかなかに得難い経験ではあったが、わたしはいつか茨木署に石を投げてやろうと心に決めた。ほんものの刑事は黒マメコンビのように明るくもなく、性根もよくはない。〉

     昭和末期の社会を震撼させたグリコ・森永事件の発端となる江崎グリコ社長誘拐事件が起きたのは1984年3月。その頃、「週刊ポスト」編集部所属だった私の周囲でもさまざまな情報が飛び交い、黒川博行氏がらみの情報もあったことを覚えています。ライバル誌である「週刊現代」が黒川氏を取材して特集を組みました。その記事に対しては黒川氏が名誉毀損で提訴し、原告の黒川氏の勝訴で終わりましたが、それにしても実際に刑事が事情を訊きに来ていたとは。

     さて刊行時期がちょうど事件と重なっていたこともあって、脅迫文の調子が似ている、身代金受け取りの手口が酷似しているなどのディテールが大きな話題となった小説。その肝心な内容は――著者によれば、〈プロットは単純明快、誘拐物〉。
     3月の決算期を超えた4月1日の三協銀行新大阪支店。銀行内は前日までの戦場のような忙しさが嘘のように静まりかえり、全てが平常に戻っていた。11時34分、強盗が侵入した。

    〈犯人は自動扉が開いて行内に足を踏み入れるや、拳銃を天井に向けて二発たて続けに発射した。パーン、パーン、と何か気の抜けたような軽い音であったが、天井の石膏(せっこう)ボードに穴があき、そのかけらや粉が降るのを見て、行内は騒然となった。
     犯人は入口附近に立ち、スッポリとかぶったマスクのために丸くなった頭を小刻みに動かして行内を睨(ね)めまわす。
    「ゼニや、ゼニ出せ。あるだけの金かき集めてカウンターの上に置け。早ようせい。他の奴らはその場に伏せんかい」
     喚(わめ)きながら正面のカウンターまで走って、出納(すいとう)係に拳銃を突きつけた。もちろんこの時、北淀川署とのホットラインは作動していたし、防犯カメラもまわっていた。出納係は十九歳の女性で、あまりに突然の出来事にすぐには動けない。銃を突きつけられるまま、呆然(ぼうぜん)と両の手を上げていた。
    「何しとんねん。誰が手を上げ言うた。ゼニを出すんや、ゼニを。早よう出さんとほんまにぶち殺すぞ」
     と、一歩踏み込んだ。その時、犯人のうしろ、三メートルほど離れた地点から男がとびかかった。ほんの一、二秒揉(も)みあったあと、バーンと今度は少し鈍い音がして、とびかかった男はその場にくずおれた。押さえた腹からは、血がしたたり落ちて床を赤く染める。その光景を見て行内は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
    「やかましい、静かにせんかい。ゴチャゴチャ言う奴は、こいつのようになるんやぞ。分ったらじっと伏せとけ」〉

     目の前で人が撃たれ、その銃を再び突きつけられた出納係は恐怖の頂点に達したか、がむしゃらに金を積みあげる。もう誰も歯向いはしない。ただ犯人の言うがままだった。

    〈「もうええ、そんな小ゼニはどうでもええ、ええからおまえ、こっちへ出て来い。早よう出て来んかい」
     喚きながら、出納係の腕を掴もうとカウンター越しに手を伸ばした。十九歳の娘にとってこれが本当の限界だった。悲鳴をあげて後ずさりする。
    「このガキ、何さらすねん」
     犯人はカウンターを越えようとした。その時だった、倒れていた男が血で真赤に染まった腹を押さえながらウーンと呻(うめ)いて立ち上ろうとしたのは。まだ生きている。
    「くそっ、おまえでええわい」
     犯人は男のえり首をうしろから掴んで引き起こした。男は玄関までひきずられるようにヨロヨロついていく。もう抵抗する気力も体力もないようだ。
    「ええか、じっとしとれよ。そのままや。動いたらぶち殺すぞ」
     犯人は扉の手前で振り向くと最後の脅し文句を残し、男を連れて出て行った。あとに残ったのは少なからぬ血と、男の割れた眼鏡だけ。行員や気丈な客があとを追って外にとび出した時は、白い車が五十メートル先の通りを左に折れるのが見えただけであった。〉

     被害金額は394万6,000円。
     犯人は中肉中背、顔には防寒用の、眼と口の部分だけ露出している毛糸のマスク。色は黒、三つ開いた穴のまわりには白いフチどりがある。薄茶色の作業服上下、上着のボタンはあらかじめ外してあった。その下は黒っぽい腹巻、そのまた下はラクダ色の丸首シャツ。靴はありふれた形の安全靴。手には黒の革手袋、首に赤いタオルを巻いていた。
     強盗を捕えようとうしろからとびかかった男の名は、垣沼一郎。35歳、近くの鉄工所の経営者。融資依頼に来たが、銀行の担当者が席を外していたため、ロビーのソファーに坐って待っていたもので、彼にすれば思いもよらぬ災難に巻き込まれたことになる。
    〈オレワイマオコツテマスオマエノテイシユガイランコトシタカラゼニヨウケトラレヘンカツタ〉
     翌4月2日。連れ去られた“一本気な鉄工所経営者”の妻宛に脅迫状が届く。不揃いの大きなカタカナが、隙間なく詰まった脅迫状には、切断された小指が同封されていた。銃を持って押し入りながら、400万円に満たない金を奪って逃走――計画性の感じられない銀行強盗事件は、誘拐事件に転化し、1億円の身代金が妻に突きつけられた。

     事件を担当するのは大阪府警捜査一課の黒田憲造(くろだ・けんぞう)と亀田淳也(かめだ・じゅんや)の二人の刑事。黒田は30代、亀田はそろそろ30に届くという年だが、童顔、色黒で、背が低く、ころころしたその体型から、みんなは彼を「マメダ」と呼ぶ。「豆狸」と「カメダ」をひっかけたもので、転じて「マメちゃん」が愛称となった。陽気で、機関銃のように息つく暇なく喋りまくる。性格と体格を見事に一致させた人物で、先輩刑事として一目置く黒田と組んで、黒マメコンビ。
     深夜、捜査車両で被害者宅へ向かう黒マメコンビの会話シーン――。

    〈車のラジオが十一時を報(しら)せた。さすがにこの時刻になると、大阪市内も道路は空(す)いている。酔客を乗せたタクシーが制限速度を無視してとばしている。彼らにとっていちばんの稼ぎ時であるだけに無理もない。我々の車を追い越して行く赤い尾灯がやけに目立つ。
     喫茶店で包んでもらったサンドイッチをほおばりながら、マメちゃんが言う。
    「呑(の)んで、歌(うと)うて、ホステスの尻(しり)さわって、騒ぐだけ騒いで、あとはタクシーのうしろにふんぞり返っとったら、家まで連れて帰ってくれる。普通のサラリーマンが羨(うらや)ましいですなあ。ぼくら、ろくに眠りもせんと朝の早(は)ようから働いて……こんな味気ないもん食うて、その上、まだこれから働かんといかん……因果な商売に首つっこんでしもたもんや。時々ほんまに嫌になることありまっせ。黒さんそんな気になることありませんか」
    「ある、ある、いつでもそうや。わし、いままで何回転職考えたか分らへん。うちの嫁はんは、うだうだと文句ばっかり言いよるし、子供ともめったに遊んでやられへんし……もうほんまに何でこんなことせないかんのやろといつも思う。せやけど、わしももう若(わこ)うないから、そうそう大きな変化を求めることできへんし、結局、しんどい、しんどい言いながら、一生この調子やないかいなと考えてる」(中略)
    「そやけど、ぼくもあと四、五年して黒さんの年代になったら、考えが変わるかも知れません。時間的に不規則な仕事やし、昨日や今日みたいに帰られへんことも多いし……なんか情のうなりますなあ」
    「その、情ないというのがひっかかるなあ。いまのわしが情ないように聞こえる」
    「またすねる……ただ、この稼業が情のうなってきただけです」
    「新婚早々から、そんなつまらんこと考えんでもええ。とりあえず明日(あした)のことだけ考えよ」
    「そうしましょ。なんや知らんけど、黒さんとやったらすぐ話が横道にそれる」
    「そら、こっちのせりふや」〉

     まるで上方漫才のような黒マメコンビです。そういえば、文春文庫版のあとがきにこんなくだりがあります。
    〈大阪人が二人集まれば漫才になる――よくひきあいに出される言葉です。自分があほになって場を盛り上げる、そんなサービス精神の旺盛な人物をこの作品では描こうと考えました。刑事も人間、基本的にはサラリーマンであることに変わりなく、自分をかえりみて、少しばかり怠慢指向型のキャラクターを設定したわけです。大阪人の思考形態、ある種下品なユーモア、バイタリティー、楽しんでいただけたなら幸いです。〉

     くたびれた背広とまがったネクタイ、片減りした靴こそ似つかわしい刑事の世界に、しかも大阪府警捜査一課強盗班キャップの神谷(かみや)警部に革のアタッシェケース! 本人がイタリアの何とかいうブランドものだと、しきりに吹聴して日頃持ち歩いている自慢の品。金色のダイヤル錠をおもむろに操作すると、蓋がパカっと開き――中には数枚の地図と100円ボールペンだけが収まっていた。殻(がら)と中身のあまりの落差に、思わず笑ってしまった。いま風に言えば「わろてんか(笑ろてんか)」精神溢れる読物だ。

     もちろん誘拐物の警察ミステリーです。笑わせる技もあればユーモアもたっぷりで楽しませてくれますが、弱いものの立場に立って世の中を見据える姿勢がいい。銀行の表の顔、裏の顔を描いて多くの読者の共感を得ているのが池井戸潤ですが、黒川博行も本作で銀行の本質を〈死人にムチ打っといて、生き馬からは眼を抜く〉と手厳しい。“銀行嫌い”を広言するマメちゃんの口を通して時に厳しく、時にユーモラスに語られる著者の銀行観も読みどころなのですが、終盤に待つドンデン返しのトリックに関わってきますので、ここでは触れません。
     大阪の二人の刑事――黒マメコンビが型破りの着想と執念の独自捜査で鉄工所経営者誘拐事件の知能犯に迫る。最終章――午後10時に黒田憲造刑事の自宅電話が鳴った。逆転の結末が「浪速の読物キング」の出発点となった。(2017/11/17)
    • 参考になった 3
    投稿日:2017年11月17日
  •  1947(昭和22)年生まれの弁護士が60歳を機に弁護士生活に終止符を打ち作家を目指した。東京大学法学部卒、戦後史の節目節目で社会に大きなインパクトを与えてきた団塊の世代の一員。2010(平成22)年、『鬼畜の家』(講談社文庫、2014年5月9日配信)で第3回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞。翌2011年、同作品が原書房より刊行され、これが小説家デビュー作品となった。選考委員のミステリー作家・島田荘司から「この作には、勤めの義務を果たし、能力の成熟とともに余暇生活に入った書き手に、こちらが期待するすべてがある」と高く評された深木章子(みき・あきこ)です。
     2017(平成29)年8月25日、彼女のデビュー5作目となる『敗者の告白』(角川書店)――文庫版刊行と同時に電書配信が始まりました。リーガル(法曹)ミステリーの傑作です。
     リーガルミステリーの傑作と書きましたが、被告人の犯罪の立証をめぐって検察官と弁護士が火花を散らす裁判シーンは全く出てきません。裁判シーンはありませんが、法というものの本質――誤解をおそれずに言うなら、法曹の現場でその限界を知り尽くしてきた著者が法への疑問を作品の根底に据えて書き上げた問題作と言っても過言ではありません。しかも、それが堅苦しい法理論として語られるのではなく、「手記」と「供述」を駆使した異色の構成、そして逆転に次ぐ逆転というミステリーの醍醐味を兼ね備えた展開によって読者は作品世界に一気に引きずり込まれていく・・・・・・。

    〈別荘二階ベランダから転落 東京の母子二人死亡〉の見出しが付いた地元新聞の2006年3月28日朝刊の記事で物語が始まります。

    〈二十七日午後六時十分ごろ、山梨県北杜(ほくと)市××町の本村弘樹(もとむらひろき)さん方の二階ベランダから、本村さんの妻と子供が転落したと通報があり、駆けつけた山梨県警H署の警察官が、約十三メートル下の地面に倒れている本村さんの妻瑞香(みずか)さん(三十五歳)と長男の朋樹(ともき)君(八歳)を発見した。二人は死亡が確認され、転落した際に全身を強く打って即死したものとみられている。
     本村さんは東京都国立(くにたち)市に居住する会社経営者で、春休みを××町の別荘で過ごすため、前日の二十六日から家族三人で現地を訪れていた。本村さんの話では、事件発生時は階下のリビングで休んでいたところ、突然、ドンという大きな音がして、気がつくと妻と息子の姿が見えなかったという。
     現場は、別荘用分譲地として開発された約十メートルの高低差のあるがけ地で、問題のベランダは、コンクリートの擁壁に張り出す形状になっており、高さ一メートル二十センチほどの鉄製のフェンスが設置されている。警察では、二人がなぜフェンスを乗り越えて転落したのか、慎重に調べを進めることにしている。〉

     IT関連の会社を経営する本村弘樹は、その日のうちに任意同行の形でH警察署に連行され、その日は一旦別荘に戻されますが、翌朝9時に迎えが来て、H署で取り調べを受け、夕方になって妻子を殺害した容疑で逮捕されます。独りでリビングにいたらすごい音がしたので、驚いて2階のベランダに駆けつけると二人が転落していたと主張する本村弘樹の顔や顎に残されていた生傷が警察官の目に留まらないはずはありません。任意同行の時から警察官のまなざしは容疑者を見るそれであったのですが、二日目の取り調べ中に決定的な情報――死んだ妻瑞香が遺していた「手記」の存在が明らかとなり、ただちに逮捕状が執行されたのです。
    「手記」は1年前に「お隣のセレブ奥様 快適生活をちょっと拝見」という特集記事で取材に来たことのある月刊誌『快適生活』の編集者宛てにメールで送られたもので、
    ・一か月前の2月1日、2歳7か月の娘由香が自宅バスタブで誤って死ぬ事故があった。夫の弘樹は由香を溺愛していた。その由香を不慮の事故で失くしたことに対する夫のやり場のない怒りが、あのとき家にいた私と朋樹に向けられた。
    ・長男の朋樹の本当の父親は、別荘の隣人、溝口雄二であり、そのことを夫が知っていた。
    ・夫の会社の経営が思わしくなく、私が相続した松濤の家を売って資金面で協力して欲しいと要求する夫とそれに快く応じようとしなかったため二人の間に感情の軋轢が生じていた。
     以上のことを縷々綴ったうえで、偶然寝室のドア越しに聞いてしまった夫の通話内容を明かします。妻がその存在を知らない携帯電話を使って、夫は何を語ったのか。

    〈ドア越しに聞こえる弘樹の声は、低く抑えてはいるものの、深い決意を秘めて落ち着いていました。
    「だいじょうぶ、絶対に失敗はしないさ。明日のうちに下見をすませて、明後日にはドライブに連れ出すから……。もちろん、二人いっぺんにやる。君はただ待っていればいい」
     自分の心臓の鼓動が、ドアを通して彼の耳に届くのではないかと思うほどでした。(中略)
     このときすでに、私には確信がありました。弘樹は、私の知らないどこかの女ときっかり九時に電話する約束をしていたのです。私が絶対に通話履歴を調べることのない秘密の携帯で……。そして、彼がその女に約束していたことは、まぎれもなく私と朋樹の殺害でした。〉

     夫による妻子殺害計画――。「手記」はこう続きます。

    〈好きな女のためなら、男はなんでもできるのかもしれません。いえ、それとも……。胸の奥でどす黒い疑念が湧き上がります。弘樹は女に溺(おぼ)れるような男ではないのです。
     彼が私と朋樹を殺す理由があるとしたら、それは女のためなどではなく、私たち親子がいなくなれば、槇岡の家の財産を自分の自由にできるからではないでしょうか。〉

     なぜ夫のもとを逃げ出さないのか。そしてなぜ手記を遺したのか。

    〈すぐさま朋樹を連れて逃げ出すべきだ。もう一人の自分が絶えずささやきかけています。それでも私に迷いがあるのは、この一連のできごとはすべて弘樹の策略で、私がまんまとそれに乗せられること、それこそが彼の狙いなのだという疑念を捨てきれないからです。
     本村の姓も、国立の家も、なにもかも捨てて私たちが逃げ出すこと。自分はなにも手を汚さずに、私と朋樹の存在を自分の人生から放逐すること。そのためなら、わざと怪しげなふるまいをして私を不安に陥れることくらい、彼にはなんの抵抗もないはずです。
     溝口さんなら……。朋樹の父親である溝口さんなら、きっとなんとかしてくれるに違いありません。あの人は情の深い人間です。でも、いまの溝口さんには佐木子さんがいます。やはり私は彼に助けを求めることはできません。なにも知らない佐木子さんに、なぜ弘樹が朋樹と私を憎むのか、その理由を知らせることだけは絶対に避けなくてはならないのですから。
     ひと晩中考えた末に私が出した結論が、この手記を書くことでした。私はこれを女性と自立社の藤井友利子さん、あなたに送付することに決めたのです。優秀なジャーナリストであるあなたなら、このおかしな手記を受け取っても、かならずや適切な対処をして下さるに違いありません。
     どうか私を嗤(わら)ってください。見栄っ張りの、バカな女だと蔑(さげす)まれてもけっこうです。これこそが、あの「セレブ奥様」の「快適生活」の真実の姿なのですから。
     いまは半信半疑でも、私の話が事実であったことが判明したとき、あなたが私の無念を晴らして下さることを、私は信じています。〉

     夫による妻子殺害計画を告発する被害者本村瑞香の「手記」はこう締めくくられていました。夫の本村弘樹に任意で事情を聞いていた警察は、編集者からの連絡でこの手記の存在を知らされて色めき立ち本村弘樹逮捕に踏み切るのですが、弘樹の容疑を裏付ける、もう一つの「死者の告発」がありました。
     幼稚園児だった3年ほど前から、祖母とのメール交換を続けてきた被害者本村朋樹が転落死の前夜、祖母宛にメールしていたのです。タイトルは「おばあちゃんにいうこと」。祖母の供述によれば〈私にはとても信じられないといいますか、信じたくないというのが正直な気持ち〉という衝撃的な事実が綴られていましたが、その内容はミステリー作品であることを考慮してこれ以上触れないでおきましょう。

     ここで全体の構成をざっと見ておきましょう。先述しましたが、裁判シーンはでてきません。
    〈序章 ことの始まり〉は、母子の転落死を伝える地元新聞の記事です。
    〈第一章 死者の告発〉
     会社員藤井友利子の司法警察員に対する供述調書
     被害者本村瑞香の手記
     無職本村育子の司法警察員に対する供述調書
     被害者本村朋樹のメール

     章見出しにある通り、第一章は二人の死者が書き遺した「告発」とメールを受け取った二人の司法警察員に対する供述調書で構成されています。

    〈第二章 生者の弁明〉
     被告人本村弘樹の陳述書

     ここまでで二人の死者の告発と生者の弁明が揃いますが、その内容が真っ向から食い違い、事件が思いもよらない顔を見せ始めます。
    〈第三章 証言者たち〉は、死者と生者の主張の食い違いを検証し、事件の謎に挑む被告人本村弘樹の弁護人、睦木怜(むつぎ・れい)による調査の記録です。
     会社員溝口雄二の弁護人に対する供述
     主婦溝口佐木子の弁護人に対する供述
     税理士吉田達彦の弁護人に対する供述
     事務職員小笠原翔太の弁護人に対する供述
     歯科医師乾公明の弁護人に対する供述

     溝口雄二と溝口佐木子の夫婦は、被告人本村弘樹の別荘の隣人であり、事件前夜、本村の別荘で一緒の時を過ごしています。溝口雄二が本村朋樹の本当の父親であることは既に書きました。税理士吉田達彦は、本村瑞香の実家の顧問税理士、小笠原翔太はそこの事務職員で、瑞香の相続処理を担当していた。吉田、小笠原に歯科医師乾公明を加えた3人は瑞香と関係していた。

     そして〈第四章 事件の本質〉は、判決から3か月後、本村弘樹に宛てた弁護士睦木怜の書簡で始まります。
     弁護士睦木怜の書簡
     Xにまつわるひとつの推論
     元被告人本村弘樹の書簡
     Xの独白

     睦木弁護士の書簡は、こう書き出されます。
    〈同じ時間に同じ場所でひとつの事柄を経験した二人の人間が、正反対の事実を述べて第三者に判定を求める。よく考えれば、裁判とはおかしなものです。
     被害者と加害者。真実は、当の本人たちがいちばんよく知っているにもかかわらず、彼らはなにも知らない裁判官に結論を委ねるのです。どちらかが嘘を吐いている──。真実を述べているのは、はたしてどちらなのか? なにも知らないがゆえに、裁判官は真摯に迷い、そして悩むことでしょう。
     本当は、どちらも真実を述べてはいないのかもしれません。それでも、刑事裁判に引き分けはありません。軍配はかならずどちらかに上がるのです。
     のっけから妙なことを申し上げました。(後略)〉

     被告人に下された判決で幕が閉じられるミステリーが多いのですが、本作品は、長い弁護士生活を経験して作家に転じた著者が「夫による妻子殺害事件」を通して描こうとした「法」をめぐる重いテーマが「判決後」に鮮やかに浮かび上がってきます。死者と生者の主張の食い違いや二人を取り巻く人たちの供述のそこかしこに重要な布石を埋め込んだ構成力は見事です。幾度、読み終えた章に立ち返って作者が仕掛けた“布石”を探して確かめたことか。

     続く〈終章 決着〉は、ある人物の自殺を報じる新聞記事。思いもよらない結末に息を呑みました。

    「法」とは、「裁判」とは何かを縦軸に、横軸には本村弘樹と溝口雄二、本村瑞香と溝口佐木子――四人の男女(二組の夫婦)の対照的な人生。これらを巧みに編みあわせたリーガルミステリー。タイトルの「敗者」という言葉が胸に突き刺さる。(2017/11/10)
    • 参考になった 2
    投稿日:2017年11月10日
  •  なぜ、司法はこれを裁けないのか?
     当事者の男女二人だけの密室――一流ホテルの部屋で行われた性行為をめぐって、女性が「レイプ事件」として被害届と告訴状を出した。相談を受けた所轄の高輪署の担当捜査員は当初、〈疑わしいだけで証拠が無ければ、罪には問えない〉とこの種の事件の難しさを繰り返していたが、2か月間の捜査の末に逮捕状請求にこぎつけ、裁判所もそれを許可した。
     そして――ワシントンから帰国する男の予定を掴んだ捜査員が、逮捕状を手に成田空港へ。そこで男の到着を待っていたところに緊急連絡が入り、男性の逮捕が取り止めとなった。その4日前の6月4日――担当捜査員は被害者の女性に電話で〈八日の月曜日にアメリカから帰国します。入国してきたところを空港で逮捕する事になりました〉と伝えてきていた。逮捕に向けて準備万端整っていたはずだった。
     いったい、何があったのか。不可解な逮捕取り止めの状況について、被害者の伊藤詩織さんが紙・電子同時に緊急出版した問題の書『Black Box(ブラックボックス)』(文藝春秋、2017年10月18日配信)にこうあります。

    〈・・・逮捕予定の当日に、A氏(引用者注:高輪署の担当捜査員)から連絡が来た。もちろん逮捕の連絡だろうと思い、電話に出ると、A氏はとても暗い声で私の名前を呼んだ。
    「伊藤さん、実は、逮捕できませんでした。逮捕の準備はできておりました。私も行く気でした、しかし、その寸前で待ったがかかりました。私の力不足で、本当にごめんなさい。また私はこの担当から外されることになりました。後任が決まるまでは私の上司の〇〇に連絡して下さい」(中略)
    「検察が逮捕状の請求を認め、裁判所が許可したんですよね? 一度決めた事を何故そんな簡単に覆せるのですか?」
     すると、驚くべき答えが返ってきた。
    「ストップを掛けたのは警視庁のトップです」
     そんなはずが無い。なぜ、事件の司令塔である検察の決めた動きを、捜査機関の警察が止めることができるのだろうか?
    「そんなことってあるんですか? 警察が止めるなんて?」
     するとA氏は、
    「稀にあるケースですね。本当に稀です」
     とにかく質問をくり返す私に対し、
    「この件に関しては新しい担当者がまた説明するので。それから私の電話番号は変わるかもしれませんが、帰国された際は、きちんとお会いしてお話ししたいと思っています」
     携帯電話の番号が変わる? A氏はどうなるのだろうか?
    「Aさんは大丈夫なんですか?」
    「クビになるような事はしていないので、大丈夫だと思います」〉

    〈納得いかない〉と繰り返す著者に対して、〈私もです〉と同意したA氏は〈自分の目で山口氏を確認しようと、目の前を通過するところを見届けた〉とまで言ったという。
     不可解な事態は警視庁だけではありません。東京地検の担当M検事もまた、逮捕にストップがかかった当日に担当から外れていた。

     逮捕にストップがかかった2015年6月8日から2か月ほど遡った4月3日、「事件」は起きました。
    「準強姦罪」で告発された男性は、当時、TBSワシントン支局長だったジャーナリスト・山口敬之氏。ニューヨークの大学でジャーナリズムを学んで帰国していた著者は、ニューヨーク時代アルバイト先のピアノバーで知り合った山口氏にメールを送った(2015年3月25日)。

    〈以前山口さんが、ワシントン支局であればいつでもインターンにおいでよといってくださったのですが、まだ有効ですか?笑
    現在絶賛就活中なのですが、もしも現在空いているポジションなどがあったら教えていただきたいです。〉

     山口氏からはその日のうちに以下の返信が届いた。

    〈「インターンなら即採用だよ。
    プロデューサー(有給)でも、詩織ちゃんが本気なら真剣に検討します。ぜひ連絡下さい!〉

     4月3日。詩織さんは一時帰国した山口氏と恵比寿で待ち合わせ、山口氏行きつけの寿司屋などで食事をし、酒を飲んだ。飲食途中から記憶を失った詩織さんが覚醒したのは、ホテルのベッドの上だった。

    〈目を覚ましたのは、激しい痛みを感じたためだった。薄いカーテンが引かれた部屋のベッドの上で、何か重いものにのしかかられていた。
     頭はぼうっとしていたが、二日酔いのような重苦しい感覚はまったくなかった。下腹部に感じた裂けるような痛みと、目の前に飛び込んできた光景で、何をされているのかわかった。気づいた時のことは、思い出したくもない。目覚めたばかりの、記憶もなく現状認識もできない一瞬でさえ、ありえない、あってはならない相手だった。〉

     あってはならない相手の、あってはならない行為のこれ以上の詳細はここでは触れません。
    〈What a fuck are you doing!(何するつもりなの!)〉罵倒の言葉を投げつけてホテルを出た詩織さん。彼女はボロボロになりながらも、自らの身に起こった「あってはならない行為」に対する闘いを始めます。
     レイプ犯罪にあったとき、どうすればいいのかわからないまま、妊娠の可能性が気になって産婦人科には行った。モーニングアフターピルをもらいたかったからだ。しかし、そこでレイプ事件に必要な検査――血液検査やDNA採取――は受けられなかった。著者は、自らの経験に基づいて医療機関にレイプキットを備えておくことの重要性を訴えています。スウェーデンの先進的取り組みを現地取材した報告は、日本の現状を考えると示唆に富むものとなっています。

     さて、「事件」に戻ります。証拠採取はできませんでしたが、「デートレイプドラッグ」使用を確認できなかったことを別とすれば、著者の「事件」の場合そのこと自体は捜査の決定的な壁にはなりませんでした。強姦事件(および準強姦事件=主に意識の無い人に対するレイプ犯罪)の大きな争点は
    (1)行為があったか
    (2)合意があったか
     の2点です。この事件の場合、訴えられた山口氏も行為があったことは否定していません(妊娠の可能性を気にする著者に対して、山口氏は〈(妊娠の可能性はないとメールしたのは)精子の活動が著しく低調だという病気〉だからと返信している)。したがって問題は両者の間に性行為について合意があったのかどうかに絞られます。

    〈「行為」があった証拠が完全に揃っていたとしても、警察で「一緒に部屋に入っただけで合意だ」と言われ、起訴されないことすらある。
     私の事件の場合、私が引きずられるようにしてホテルに入ったのは、ビデオを見てもらえればわかると思うが、その後、部屋の中である程度の時間が経っている。
     その間、合意したのか、しないのか?
     密室の中で起こったことは第三者にはわからない、と繰り返し指摘された。検事はこれを「ブラックボックス」と呼んでいた。
     しかし、意識の無い状態で部屋に引きずり込まれた人が、その後、どう「合意」するのだろうか? こんなことを克明に証明しなければならないなら、それは法律の方がおかしいと思う。〉

     一旦、逮捕状が出されながら、執行寸前のところでストップがかかったことは先述の通りです。「事件」は警視庁捜査一課に引き継がれますが、結局証拠不十分で不起訴処分が確定します。逮捕状の執行が取り止めとなった2015年6月8日から約1年後、2016年7月22日のことです。その直前、東京地検の担当検事が著者にこう語ったという。

    〈担当のK検事と二度目に面会したのは、二〇一六年七月半ばのことだった。検事との話に、目新しい展開はなかった。検事は最後にこう言った。
    「この事件は、山口氏が本当に悪いと思います。こんなことをやって、しかも既婚で、社会的にそれなりの組織にいながら、それを逆手にとってあなたの夢につけこんだのですから。それだけでも十分に被害に値するし、絶対に許せない男だと思う。
     あなたとメールのやりとりもあって、すでに弁護士もつけて構えている。検察側としては、有罪にできるよう考えたけれど、証拠関係は難しいというのが率直なところです。ある意味とんでもない男です。こういうことに手馴れている。他にもやっているのではないかと思います」
     そして彼は、日本には準強姦罪という罪状はあるが、実際にはなかなか被疑者を裁けない、と、現行法の持つ矛盾を、長い時間かけて語った。〉

     残された最後の手段――著者は検察審査会への申し立てを行い、同時に顔と名前を明かして司法記者クラブで記者会見を開いた。2017年5月29日のことです。
     逮捕状の執行が突然止められた事実。その判断を下したのが当時、警視庁刑事部長だった中村格氏であったこと。中村氏は菅義偉官房長官の秘書官として辣腕を振るい、安倍官邸から重用されてきた。そして、訴えられている山口氏もまた、政権中枢に食い込んで『総理』(幻冬舎、2017年4月11日配信)を出版するほど安倍晋三首相周辺と親密な関係にあるらしい・・・・・・著者の「事件」は、森友・加計学園疑惑をめぐって官僚の過剰なまでの忖度などが問われていた安倍官邸で起きた同根の問題ではないかと波紋を広げました。中村刑事部長の指示によって逮捕が取り止めとなったのは、そうした政治的な力学が働いたのではないか、というわけです。
     疑惑が深まるなかで、2017年9月22日に検察審査会が出した結論は「不起訴相当」でした。幾重ものブラックボックスが性犯罪被害者の切実な訴えに立ちはだかっているのです。

    〈今までは出来る女みたいだったのに、今は困った子どもみたいで可愛いね〉

     下着を返して欲しいと言ったら「お土産に頂戴」と言われ、力が抜けて膝に力が入らず、座り込んでしまった際に、山口氏に言われた言葉だそうです。
     なぜ、司法はこれを裁けないのか。(2017/11/3)
    • 参考になった 3
    投稿日:2017年11月03日
  •  書店の文庫平積み台に並べられた本に巻かれたオビの「NHK朝ドラ『わろてんか』ヒロインで話題」の惹句が目にとまった。山崎豊子著『花のれん』(新潮文庫、2014年6月20日配信)です。毎日新聞在職中の1958(昭和33)年に中央公論社から刊行され、第39回直木賞を受賞(1958年上期)。大阪船場の老舗昆布屋に生まれた山崎豊子が、吉本興業の女主人、吉本せいをモデルに大阪商人の「ど根性」を描いた初期代表作で、1961(昭和36)年に新潮文庫に入り、以来2005(平成17)年の50刷改版を経て、2017(平成29)年10月に70刷に達した超ロングセラー作品です。繰り返し舞台、映画、ドラマ化された昭和の名作だ。
     その魅力として特筆されるべきは、なんといっても大阪弁の妙味ある会話だ。
     ヒロインは、河島多加。21歳で船場の呉服店に嫁いだが、夫の河島吉三郎は家業に関心がなく、節季(2、4、6、8、10、12の月末の支払日)になると、金繰りの苦しさから支払いを求める取引先への言い訳を多加に押しつけて店を逃げ出し夜になるのを待って戻る頼りなさ。芸事にうつつを抜かすばかりの夫に、ならばいっそ道楽を本業に――呉服店を閉め寄席をやったらどうや、と多加が勧めて、二人は天満(てんま)に〈風呂屋にでもしたろかいうような寄席〉を見つけ売り値450円を430円に値切って買い取り、寄席商売に参入します。多加が25歳、吉三郎が34歳の夏、明治44年の7月の初めでした。
     それから3年たった大正3年の正月、松島の芦辺館(あしべかん)を手に入れてこれからという矢先に、性来の飽き性が首をもたげて来た吉三郎の女遊びが始まった。そして馴染みの芸者の妹、21歳の素人娘に小料理屋を持たせたあげく、その妾宅(しょうたく)で急死。同衾(どうきん)中の発作から来た心臓麻痺、まだ38歳だった。
     思いがけず大きな額の借財が29歳の若く美しい寡婦となった多加に残された。白い喪服で二夫に目見(まみ)えぬという覚悟を示した後、多加はひとり息子の世話を女中のお梅にまかせ、寄席商売一筋、借金返しに邁進します。
     大正7年の正月。多加の前に大きなチャンスがめぐってきます。
    ――大阪を代表する一流亭、法善寺の金沢亭が売りに出ているという。
     宗右衛門町の川筋に面した『菱富』の奥座敷。床の間をうしろにして坐る70歳近い金沢亭席主と向き合った多加。大阪弁による虚々実々の商談が面白い。少し長くなりますが、紹介しましょう。

    〈「ところで、お多加はん、今度はちょっと高うおまっせえ」
     と、切り出した。
    「いきなり、女なぶりは、きつうおます、なんし、後家の細腕一本でっさかい、気張って、まけておくれやす」
     軽く振りきり、多加は張りのある一重瞼(ひとえまぶた)を細めながら、油断なく金沢亭の気色(けしき)を見て取った。
    「後家はん云うたかて、あんたはたいした後家や、女や思うて甘うみてるうちに、ちゃんとした一本立ちの席主になって、こうしてわいにも買いに出てはる」
     ここで言葉を切ったかと思うと、袷(あわせ)の胸もとをはだけて、胸まで巻いたゴム編の毛糸の腹巻から、懐中用の豆算盤(まめそろばん)を取り出した。
    「わいも寄席(こや)を手離すからには、もう齢(とし)だすし、あとは貸家業でもして楽隠居する気やさかい、まとまった銭を握らして貰(もら)いまっさ」
    「まあ、そない、気忙(きぜわ)しゅう切り出しはって、フ、フ……」
     多加は、低く笑った。
    「いや、この勘定次第で、酒の味まで違うて来まっさかいな」
     白髪になった眉(まゆ)の下から、勘定高い眼を向けた。
    「あ、その方は、手前が、うかがわせて戴(いただ)く役でおます」
     ガマ口が、這(は)い出すように前へにじり出た。
    「席主のお多加はんが来はったら、もう番頭は引っ込んでんか、なんや、つぶれたガマ口みたいな大きな口パクパクさして」
     はたきつけるように云い、机の上の算盤をぱちりと、弾(はじ)いた。
    「南の一流亭の、のれん料も入れて、これで、どうだす」
     手垢(てあか)で黒光りになった珠が、二万三千円と弾き出された。
    「二万と三千、そら、えげつないでっせえ、一つこれでどうだす?」
     多加は、ついと白い指を伸ばして、眼の前の算盤珠を、パチパチと器用に下げた。──二万七百円──
    「あかん、お多加はん、そんな手荒い珠のいらい方あるかいな、ほんなら、これでどうや、五分引きや」
     ──二万一千八百五十円──
    「阿呆(あほ)らしい、こんな取引は二割方の値幅を見込んではりまっしゃろ、そいで、せめて一割は泣いて(値引き)おくれやす」
    「最初から、きれいに五分引きにしてるのや、たった一千百五十円の差やおまへんか、そんな汚ない女勘定(おんなかんじょう)云わんときなはれ」
     金沢亭は、せせら嘲(わら)うようなあざとい笑い方をした。七十の老耄(おいぼ)れに似合わぬ凄(すご)みのある侮(あなど)りである。多加は、ふっと、怯(ひる)みかけたが、
    「たった一千百五十円やおまへん、木戸銭十銭、定員四百人の寄席(こや)で一千百五十円水揚げしよう思ったら、一カ月満員にせんなりまへん、商人(あきんど)いうもんは、どない大きな肚(はら)持ってても、算盤珠弾く時だけは、細こうに弾くもんだす、二万七百円は、わての筒(つつ)一杯(いっぱい)の出銭(でがね)だす」
    「ふうん、さよか」
     金沢亭は軽く受け流しながら、多加の強靱(きょうじん)な商い腰に、やや虚を衝(つ)かれたようだったが、煙管(きせる)を取り出し、一服喫(す)いはじめた。喫い終ると、癇症(かんしょう)らしく煙管を何度も吹き通してから、今度は有無を云わさぬ強引さで、
    「ほんなら、お互いに歩み寄って、端数(はすう)を落して、これで手を打ちまひょ、二万一千円──」
    「えらい、せっかくですけど、わては家を出る時は、二つ(二万円)の心づもりで来てるぐらいでっさかい、はじめ弾いた二万七百円以上は、算盤が逆さになっても応じられまへん」
    「あんたも、なかなかしぶとい女(おなご)はんや、色気が無(の)うても、顔にちゃんと金気(かねけ)が出てる、さあ、この辺が、もう、取引のきりだっせえ」
     多加は突きつけられた算盤を前にして、前屈(まえかが)みになったまま、押し黙った。胸の中では、二万一千円ならまあ買いもんや、そやけど、寄席(こや)の手入れにも銭のかかる時やから、値切れるだけ値切りたいと胸算用した。だが、金沢亭の顔には、老(おい)の一徹に近い癇気(かんき)が来ている。貸家業をして家賃で食べたいという肚を読んだからには、この辺で手を打つべきやろか──。ちらっと、ガマ口の方を見た。ガマ口は眼で合図した。多加は軽く頷(うなず)き、金沢亭へ向き直り、
    「ほんなら、二万一千円で手を打ちまひょ、その代り銀行で借りる金でっさかい、三回割り払いということにしておくなはれ」
    「それもあかん云うたら、親子ほど齢(とし)の違う女の尻(けつ)の穴までしゃぶりよったいうことになるやろ」
     と云い、金沢亭は、穴のあくほど多加の顔を見、
    「お多加はん、あんたはえらい女(おなご)の大阪商人や、値切られへん思うたら、せめて銀行利子だけでも浮かしたろいう根性やな、よっしゃ色つけて三回割り払いにしまひょ」
     金沢亭は、ポーンと多加の左肩を敲(たた)いた。大阪商人が、よっしゃと云って、ポーンと肩を敲けば、もう証文なしで商談が成り立っているのである。多加は、敷いていた座布団(ざぶとん)から辷(すべ)り降りた。
    「おおきに、金沢亭を譲って貰(もろ)うた上に、女(おなご)の大阪商人やとまでいうて戴いたら、わてなりののれんを、この寄席(こや)に掲げさして貰います」〉

     標準語ではどぎつくいやらしさが際立ってしまうような場面も、大阪弁独特のやわらかさが女の大阪商人のビジネス――男社会に挑む商いの真剣勝負を〈驚くほどの複雑豊富なニュアンス〉(文芸評論家・山本健吉「文庫版解説」)で楽しませてくれる山崎豊子の巧みさ。本作で直木賞をとり、毎日新聞社を退職。作家生活に入り、『白い巨塔』(新潮社、2014年6月20日配信)、『華麗なる一族』(新潮社、2014年6月20日配信)、『不毛地帯』(新潮社、2014年6月20日配信)、『二つの祖国』(新潮社、2014年6月20日配信)、『大地の子』(文藝春秋、2013年3月22日配信)、『沈まぬ太陽』(新潮社、2014年6月20日配信)、『運命の人』(文藝春秋、2013年3月22日配信)などのベストセラーを連発。2013年逝去した後も、作品は時代性を失うことなく読まれ続けていますが、大阪弁、なかでも商人言葉の面白さこそが山崎文学の原点なのだと改めて思います。

     本作『花のれん』は、大阪を笑いの王国にした女(おなご)の一代記で、桂春団治、アチャコ、エノケンらの実在芸人も登場し、彼らの素顔や興味深い舞台裏も描かれています。春団治と多加が激しくぶつかった〈ラジオ騒動〉の顛末がいろんな意味で面白い。時は昭和の初め頃。多加は大阪、京都に16軒の寄席(こや)を持つ大席主になっています。

    〈「師匠、夜分、居坐り強盗みたいに参上致しましたのは、今日、師匠が出はったラジオ出演のことだす、あれは、ちゃんと一本、約束が入ってるやおまへんか、これでは約束を反古(ほご)にして、花菱亭の首絞めはったのと同じや、師匠が、そんな気でいてはるなら、花菱亭(うち)も、その気で勘定さして貰(もら)いまっさ」
     と云うなり、皮の手提げ袋の止め金をはずし、中から白い紙片を出したかと思うと、紫色の長い舌で唾(つば)をつけ、眼の前の長火鉢の上へペタリと貼(は)り付けた。幅八分、縦一寸五分位の長方形の白い和紙に、花菱亭と墨で記した上から、印肉の判を捺(お)している封印紙であった。
    「ガマ口はん、一体、これなんやねん」
    「へへ……、高利貸しやおまへんけど、貸金と損害賠償の抵当(かた)に、家財道具を差押えさして貰う次第でおますわ」
    「そんなえげつない! 御寮人さん、何とか──」
     春団治は、一言も口をきかないでいる多加の方へ振り向いた。多加は無表情な顔で、春団治の眼をじろっと一瞥しただけで、答えなかった。〉

     不貞(ふて)くさったように長火鉢に肘(ひじ)をついて、独酌でコップ酒を飲んでいる春団治を横目に、ガマ口は、長持、箪笥(たんす)、机、さらに花瓶から脇息(きょうそく)、乱籠(みだれかご)、衣裳箱(いしょうばこ)の中の着物に至るまで封印紙をペタ、ペタ、貼り付け、差押え物件を一々、丹念に帳面に書き込んだ。

    〈「御寮人さん、これで家財道具一切、差押えだす、あとは三度のご飯を食べる鍋(なべ)、釜(かま)と茶碗(ちゃわん)だけということですわ、宜(よろ)しおますか」
     ガマ口が帳面を多加に示すようにして、尋ねた。
    「ご苦労さん」
     と頷(うなず)きながら、多加はいきなり、つかつかと長火鉢の傍(そば)まで近付いた。多加の白い手が大きく伸びたかと思うと、寝そべりかけている春団治の口の上へ、ピタリと封印紙を貼りつけた。春団治は跳(は)ね起きざまに自分の口に手を当てた。
    「殺生な! 口まで差押えせんかて借金は返したるで」
     封印紙が下唇だけはずれて、春団治の上唇の上でヒラヒラした。
    「師匠、わては借金の一寸の証文が三寸になるより、ラジオが一番こわい、家財道具より師匠の口を、差押えさして貰いまっさ」
    「そんなえげつない、落語(はなし)の質入れは聞いたことあるけど、口の差押えは生れて聞き始めや、せちべん(しぶい)なことしなはんな」
    「商いにせちべんな算盤(そろばん)はじくのは、あたり前やおまへんか、師匠が人気者の桂春団治の間は、わての大事な商品やさかい、商品並につき合して貰いまっさ、その代り師匠が落ちぶれはったら、人並に優しうしたげまっさ」
     そう云いながら多加は、春団治の上唇で取れそうになっている封印紙を、もう一度貼り直すように指先で押えた。
    「さよか、落ちぶれるまでわては商品というわけでっか……、さすが、あんたは、女のくせに大阪一の馬鹿(ばか)でっかい通天閣を買うたお人だけおますわ」
     封印紙の下の不自由な口でこう云い、春団治は眼尻(めじり)に奇妙な薄笑いをうかべた。〉

     春団治の奇妙な薄笑い――3か月はこともなく過ぎますが、再び春団治はラジオに無断で出た。席主の懇親会で城崎温泉に来ていた多加は、電報で連絡を受け帰阪しますが、さてどうしたものか、さすがに妙案も浮かばず困り果てていたところに、〈ラジオで、札止め〉の知らせ。車に乗って法善寺に走った。

    〈寄席(こや)の中は、これ以上入れ込みがきかないほど詰っていた。七月の初めというのに、満員の客は蒸し暑くなった人気(ひとけ)を、出番書(でばんがき)でパタパタ扇(あお〉いで風を送っている。木戸番に聞いてみると、昨日の三倍の入りであった。まだ高座には春団治がかかっていなかったが、ラジオの春団治の噂(うわさ)が桟敷(さじき)にも廊下にも溢(あふ)れていた。
     ──これはわての負けやった──、多加はこう小さな声で独り言を云い、押し合う客に揉(も)まれてゆるんだ帯〆(おびじめ)を、そっと締め直した。〉

     独特の発想でのし上がってきた多加。落語家の口に封印紙を貼って差し押さえまでして止めようとしたラジオ出演を〈わての負けやった〉とあっさり認めて生まれ変わっていく才覚とたくましさ。今に生きる教訓は数えきれませんが、ラジオ騒動の顛末から思い浮かんだことが、ひとつあります。
     10月24日配信の「週刊朝日」(2017年11月3日号)電子版の表紙――異様です。表紙中央の大きな人物写真がグレーにマスキングされ、それが誰なのかわからなくなっているのです。もっともシルエット画像の左側に小さく「櫻井翔」の名前が残っていますから、想像はつきます。さらにインタビュー記事も収録されているのですが、ここでも櫻井翔の写真は表紙と同じように“消され” ています。もちろん週刊朝日だけの現象ではありません。理由ははっきりしています。櫻井翔が所属するジャニーズ事務所が電子書籍やネットメディアに対しては所属タレントの写真収録を許可しない方針を貫いているためにマスキング表紙が氾濫しているというわけです。ジャニーズ事務所を退所した香取慎吾らの写真が解禁されて電子書籍やネットでも普通に収録されるようになってファンが大喜びしたのはついひと月ほど前のことです。
    〈ラジオ解禁〉のエピソードから現代の〈マスキング写真〉に連想が拡がった次第です。ちょっと脱線しましたが、大阪弁で読ませる初期山崎文学――本書の他、デビュー作『暖簾』(新潮社、2014年6月20日配信)、『ぼんち』(新潮社、2014年6月20日配信)、『しぶちん』(新潮社、2014年6月20日配信)も併せてお読みください。(2017/10/27)
    • 参考になった 3
    投稿日:2017年10月27日
  •  1945年3月、太平洋戦争末期の沖縄本島。米軍の容赦ない空爆、艦砲射撃が開始され、そして4月1日上陸してからは火炎放射器が兵士ばかりか住民を追い回し、焼いた。家族をすべて失い、一人生き残った少女――占領下の沖縄からボリビアに渡り、激動の時代を逞しく生き抜いた知花煉(ちばな・れん)の一代記『ヒストリア』(角川書店、2017年8月25日配信)。1970年沖縄・那覇に生まれ、石垣島で育った気鋭作家、池上永一が20年前から温めてきた〈オキナワ〉の物語だ。
     ヒロイン知花煉の述懐を綴る、こんな一節がある。

    〈生きるか死ぬかの瀬戸際に追い詰められるまで、同時に家族、友人、知人が皆殺しにされるまで、戦争がどういうものなのか、ピンときていなかった。両親は誰かに憎まれて殺されたわけじゃない。友達も何ひとつ悪いことをしていなかった。それなのにある日、爆弾が落ちてきて、骨も歯も残らないほど粉砕された。極悪人の処刑でもここまでしないだろうというほどに。恐ろしいのは、アメリカ軍は私たち住民をまったく憎んでいなかったということだ。人は憎悪がなくても悪魔になれる。それが戦争というものだった。〉(「第十三章 私の魂の還る場所」より)

     米軍上陸前夜の空襲が始まり、〈最初の一発が女の叫び声のような音をたてて大地に炸裂し〉その衝撃で知花煉は〈自分の意志とは裏腹に大地を転が〉り、〈天と地が泥濘んでいるような曖昧な空間を木の葉のように舞〉い、マブイ(魂)を喪失した。普通なら肉体も失って〈死〉を迎えるはずですが、しかし肉体は存続し、知花煉が二人になった。マブイは地球の反対側のボリビアに飛ばされた。不発弾に守られるようにして横たわっていて覚醒し、〈長い死に際〉を生きることになった知花煉は沖縄戦の過酷な現実のなかに放り込まれ、100日間逃げまどう。「第一章 私の長い死に際」より引用します。

    〈私は敵を見た瞬間に殺されてしまう立場だった。敵と遭遇しないことこそ生き延びる唯一の道だった。この敵とはアメリカ兵はもちろん、日本兵も含まれる。銃を持った兵隊は全員が敵だった。〉
    〈もはや人の道に悖(もと)る連中だった。お国のためだと言って米を略奪する。水場を独占する。逃げ場の壕を奪う。泣いても喚(わめ)いても無駄だった。私が芋を両手で抱えている時のことだ。三日ぶりの食糧でやっと手に入れたものなのに、兵隊は恐ろしい顔をして、
    「いざとなったらこれで死ね」
     と手榴弾と交換させられた。私の命は手榴弾と同じだといわんばかりの口調だった。戦況は内側に日本軍というもうひとつの敵を内包し複雑になっていた。アメリカ兵は嫌いだが、日本兵は恐ろしかった。
    「せめて空腹を紛らわすお水だけでもください……」
    「貴様、なんだその目は!」
     私は眼鏡の日本兵が振りかざした銃床で殴られ泥のなかに突っ伏した。〉

     玉砕が迫る中で、この眼鏡の日本兵は奇形の芋虫にしか見えない陰茎を目の前に突きつけ、煉を自らのおぞましい性欲のはけ口にさえした。沖縄住民、とくに老人や子どもは、戦場の生態系のなかで最底辺に属していた。

     1945年6月23日。沖縄戦は終結した。夥しい屍体と、それと同じくらいの瀕死の生存者と、圧倒的な絶望。そんな占領下沖縄の戦後を知花煉は逞しく生きる。嘉手納飛行場近くのコザ市(現・沖縄市)の一角でアメリカ製品の横流しを請け負う商売を営み、後に初代琉球列島高等弁務官となるジェームズ・E・ムーア陸軍中将の知遇を得るが、ちょっとした手違いから米陸軍CIC(Counter Intelligence Corps 対敵諜報部隊)に追われる身に。そして、肉体を持つ知花煉も偽造パスポートを手に入れ白い移民船『チサダネ』号に潜り込みボリビアに渡ります。アフリカ最南端の喜望峰(きぼうほう)を回って大西洋に入り、ブラジルのサントスまで50日間の船旅です。
    〈煉、待ってるよ〉
     沖縄を離れる間際、知花煉の頭に響いた声。地球の裏側のマブイ(魂)が誘っているのだろうか。
     沖縄から遠く離れた南米ボリビアの地。二人になった知花煉――肉体を持つ「私」とマブイの「わたし」の物語が並行していく。入植地に入った知花煉は、大洪水や疾病による挫折を味わいながらも未開の地を切り開き、コロニア・オキナワを築きあげる。
     そしてもうひとりの知花煉がゲバラと出会い恋に落ちていき、物語は一気に戦後の裏面史を織り込んだスケールの大きな展開へと動き始めます。

    〈すっきりとした面持ちの青年が、まるで旧友との再会を懐かしむような顔で近づいてくるではないか。私は反射的に身を強張らせたが、青年の笑みは確信に満ちていく。
    「間違いないポデローサ号だ。懐かしい。おお神よ、一体なぜポデローサ号がボリビアにあるんだ!?」
     上流階級の服装をした青年のスペイン語のイントネーションから、アルゼンチン人だと思われる。〉

     知花煉の愛車、ミヤラビ号はその青年が手放したものを再生したバイクだった。意気投合してラパスまで一緒に行くことになった二人。ラパスまでの道のりは日を跨ぐ。この夜、二人はコチャバンバというボリビア第三の都市で休むことにした。亜熱帯のサンタクルスとは異なり、コチャバンバは高山性の気候に変わる。

    〈「レンのベッドはここ」
     エルネストは私の腕を引っ張り、全身で受け止めた。子供っぽい振る舞いだが、お見事でもある。
    「私は行きずりの関係は嫌よ」
    「ぼくだって嫌だよ」
     私たちは同時に唇を重ねた。すぐに私たちは全身に火がついたように昂(たかぶ)った。コチャバンバの夜の寒さなんてもう問題ではなくなった。私たちの肌は汗でぴったりとくっついてしまった。私は初めてなりふり構わない夜を過ごした。(中略)
     私はエルネストに恋をした。彼のまたの名をチェ・ゲバラという。〉(「第四章 風の中の初恋」より)

     世界は米国とソ連の冷戦の時代。ボリビアでは武装蜂起して政権を奪取した民族革命運動党(MNR)によるボリビア革命(1952年~1964年)が始まっていました。
     知花煉はボリビアで3人の“仲間”を得ます。
    ・カルロス・イノウエ………沖縄の血を引くボリビアの日系三世。機械の修理を得意とする。
    ・セザール・イノウエ………カルロスの兄。カルメンの熱烈なファン。
    ・カルメン……………………女子プロレスラー。ボリビアの国民的英雄。バット・プレスが必殺技。
     ひとつの肉体を巡ってぶつかり合い乗っ取りをはかる二人の知花煉の戦い。米陸軍が使っていた大型輸送機を手に入れ空賊として南米中を飛び回る煉と3人の仲間の大胆かつ危機一髪の連続シーン。沖縄の基地から盗み出されたメースB(中距離巡航ミサイル)の核弾頭を米ソ核危機(1962年)さなかのキューバに持ち込みカストロに渡そうと画策する〈わたし〉。キューバには恋人のゲバラがいる。そしてカストロの手に渡る前に核弾頭を〈欲望と本能の赴くままに動く野獣〉から奪い返そうとキューバに向かう〈私〉の息詰まる攻防。そして結婚と清香(さやか)の誕生。最愛の娘の誘拐と奪還。夫の死。

     およそ400字詰め原稿用紙2400枚、紙書籍629ページの長編エンターテイメント。それにしても、なぜ、ボリビアなのか。著者はあるインタビューでこう語っています。

    「発端は僕が二十七歳の時、帰省中に、NHK沖縄放送局制作の情報番組をたまたま見たんです。
     子どもたちが三線を弾いていて、どこか離島の学校かな、と見るともなしに見ていたら、インタビューに応えて喋る子どもたちの言葉が、古い沖縄の、祖父やその上の世代が喋っていたきれいな首里方言で、『えっ?』と思って、集中しようと意識を向けると「以上ボリビアからでした」と終わってしまった。
    『いまのがボリビアかあ』と頭に刷り込まれて、僕らの世代が聞くことはできるけれど、喋ることはできない言葉を喋る子どもたち。ウチナーグチの舌下音も声調も完璧で、これはどういうことなんだろう、もっと知りたいなと思ったんですよ。ボリビア移民について詳しく知っていそうな研究者に聞きに行くと、いい反応をしてもらえない。はっきりとは言わないんだけど『やめとけ』『彼らのことはそっとしておいてやれ』というニュアンスです。
     そうなるとさらに知りたくなるじゃないですか。自分なりに調べていくと、戦後の沖縄で、多くのボリビア移民が海を渡っていた。まるでパラダイスに行くかのように移民を勧める、移民局の資料も残っていました。
     沖縄では、ブラジルとかハワイに移民した親戚がいるのは割と普通のことです。けれど、戦後の、基地をつくるために農地の強制収容とセットで行われたボリビア移民のことは、忘れた、もしくはなかったことのようにされていた。当時の沖縄の論調というのは、自分たちは真っ白な被害者なんですよ。生きるうえで加害に与した部分もあるのに、そういう歴史は隠蔽してしまっている。そういう複雑な感情が、ボリビア移民に対してはあるんだと思う」(KADOKAWA発の文芸情報サイト「カドブン」より)

     そうした背景の中で、ボリビア移民だけが日本的なアイデンティティ-を死守しているという。
    「ブラジルもペルーもアルゼンチンもチリも、すべて同化の道を選んで日本語をすてているんだけど、ボリビアは違っていた。コロニア・オキナワでは、第一言語を日本語にして、スペイン語は中学を卒業してから学び始めるんです」(同)

    「沖縄の返還なくして戦後は終わらない」沖縄返還(1972年)時の首相で、安倍晋三首相の大叔父、佐藤栄作氏が残した言葉です。
     沖縄が日本に復帰するというニュースを聞いたヒロインの知花煉は、娘の清香(さやか)とともに沖縄に行くことを決意する。

    〈その夜、私はまた戦争の夢を見た。
    ──煉、早く沖縄に来て。私、苦しいよ。
     私は覚悟を決めて目を覚ました。この悪夢を断ち切らない限り、私の戦争は決して終わらない。そのために沖縄に戻るのだ。〉

     ボリビアでボリビア人として生きていくために、コロニアル・オキナワでボリビア人として死ぬために、やっておかなければならないことがある。固い決意を胸に飛行機を乗り継いで沖縄の地に降り立った知花煉。
     沖縄本島中部。煉の村があった場所には[CAMP HANSEN]のプレートが掲げられていた。村は立ち入りできない基地の中だ。頭の中に響く彼女の声――。
    〈──煉、私はここよ! ここにいるわ!〉

     胸の奥底から絞り出したようなヒロイン知花煉の内なる声、
    〈現在も、私の戦争は終わっていない。〉
     この一行で物語は終わります。

     今もそこにある〈戦争〉――ウチナーンチュ(沖縄人)に寄り添う作家の揺るぎない思いがこの巨編〈終わりなき戦争の物語〉を貫き、読み応えのある作品にしています。(2017/10/20)
    • 参考になった 2
    投稿日:2017年10月20日
  •  2017年ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ(代表作『日の名残り』『わたしを離さないで』ほか8作品が早川書房より配信中)が受賞インタビューで「母と一緒に観た小津映画に影響を受けた」と語ったことから、小津安二郎の映画が話題になっていますが、先頃(2017年9月29日)配信が始まった内田百けん(「けん」は「間」と似ていますが、門構えに「日」ではなく「月」を置きます)の『ノラや』を久しぶりに読み直していて、紡がれる言葉、行間からわきたつ家族の温(ぬく)もりにしみじみ感じ入りました。晩年の内田百けんと奥さん、そして2匹の猫が一つ屋根の下で暮らすあれこれを日々綴った連作集は、小津が白黒映画で描いた昭和の家族に重なりあいます。

     私の手元にある中公文庫版『ノラや』の奥付には、
     1980年3月10日 初版発行
     1997年1月18日 改版発行
     2016年10月15日 改版19刷発行
     とあります。改版発行から19刷。20年もの間絶えることなく版を重ねてきた凄い本だということがわかります。初出が昭和31年(1956年)から昭和45年(1970年)にかけてで、翌昭和46年(1971年)に百けん先生は82歳で没します。それから半世紀近い年月を経てなお色褪せることなく、読み継がれている昭和の出版遺産。それが電子書籍になって、いつでも、どこでも読めるようになりました。

     作品の舞台は、戦後間もない昭和23年(1948年)、百けん先生が新居(三畳間が3つ並んだ「三畳御殿」)を構えた東京都千代田区六番町。JR市ヶ谷駅や作品中にしばしば登場する雙葉学園、区立番町小学校、法政大学に近く、また神楽坂、九段の靖国神社、皇居の半蔵門なども歩ける範囲にある一帯です。
     漱石門下の小説家・随筆家の内田百けんと奥さんの二人暮らしに、一匹の野良猫が加わります。日本海軍がハワイ真珠湾を奇襲、対米戦争に突入した翌年に結成された日本文学報国会への入会を拒否した一言居士の大先生(後年、芸術院会員に推薦された時、〈イヤダカラ、イヤダ〉と言って断っています)、野良猫との縁について独特のユーモアをまじえてこんなふうに綴ります。「彼ハ猫デアル」より引用します。

    〈うちの庭に野良猫がゐて段段おなかが大きくなると思つたら、どこかで子供を生んだらしい。何匹ゐたか知らないが、その中の一匹がいつも親猫にくつ附いて歩き、お勝手の物置の屋根で親子向き合つた侭居睡りをしてゐたり、欠伸(あくび)をしたり、何となく私共の目に馴染みが出来た。
     まだ乳離(ちばな)れしたかしないか位の子供が、夜は母親とどこに寝てゐるのか知らないけれど、昼間になると出て来て、毎日同じ所で、何だか面白くて堪らない様に遊び廻る。親猫にじやれついてうるさがられ、親猫はくるりと後ろ向きになつて居睡りを始めてゐるのに、まだ止めない。その内に、相手になつて貰へないから、つまらなくなつたのだらうと思ふ。物干しの棒を伝つてお勝手の庭へ降りて来て、家内が水を汲んでゐる柄杓(ひしゃく)の柄にからみついた。手許がうるさくて仕様がないから家内が柄杓を振つて追つ払はうとしたら、子猫の方では自分に構つてくれるものと勘違ひしたらしく、柄杓の運動に合はして、はずみをつけてぴよいぴよいとすつ跳んだ向うの、葉蘭の陰の金魚のゐる水甕(みずがめ)の中へ、自分の勢ひで飛び込んでしまつた。
     うるさいから追つ払つたけれど、水甕におつこちては可哀想である。すぐに縁(ふち)から這ひ上がつて来たさうだが、猫は濡れるのはきらひだから、お見舞に御飯でもやれと私が云つた。
     彼が水甕に飛び込んだのが縁の始まりと云ふ事になる。彼と云ふのは雄だからである。静岡土産のわさび漬の浅い桶に御飯と魚を混ぜたのを家内が物置の前に置いてやつた。よろこんで食べたらしいけれど、いつの間にか食べてどこかへ行つてしまつたと云ふ風で、何分野良猫の子だから、物を食べる時は四辺に気を配るらしい。その次にまた桶に入れてやつた時、それに気がついても抜き足差し足で近づくと云ふ様子だから、もつとはたから見えない様に、葉蘭の陰に置いてやれと云つた位である。〉

     家に馴染んできた猫はあくまでも〈彼〉であり、いつの間にか〈猫にご飯をやる〉ことが百けん先生と奥さんの癖になっていきます。けっして〈餌をやる〉とは書きません。〈お膳で食べ残した魚の頭や骨は、猫にやればいいと思ふ様になった〉のはごく自然の成り行きで、雨が降る日以降、ご飯を入れたわさび漬けの桶の置き場所もお勝手の上がり口へ変わり、猫は家に一歩近づいた。すっかり乳離れしたようで、親猫の姿を見なくなった頃合いに、先生と奥さんは〈この子猫を飼ってやろうかと云ふ相談〉をして、〈野良猫だからノラと云ふ名前〉を付けます。

    〈飼ふと云ふ事になれば、食べ物と寝床を与へなければならない。物置小屋の板壁の板を少しずらして、小さなノラが出入り出来る位の穴をつくり、その内側にわさび漬の桶と蜜柑箱を置く事にした。蜜柑箱の中には雑巾にする襤褸のきれが分厚に敷いてあつて暖かさうである。
     暫らくの間、彼はその装置に安住し、どこへ行つたのだらうと思ふと小屋の中の蜜柑箱でいい心持に寝てゐる様になつた。腹がへればお勝手口へ来て、にやあにやあ騒いでせがむ。まだ子供だから、そのにやあにやあ云ふ声も心細い程細い。〉(「彼ハ猫デアル」より)

     何日か経つうちに、ノラが風を引きます。まるっきり元気がなくなって、ご飯も魚も食べないノラ。先生夫妻の看病ぶりがけなげというか、ほほえましい。〈コンビーフをバタでこね廻したのに玉子を掛けてやつて見ると、少し食べた〉といって少し安心し、〈水の代りに牛乳を供し〉、さらに〈蜜柑箱の中にはヰスキーの罎に温湯を入れたのを湯たんぽの代りに入れて〉あげるという具合。

    〈手当ての効ありて、二三日でなほつた様だが、その間家内が可哀想がつて頻りに抱いたので、野良猫の癖に余程私共に親近感を抱く様になつたらしい。又寒い雨が降り続いたりしたので、いつの間にか小屋の中のわさび漬の桶はお勝手の上り口の土間に移され、夜も小屋へは帰らず、風呂場に這入つて風呂桶の蓋の上に寝る様になつた。いつの間に彼はその場所を発見したのか知らないが、私は毎日風呂に這入るので、中には大概いつも温かい湯が這入つてゐるから、蓋は何とも云へないいい気持の暖かさになつてゐる。朝鮮のオンドルは話に聞いてゐるだけで実際には知らないが、猫はさう云ふつもりで風呂桶の蓋の上に寝てゐるに違ひない。(中略)
     何しろ風呂桶の蓋がよくて仕様がないらしい。晩になつて私が風呂に這入らうとすると彼がその上を占領してゐるから摘まみ出す。さうしておいて裸になつて行くと、又這入つて来る。仕方がないから又摘まみ出す。もう掛け湯をして、そこいらが濡れてゐるのに又這入つて来る。這入つて来ても、もう蓋はない。すると彼は風呂桶の縁へ上がつて、狭い所で落ちない様に中心を取つてゐる。猫と混浴するのは困る。〉(「彼ハ猫デアル」より)


     仰向けでムササビ(原文では漢字)の様な恰好になつて、腋の下を出して寝ているノラを見て、いたずら心を刺激された先生、〈くすぐつてやつたが平気らしい。人間の様にくすぐつたがらない〉とも綴っています。

     夫婦二人きりの無人の家にすっかり馴染んで、家族の一員となったノラ。しかしある日、その姿が見えなくなります。

    〈三月二十八日木曜日
     半晴半曇夕ストーヴをつける。夕方から雨となり夜は大雨。
     ノラが昨日の午過ぎから帰らない。一晩戻らなかつた事はあるが、翌朝は帰つて来た。今日は午後になつても帰らない。ノラの事が非常に気に掛かり、もう帰らぬのではないかと思つて、可哀想で一日ぢゆう涙止まらず。やりかけた仕事の事も気に掛かるが、丸で手につかない。その方へ気を向ける事が出来ない。それよりもこんなに泣いては身体にさはると思ふ。午前四時まで待つた。帰つて来たら、「ノラや、帰つたのか、お前どこへ行つてたのだい」と云ひたいが、夜に入つて雨がひどくなり、夜更けと共に庭石やお勝手口の踏み石から繁吹(しぶ)きを上げる豪雨になつて、猫の歩く道は流れる様に濡れてしまつた。〉(「ノラや」より)

     翌3月29日、百けん先生、こう続けます。
    〈快晴夕ストーヴをたく。
     朝になつてもお天気になつても、ノラは帰つて来ない。ノラの事で頭が一ぱいで、今日の順序をどうしていいか解らない。夕方暗くなり掛かつても帰つて来ない。何事も、座辺の片づけも手につかない。夜半三時まで、書斎の雨戸も開けた侭にして、窓の障子に射す猫の影を待つてゐたけれどノラは帰らなかつた。寝るまで耳を澄ましてノラの声を待つたがそれも空し。〉(「ノラや」より)

     人を頼んで近所を探してもらい、奥さんがノラが仲よくしていた猫を飼っている家を訪ね、さらに警察に相談し、朝日新聞に〈猫ヲ探ス、猫が無事に戻れば薄謝三千円を呈し度し〉の広告を出した。それよりも効果があろうと折り込み広告を印刷して新聞販売店に配ってもらいもした。情報が寄せられれば、確認に出向く。しかしノラは見つからず、戻って来ない。〈ノラやと思つただけで後は涙が止まらなくなり、紙をぬらして机の下の屑篭を一ぱいにしてしまふ〉そんな毎日が始まりました。日々の営みも激変します。

    〈ノラが帰らなくなつてからもう十日余り経つ。それ迄は毎晩這入つてゐた風呂にまだ一度も這入らない。風呂蓋の上にノラが寝てゐた座布団と掛け布団用の風呂敷がその侭ある。その上に額を押しつけ、ゐないノラを呼んで、ノラやノラやノラやと云つて止められない。もうよさうと思つても又さう云ひたくなり、額を座布団につけて又ノラやノラやと云ふ。止めなければいけないと思つても、ゐないノラが可愛くて止められない。〉(「ノラや」より)

    〈ノラが帰らなくなつた三月二十七日からもう半年になるが、その間一度も鮨を取つてゐない。今でもまだ註文する気になれない。私は仕事を続けてゐる時、晩のお膳にはその日の仕事が終つてからでなければ坐らない事にしてゐるので、その順序は毎晩遅くなる。だから仕事に掛かる前に一寸した小じよはんをしておく為にお鮨の握りを取り寄せる事がよくある。一日置き、どうかすると毎日続いた事もしよつちゆうで、御贔屓の鮨屋があるのだが、三月二十七日以来ノラに触れるのがこはくて持つて来させる事が出来ない。〉(「ノラに降る村しぐれ」より)

     ノラは、奥さんの手から貰う鮨の屋根の玉子焼に目がなかった。奥さんの膝に両手を乗せて、玉子焼を貰う恰好を思い出してしまう、だからもう鮨はとらない、というわけです。

     4月15日月曜日――夕方近く洗面所の前の屏の上にノラに似た猫がいた。痩せて貧弱だが、ノラももうその位は痩せたかと気になるので奥さんが追って行くと、後姿の尻尾が短かかつたのでノラではないことがはっきりした。
     5月25日土曜日――書斎の窓の障子の外で音がする。ノラがいつも帰ってきた時の気配だ。急いで開けた――。
    〈例のノラに似た猫がゐて、人の顔を見てノラのする通りにニヤアニヤア云ふ。堪らなくなつて暫らく泣き続けた。本当にノラだつたら、どんなにうれしいだらう。この一瞬から万事が立ち直るのに、と思つた。〉(「ノラやノラや」より)

     ノラの弟かもしれない、よく似た尻尾の短い猫。奥さんがご飯を与え始め、家族の一員となる、2匹目の登場です。尻尾が短いところから、「クルツ」という名を考える。6月8日のことです。
    〈ノラに似た尻尾の短かい猫はこの頃いつも物置にゐる。こんなにゐつくなら、名前をつけてやらうかと思ひ出した。一両日前からそんな気になつてゐた。尻尾が短かいから「クルツ」と云ふ事にする。三音で呼びにくかつたら、「クル」でも「クルツちやん」の「クルちやん」でもいいだらう。しかしまだ一人で考へてゐるだけである。
     クルツがノラに似てゐる点は毛並や動作だけでなく、表情がそつくりなので正視する事が出来ない。家内はいつも何かやつてゐる様だが、私は成る可く見ない様に目をそらす。〉(「ノラやノラや」より)

    「クル」と声をかけてかわいがりたいけれど、2か月ほど前に雨の中を出かけたまま戻らないノラを思い出してしまうので懸命に目をそらす百けん先生の姿が目に浮かぶようです。
     8月8日木曜日 立秋 ノラがいなくなって135日――夫婦は相談して、ノラが戻ってきた時のために用意しておいた頚輪をクルにはめてやることにします。そうすれば、金具に所番地や電話番号が彫りつけてあるから、迷っても手がかりになるだろうというわけです。もちろん、ノラのためにはもう一つもっと皮の柔らかいのを造って帰りを待つ二人です。
     ノラを待ち続ける百けん先生と奥さんの二人暮らしにクルが加わった穏やかな日常は、この後5年3か月続きます。そして8月9日から11日間、毎朝8時頃に九段のドクトルが来診、夫婦揃って懸命に尽くした最後の日々。

    〈クルを撫でてゐる家内が、吃逆をすると云つたので、すぐに跳ね起き附き添つてやる。臨終也。余り苦しみはなく、家内と二人でクルに顔をくつつけ、女中が背中を撫でてやる内に息が止まつた。午後四時五分。三人の号泣の中でクルは死んだ。ああ、どうしよう、どうしよう、この子を死なせて。取り乱しさうになるのを、やつと我慢した。しかしクルや、八月九日以来十一日間、夜の目を寝ずにお前を手離すまいとしたが、クルやお前は死んだのか。〉(「クルやお前か」より)

     クル臨終の稿、こう続きます。
    〈縡切(ことき)れたクルを暫らく抱いてやる。無論まだ温かく、可愛い顔をしてゐる。しかしすつかり痩せて、ふだんの半分よりまだ軽い。可哀想な事をした。こんなに痩せる迄、どうにもしてやれなかつた。顔をくつつけて、「クルや、クルや」と呼んだ。クルの小さな額(ひたい)や三角の耳に、クルの毛が濡れる程涙が落ちた。〉

     生あるものへの温かいまなざし。その不在に涙するまっすぐな気持。時代に追われるように駆け足で生きる私たちが喪(うし)ってきた、人生の確かな営みが、ここにはあります。一夜一話読むもよし、秋の夜長、14編を一気に読むもよし。(2017/10/13)
    • 参考になった 2
    投稿日:2017年10月13日